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悪魔との取引
しおりを挟む三分のギアは、投げるたびにあがっていった。
(もっと)
爆発的成長。
指先の感覚が、伝導率が、螺旋の制度が、軸の回転速度が、すべてが――指数関数的に上昇していく。
(もっと!)
145!!
バックスクリーンに表示される数字を見て、打者のほとんどが目を疑った。
――いや、うそつけ、あの球は、そんなに遅くねぇ――
三分の手から放たれた球は、ギュルギュルと獰猛に叫びながらミットに飛び込んでくる。
コントロールも、投げるたびに正確になっていく。
ここ数イニング、トウシは、サインを出して構えた後にミットを動かしていない。
だが、三分の限界はここじゃない。
(もっと!!!)
より速く、より正確に、より強く!!!
完璧に華開く。
三分は止まらない。
★
三国のベンチはお通夜状態になっていた。
誰もが理解している。
「ふざけんなよ……なんだよ、あいつ……」
打てる気がしない。
資質が、あまりにも違いすぎる。
球速的には、数字的には、絶望するほどの差があるわけではない。
表示される球速だけでいえば、三国のエースである堂野の方がわずかに上回っている。
しかし、その事実が、むしろ、彼の心をへし折った。
ふいに、誰かが言った。
「江川の全盛期を見た連中も、今の俺らと同じことを思ったのかな」
尋常じゃない回転数。生まれもった強靭な背筋が放出する異次元の弾丸。
同じ人間ではないのだろうと確信させられる、不可思議な速球。
三分は躍動する。
暴力的なその左腕が、三国の打者を容易くねじふせる。
三分は止まらない。
「……無理だ……勝てない……」
心が折れれば、ミスが生まれる。
随所、要所で、歯車がくるう。
結局、とられた点数はたったの一点。
たった一点。しかし、
――負けるには十分な数字だった。
★
夕焼けの中、家に帰ろうと一人で歩いていたトウシの前に、
「よう、ひさしぶり」
ミシャンドラは顔を出した。
へんに気さくな態度。
すぐに全てを察したトウシは、
「要件があんならさっさと言えや」
「今後の予定が聞きたくてな」
「別になんも変わらへん。これまで通りや」
「そ、そうか! それは結構」
「ただ、一つ」
「え?」
「今後、先発はワシがやる」
「……ん?」
「ほとんどの試合で、ワシが大半を投げる。なんか問題あるか?」
「……」
「三年後の神との試合、楽しみやわぁ」
「……」
「ほな」
「おまえはいらない」
「……あん?」
「三分を育てろ。ウチのエースはあいつだ」
「……」
「三分が必要なんだ。頼むから、育てろ」
「!」
そこで、トウシは頭を回転させる。
理解。把握。
桁違いの頭脳が、即座に、暗闇から答えを引きずり出す。
(頼むから……必要……か。なるほど……口滑らせたな)
その洞察は最後の最後まで届く。もはや疑う余地もない。
(おそらく、神との試合では、『人間を投手にせなあかん』のや。『ルール』なんか『美学』なんか知らんけど、どうやら、その推測に間違いはなさそうや……せやないと、人間の投手を、『必要』とは表現せん)
「あいつを育てろ。今までどおり、三分を育てるんだ」
(なんで……)
「おい、聞いているのか?」
(なんで……ワシやないんや……)
「おい、田中!」
(なんで、ワシを……このワシを……無視すんねん、くそがぁああ)
「おい!」
「前向きに善処する方向で考えとくわ。……ほな」
「待て! おい、ふざけ――」
「どうしても」
「ん?」
「どうしても三分を育ててほしかったら、ワシと取引せぇ」
「……取引ねぇ。で、なにを望む?」
「―――――――――――――」
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