だが剣が喋るはずがない

娑婆聖堂

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動地剣惑星 (どうちけんまどいぼし)

死人が話す訳がない

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 赤く染まる空。東は既に紫を越して濃紺色。夜空の色だ。エリッサは空を見ながらのんびりと歩く。故郷に比べると山や建物で狭苦しく感じるが、その分変化に富んでいる。
 これまではヨーロッパを中心に活動していたが、たまにはアジアも悪くない。もう直ぐ冬だ。このあたりは恐ろしいほど雪が積もると言うし、雪遊びも体験してみたい。

 そんなことをつらつらと考えているうちに、ふと目に留まるものがあった。
 いや、注目はしたが目には留まっていない。集中して見ようとしても、何故かその人影にピントが合わない。近眼の人が少し遠くを見ると、こうなるのだろうか。背格好から男と推測するが、実際のところはわからない。

 「ニンポーというやつですか?初めて見ました。日本に来た甲斐がありましたね」
 顔に浮かぶ表情は窺えない。だがなんとなく笑ったように見えた。
 「いえいえ、これはただの大道芸。道行く人に見てもらえないのが玉に瑕ですが」
 これまたどこかぼんやりした声。
 「それは修行する前に考慮すべきでしたね。……それで、仕事ですか?」

 影の表情が多分引き締まる。
 「ええ、それも緊急の。……遠見の者から眷族の妖気を感知したと連絡が入りました。気配の濃さからして強行偵察用の雑魚でしょう。ですが、だからこそぬるい手は打てません。直ちに討滅してください」
 エリッサの纏う空気が変わる。明るい異国からの転校生のものから、神さびた青銅の瞳を持つ審問官のそれへと。

 「それは、全力をもって事に当たれ。という許可でよろしいでしょうか?」
 「無論。我々はそのためにあなた・・・を呼びました。一般市民に被害が出ない範囲で、あらゆる行為を容認します」

 スペイン異端審問裁判、特務派遣裁判長。エリッサ・クルス=モリネーロ殿。

 その言葉が終わると同時、エリッサの体が宙に手繰り寄せられる。
 飛ぶとも、跳ぶとも違う。重力に掴まりながらも直線的な軌道で、審問すべき被告を目指し、一目散に引かれていった。






 「どうでした?彼女は」
 エリッサが去った後、影に話しかけたのは、微笑みの似合う女の子のような少年だった。
 「なかなか良い娘さんですね。個人的には好感が持てます」
 影はゆらりと輪郭を揺らす。レンズの焦点が合うように姿を定着させる。スーツ姿のキャリアウーマン風の女であった。

 「ですが不安は残ります。バチカンより推薦された人物とはいえ、一人というのは。なにせ此度の相手は吸血鬼、専門家であっても一筋縄ではいきますまい」

 吸血鬼。言わずと知れた化け物の代表格。圧倒的な腕力、多種多様な特殊能力、数多の弱点を突かせない知能。どれも厄介極まりない。
 しかも今回は数百年を生きる、親から完全に分派した貴族級。膨大な数のヴァンパイアハンターの犠牲によって、討たれるか封印された真祖亡き今、最強の存在と言っていいだろう。
 だからこそカトリックの総本山に頭を下げて、助っ人を要請したのだ。何としてでも被害を広げないために。

 だというのにたった一人しか送られないとあっては、本気で討伐する気なのか疑問に思える。

 「それは少し違いますね」
 少年、御影光世はそれに反駁する。
 「というと?」
 「確かに敵は難物に違いありません。並大抵の専門家では相手にもならないでしょう。」
 だからこそ、彼女なのです。
 光世は微笑む。

 「こんな話があります。スペイン宗教裁判、異端審問華やかりし頃。時の教皇シクトゥス4世は、政治的思惑によって成される異端審問が異端を減らすどころか、それに乗じた化け物共の跳梁を促すだけでないかと危惧しました」

 しかしその危惧も、スペインの圧力の前に屈する他なかった。だが教皇は提案する。裁判が開かれることに最早反論はしない。だが、化け物共の専横を見過ごす訳にはいかない。
 そこで、異端審問に化け物専用の裁判長を派遣し、これを移動する裁判所として、民の内に巣くう悪鬼を討滅してはどうか。
 
 この提案は受け入れられ、一人の信徒がスペインの地に降り立った。
 無辜の民衆の内より、化け物のみを選別し、抹殺する審問兵装と共に。

 「彼女らは勝つでしょう。そのための存在、そのための2人・・です」







 畜生。なんだってこんな。何で私が。
 女性らしくない罵倒がこんなにあったかと驚くほど湧いてくる。
 彼女は、つつがなく仕事を終えて家に帰る途中だった。職務にも慣れ、後輩の教育を任される程度には信頼されている。親が結婚はまだかとせっつくのがうるさいと思いながら、そろそろ考えないとまずいかな。と危機感を持ち始めたところだ。
 住んでいる金城市は、雨が多いのが煩わしいが、ご飯は美味しいし、それなりに気に入っていた。

