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1.始まりの始まり/故郷と呼べない村

マホウのヒカリ

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その日の夜中、ふと目が覚めた。しばらく目を閉じていたが、寝付こうとすればするほど膀胱の膨満感に意識が向いてしまい、仕方なくのそのそとベッドから這い出た。

(俺は頻尿な訳ではないんだけどな…夕飯の獣肉と野菜のスープ、食後数時間経過した今でもスパイシーな余韻が鼻に感じられるくらいだから、何か利尿作用のある香辛料がふんだんに使われていても不思議ではないか)

ひっそりとした廊下はいつもより長く感じられる。木造の床がギィときしむたびに、足が止まり、息が詰まる。ただ、窓から差し込む月明かりで、物にぶつからずに進めるのは幸いだ。お手洗いは一階にあるから、足を滑らさないよう一歩一歩段差を確認しながら階段を下りていく。

ようやく目的の扉の前にたどり着いた。図らずも大きな息を吐いてしまう。何時間も暗い夜の森を彷徨ったような気分だ。

お手洗いの扉のノブに手をかけた時、扉の隙間からほんのわずかに、何色とも分からないほど微かな光が漏れ出ているのに気付いた。

(光…?ここに非常灯みたいなものはなかったはず…というかこの村の夜間の光源と言えば油のランプしかないし、夜通し灯しているなんてことはない、となれば…)

自分の表情筋がピクピクッと吊り上がったのを感じた。

(そうかそうか、クーレが用を足している最中なんだな!同じ料理を食べたんだから同じタイミングで尿意を催すのも頷ける!クーレは暗いのが苦手で、わざわざ明かりを用意してここまで来たのだろう。ということは、この扉の向こうには暗闇におどおどしながら放尿しているクーレがいる!そこでいきなり目の前の扉が開いたらどんな反応を見せてくれるのか…これは、これは楽しみだなぁ!)

おっと危ない、俺はロリコンではないのだった、失敬失敬。紳士らしく、表情筋を緩め、何食わぬ顔を作り、一刻も早く中を覗きたい欲をぐっと抑えつつ、視線は真正面、次いで彼女の顔があると思われる高さに自然と視線を移す――――

期待していた表情どころか人影一つなく、地面に空虚な穴がぽっかり開いているだけだった。そこから異質な青い光の柱が天井に向かって伸びていた。

(え、なにこれ。RPGの中間地点的なやつか?触れるとセーブされて、体力とMPが満タンになるみたいな?)

今まで完全に忘れていたが、俺は転生者で、ここは異世界。異世界といえばゲーム的な要素があるのがテンプレなのだから、そういうものがあってもおかしくはない…のか?

とにかく、きらきらと揺らめく光に手のひらを触れてみた。が、何も起こらない。セーブ画面が現れる訳でもなく、脳内に機械的な女性の声が聞こえてくる訳でもない。ほわんと温かい空気に包まれているような気がしなくもないが、その程度のものだ。

特に危険なものではないようなので、幻想的な光に包まれながら膀胱を開放した。


####


翌朝、再びお手洗いに行くと、光はかなり弱まっていたがまだ微かに残っていた。朝食の支度をしていたクーレに尋ねてみると、彼女も早朝にその謎の現象を目撃したと言っていた。ただ原因はよく分からないとのことだった。

食事ができたと呼ばれたので食卓につくとクーレが、俺がいただきますと言い始めるより先に、


「例の光のことだけど、この薬が原因じゃないかと思うんだよねー」


そういいながら彼女は一つの小瓶を机に置いた。


「…これは?」

「マニグロリアの実を乾燥させて粉末にしたものだよー。作ってみたはいいものの、これといった薬効がなさそうだったから、昨日保存用以外お手洗いに捨てちゃってたんだよねー」


そういって彼女は手の平に瓶の中の粉末を出してみせた。群青に近い深い青、なるほど、限りなくクロだな。ただ、まだトリックが明らかになっていない。


「でも、見たところこの粉末は全く発光していないが…」

「そう、そこが不思議なのよねー。試しに水をかけてみたけれど特に何も起きなかったし…」

「となれば…」


実際に現場の様子を再現してみるのが手っ取り早い、クーレもそう思ったに違いない。思案しながらも食事の手はいつになくてきぱきとしていた。


####


「まさに論より証拠よねー」


昨夜見た青い光が再び現れたのだ。お手洗いの穴に例の粉末を入れてすぐには何も起こらなかった。そのときはなぞ解きをひとまず保留にして、それぞれ診療所の開院準備を進めることにしたのだが、お昼前になってもう一度お手洗いを覗いてみると、あのセーブポイントが再出現していたのだ。

