反逆の英雄と吸血鬼の姫君

嶋森航

文字の大きさ
上 下
28 / 35

切実な叫び

しおりを挟む
 不気味な静寂に包まれた町を足早に抜け、クラムデリア城へと入る。
 紫暢の想定通り、城の警備は手薄になっていた。城門は閉ざされていたものの警備はおらず、抜け道を知っていた紫暢は城門の脇にある小さな入り口から中に入る。
 城の中はセルミナの居室から一条の光が窺えるだけで、大部分が暗闇に支配されていた。
 もしセルミナが既に王都へ逃げ果せていれば、どれほどよかったことか。紫暢は杞憂にならなかった現実に直面してため息を吐いた。

「ミナ、こんなところでなにをやってるんだ。早く王都へ逃げないと」

 紫暢はセルミナの居室へと立ち入る。流石に部屋の前に側近は立っていたものの、顔は知られていたことと、今の自分では掛けられる言葉がないという側近の思いで、中に入れてはもらえた。
 セルミナと僅かな側近を除き、城に在留していた者たちは王都へと逃げ去ったらしい。ただ主君を守る義務を放棄したのではなく、セルミナが直々に頭を下げて頼んだという。自分に付き従って命を散らす必要はないと。今の戦力では、どう足掻いても合計700の吸血鬼を一瞬で打ち破った大軍に対抗することはできないと現実を突きつけたのだ。

「おそらく明日の朝にはこの城まで辿り着くわ。私のことなんて放っておいて、貴方も逃げて」

 平坦で感情の帯びていない声。運命を受け入れ、己の不甲斐なさを恥じ、自分の死によって周囲を守ろうとしている。側から見れば、きっと儚くも美しく見えるのだろう。
 でも紫暢にはそれが痛々しくしか映らなかった。

「逃げられるわけない。ミーシャちゃんもミナが王都へ逃げない限りはここに留まるって言ってた」
「留まってどうするつもり?」

 セルミナは鋭く目を細めて紫暢を睨みつける。自らを犠牲にしても他人を救おうとする、その精神の境地。豹変とも表現できるような立ち居振る舞いは紫暢にとって目に毒だった。

「それはこっちの台詞だ。ミナがここで死を選択したところで、何にもならないだろ」
「私はこのクラムデリア領の領主、セルミナ・クラムデリアよ。最後までここにいる義務があるわ」
「そんなものないだろ」

 梃子でも動かない、という断固たる意思に紫暢は苦し紛れに言葉を紡ぎ出す。しかしこの程度、紫暢にとっては想定内も想定内、むしろその目には綻びが随所に映ったほどだった。

「実は俺、3万の兵を倒せる算段があるんだ」
「……今、なんて?」
「俺なら3万の敵を倒せる、そう言ったんだ」

 紫暢の言葉に唖然とするセルミナ。一瞬信じかけたのか、一片の希望を宿した直後、かぶりを振った。

「そんなの、出鱈目に決まってるわ。人間一人で何かができるほど、甘くはないの! どうせ私を逃すために嘘をついているだけ!」

 実際、紫暢の発言はあまりに常軌を逸していて、セルミナの受け取り方はむしろ正常である。魔法を持つ吸血鬼が束になっても敵わないのに、一人の人間がそれを打ち破れるほど甘くはなかった。

「どうしてそう言い切れる」
「決まってるじゃない! 貴方が人間だからよ」
「セルミナも俺が人間だからってできないと決めつけるのか?」

 紫暢にセルミナを責める意図はなく、あくまで説得のため、あえて厳しい言葉を選んでいた。

「人間はすぐに死んでしまうの!」

 切実で震えた声。目尻に涙を浮かべたセルミナは、弱々しく拳を握った。



「人間はすぐに死んでしまうの!」

 そこまで言って、私は我に返る。

 きっとシノブは私の身代わりになるつもりだ。

 一人で3万の兵を倒すなんてそれを私に受け入れさせるための方便で。

 少しでも期待に胸を膨らませてしまったのは、それでもやっぱり死ぬのが怖かったからで。

 だからといって、周囲の反対を押し切ってまで辺境伯として生きてきた以上、これは何もできなかった自分への罰なのだ。

 誰にも止められる謂れはない。

 ここでシノブに全てを押しつけてしまうのは、あまりにも無責任だと思う。

 すごく強い男の子だ。

 怖くないはずがないのに、私を前にして気丈に振る舞って見せる。

 たった一度、王都で助けただけで? 

