闇魔女は六畳一間の平穏が欲しいだけ!

川乃千鶴

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第二章 神女の憂鬱

新たなる神話の一頁

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 男から立ち上る黒い靄が、牙を剥くようにエファリューの指に絡みついた。
 呪いの声が、皮膚から浸透してくる。

──痛い、苦しい、悲しい。

──思い知れ。

 烈しい憎悪に身が灼かれるようだ。

(これは……死者の念だわ)

 単に死霊を背負ってきたというのであれば、神聖なる神官の魔法で祓い清められたはずだ。しかし幾重にも絡みついた怨嗟の念は、呪いという魔法に形を変えてしまっている。

(どこで纏ってきてしまったのか……かなり強い怨みね。だけど死者であることが、少しもの救いかもしれないわね)

 生きた者が掛ける呪いの方が複雑で厄介だと、エファリューは経験している。呪いの核となる感情はその時々で移り変わるし、たとえ解呪したとしても、術者が生きている限り何度でも狙われる可能性があるからだ。その点、死者の呪いは形が定まっていて、報復の可能性も低いことから、エファリューにはこちらの方が扱いやすく思えるのだ。

 指に絡みついた靄から、一本の糸を手繰り寄せるように呪いの一部を摘み上げる。
 ちりちりと指先が焦げるような痛みに晒された。

「痛いわね。苦しいのよね。悲しかったでしょう」

 念を一つ一つ解いていく。
 これは戦場の記憶だろうか。馬のいななきと、火花を散らし打ち合う鋼の音、怒号と鬨の声が入り乱れる。

「踏み躙られる屈辱も、志半ばに押し付けられる諦観も、わたしは知っているわ。辛いわよね。だけど死んで尚、そのへんに当たり散らすのは格好悪いんじゃなくて? 大丈夫、わたしが受け入れてあげる」

 今はエメラダではない。エファリューの素顔がそこにある。しかしその微笑みの、なんと慈悲深いことか。憐れみでも施しでもない、そっと包み込むその瞳の深さは慈母のそれだ。

 エファリューの指に引かれ、男の体を蝕む靄が剥がれていく。
 ちぢれ、絡み合った闇の糸はエファリューの指先で解かれ、美しい漆黒の細糸へと姿を変えた。糸はエファリューの温もりを求め抱きつくように、彼女の全身を包み込む。
 まるで漆黒のドレスを着せられているようだ。指先から足元まで闇を纏った姿は、神女と真逆の──魔人の王にふさわしい装いだ。
 裾を摘んで優雅に一礼するや、黒衣はエファリューの糧となるべく身のうちに吸い込まれた。

 闇は元より敵ではないが、エファリューにはなぜだか、この呪いを作り上げた闇がとても暖かく感じられた。
 身体の奥底から力が漲るような充足感に高揚するエファリューの足元で、男が目を覚ました。ぼんやり辺りを確かめ、フューリの姿を目に入れた途端、大声を上げて飛び退った。

「うわあ! りゅ、竜だ! ひいっ、たっ助けてくれ……あ、あれ? 体が軽い……。あんなにだるくて、どこもかしこも痛かったのに……」

 男は四肢をくねらせて、体の隅々までためつすがめつする。そばに立つ神女の姿に気付いたのは、可愛らしい咳払いが聞こえてからだ。
 その頃にはアルクェスを先頭にオットーら神官、フューリを外から視認した僧兵らが屋上に集まっていた。

 どよめく人々の中、超然と構えたエファリュー扮する神女は、子竜に寄り添いゆったり語る。

「この者を蝕んでいた悪しきものは、天より舞い降りたこの聖なる竜様が、天上の神女の園へと連れていってくれるそうです」

 アルクェスの講義を思い返しながら、冥府の対にある楽園の名を出し、さも当然の如く振る舞うことで、神女にしかわからない不思議な力が働いているていを装ってみた。

 元より敬虔な信者である神殿勤めの者たちは、案外あっさり信じ込み、フューリを崇めて平伏した。その中で、アルクェスとオットーは躊躇いを露わに立ち尽くしている。

「エ、エメラダ様……これはいったい何としたことか……」

 神話と神女の歴史に、竜が登場した試しはないと、オットーは戸惑いを口にする。
 焦ったエファリューは何とか信じ込ませるため、さらに一芝居打つことにした。
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