そして、すぐさまクーレを呼びに行き、今に至る。


「それにしても、なんでお手洗いじゃなきゃ光らないんだろうー?」

「そうだなぁ…」


ちなみにクーレは、時間経過が必要な可能性を考慮して、今朝水につけたマニグロリアの粉末を捨てず、戸棚にとっておいたらしいが、それは長時間放置してもキラリと光ることすらしなかったらしい。

場所は違えど、水気があるという点では大差がない。他に目に見えて違った点もない。

(そう…、はな…)

元いた世界の座学で、かつての人々はこのような、まるで魔法のような現象を、種々の実験や「顕微鏡」を用いて解明していったと聞いた気がする。


「この現象の正体を突き止める実験を思いついたから、俺にやらせてくれないか?」

「ほんと?じゃあ私も手伝うよー!」


俺とクーレは午後の診療の合間や閉院後に村中を巡り、試料を集めて回った。


####


夕食後、俺とクーレは診療室の裏部屋に来ていた。机には陶製の小皿が十枚ほど並べられており、中には様々な場所で採取された水と例の青い薬が入っている。


「フォル君は、水に何か目に見えないものが入っていてそれがマニグロリアを光らせる、そして目に見えない何かは特定の場所にある水にしか入っていない…って考えたんだねー?」

「うん…まぁ…そんなところかな」


小説によくある、犯人を言い当ててからトリックの実演をする、みたいな真似ができるほど確信している訳ではない。というよりかは、実験の準備を進めるにつれて、確信できる要素がどこにもないと気づいたのだ。

なぜなら、ここは魔法が存在する異世界。魔法のように不可解な現象は、実際に魔法が犯人とかいう何のひねりもないストーリーの可能性だって十二分にある。

俺のこの世界の魔法知識は、義務教育レベルにすら遠く及ばないだろうし、もし本当にこの現象が魔法関連のものなら単純に自らの無知をさらすハメになるだけ。ともすればこの少年の正体がクーレに感づかれる危険性も高まる。

思っていた以上に危ない橋渡りをしているのだと察した結果が、さっきの煮え切らない返答だ。


「これで明日の早朝にどのお皿が光るか見たらいいんだねー」

「そうだな…」

(頼む…仮説通りの結果であってくれ…)


####


翌早朝、ここ数日では一番目覚めが悪い。

結果が気になって中々寝付けなかったのだが、それは仮説が外れる不安があった、というより、予想外の結果が出た時どのようにクーレに納得のいく説明をしようかあれこれ考えていたことが主な原因だ。

子供の頃親に無断で学校の帰りに友達と遊び、帰宅が遅くなった理由をどう説明しようか思案していたのが思い出された。

裏部屋の扉を開く。クーレは既にいた。さながら未知の生き物を目撃した子供のように、机の周りをぐるぐる回って皿を持ち上げて上から横から観察している。一方俺は絞首台に向かう死刑囚のごとくのろのろとクーレの方へ歩みを進める。


「フォル君見て見て!この二つがすごく光っているよ!」

「お、おぉ…お、お、おぉ…!」


(仮説が当たったぁ!!)

突然の恩赦、減刑、釈放!人生、心配ごとの九割は起こらないというのは本当のようだ。つんのめりそうになりながら、光る皿を持っているクーレの元へ駆け寄った。


「うわっ!慌てちゃってー。それにしても、ふふっ、変な声ー!」

「あぁ、実験結果が仮説通りで、嬉しくて…」


光ったサンプルは予想通り、牧場の水たまりと、お手洗いから採取したものだった。


「どちらもあまりキレイとは言えない水なのに、こんなにキレイに光るなんてねー」

「いかにも、って感じだよな」

「おぉーフォル君の口からそんな深い言葉が飛び出るとはー!」

(え、俺ってそんなにおバカ扱いなの?いや、逆か。見かけはフォルという少年のままだが、頭脳はこの俺のものなんだから、その豹変ぶりに驚くのも無理はないな!)

