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最終章 エメラダの帰還
「ただいま」と「おかえり」
しおりを挟む隧道門を守っていた見張り番は、自分の不甲斐なさにため息をつきながら、空を見上げた。
竜を逃がしてしまってから、二回目の昼が来た。今日は帰ってくるだろうか、と引っ切り無しに空を仰いでしまう。
不意に、強風が木の葉を巻き上げ、彼の視界を奪った。
ずしん……と足元から突き上げられるような衝撃が一度あって、目を開けるとそこには、帰りを待ち望んだ子竜がお座りしていた。
その背から姫を抱えてアルクェスが降りてくる。
「おかえりなさいませ! 此度の不始末、如何様な処罰も、甘んじて受ける所存でございます!」
「落ち着きなさい。姫様が起きてしまいます」
彼の腕の中では、安心し切った娘が大口を開けて寝ている。涎の痕が光る寝顔を以て姫と呼べるのかは疑問だが、城内ではすっかり見慣れた身代わり姫が無事に帰ってきた。
暴挙を振るわれた見張り番は、無神経な寝顔に腹を立ててもいいところだが、ただひたすらほっとして膝を落とした。
「フューリに食餌をお願いできますか」
「はっ、かしこまりました!」
城の外れから前門へと向かうまでに、フューリの着陸に気付いた城内の者が、次々に駆け出してきた。
「お、お嬢様ぁ~!」
侍女たちの中から、堪らない様子でミアが駆け寄る。身代わりが始まってから、一番近くに侍っていた彼女は特別、エファリューに思い入れが強い。心配も、感じた責任もひとしおだった。礼儀と序列に厳しい侍女のお姉様方も、今ばかりは目を瞑った。
「ひっ、酷いです! 何も言わずに出ていくなんて!」
「んぇ……ミア?」
寝ぼけ眼をこするエファリューに詰め寄り、ミアは捲し立てた。
「わたくしたちは、そんなに頼りないですか! お悩みを打ち明けていただけるだけの、信頼もありませんか? これではエメラダ様の時と同じです……かっ、勝手にいなくならないでくださいっ。もっと信じてくださいよぉ! うわぁ~んっ!」
さすがにこれ以上は無礼が過ぎると、お姉様方がミアを引き剥がしにやって来る。そのついでというわけではないが、彼女らは代わる代わるエファリューに声をかけていった。
「お食事も、お風呂も、準備は整っております。いつでもお申しつけください」
「お布団もふかふかですよ」
「次にこんなことをしたら、お可愛らしいお尻を打たせていただきますわよ」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
かしずく侍従たちを見下ろし、エファリューは瞳を伏せる。
「……エメラダが、見つかったの」
庭が騒然とした。皆の視線を受け止めたアルクェスが静かに頷くので、まことのことと語っていた。
「だけど帰ってきたのは、わたしなの。ごめんなさい」
「……お元気、でしたか?」
いつになくしょぼくれたエファリューに、侍女頭は穏やかに尋ねた。エファリューを責める気などない、心からエメラダを気にかけての簡単な一言だ。
エファリューは何度も頷く。
「……そうでございますか。アルクェス様、分を弁えぬ、不躾なお願いを聞いていただけますか?」
「何でしょうか」
「お嬢様を、お茶にお誘いしてもよろしいでしょうか? わたくしどもは、姫様方が愛しくてなりませんので、お二人のお話をゆっくりとお聞かせ願いたいのです」
「ほう、侍女の部屋に姫様をお招きしたいと。もてなしの用意は調っているのですか?」
隅に控えているサラの声がした。
『スコーンは飽きられたのかと……今日はチーズマフィンを焼いてみました』
「……だ、そうです。如何しますか、エファリュー?」
「へっ?」
「皆、貴女の返事を待っています」
侍女、侍従、衛士──皆が優しい笑みで、城内まで道を作っている。
エファリューはアルクェスの腕から降りて、地に足を付けた。
エメラダのために与えられるすべてを奪うと、エファリューは誓った。これはその第一歩だ。
「……今日は天気がいいから、庭でお茶にしましょう。みんなでね!」
わっと歓喜の声が上がる中を、エファリューは歩く。城に入った途端に暖気に体を包まれ、ほっと息が零れた。
「──ただいま」
不思議と懐かしい思いが込み上げて、口をついて出たのは、生まれてこのかた使い道のなかった言葉だった。
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