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前編 孤高の竜
追放と叙爵 2
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……
…………
アクアフレール側の麓で、こちらもまた王命により、王子の最期を見届けに来ていた辺境伯の一部隊は、荒れ地の風に耳をそば立てていた。
断末魔の声があがるまで、おどろおどろしいこの地から離れられない恐怖に苛まれ、王子の死を悼む心を持ち合わせた者はいない。──ただ一人、ユグナーを除いて。
いかに冷たくあしらわれようと、ユグナーは主人を独りにできず、後を追う覚悟で兵に紛れ込んできた。
ユグナーの見守るなか、砂塵を巻く風がいっとき凪いで、次の瞬間に激しく吹き荒れた。
天を突く勢いで峡谷から飛び上がった紅い影は、宙でくるりと尾を返し、聳える崖に降り立った。
紅の鱗が陽の光を弾き、炎を灯したように揺らめく。竜は、荒野の断崖に鎮座せしものの名に相応しい、超然たる佇まいで人々を見下ろした。
兵たちにどよめきが広がる。
紛い物の王子では不服で、食事を続けに来たのだろうと、麓に近いものから震えが広がっていく。
ユグナーは亡きフュージャーに懺悔しながら、ヴェルミリオと一つになる時を待った。
「──ガドゥール辺境伯はおわすか?」
高みから降ってきた声に、ユグナーがはっとして顔を上げると、竜の背から王子が降りるところだった。
兵の混乱はますます深まる。
王子が暴竜を従えて、報復のために帰ってきたようにしか見えなかったからだ。
無駄と承知で、剣に弓、杖を構えて応戦の意志を示す。
竜よりかはまだ相手になれると思ったのなら、愚かなことだとユグナーは隊列の端でため息をついた。
ヴェルミリオもまた、声音に微かな苛立ちを滲ませた。
「卿はおられぬのかと訊いている」
兵の中から、辺境伯の末子を名乗る男が進み出る。
「わたしが父の目と耳に代わり、お伺いいたします」
「そうか。では、わたしの言葉を一言たりとも違えず伝えよ。
荒れ狂う竜は、このヴェルミリオが掌中に収めた。ガドゥール領の脅威は取り除かれたゆえ、安心せよ。──して、此度の討伐の褒賞に、わたしはこの峡谷を所望する。ガドゥール伯はただちに、領地の分割を陛下に願われたし」
魔力の均衡が保たれるまで、魔獣は生み出され、ガドゥール領民は震える日々が続くに違いない。
辺境伯の過ちは許し難くとも、民の憂いはヴェルミリオの望むものではない。
当面の監視と守護を引き受けるつもりで、そうとは悟らせず不遜に告げた。
当然と言えば当然だが、荒れ地とはいえ唐突に領地を譲れという乱暴な申し出に、相続権を持たぬ末子でさえ不快を顔に表す。
「聞けぬならば、わたしが自ら陛下に奏上するがよいか? 谷底で目にした光景も知らせねばならぬしな」
「何をご覧になったと仰るので──?」
互いに、腹の底を探るような数拍を置いたのち、ヴェルミリオは白々しく返す。
「はて……何やら、わたしでは理解が及ばぬのでな。城にはちょうど魔法伯が滞在中だ。かのお人ならば、一目で見抜かれることだろう」
ガドゥール領内の魔力の均衡にすらも、と小声で含めると、男の顔面は蒼白となった。
「……父には、殿下の目覚ましいご活躍ぶりとともに、一言一句違えずお伝えいたします」
「賢明な判断だ」
脅しに屈した時点で、領地の譲渡は約束されたも同然だ。
ヴェルミリオは断崖から人々を見下ろし、悪どさを誇張して宣言する。
「これより、この地はわたしと竜の領域。何人たりとも侵すことを許さぬ。我らの平穏を乱すものあれば、暴竜は再び牙を剥き、貴様らを胃の腑に収めると心得よ!」
呼応してグレモス・エリミアが吼えた。
紅蓮の怒りを孕んだ咆哮は大気を震わせ、人々を地に縫いつけるように平伏させた。
逆らう気力さえ恐怖で縛り付け、誰も彼に手を出せない状況を作り上げた。
竜と並んで立つヴェルミリオの凛々しさは、もはや人のそれではない。
これを神の子と呼べない理不尽な運命を、ユグナーは嘆かずにいられなかった。
だが不思議なことに、ヴェルミリオの顔にはどこか吹っ切れた清々しさすら感じられ、もう彼が人の世に帰る意志がないことをユグナーは悟った。
今はそれが王子の救いになるように願い、ユグナーは深くこうべを垂れた。
ふた月ほどして、ヴェルミリオには暴竜を鎮めた栄誉として、ガドゥール領の一部と「竜公爵」の称号が与えられた。
前編 了
「野の花」に続く。