は赤いバンダナを血の滲んだ包帯と見間違えたしねー」

(……お?)


ともかく、微生物、細菌がこの粉末を光らせていると俺は考えていた。自然において「発光」という現象はしばしば見られる。それらに関与する物質は一種類しかない…はずだ。そしてそれを生合成するのは何らかの細菌…だと聞いたことがあるような…

牧場の水たまりにはおそらく牛のフンが溶けていたのだろう。(というより牛のフンが落ちている近くの水たまりを選んで採取したのだが)お手洗いの水は言うまでもない。

のだが、よくもまぁこんなに曖昧な知識で実験まがいのことを始められたものだなと自分でも思う。


「あと、牧場の水の方が明るく光るんだねー」

「え、あぁ、言われてみればそうだな」


これは思わぬ発見だった。近代的な設備のないこの世界で細菌の同定は困難だが、とにかく光らせたければ牛のフンの方が良いということだ。

さっきまでの嬉しさは既に失せてしまっている。結局「なぜ?」に対する答えは見つからなかった。ただ、「医学」はそうした「食べてみたらたまたま咳が止んだ」のような偶然の事象に、人間が理屈をこじつけて発展してきたものだろうから、その第一歩を踏み出せたというのは大きいのかもしれない。

が、いくらポジティブに捉えても、今回結果が得られたのは棚ぼただという事実に変わりはない。あぁ…聡明になって気で「実験が~」「仮説が~」などとほざいていた過去の自分をぶん殴ってやりたい。


「ところでフォル君、さっき仮説通りだったって言ってたけど…なんだっけ、目に見えない何かが水の中にある、だっけー?」

「ふぁ!?それは…そうだな…考えてみると別の可能性もあるって気づいたから忘れてほしい!何はともあれ、光る条件の一つが分かったからいいじゃないか!ははっ…!さて、今日も診療頑張るかー!」


クーレの胡乱な目を背に、胸を張って無駄に腕をブンブン振りながら意気揚々と、かつスピーディーに裏部屋から撤収した。

(ほとぼりが冷めるまではクーレを避け続けるしかないな…)


なおこの後、漂ってくる朝食の香りと空腹に負けて自ら食卓へ出向き、クーレに捕まってすべて吐かされました。


####


あれから数日、クーレは例の粉末を光らせる実験に余念がない。家事や仕事の時以外はいつ見ても薬品瓶を広げた机であれこれやっている。

ある時、いつものように作業中のクーレの後ろを通りかかると、


「フォル君見てー!」


彼女が自分の手元から目を離さずに俺を呼ぶ。こういう時は十中八九、製作中のものの説明が始まる。


「光る水をよく見ると、表面に薄い油の膜みたいなのが出来てたんだよねー。だからそれをこの装置で…」


ここからニ、三十分ほど知らない植物や薬品やらの名前をふんだんに含んだ解説がなされた。勿論ほとんど理解できなかったが、彼女が楽しそうだったのでとりあえず相打ちだけ打ちつつ、ふと思いついたこの光る薬品の利用法について思案を重ねていた。


「で、出来上がったものがこちらになります、な訳だな」

「そう、これこそが青く輝く精油なのですー!これでなんと使!おひとついかがですかー?」


いつの間にか営業トークになっているのはなぜなのか。その精油とやらは、ランプにも劣らず、部屋の照明として利用できるくらいの輝きを保っていた。


「この輝きって、どのくらいの時間維持されるんだ?」

「うーん…今言えるのは、四日前に精製したこれがまだ当初の明るさのままってことかなー」


そういって引き出しからクーレが取り出したもう一つの精油は、さっき見たものよりわずかに明るさが劣っていたが、読書灯には使える程度だった。

(少なくとも一週間は光るかな。改良を重ねればもっと伸ばせるかもしれない)


