僕の月

斗和

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第8話

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玄関の門を開け、中に入ると、中庭にあいつの姿があった。着物に着替えて、紫煙をくゆらせている。まだ帰っていなかったのかと思い、嫌な顔をして二階に上ろうとしたとき、
「宗一郎、小説はもう書かないのか?」
そう、呼び止められた。
「書かない。お前には関係ないだろ。」
「諦めるのか?」
「は?誰のせいだと思ってるんだ。」
「もー。そういう言い方しかできないのかねえ。沙夏ちゃん、びっくりしてたでしょ。仕事で疲れて帰った親父をもっと労ってよ。」
「沙夏と会っても、余計な事言うなよ。」
せっかく沙夏と二人きりで楽しい一時を過ごせたのに、こいつのせいで台無しになった。
「はー、全く。ああ、そうだ。これからは家にいる事が増えるから、沙夏ちゃん呼ぶときは声かけて。出て行くから。」
「今すぐ出て行け。」
そう言い放ち、僕は自室にこもった。

「あいつの夢を潰したのは俺なのかな。」
息子が扉を閉める音を聞いて、裕一郎は、そうつぶやいた。

 うちの学校では、もうすぐ球技大会がある。この時間は球技大会の競技決めの時間だ。宗一郎はスポーツ全般苦手って言ってたから、大丈夫かな。そう思って彼の顔を見ると、やはりいやそうな顔をしていた。暗いとか、表情が読めないだとか言われているけど、案外、一番顔に出るのだ。皆が気付かないだけで。思った通りの表情をしていて、少し笑ってしまった。私は、女子バスケになった。宗一郎は何にするのかな。そう思っていたら、琉希が
「宗一郎もバスケね。」
と、実行委員に言った。あちゃ~,一番苦手そうなのになっちゃったよ。ほらやっぱりちょっと怒ってるじゃん。
「三崎、お前はバスケで良いの?」
「ああ。」
本当は嫌なくせに、今更変えてもらうのもめんどくさいとでも思っているのだろう。最近、宗一郎の考えていることが分かるようになってきた。
この間、宗一郎の家に行ったときに、彼のお父さんに会った。前から裕一郎さんの存在は知っていたが、生で見ると写真やメディアで見るよりずっと、宗一郎に似ていてなんだか安心した。けど、あまり二人の仲は良くないみたいだった。原因は知らないけれど、最後に彼が言ったことがすごく気になった。本当のあいつのことは誰も知らないと言っていたけれど、私がお父さんと話した感じと、宗一郎と話すときは違うのだろうか。素敵な人だと思ったんだけど。それに宗一郎だって、本当はお父さんと仲良くしたいんじゃないかな。あまり触れてほしくなさそうだったから、何も言えないけれど。
「どしたん?沙夏。元気なくない?」
「いやあ、何でもないよ~。」
「あ、私と競技違うから落ち込んでたとか?も~、かわいいんだから。」
「はいはい、そういうことにしとくよ。」
奈波は、私の元気がないとすぐ気がつく。もしかしたら私は宗一郎とは違って分かりやすいのかもしれない。今日の放課後から、球技大会の練習をする事になった。宗一郎と同じ競技だから、一緒に練習できると思ったら、少しテンションが上がった。我ながら単純だと思う。
「あれ?今度は元気になった。どうしたの沙夏、情緒不安定?」
やっぱり分かりやすいみたいだ。自覚はなかったんだけどな。
放課後、何か資料を持って教室を出て行く宗一郎を廊下で見つけて声をかけた。
「宗一郎、競技一緒だね。練習、行くの?火曜と木曜は体育館使えるみたいだよ。」
「ああ、いや今日は進路指導がある。担任が色々話したいことがあると言っていたから練習には行けないと思う。先に帰っていてくれ。誰かと一緒に帰れよ。暗いから。」
「そうなんだ。分かった。」
もう、そんな時期だな。宗一郎は進学すると言っていた。偏差値の高い大学に行くんだろうな。きっと距離が出来てしまう。大学で沢山の女の子にもてて、私のことなんか好きじゃなくなってしまうんじゃないかと思うと、不安だ。けど、宗一郎の邪魔はしたくない。好きだからこそ。笑顔で彼の夢を応援しよう。
「頑張ってね、応援してるから。」
「沙夏、大丈夫か。無理して笑ってないか。不安なことがあるなら、」
「何にもないよ。じゃあ、練習行ってくるね!」