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アクアフレール側の麓で、こちらもまた王命により、王子の最期を見届けに来ていた辺境伯の一部隊は、荒れ地の風に耳をそば立てていた。
断末魔の声があがるまで、おどろおどろしいこの地から離れられない恐怖に苛まれ、王子の死を悼む心を持ち合わせた者はいない。──ただ一人、ユグナーを除いて。
いかに冷たくあしらわれようと、ユグナーは主人を独りにできず、後を追う覚悟で兵に紛れ込んできた。
ユグナーの見守るなか、砂塵を巻く風がいっとき凪いで、次の瞬間に激しく吹き荒れた。
天を突く勢いで峡谷から飛び上がった紅い影は、宙でくるりと尾を返し、聳える崖に降り立った。
紅の鱗が陽の光を弾き、炎を灯したように揺らめく。竜は、荒野の断崖に鎮座せしものの名に相応しい、超然たる佇まいで人々を見下ろした。
兵たちにどよめきが広がる。
紛い物の王子では不服で、食事を続けに来たのだろうと、麓に近いものから震えが広がっていく。
ユグナーは亡きフュージャーに懺悔しながら、ヴェルミリオと一つになる時を待った。
「──ガドゥール辺境伯はおわすか?」
高みから降ってきた声に、ユグナーがはっとして顔を上げると、竜の背から王子が降りるところだった。
兵の混乱はますます深まる。
王子が暴竜を従えて、報復のために帰ってきたようにしか見えなかったからだ。
無駄と承知で、剣に弓、杖を構えて応戦の意志を示す。
竜よりかはまだ相手になれると思ったのなら、愚かなことだとユグナーは隊列の端でため息をついた。
ヴェルミリオもまた、声音に微かな苛立ちを滲ませた。
「卿はおられぬのかと訊いている」
兵の中から、辺境伯の末子を名乗る男が進み出る。
「わたしが父の目と耳に代わり、お伺いいたします」
「そうか。では、わたしの言葉を一言たりとも違えず伝えよ。
荒れ狂う竜は、このヴェルミリオが掌中に収めた。ガドゥール領の脅威は取り除かれたゆえ、安心せよ。──して、此度の討伐の褒賞に、わたしはこの峡谷を所望する。ガドゥール伯はただちに、領地の分割を陛下に願われたし」
魔力の均衡が保たれるまで、魔獣は生み出され、ガドゥール領民は震える日々が続くに違いない。
辺境伯の過ちは許し難くとも、民の憂いはヴェルミリオの望むものではない。
当面の監視と守護を引き受けるつもりで、そうとは悟らせず不遜に告げた。
当然と言えば当然だが、荒れ地とはいえ唐突に領地を譲れという乱暴な申し出に、相続権を持たぬ末子でさえ不快を顔に表す。
「聞けぬならば、わたしが自ら陛下に奏上するがよいか? 谷底で目にした光景も知らせねばならぬしな」
「何をご覧になったと仰るので──?」
互いに、腹の底を探るような数拍を置いたのち、ヴェルミリオは白々しく返す。
「はて……何やら、わたしでは理解が及ばぬのでな。城にはちょうど魔法伯が滞在中だ。かのお人ならば、一目で見抜かれることだろう」
ガドゥール領内の魔力の均衡にすらも、と小声で含めると、男の顔面は蒼白となった。
「……父には、殿下の目覚ましいご活躍ぶりとともに、一言一句違えずお伝えいたします」
「賢明な判断だ」
脅しに屈した時点で、領地の譲渡は約束されたも同然だ。
ヴェルミリオは断崖から人々を見下ろし、悪どさを誇張して宣言する。
「これより、この地はわたしと竜の領域。何人たりとも侵すことを許さぬ。我らの平穏を乱すものあれば、暴竜は再び牙を剥き、貴様らを胃の腑に収めると心得よ!」
呼応してグレモス・エリミアが吼えた。
紅蓮の怒りを孕んだ咆哮は大気を震わせ、人々を地に縫いつけるように平伏させた。
逆らう気力さえ恐怖で縛り付け、誰も彼に手を出せない状況を作り上げた。
竜と並んで立つヴェルミリオの凛々しさは、もはや人のそれではない。
これを神の子と呼べない理不尽な運命を、ユグナーは嘆かずにいられなかった。
だが不思議なことに、ヴェルミリオの顔にはどこか吹っ切れた清々しさすら感じられ、もう彼が人の世に帰る意志がないことをユグナーは悟った。
今はそれが王子の救いになるように願い、ユグナーは深くこうべを垂れた。
ふた月ほどして、ヴェルミリオには暴竜を鎮めた栄誉として、ガドゥール領の一部と「竜公爵」の称号が与えられた。
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「野の花」に続く。
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