 しかもそれは種族を理由に排斥しようとする、同族の非道な行いから救っただけなのに。

 本来なら吸血鬼である私を憎んでもおかしくはないはずなのに。

 シノブはそれを知りながら、私のために役立ちたいと言ったのだと、ミーシャから聞いた。

 正直、馬鹿だと思う。

 でも彼のように優しい人間を、私は他に沢山知っている。そして、その命の儚さすらも、私は知っている。





「はあっ、はあっ。もうすぐだ! がんばれ!」

 先の大戦で、クラムデリアはなす術なく陥落した。セルミナは父と兄と共に王都へ避難することとなり、炎上するクラムデリア城を背後に撤退を進めていた。
 しかし、戦火で多くの味方は討死、もしくは散り散りとなり、5人ほどの供しか連れてはいなかった。潤沢な魔力量を誇る吸血鬼も、籠城戦での魔力消費に加えて断続的な風魔法の使用で魔力は枯渇してしまったのだ。馬に乗った人間の速さには敵わないのが現実。
 そんな中、著しく体力を消耗していたセルミナは、従者に手を引かれて先導されながらも、足を縺れさせてしまう。
 既に限界を感じ取っていた一行は、それを合図としたように足が止まってしまった。
 唯一余裕を残していたセルミナの父、ヘンデル・クラムデリアは、清々しくも思える笑みを浮かべていた。

「ヘルディ、お前は王都に逃げ、国王に状況を伝えよ。そしてクラムデリアの誇りを以て、最後まで戦い抜くのだ。ミナ、お前は南東のパルセナという町まで落ち延びよ。この戦いが終わるまで、身を潜めるのだ」

 ヘンデルは嫡男のヘルディとミナに一方的に告げ、単身で人間の軍に立ち向かっていった。
 戦う父の姿も、戦死した父の姿も、セルミナは知らない。
 ただ一つ、自分を案じるような優しい目をしていたのは、90年経った今でも鮮明に覚えている。
 そしてセルミナは、ルメニア南東の森・パルセナという辺境の町へと送られた。
 町、という表現が正しいのかすら分からない、森の中にある小さな村だ。その存在自体、ほとんど知られていない。
 それは広大な森林が広がっているために、未開発の地域であるということも当然あるが、人間を国が裏で保護する名目で、住む場所として与えたという経緯から、その存在を隠しているからだ。村を占める種族の割合が100%人間という、極めて稀有で特異な環境である。
 捕虜の身分から解放されたり、孤児の身から独り立ちした者の多くは人間の国家へ逃げるが、中には不自由な思いをしてもこの国から出たくないという者も少なからず存在したのである。
 そうした人間に住む場所を与えるよう国王に進言したのが、セルミナの父だった。
 今では貴族のほとんどがパルセナの存在を認知しており、焼き払うべきなどと物騒な主張すらも飛び交う現状だが、当時は未開で国の上層部、それも反人間思想のない者にしか知られておらず、追手が差し向けられることもないだろうと踏んだのだ。
 南東部は資源にも乏しく、土壌も豊かではないため、もし人間がルメニア全土を統治する事態になったとしても、クラムデリア辺境伯、ならびに王家の血筋は脈々と繋がれるとの期待を持ったのだ。
 その目論み通りと言うべきだろうか。いや、本来は辿りたくなかった道だろうが、王都は東方連邦軍の猛攻に屈し、国王や一部の上級貴族こそ他の魔族国家に逃げ果せたものの、父によって王都に逃されたヘルディは王都防衛戦の最中に討死する。
 セルミナはその性格もあって、パルセナでもすぐに受け入れられた。人間と吸血鬼という種族の溝などなく、本物の家族のように接してもらえた。
 特に家に住まわせてくれた老婦・ステラは、セルミナのことを我が子のように可愛がった。早くに夫を亡くし未亡人となったステラに対し、一方のセルミナも本物の祖母のように懐いた。
 しかし、人間には寿命があった。吸血鬼にも寿命は存在するが、やりたいことをやり尽くしてもまだ時間が残るほど、あまりある寿命である。
 ステラはセルミナと10年間暮らした後、寿命でポックリと逝ってしまった。
 セルミナは悲しみに震え、時の経過の残酷さを嘆いた。
 ある程度歳を取っていた他の人間もすぐに死んでしまった。弟のように接していた子供たちもいつのまにか大人になり、新たな命を育み、家族を形成していく。セルミナはそれに馴染みながらも、時流に取り残されている感覚に陥った。
 それに限らず、森の中に位置するパルセナはたびたび獰猛な害獣の襲撃を受けた。それに備えた対策も講じていたが、初期段階のパルセナがすべてを跳ね返せるような防御施設を整えられるはずもなく、多くの人間が為すすべなく命を散らしていった。幸いセルミナの奮闘によりそれらの脅威はことごとく打ち払われたが、失われた命は帰ってこない。魔法や高い身体能力を持たない人間は、少数では吸血鬼にとっては大したことのない脅威ですらも命懸けになる。
 寿命とか弱さをその肌で感じ、人間という種族の命の儚さを、セルミナは他の吸血鬼の誰よりも知っていたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