「クーレ、この精油の用途って考えてあるのか?」

「んー?私はただ面白い現象を見つけて、瓶に詰めて面白がっているだけだからねー」


打算的にならず、再現性を追求する、根っからの研究者気質だ。


「俺に考えがあるんだけど…きっとこの村の役に立つものだ」

「前の実験の時みたいに、思った通りにならなかったからって逃げだしたりしないでよー?」

「うっ…今回はそういうのじゃないから大丈夫…多分」


今回はあらかじめクーレに概要を伝えた。彼女は大賛成してくれ、すぐさま精油のさらなる改良に取り掛かった。

精油は何とかなるとして、それを入れる容器の方が問題になると思っていたのだが、クーレに、かつて自分が見つけた素材が最適だと助言をもらい、その原料となる樹液を探しに森へ向かった。


####


日没寸前にやっとの思いで診療所に帰り着いた。玄関にどんと勢いよく背負っていた木樽を置き、そのまま重力に身を委ねて仰向けに倒れる。


「あ゛あぁ~」


少年らしからぬ、見かけ不相応の声が漏れる。

目的の樹木は案外たくさん生えており期待以上に採取は出来たのだが、木樽に詰めていざ背負うと中々の重量だったので、この世界に来て一番の疲労感だ。

治癒魔法を使えば傷ついた筋組織の修復はできるが、痛みを引き起こしている生体反応や分泌物などを除ける訳ではないし、第一「疲労感」のような精神的なものには、偽薬効果以外に何の効力もない。

(だがこの苦痛も、献身の証となるのだ…!さて、明日も頑張ろう…)

ふらふらと自室に向かおうとすると、


「お疲れー、でもへばるのはまだ早いよー!ここからはスピード勝負!腕動かしていこー!」


腕もう動かねぇよ…てかクーレ、診察の時とテンション、熱量が違いすぎないか?研究開発に関することとなるとこうも人が変わったように…元の世界で言うなら所謂リケジョにあたるのだろうが…

しぶしぶ彼女の元へ引き返す。もとはと言えば俺がやりたいと言ったことなのだから、俺は休んでクーレだけ仕事させるのはおかしいか。


####


大量の白い樹液が何種類もの薬品と混ざって、大きな鍋の中でぐつぐつと煮えている。踏み台がないと中を覗くことができない、それほどに大きな鍋だ。いくつものへこみやすすけが目立ち、年季が入っている。

料理で使っているのを見たことがないから、きっと実験で素材を一気に煮る時にのみ使うのだろう。その中身を、俺の背丈と変わらないくらいの長さの棒でかき混ぜる。


混ぜ続けること約一時間、次第に粘り気が強くなってきて、いよいよ腕が限界を迎えようとした時、クーレから次の段階へ移っていいと指示が出た。

ここからはクーレとの共同作業になる。粘度の増した樹液の中に俺の手首ほどの太さの筒を差し込み、片方から息を吹き込んで膨らませる。やたら膨らみにくいシャボン玉で遊んでいるかのようだ。

顔より一回りほど小さいくらいの大きさの球体になったら、そこにクーレが霧吹きで薬品を吹き付ける。

明らかに労働の比率がおかしいが、そんなツッコミをするくらいなら手を動かせと自分に言い聞かせる。

しばらくすると始めは弾性があって白かった樹液が、すりガラスで出来た球体かのように半透明になり固まった。


「今回は調律魔法を使わないのか?」

「そうだねー、透明度は下がっちゃうけれど、ぼんやりと丸く広がる光、それはそれで悪くないと思うんだー」


そういえば光る精油の説明中も「魔法不使用」なんて言ってたっけな。食品添加物じゃあるまいし、そんな謳い文句に釣られる人なんているのだろうか。というかそもそも売り物を作っている訳でもないしなぁ。

後はひたすら同じ作業の繰り返し。混ぜて、吹いて、混ぜて、吹いて。

いつの間にか半透明の球体が床を埋め尽くす勢いで並んでいた。疲労がとっくに限界を超え、脳死で作業していたので気づくのが遅くなったが、数えてみると五十個は優に超えていた。

(てか作りすぎなんじゃ…)


「たくさんできたねー!多すぎるくらいだよー」

「やっぱりか!余計に働かせやがって!てかクーレは気づいてただろ!」

「そんなことないよー私もがんばってたからねー」


そう言いつつ、涼しげな顔をしながら、手でパタパタと仰ぐ素振りを見せる。

(それ表情と行動が矛盾してるんだよ…!)

