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追加エピソード③
だいすきなひと 1
しおりを挟む魔力の結晶を糧に、健やかに育ち、気力体力ともに充実したフューリは特殊な能力を手に入れて──。
☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩
風がしっとりと濡れている。
新芽の季節が終わりに向かうや急速に、空は南の風を運んできた。
エメラダの居城にも夏の気配が忍び込み、女たちは衣替えに忙しい。
「ついこの間、春を迎えたと思ったのに、季節の行方の早いこと」
夏用の天蓋に風を含ませて、昨日までの重い帳にはしばしの別れを告げる。
「あら? あちらにいらっしゃるのは……」
物干しに吊るした薄手のブラウス越しに、城の裏手を見やった侍女の一人が声を上げた。
肩に流れるしなやかな銀髪を、うなじで一括りにした見目麗しい男が、脇目も振らずに駆ける姿がある。向かう先は庭園のようだ。
「アルクェス様はいつも涼やかでお美しいわね」
「あんなに急いで、どちらへ行かれるのでしょう」
「決まっていますわ。アルクェス様を走らせることが出来る御方なんて、一人しかいませんもの」
「まあまあ、それでは後でミアにアルクェス様にお会いしたか、確かめてみましょう」
侍女たちは顔を見合わせ、くすくすと笑う。
庭園にはミアが虫除けのハーブを摘みに行っている。ミアといったら、エメラダ姫付きの侍女だ。
「アルクェス様は本当に姫様一筋ですわね」
一人が言うと、皆が頷く。
二晩、姫とともに姿を消した時は驚き困惑するとともに、女たちはわずかに色めきたったものだ。
──あの生真面目なアルクェス様まで、駆け落ちでございますか!?
城主ロニーに渋い顔で諭されて、反省したのはまだ寒さの厳しい冬のことだった。
「本当のところは……お二人の仲はどうなのでしょう。ほら、お部屋だって実質、同室ではありませんか」
「まあ、あなた。はしたないですわよ」
「そう仰るお姉様だって。お二人が見つめ合うだけで、エプロンの裾を握りしめては、じれったいと言いながらも顔を綻ばせているではありませんか」
「ほほほ……。あら? 皆様、あちらをご覧になって」
「誤魔化さないでくださいまし」
不満もそこそこに、促された視線の先にはおかしな光景があった。
この辺りでは珍しい赤毛を三つ編みにした侍女が、しずしずと歩いている。彼女が付き従っているのは、どういうことだろうか、先程まるで真逆の方から現れ駆け去ったはずの美青年だ。やはり向かうは庭園の方である。
侍女たちは顔を見合わせ、不思議なことに首を傾げるばかりだ。
◇ ◇ ◇
庭園の西の奥まった方には、城主の趣味で作物やハーブを中心に育てる菜園がある。
今そこでは、高貴な方々による薬草講座が開かれていた。
先細りした若緑色の葉を、年若い侍女に差し出すのは、この城で大切に守り育てられている姫、エファリューだ。
「これは虫除けのハーブでも、衣類の防虫にはならないわ」
「そうだね。これは吸血虫を避けられる。これからの季節、足首なんかに擦り込んでおくといい。こんな風にだ」
葉を揉み合わせて、作業用ズボンの裾を捲り、逞しいふくらはぎを晒すのは城主メリイェル侯爵、ロニーそのひとだ。
「はっ……はひいいぃ……!」
侍女のミアは赤面を両手で覆いながらも、指の間から覗く視線はロニーのふくらはぎに釘付けだ。ヒラメ筋がどうの……と呟く興奮気味な吐息が漏れている。
「人の数だけ、人の好みは千差万別と言えど……わからないわ」
厚い筋肉で覆われたロニーの体躯を見つめて、エファリューは首を傾げる。見かければ思わず飛びつきたくなる安心感はあるが、ミアのようにうっとりする感覚はない。
エファリューの好みなら、もっと細身の男だ。歳はそう、二十代後半から四十手前。精悍な顔つきよりも、線が細く美しい方が好きで、背はすらりと高くて、エファリューと話す時にはきちんと膝を折って目線を合わせてくれる男がいい。
(……そんな素敵な王子様が不意に現れたら、諸手を挙げて胸に飛び込んじゃうわ)
などとにやけながら、庭園のハーブ群を掻き分けていたところに、〈彼〉は現れた。
がさりと葉擦れの音がして、エファリューが顔を上げると、問答無用に美しい……それはまさに見かけだけは理想的な教育係が立っていた。
「エ、ファ、リュ……」
息を切らして、たどたどしく主人の名を呼ぶ。次の瞬間、彼はいきなりエファリューをきつく抱きしめた。
理想の麗しい君が現れたら、諸手を挙げて胸に飛び込むはずが、逆に腕に抱かれる事態とはこれ如何に。
エファリューは困惑して微動だにせず、ロニーは笑顔を貼り付けたまま凍りつき、ミアは黄色い悲鳴を上げながら異常事態を心の目に焼き付ける。
三者三様の戸惑いをよそに、銀髪の教育係は、いつになく甘く蕩けた眼差しで姫を抱え込んで、ミモザの髪に頬擦りまでし始めた。
「エファリュー、ずっと、こうしたかった」
ミアの悲鳴は最早、声にならない。
細いが力強い腕の中で、エファリューは大きなため息をつく。
「まあまあ、甘えん坊ね。いいわよ、もっとぎゅっと抱きしめなさい」
「ま、待つんだ、エファリュー。貴女が誰をどう想おうと止めるつもりはない、しかし逢瀬なら人目につかない所で……」
ようやく我に返り、城主は慌てふためいた。その眼前で、金糸と銀糸の髪が絡み合うように、影は重なる。
「待てというのに……!」
「失礼いたします。陛下との謁見の日程ですが、少々確認したいことが……」
ロニーの背後から、涼しげな声が顔を出した。
赤毛の侍女を伴った、これもまた銀髪の美青年が優美な一礼で、菜園の垣を跨ぎ越す。
「アルクェスっ……? ……が、二人?」
「どうしたのです? 何をそんなに驚かれ、て……」
後からやって来たアルクェスの手から、書束が滑り落ちる。数分前のロニー同様、理解が追いつかず、目の前の光景に凍りついてしまった。
自らが仕える姫君が、自らの腕に抱かれている──しかも満更でもなさそうに。
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