色々と今更なお話

下菊みこと
恋愛
もうちょっとお互いに歩み寄ろうよと突っ込みたくなるお話。 あるいはお互いもう少し相手の話を聞こうよというお話。 そして今更なお話。 御都合主義のSSです。 ビターエンド、で合ってるのかな。 すれ違い行き違い勘違いの結果。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】記憶を失くした旦那さま

山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。 目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。 彼は愛しているのはリターナだと言った。 そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

異世界魔剣士タイムトラベラーは異世界転移を繰り返して最弱でしたが特殊能力が開花します

三毛猫
ファンタジー
日常の中、突然異世界転移する比良松連司はしばらく異世界に滞在した後、元の世界に戻る奇妙な出来事に悩まされていた。 そしてまた異世界へ。2度目の異世界転移では異世界の時間が10年過ぎていた。

凛ちゃんは、ゆうれい!

桜葉理一
恋愛
親友の凛ちゃんが、交通事故に遭った。 凛ちゃんは昏睡状態になり、いつ目が覚めるかも分からない眠りについてしまった。 ……わたしのせいだ。 あの日のことを後悔して、悲しみに暮れる日々を過ごしていた。 そんなある日のことだった。 突然、凛ちゃんは幽霊の姿でわたしの前に現れた。 わたしだけにしか見えない、凛ちゃんと過ごす、奇妙な毎日。 だけど、凛ちゃんとの楽しい日々が戻ってきたようで、わたしは浮かれてしまった。 でも、わたしはただ、気が付かないようにしていただけだったんだ。 幽霊の凛ちゃんの身体が、日に日に薄くなっていくのを。 ※注意 ・百合成分が含まれます ・クール美人×苛められっ子の百合。高校生同士。 ・ハッピーエンド。 ・以前、別の話で公開していた作品。(現在削除済み)

彼女がいなくなった6年後の話

こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。 彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。 彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。 「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」 何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。 「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」 突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。 ※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です! ※なろう様にも掲載

私は何も知らなかった

まるまる⭐️
恋愛
「ディアーナ、お前との婚約を解消する。恨むんならお前の存在を最後まで認めなかったお前の祖父シナールを恨むんだな」 母を失ったばかりの私は、突然王太子殿下から婚約の解消を告げられた。 失意の中屋敷に戻ると其処には、見知らぬ女性と父によく似た男の子…。「今日からお前の母親となるバーバラと弟のエクメットだ」父は女性の肩を抱きながら、嬉しそうに2人を紹介した。え?まだお母様が亡くなったばかりなのに?お父様とお母様は深く愛し合っていたんじゃ無かったの?だからこそお母様は家族も地位も全てを捨ててお父様と駆け落ちまでしたのに…。 弟の存在から、父が母の存命中から不貞を働いていたのは明らかだ。 生まれて初めて父に反抗し、屋敷を追い出された私は街を彷徨い、そこで見知らぬ男達に攫われる。部屋に閉じ込められ絶望した私の前に現れたのは、私に婚約解消を告げたはずの王太子殿下だった…。    

悪役令嬢は安眠したい。

カギカッコ「」
恋愛
番外編が一個短編集に入ってます。時系列的に66話辺りの話になってます。 読んで下さる皆様ありがとうごぜえまーす!! V(>▽<)V 恋人に振られた夜、何の因果か異世界の悪役令嬢アイリスに転生してしまった美琴。 目覚めて早々裸のイケメンから媚薬を盛ったと凄まれ、自分が妹ニコルの婚約者ウィリアムを寝取った後だと知る。 これはまさに悪役令嬢の鑑いやいや横取りの手口!でも自分的には全く身に覚えはない! 記憶にございませんとなかったことにしようとしたものの、初めは怒っていたウィリアムは彼なりの事情があるようで、婚約者をアイリスに変更すると言ってきた。 更には美琴のこの世界でのNPCなる奴も登場し、そいつによればどうやら自分には死亡フラグが用意されているという。 右も左もわからない転生ライフはのっけから瀬戸際に。 果たして美琴は生き残れるのか!?……なちょっとある意味サバイバル~な悪役令嬢ラブコメをどうぞ。 第1部は62話「ああ、寝ても覚めても~」までです。 第2部は130話「新たな因縁の始まり」までとなります。 他サイト様にも掲載してます。

処理中です...