だからといってそれを指摘しても、ゆるい言葉で逃げられてしまうだろうから泣き寝入りするしかない。

呑気な野良猫のようなどこか掴めない性格をしているのがクーレだ。


「俺、もうクーレがどんなに引き留めようとも寝るからな…」

「あ、うん、おやすみなさいー」


今度は素直に自室へ向かわせてくれた。さすがにもう一仕事させるのは酷だと判断されたみたいだ。それにしても、帰ってきた時はもう限界だと思っていたのだが、案外動くことができた。俺以上に俺のことを分かっているというのか…

二階への階段を四つん這いでよたよたと昇っていく。あぁ、数分後、ベットに卒倒する未来が見える。そして明日全身筋肉痛でバキバキになって動くたびに悲鳴を上げる未来も。

(まったく、医療従事者なんだから俺のヘルスケアにも気を配ってくれよ…いや、逆か。日々患者を診ているクーレだからこそ、俺の体力の真の限界が見えているのかもしれない…いや恐ろしすぎだろ)

顔面に枕の柔らかい感触を感じてからの、記憶はない。


####


翌朝、案の定の抜けきらない疲労感と筋肉痛。

パンをちぎるのも、スープをすくって口に運ぶのもあまりにぎこちなかったからだろうが、向かいに座っていたクーレが必死に笑いをこらえて小さな肩をひくつかせていた。

苦難の食事が済んで、クーレが食器を片付けながら、


「治癒魔法使えばいいのにー」

「いや…やってみたことあるけどあんまり効果ないし…」

「だめだよー効くって信じなきゃ!」


(魔法、医学療法の観点から治癒魔法が疲労回復にはあまり効果がないと分かっているのに、効くって信じろと言われてもなぁ…)

難しい顔をしていたのだろう。そんな俺を見かねたクーレがそばへやってきて、俺の右手を両手で握った。


「いきなりなんだ!?」

「ふふっ、じゃあこれは試したことないはずだから、効くって信じてよねー?」


前かがみになって、ずいっと顔を近づけてくる。急にあだっぽい表情。思わず目をそらす。


「…何をするつもり?」

「フォル君は特に何も考えないで自分に治癒魔法をかけたらいいよー!」

「…本当に大丈夫なんだろうな…?」

「大丈夫だよ!何一つ問題ないから!ほら、私を信じてー!」


妙にクーレの声の調子が上がった。さては俺で兼ねてから気になっていたことを実験できるから浮足立っているな?

予想外のことが起こったらすぐ止められるよう、控えめに治癒魔法をかけ始める。ぬるま湯に浸かったような、じわりとした温かさに身体が包まれていく。

普段ならそれだけだった。

突然、クーレと握り合った手から何かがぶわっと押し寄せてきた。そしてドクドクと脈を打ちながら巡り始める。身体中が活性化している、と言えばいいのか、体験したことのない感覚に襲われる。


「これは…魔力?」

「お、何か感じるー?」

「あぁ、治癒魔法だけの時とは比べ物にならないくらい熱い何かが、右腕から始まって全身を循環しているのを感じるよ」

「そうなんだね!新発見ー!」


クーレはただ俺の手に調律魔法をかけただけらしいが、どういうことだ…ありえないほど身体が軽くなったように感じる。疲労感もかなり軽減されている。

俺は日頃めったに自身に治癒魔法を使うことはない。多少怪我をしたとしても放っておけば自然治癒するし、第一、治癒魔法は自身の体内の魔力を使っているはずなのだから、それで自分の怪我を治すことに意味があるのか疑問なのだ。

魔力が無限、とかならば話は別だが。

そんなベタな転生時チート特典みたいなものを一切もらっていないのは、この世界に来て数日、転生ウハウハ期にいろいろやって確認済みだ。この治癒魔法は無難に他人を癒すために使う他ないのだ。


「ところで、これどういう原理なんだ?」

「うーん、二つの回復系魔法が合わさって相乗効果?みたいなー?」


やっぱり行き当たりばったりの実験だったんだな!なんとなくそんな気はしていたが…いきなり人間を被験体にするなよ!なんて言ってもどうせ「結果オーライだよー!」なんて返されて取り合ってくれないだろうな。


