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菓子職人のオス/色覚の研究
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しおりを挟む数日後。
昼下がりの、夕刻まではまだ間のある頃合いに、イードの家の扉が鳴いた。力無く開かれ、頼りなく閉まった戸の前には、両耳を寂しく垂らしたフェリチェが立っていた。
「おかえり。ロロさんとは話せた?」
「話した。でもダメだった」
がっくりと肩を落として、フェリチェは菓子の入った袋を抱いた。
「デートのお誘い以前の問題だ。あいつには恋人がいたんだ」
イードは口を挟まず、穏やかに相槌を打つのみだ。図鑑の研究に限らず、日々多様な情報に耳を傾けている彼が、有名パティシエと花屋の看板娘が恋仲であることを、知らないはずがなかった。
「……可憐な娘だったぞ、絵巻の中のお姫様みたいだ。あいつの作る飴細工みたいに、触れたら壊れそうにキラキラで優しげでな。フェリチェには、ああいう魅力はない」
床についてしまいそうなほど、気落ちした耳と尾が、しゅんと垂れる。
「フェリチェは余り物の菓子と同じだ。選んでもらうには、もっとメスを研かないといけないんだ」
「君の驕らない性格は美徳だと思うけど。それに……縁は、選ぶとか選ばれるじゃないと思うんだよなぁ」
「だったら何だ」
羽根ペンの羽根を整えながら、イードは首を傾げる。
「うーん、タイミングの問題はこの際置いておいて……価値観の重きをどこに置くか?」
「同じことだろう。フェリチェにだってわかる。一緒に並んだら、ほとんどのオスはあの娘を選ぶだろう。フェリチェはメスとして魅力に欠けている」
「そんなことはないと思うけどなぁ」
狭い世界で生きてきたフェリチェにとっては、花屋の娘はそれほど眩しく見えたのだ。美醜の差をさして意識することもなかったアンシアと違って、多種多様な人々を見ているうちに、フェリチェは他人と比べるということを覚えた。
そして「似合う」「釣り合う」という人族語の意味も学んだ。
せっかく買ってきた菓子をひろげもせず、フェリチェはソファにもたれて放心していた。するとイードは外套を羽織って、閉められたばかりの戸を開いた。
「フェリチェ。お菓子を買いに行こうよ」
「……菓子ならある。しばらくいらない」
「そう言わずにおいで。研究に付き合ってほしいんだ」
フェリチェは気乗りしないものの、家で一人くさっていても仕方ないので、散歩がてらイードについていくことにした。
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