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第四章 過去を抱いて、未来を掴む
紡がれない御伽話4
しおりを挟むアルクェスの瞳を通して滴る雫から、黒真珠が零れ落ちると、剣も手放された。
底まで覗けそうな、澄んだ空色の相貌が蘇る。はた、と目が合うや、アルクェスは色白な肌を真っ赤に染め、項垂れた。
「おかえりなさい、アル。気分はいかが?」
「……よもや、このような……っ。ま、まさかあの時も!」
「……ふふっ」
「貴女というひとは……」
「悪くなかったでしょ?」
「く、屈辱です……」
「あら、失礼ね!」
エファリューはひょいと起き上がり、落ちた黒真珠を手にした。触れるや否や、宝玉は水泡の如く弾け、中から白い靄が立ち上る。
触れられそうなほど濃い靄が形を変えて、ゆらりと、甲冑姿の髭の武将──フレヴンの姿を成す。
〈嘆かわしいことだ〉
言葉こそエファリューの胸に刺さったが、理性を取り戻した声音は郷愁を呼び起こす。
〈エヴァの姫ともあろう者が、ツケを踏み倒し、敵国の世話になろうとは〉
ため息のような風が、どこからか吹き込んで、髭の下の無骨な笑みを覗かせた。
〈帰らぬ日々を嘆きながらも、なんと温かで優しい魔力だろうか……。これが姫の選んだ幸福なのだな。我らの死も無意味ではないと……、偽りなく讃えてくれるのだな〉
フレヴンの手の形をした大きな靄が、ミモザの髪を撫でるように揺らした。
〈ならば真実、戦は終わった、か──〉
「そうよ。還りましょう、魂のあるべき場所へ……。フレヴン将軍、わたしは忘れないわ。貴方たちの想いも、過ちも……すべて持っていくから、ゆっくりとお眠り」
〈──姫には荷が重すぎる。我が過ちは、我が手で正そう〉
フレヴンは靄から生まれた騎馬に跨り、颯爽と坑道を駆け出した。その後に、数多の戦士と狼が追従する。
彼らは、事切れた鉱山夫の周りで弔いの詩を歌った。すると不思議なことに、遺体の煤けた肌が、生まれ持った肌の色に戻っていった。それどころか、腐りかけた遺体でさえも、息を吹き返し始めるではないか。
英霊の歌は、国を越えてクリスティアにまで届いた。埋葬したはずの死者が土中から這い出す大騒動となったが、後にわかったことは、それらはすべて件の採掘業者たちの墓で起きたことだという。
フレヴンたちは過ちを正すため、自らの魂を削り、呪った者から奪った時を返した。鉱山夫が息を吹き返す度に、白い靄が薄くなっていく。
〈────〉
もはや声も聞こえない。摩耗した魂は、冥府に辿り着く前に掻き消えてしまいそうなほど頼りない。
誰か、起き上がった者が換気用の風車を動かしたのだろう。坑道を新しい風が渡る。空気の通い道に吸い寄せられるように、薄靄は鉱山の外へ流れ出ていく。
「待って!」
脇目も振らず、エファリューは彼らを追いかけた。
外は、夜が明け始めていた。
凍てつく空気に晒された靄が、小さな光の粒を煌めかせて、木立の中を流されていく。
霜と、森の息吹の結晶に足を取られながら、エファリューは必死で追い縋った。肺も凍りそうな冷たい空気を吸い込むのに、吐く息は灼けるように熱い。息を切らし、喘いで走るも、勇猛果敢な常勝軍はあっという間に手の届かないところへ行ってしまう。
「待って、お願い、まだ話したいことがたくさん──」
踏み鳴らした結晶が割れて、生い茂った木々の葉が、エファリューの背中を押し出した。
跳ねるように駆け、凍った湖でようやくフレヴンたちに追いついた。
湖面から立つ朝靄の中に、うっすらとエヴァの旗印が揺らいでいる。ずらりと居並ぶ騎馬兵と狼は、エファリューに頭を垂れると、山陰に沈む月の彼方へと走り出した。
「待って!」
追い縋って、凍った湖面に踏み出した足の下で、数多の珠が鈴の音を鳴らしている。歌うように、軽やかに──。
(ああ、もう本当にお別れなのだわ……)
届かない背中を見つめ、エファリューは拳を握りしめた。
「……それなら、見ていて。エヴァの子からの餞を」
エファリューはその場で優雅にお辞儀をした。
湖面を叩く鈴の音に合わせ、魔女は踊るように氷の上を飛び跳ねる。爪先が触れる先で、氷の下にある結晶が割れ、湖を虹色の光で彩った。
エファリューが手を一振りしてくるりと回れば、影が繊細な軌跡を描く。
空の彼方に消えるフレヴンが最期に見たのは、虹色に輝くエヴァの御旗と、大きく手を振る姫の姿だった。
安堵の息を吐き、月とともに彼は眠りについた。
この朝、クリスティアに流通したすべての呪いの石から、呪力が消えた。
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✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
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