 その慣れ親しんだ町が、今は地獄まで続く崖っぷちに見える。
 街灯がそいつを映し出した。

 そいつはまるでスキップするように飛び跳ねる。ボロのコート。靴はない。足が大きく、かぎ爪が生えている。犬と人間の特に醜悪なのを掛け合わせればこうなるだろうか。
 やばい、やばい!くそ、追いつかれる。
 半分嘘だ。追いつくつもりならとっくに肩でも叩いているだろう。遊んでいるのだ。声を上げようとすると突っつかれ、それだけで体がバラバラになりそうだ。
 息切れが激しい。あと数分もすれば倒れる。その後のことを考えないために走っているようなものだ。

 その時気がついた。これは夢だ。良く考えてみれば、口が耳まで裂けた乱杭歯の怪物に襲われるなんて有り得ない。まるで吸血鬼じゃないか。

 それに、ほら、前から綺麗なシスターさんが歩いてくるなんて、夢じゃなきゃ悪い冗談だ。

 「夢だ。夢」
 「ええ、そうですとも。悪い夢ですとも。さあ、もう眠りなさい」
 意識が急速に薄れる。彼女が最後に感じたのは、母に抱かれる幼子のような安心であった。
 






 
 夜、2つの人型が対峙する。片方は醜い怪物。口は裂け、異常な猫背で、紅い目には欲望と、それに水を差した愚か者への不快感が満ちている。
 もう一つは対照的。気絶した女を優しい手つきで横たえて、怪物に向き直る。美しい少女。古代の青銅器の瞳。緩くカールした黄金の髪が風に靡く。表情はあくまで柔らかく、罪のない犠牲者への慈愛が満ちる。

 「一人で大丈夫と言いましたが、失敗でした。布団くらい敷いてあげるべきでしたね」
 「なんだ。お前」

 異形の問いに、今気づいたというふうに目をくれる。微笑みを浮かべ、言った。

 「まさかのときのスペイン宗教裁判です。野良犬さん」
 怪物が分かり易く苛立つ。
 「ふざけやがって、教会の犬はてめえだろうがよ」
 「あら、失礼。あくまで例えですよ。日本に来て間もないので、蚤虫以下の寄生虫を表す語彙が不足していまして」

 怪物が落ちていた石ころを蹴る。エリッサの頬の横を飛翔して、ブロック塀に当たって砕けた。
 「てめえなんざ知らねえが、教会の犬ならその女を食うついでに、後ろからぶち込んでやるぜ!」

 異形が跳ぶ。先ほどの遊び半分の跳躍ではない。地面が抉れ、亜音速の領域に突入、雲を纏う。反応も許さない。一撃で叩き伏せる。
 はずだった。

 「ぐ、え!?」

 ジェット機に迫る運動量が一瞬で分散し、宙に浮いた男の肉に、何かが食い込む。小口径の銃弾ならはじくことも可能な皮膚が裂け、ぱっくりと割れた肌から筋肉と脂肪が覗く。
 黒い、光沢のある糸。いや、髪だ。滝のように流れる黒髪。さっきまではなかった。巻きついた?亜音速より速く?そもそもどこから。
 
 怒りより困惑が強い男が、エリッサを見た。彼女の持つ、人がすっぽり入りそうな、大きな袋を。
 髪は、そこから流れだしていた。ジッパーが開かれ、そこから色とりどりの髪が氾濫する。黒赤茶金銀、人の髪の色を網羅しているかのよう。
 袋に手を入れ、出す。

 それが展開された。

 内側に格納されていた円盤が、パワーショベルのアームのように伸びる。大小様々なフレームが、花弁のごとく開き、日傘に似た、上半身を守る盾と化す。
 メインフレームの機構が次々形を成して、僅か数秒で完成した。

 絶句。
 異形。あまりに異形。絡めとられた化け物など及びもつかない。道端の菜の花のようなものだ。

 全体像はアメリカンバイクの前半分が近いだろうか。腕と手の骨で構成された盾。腰骨を加工した持ち手から背骨を束ねたメインフレームが伸び、スパイク代わりの肋骨の間に両手の骨が、糸巻き車のように髪を巻いている。
 脊椎の先端に顎の無い頭蓋骨が4つ。上下左右が対称になるよう配置されている。その口から伸びる2本の長く、太い大腿骨。そこにこれまた通常では有り得ないほど大きな手の骨が、2枚の円盤の軸を摘まむ。