「失礼します。」
「入って~。」
僕は今日、ある程度の大学の候補と、学科を決めるため、担任に呼び出された。理由はそれだけではないのだが。
「それでまず、これは何だ。三崎。進路希望、なぜ白紙なんだ。お前は明確な目標があるかと思っていたが、違うのか。」
「はい。自分でも、何になりたいのか分からないです。」
「そうか。俺としては、お前にはしっかりとした目標を持ってほしいと思っている。そんなこと言わなくても、今の実力で十分その辺の法学部なら行けるが。白紙で出したのはお前だけだったから、少し心配になってな。まあ、色んな大学を見てみるか。じゃあまず、ここは、K大学。偏差値は~」
担任の、城川先生が色々大学の資料を持ってきてくれたが、何も頭に入ってこない。さっきの沙夏の様子が心配だったのもあるが、こんなときでもまだ心の内に、小説家になりたいという気持ちがあり、葛藤していたからだ。
「三崎、三崎!」
「あ、ああ。はい。何でしょう。」
「お前、聞いてなかったろ。」
「いや、まあ。すみません。」
「本当は、大学なんて行きたくないんじゃないのか。」
「え。いえ、そんなことは。」
「正直に言ってみろ。俺はお前したいことを否定する気は一切ない。」
「はい。他にやりたいことが、あるんだと思います。けど、僕はもう二度と、それをする気は無いです。だから、行ける大学に行って、企業に就職できれば良いと思っています。」
「本当にそれでいいのか。まあ、お前なら後からでも出来るとは思うが。だが、人生は一度きりなんだ。やりたいことをとことん追求した方が、楽しいと思うぞ。」
「担任なのに、そんなこと言って良いんですか?」
「ははっ。学年主任に怒られるかな。けど、先生もやりたいことを諦めて後悔したからな。昔、俺は野球選手になりたくてな。実は高校のとき、プロからスカウトもきていた。だが、俺なんかがプロで活躍出来るわけ無いと思って、諦めちまったんだ。もしあのとき誘いを受けていたらと、後悔したよ。もちろん今は、教師の仕事は、すごくやりがいのがあってなって良かった思っている。その一方で、俺のこの後悔が、お前らの道しるべみたいなものになれば良いとも思っている。」
「そうだったんですね。」
「お前、反応薄いよな。けど、一年の頃に比べると大分明るくなったな。琉希のおかげか?二年になってからあいつと良く一緒にいるのを見かけるから。そうだ、ここだけの話だぞ。あいつ、バスケ選手になりたいって進路希望に書いててな、夢がでっかいのも良いことだが、あいつの場合、成績も良くないんだから真面目に考えなきゃならんのよ。ちょっとこれからあいつの進路指導だ。」
「あいつらしいですね。」
「ああ。友達もあんなんなんだから、お前だって少しは自分に正直になっても良いと思うぞ。何があったのかは知らんがな。」
「分かりました。よく、考えてみます。」
「あ、お前、彼女出来たんだって?」
「何で知ってんですか。」
「いやー、クラスの女子が教えてくれた。相沢は良い奥さんになるだろうな~。」
そこまで知ってんのかよ。だれだよ担任にチクったやつ。
「担任が城川先生で良かったです。」
「なんだいきなり。お前そんなキャラだったか?まあ良い。」
「いやみですよ。」
僕は進路指導室を後にした。後ろで城川先生がせっかく相談に乗ってやったのにとかなんとかつぶやいていたが、聞いていないふりをした。僕は心が軽くなるのを感じた。
 「宗一郎、おまたせ。待った?ってあれ、寝てる。」
珍しく、居眠りしている。机に突っ伏して寝ている宗一郎の前の席に座って、寝顔を見ていた。あ、まつげ長い。ちょっと口開いてる。可愛い。髪の毛、さらさらだな~。そう思って宗一郎の髪を撫でていると、いきなり手を掴まれた。
「沙夏。何やってるの。」
「髪、猫っ毛だなと思って。撫でたくなった。」
私の手を握ったまま、頭を上げる宗一郎。まだちょっと寝ぼけているのか、目がとろんとしている。その姿にもキュンとしてしまう私はちょっと重症かもしれない。
「さっき、元気なかっただろ。理由、聞いても良いか。」
やっぱりばれてたんだ。
「ちょっと不安になったの。けど、宗一郎の邪魔になりたくなくて。」
「沙夏のことを邪魔だなんて絶対に思わない。」
「卒業したら宗一郎はきっと遠くに行くんだろうなって思ったら、寂しくなったの。」
「それだけか。」
「それだけって何よ、私にとってはすごく重要なことなんだもん。宗一郎にとっては私と離れることなんか何てこと無いかもしれないけど。」
「すまない。そうじゃないんだ。僕だって、沙夏と一緒にいられなくなることは嫌だと思う。けど、卒業したら嫌でもずっと一緒にいてもらうから、沙夏が不安になる事なんか何も無いのになと思って。これからも、不安になったらすぐ言ってほしい。」
なにそれ。時々、宗一郎は、こういうことを平気で口にする。普段は無口だし、絶対にそんなこと言わないのに、反則だよ。
「もう、早く帰ろう。暗くなっちゃった。」
「ああ。沙夏、手、つないだまま帰ろう。」
まだ寝ぼけているのかな。ちょっといつもより口調も優しい気がする。さっきまで不安な気持ちでいっぱいだったのに、宗一郎の手が思っていたよりも温かくて、すごく安心した。