「じゃあ、めでたくフォル君の疲れも吹っ飛んだことだし、今日の作業に取り掛かるよー!」


(はぁ…今日もこうやってクーレに振り回されるのか…)

疲労が幾分戻ってきたような気がした。


####


その日の夕方、


「これだけあれば十分でしょー」


作業をしていた部屋は球体と小瓶で埋め尽くされていた。

小瓶は例の精油が入っている。陶製の瓶なのでその光が漏れ出てくることはない。

球体は、穴の開いている部分に木の筒と、球体の中央に小皿のようなものが取り付けられて、立派にランプの風貌となった。

結局、クーレの指示の元作業はほとんど俺が行った。もう少し手伝ってくれてもいいんじゃない?と何度小言を言いそうになったか。でもそのたびにアフテおばさんの言葉を思い出し、寸でのところで止める。


「あとは、実用テストか…」


部屋の灯りを消し、ランプを一つ手に取り、中の皿に精油を注ぐと…


「「おぉ~!」」


思わず二人共に歓声を上げた。青白い光が、丸く広がる。さっきまで使っていたランプほどの明るさはないが、樹脂製の球体が半透明なこともあって、直視しても目が辛くならないほど柔い光となっている。


「フォル君、成功だよー!」


自分の頭の中で描いていたものが実際に手に取れるというのは、こうも感動的なことなんだな。


「さっそく、アフテおばさんとトレイルおじさんの家へ届けに行こー」


誰の元へ最初に持っていくか、これは作り始める前から二人の意見が一致していた。何せ俺とクーレ二人して一番お世話になってきているし、二人なら改善点などの忌憚のない意見を聞けるとも思った。また、クーレには話していないが俺には前回の借りがある訳だし、この二人以外にあり得ない。

カゴにランプと精油の小瓶を仕舞って、二人の家に向かった。

二人は大絶賛してくれ、クーレは二人に延々とランプの作り方について語っていた。二人が喜んでくれたのは素直に嬉しかったのだが、二人ともクーレのご講義を熱心に傾聴していて、俺だけ疎外感を味わうこととなっていた。

しかもやっと話が終わって帰れると思った矢先、なぜかその場のノリでか、数日後の夜、村人たちを集めてお披露目会をやる運びになったと知らされたのだった。


####


夕焼けに染まる空の元、村人たちが集まってきていた。長方形の岩でできた小さな舞台と、円形に並ぶ五本の木で囲まれたちょっとした広場のような場所だ。

五十人はいるだろうか。あの日以降、アフテおばさん以外の家数軒を回ってランプを配ったが、今日ここにいる人たちのほぼ全員がランプのことを知らない。というより、あらかじめランプを配った面々は一人も見当たらない。まぁ、わざわざ配布イベントに参加する意味はないから不思議ではない。


「なぁ、今更なんだが、こんなことする必要あったか?」


俺とクーレは舞台の裏にある木の陰で日が落ちるのを待っている。クーレはいつもと違う、白を基調とした


「フォル君が全部の家に配達してくれたらそれでもよかったんだよー?」

「うぐっ…」


さすがにそれは面倒だし、性根は人見知りな俺からすると、この方がいい…のか?


「大丈夫、フォル君は私が合図したら、裏でこのロープを引っ張ってくれたらいいから!」


そう言いながらクーレは舞台の方へ駆けていった。



「えー皆さま、足元が暗い中お集まりいただき、ありがとうございますー!」


村人たちのざわめきがふっと途切れた瞬間に、クーレの声が響いた。

前口上が始まる。まだ一度も「ランプ」という言葉は出てきていない。あえて言わないようにしているのだろう。俺はクーレの合図を聞き逃さないよう必死に耳を傾ける。


「それでは、ご覧に入れましょう!」

(今だっ!)


