竜の喰わぬは花ばかり

川乃千鶴

文字の大きさ
上 下
10 / 24
後編 一輪の花

つまらぬ娘 2

しおりを挟む

 翌朝、フィロスの唸り声で目覚めたヴェルミリオは、妙な胸騒ぎを覚えて花畑を確かめに向かった。

 昨日の雨が嘘のように空は晴れ渡り、まだ乾ききらない草木を満遍なく光で満たす。
 幾万の滴が朝陽を閉じ込めて、花弁はぎょくを散りばめたようだ。

 その中に、娘の骸が転がっているのではないかと、肝を潰す思いで目をやった。
 心配していた光景こそなかったが、事態はヴェルミリオに息つく間も与えず深刻であった。

 額に一角の角をぎらつかせた獣が、四つ脚で花を踏み躙り、朝露を散らして駆けている。
 名ばかりの〈公爵領〉で生まれた魔獣の数匹が、今まさに国境を越えようとする。

 その先にいるのは、亜麻色の髪の娘だ。
 相も変わらず花ばかり見つめて、己が身に迫る危機には、これっぽっちも関心を持っていない。

 ヴェルミリオは咄嗟に、その手に炎を掲げた。

「こちらの魔獣が、シルミランの民を襲ったとあっては、大問題だ。ぬかりなく仕留めなければ」

 建前はそうだが、たとえ娘がアクアフレール側にいたとしても、ヴェルミリオは同じ判断をした。それが、ひとの心というものだ。

 それなのに、再び蘇ったアイオラの声に、火は先細る。
 娘を助けて、その先に何を望んでいるのだ。他人より優位に立ったつもりで満足か、と遠く遠くで声がする──。

 そうして迷っている間にも、魔獣たちは娘へと猛進し続けた。

「……どうせ俺は爪弾きの腫れ物、紛い物……嫌われものの竜公爵ではないか」

 せめぎ合う思考のなか、娘が魔獣の角に貫かれ、炎よりも紅い雫を散らして地に沈む姿を思うと、ヴェルミリオは胸が悪くなった。
 足元から這い上がる嫌悪に、頭に響く声が次第に遠のいていく。

「──ならば」

 炎は猛り、生み出されたいくつもの火球が魔獣の尾を追った。
 やがてそれらは魔獣の脳天を捉え、彗星のごとく降り注ぐ。
 娘の爪先にあと一歩というところで、魔獣は炎に撃ち抜かれ、うちから爆ぜて融解した。

 断崖から魔獣の最期を見届けて、ヴェルミリオは誰にともなく告げる。

「……自分本位で大いに結構。俺の心の赴くところに、誰も口を挟むな。いいや、誰にも口は出させない──」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう

まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥ ***** 僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。 僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

愛を知ってしまった君は

梅雨の人
恋愛
愛妻家で有名な夫ノアが、夫婦の寝室で妻の親友カミラと交わっているのを目の当たりにした妻ルビー。 実家に戻ったルビーはノアに離縁を迫る。 離縁をどうにか回避したいノアは、ある誓約書にサインすることに。 妻を誰よりも愛している夫ノアと愛を教えてほしいという妻ルビー。 二人の行きつく先はーーーー。

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

たまに目覚める王女様

青空一夏
ファンタジー
苦境にたたされるとピンチヒッターなるあたしは‥‥

処理中です...