 これまで、進路の話が出てもできるだけ考えないようにしてきた。だが、城川先生と話してから、小説家になるという選択肢も少しだけ視野に入れて考えるようになった。
確かに、大学に行ってからでも小説を書くことは出来る。いろいろな経験をすることで話のネタになる事だってあるかもしれない。けど、城川先生が言ったように、僕が本当にやりたいことをやるっていうのも、悪く無いのかもしれない。それにしても、沙夏の不安が解消できて良かった。そんなことを風呂に浸かりながら考えていると、親父が来た。
「宗一郎、風呂か?お前、今日の飯どうする?外に食いに行かないか?」
「行くわけ無いだろ。」
「まあ、そう言わずにさ。たまには親父に付き合ってよ。あ、そうだ。お前の黒歴史、沙夏ちゃんに言っちゃおうかな~。」
「ちっ。調子に乗るな。行かねえよ。」
「へえ~。じゃあお前がこの間寝言で沙夏ちゃんの名前を呼びまくってたこと、にしようかな~。」
「てめえ。」
こいつが家にいるようになってから、僕はストレスが溜りっぱなしだ。ただでさえ顔を見るだけでイライラするというのに。やっぱり大学に行って一人暮らししよう。
「じゃあ、準備が出来たら声かけて。俺は書斎で待ってるからね。」
今更、父親面をして何だというのか。僕はいらつきながら、風呂を出た。
「上がったけど。」
「ああ、車、ガレージに止めてあるから先に乗ってて。鍵は開けてあるから。」
親父に声をかけて、車に乗り込んだ。この車は二人乗りだから、どうしてもあいつの隣に座らなければならない。むかつくけど、あいつに、沙夏に告げ口されるよりはましだ。何を言うか分かったもんじゃない。
「お待たせ~。じゃあ行こうか。」
妙に上機嫌で車を走らす。僕は窓から夜の町を眺めていた。左右から背の高いビルが見下ろし、電波塔のような建物が隙間から見える。もう冬だからか、イルミネーションが所々に設置されていた。確かに綺麗だが、あの日の夜景には遠く及ばない。同じ光でも、今見えている物は全部、ただの人工物としてしか映らないのだ。
「どうだ、綺麗だろ。夜のこの町もなかなか捨てたものではないと、俺は思うんだが、お前は少しお気に召さないみたいだな。」
「そんな話をするために僕を呼び出したのか。」
「違う違う。まあそんなに急かさないでよ。」
そういってこいつは、入り組んだ路地を抜けたところにある、隠れ家のような旅館に車を止めた。
「ここはね、母さんと結婚する前、二人で良く来ていた旅館なんだ。古風な外観が気に入ってね、食事もとても美味しいんだよ。」
確かに、古風で閑静な外観と、時代劇に出てきそうな整えられた庭は雰囲気がある。いかにもこいつが好きそうな所だ。玄関で女将が出迎えてくれた。
「これはこれは、三崎様。いらっしゃいませ。今日はお食事ですね。こちらへどうぞ。」
案内してくれた部屋に入ると、まず目に入ってきたのが、ライトアップされた美しい中庭だった。そして、威厳を漂わせる座卓には豪勢な料理がすでに並べられていた。
 
「美味いか。」
「それで、何だよ。」
「もー、親子水入らずなんだから、少しは楽しんでくれたって良いでしょ。」
わざわざこんなやつと食事を摂らなければならず、だらだらと意味の無いことを話されて、僕は怒りが爆発しそうになっていた。
「大学、行くのか。」
やはりそれだったか。
「そのつもりだが。」
「お前はそれでいいのか。」
最近、こいつは僕に干渉する。話す事なんて何も無いのだが。
「お前に話すことは何も無いと言っている。」
「小説、読んだよ。」
「は?」
「お前の部屋に捨ててあったやつ、ゴミ回収しようと思ったらあったから見ちゃってさ~。」
「ふざけるな。返せ。」
「あら、何か大事な物だった?ごめんごめん。でも、それにしては雑に捨ててあったような気がするけど。」
だめだ。こいつといるとイライラで頭がおかしくなりそうだ。もう何も言わず席を立った。
「俺はお前の小説、好きだよ。面白かった。才能あるよ、お前。」
やめろ。冬樹みたいなこと言うな。
「黙れよ。」
「早く続きが読みたいな~。」
「黙れって言ってんだろ。」
「あの日のこと、根に持ってんの?」
「何のことだよ。」
「だから~、俺と秘書さんのこと。見てたんでしょ。」
「胸くそ悪いこと思い出させんなよ。」
「あれは誤解だぞ。タイミングが悪かったんだ。あの子、足が悪い子でね。書斎の置物に躓いてこけて、俺が受け止めただけ。何を勘違いしたか知らないけど、俺が生涯愛してんのは由美子とお前だけ。分かった?」
「今更、信じられねえよ。」
「ほんと、なんだけどなあ。」
親父が後ろでそうつぶやくのが聞こえたが、僕は聞こえないふりをして、電車に乗って家に帰った。

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