 全てが、骨と髪でできていた。円盤が回転する。絹を裂く金切り声。

 「な……んだ。その……、化け物」
 「あら、失礼ですね。ですが無知は罪には問いません。紹介します。この子の名前は煉獄の乙女プルガトリ・デ・ビルガイン。あだ名はイベリアの骨臼。あなたを審問する者です」

 化け物によって理不尽に殺された罪のない乙女。無垢なるが故に地獄には堕ちず。しかし化け物共への憎悪故に天の門は開かれなかった。
 あの世にさえ行き場はなく、煉獄にて異端の悪魔への憎悪を胸に、嘆き続ける哀れな少女達。
 その遺骨と遺髪を加工した必殺の兵器。彼女達が化け物を逃すことはなく、赦すことはない。
 故に審問兵装。エリッサ・クルス=モリネーロが単独で宗教裁判の開廷が可能な所以である。

 一体なんなのだ。これは。思考がついていかない。煉獄の乙女。イベリアの骨臼?臼?
 そうだ。臼だ。重なった、直径80cm程度の2枚の円盤。回転する音が女の叫び声のよう。
 臼、粉を挽く道具。挽く。挽き潰す。何を?
 男は背中にとろみがつくまで冷やされたアルコールを垂らされたように、背筋を震わせた。

 ずるり、と引きずられる。糸巻き車状の機構が、男を臼へと手繰り寄せる。回転する骨で出来た臼。

 「ま……、まてぇぇぇぇ!待ってくれ!俺が悪かった!まて、止めてくれぇぇぇ!」
 「うーん、私は待つこともできますけど、この子はちょっとせっかちですから。……審問に答えて頂けますか?いやだといったり、嘘をつきますと」
 ぶんぶんと音がするほどの勢いで頷く。

 「まず、このところ街で起こった暴行殺人事件のうち、そのいくつかはあなたの仕業ですね?」
 「はい、はい!」
 「それを命令した者がいますね?」
 「はい!」
 「覚えていることを残らず話して下さい」
 「わ、わからない!ヤクをやってた時に、無敵にしてやるって言われて、好きにしろって、すげえ力が湧いて、好きに、す、すきに」
 音が高まる。
 恥も外聞もない。失禁し涙も鼻水も垂れ流しだ。

 「なるほど。……うーん、分かりきってはいましたが、やはり用心深い。……ああそう、審問ですが、最後の質問です」
 「あい、はぁい」
 もう呂律も回らない。今まで与えてきた絶望が、今度は己を包む。
 「聞こえますか?」
 「え!?」

 聞こえますか?あなたに殺された人達の、嘆きの声が。

 「聞こえます!聞こえます!だから助け」
 「嘘をつくな」
 「へ!?」
 青銅の瞳が冷ややかに見下ろす。あくまで謹厳に、真っ赤な唇が動く。
 「死人が話す訳がないでしょう……。彼らは死んだ」
 あなたが殺した!

 「詐称の罪、追加。……あなたは地の塩にさえ適さないようですね。」

 「大気に混じって吐き捨てられるといいでしょう」

 糸巻き車が回る。肉をこそぎ、骨を拉いで。

 「まって、まってまあがぎゃぁ!」
 夜の帳をつんざく断末魔がほとばしり、10秒後にはそれも止んだ。

 





 燃える。舞い散る粉雪のように。浄化された肉の雫が、火の粉と化して尽きてゆく。
 悪鬼にしては美し過ぎる死に様だ。
 エリッサはその場に跪き、両手を組んで祈る。

 「天にまします我らが父よ。今宵も律法に仇なす悪逆の徒を討ちました。死に行く者に幸あらんことを。」
 続けて祈る。
 「また、憎しみ囚われるが故に天に昇れず、されど尚、人を助け、悪と戦う哀れなる乙女に無限の祝福を。」
 また祈る。
 「また、生きんがために彼女達の嘆きを力とする罪深き我に、一滴の慈悲を、与えたまえ」
 そうあれかしA m e n
 
 立ちあがる。被害者の介抱は現地の機関に任せるべきだろう。
 骨臼がぶるりと震える。まだ挽き足りないと言うように。

 「あら、おまえ、まだ怒っているの?……仕方がないわ。おまえにはなんの罪もないんですもの。……でもね、おまえが全てを赦せる日が来たら、その時は、おまえは神様に一番近い場所にいるはずよ」

 骨臼を、煉獄の乙女をかき抱く。慈母の愛をもって。
 その時には、金属の冷厳さはなく、一人の姉妹シスターとして在るのだ。

 その奇怪な抱擁は、震えが止まるまで続いた。
 
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