ロープを一気に引っ張る。その途端に目の前の木がまばゆい光を放った。予想以上の明るさに目を覆う。枝に赤や黄、緑、青、紫と七色に輝く果実がいくつも実っている。

しかし、光をまとったのはその一本の木だけではなかった。

広場を囲む四本の木も同様に灯っていた。一番近い一本の根元に目を凝らすと、こちらに手を振る人影が。アフテおばさんだった。それぞれの木の下には、先にランプを配った村人たちがいるようだった。

なるほど、どおりでさっき彼らの顔が見えなかった訳だ。


村人たちは拍手喝采、次々に歓声をあげて、祭りのような盛り上がりを見せた。完璧なデモンストレーションだ。

俺としても、ここまで喜ばれるとは思っていなかったので嬉しかった。俺も一つ、この村の役に立てたのだ。

木にもたれかかって目をつむり、この成功の陰の立役者としての余韻に浸る――――


「フォル君、こっち来てー!」

「のわっ!え!ちょ!」


いきなりクーレに腕を引っ張られ、舞台の上に押し上げられた。四本の木の光がスポットライトのように、俺の目をくらませる。恐る恐るまぶたを持ち上げると、村人たちの視線がこちらに集まっていた。


「今回のランプ、実はこのフォル君が発案!さらに材料の大半を集めてきてほとんど一人で作ってくれました!」


一段と大きな歓声が上がる。

クーレなら渾身の笑顔で手を振って返すところだろうが…

俺は腰から上を硬直させてブンブンと何度も大きくお辞儀をすることしかできなかった。


「フォル君!フォル君!」


どこからともなく始まった手拍子とともに、その声が大きくなっていく。アフテおばさんたちも、クーレまでも、便乗してその盛り上がりが最高潮に達した。

何か、言わなければならない空気。

逃げるな、圧倒されるな…

バクバクと脈打つ心臓を止めるかの勢いで、胸いっぱいに空気を吸い込み、


「おっ…お役に立てて…本当にっ…ありがとうございましたーっ!」


限界まで膨らんだ風船が爆ぜる、そんな今日一番の大歓声。詰まりに詰まってようやく出てきた日本語が明らかにおかしいとは分かっていたが、そんなことはどうだっていい。言葉で言い表せない気持ち、それが「最高」だ。


「やったねフォル君、大成功だよー!」


クーレのはじけるような笑顔。

(そうか…あまり村人と交流のなかった俺のために、わざわざこのような舞台をこしらえてくれたのか。ランプ製作の作業を妙に手伝ってくれなかったのも、全部俺を思ってのことだったのか…)

クーレのどこまでも他人に尽くす精神は一体どこから湧いて来るのやら。


…それにしても、


「青以外の色も作れたんだな」


木をライトアップしているランプは、まるでクリスマスツリーのオーナメントのように鮮やかだったが、俺は青い光の精油しか知らなかった。





「マニグロリアって、実が熟すにつれて青から黄、橙や赤に色が変わっていくんだよー!だから、採取したときの色によって違った色に光る精油が作れるんだー」

「なるほど、それでこんなにも色とりどりなのか」


青い光のランプしかないと、せっかく夜でも活動できるようになるのにどこか物悲しいと思っていたので、診療所で元から使っていたランプのような暖色のものがあるのは好ましい。

診療所のランプと言えば…

クーレになぜ診療所で最初から使っていたランプを村人たちに広めようとしなかったのか尋ねた。


「診療所にあるランプに使っている油は、別の植物に調律魔法をかけて精製しているんだーだから、安易に村人の皆さんに提供できなかったんだよねー。ほら、この村には魔法嫌いの人もいるみたいだし」

「魔法不使用にこだわっていたのってそういう理由だったのか」


アフテおばさんが言っていたように、クーレなりに考えがあってのことだったのか。今回のランプ製作の件を振り返ってみれば不思議でもなんでもないことだが。


「そうそう、後は、魔法を使わないっていうことは、私たちが作り方を伝えれば、魔法師じゃなくても自作することができるよねー」

「なるほど、精油も無限に輝き続けるものではないしな」

「それもあるし…」


…?


「私たちがこの村を去らなくちゃいけなくなっても、困らないでしょー?」


####


今日も夕日が沈む。入れ替わるようにして、ぽつぽつと、家々に明かりが灯り始める。まるで野原で次々と花の蕾がほころび始めたよう。春の訪れを告げる温かさの、この村にぴったりだ。


「フォル君ー、夕飯できたよー」

「はーい」


診療所の外でやっていた片づけを終え、玄関のドアノブに手をかける。ぬくもりの光に、包まれていく。


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