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学生生活 その1

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「起きなさい久世余」

 まだ太陽が半眼で寝ぼけている春の6時前に、冬の名残か極寒のささやき。九十九一欠の起床催促である。

「今なんじ~?」

 五歳児もシャッポを脱ぐ見事なぐずり振りで迎え撃つは、宿命的問題児・久世余であった。

「5時51分です。身支度を急ぎなさい」

「5時って深夜じゃん。11時になったら起きるから待っててくれ」

「ふむ」

 余のベッドから3歩離れる。背中を向けて膝を軽く屈曲。腕を前に出してバランスを取り、爆転。2回ひねりを加えつつ膝にて喉元を狙う。低反発マットレスに鉄杭じみた一撃が突き刺さった。

「おあっぶ!死ぬぞその圧!」

 間一髪。跳ね起きた跡には腿の半ばまで埋まった一欠の姿。頸椎が粉みじんになっていてもおかしくは無かった。

「危機感知能力は及第点のようですね。しかし今は戦時ではないのです。必要なのは不測への対処より日常の積み重ね。この一分一分に貴方の評価が懸かっているのですよ。まずは身だしなみ。正しい生活習慣」

「間違った骨格に改造される寸前だったわ!第一こんな時間からなんの身だしなみをするんだ?十二単じゅうにひとえでも着ろってのか」

「髪が跳ねていますよ」

「おっと」

 指摘されて、ススキのようにぴょいと立った寝癖を整える。髪質が素直なため目立たないが、切り方がかなり雑であった。

「どこで切ったんですか。安い自動理容室でも見苦しくない程度にはできるはずです」

「うん?髪なんてナイフで出たとこ刈ればいいだろ」

「まず床屋へ走りなさい」

 制服をかぶせられ、遠隔操作で文字通り走らされて洗髪洗顔まで終える。役30分。帰宅に10分。学園内の充実した設備ゆえの早業である。

「うぐえー。洗われるのは苦手なんだよ。自由がない」

 機械式特有のむらの無い仕上がりでつやつやになった頭をなぞる。余は他人に体をいじられること全般が苦手だった。

「野良猫の感覚です。それは。泰然としなさい。上位者の余裕が市民の安心を醸成するのです。次は服装」

「服も何も、電脳服は自動調整だろ。何を整えるんだ?」

「機械化は便利この上ないですが、万能ではありません。まず上に乗ったちりをブラシで落とす。靴には補修剤を塗布。毎日行えば細かな傷は無くなります。こういった雑事はむしろ人の手がいるのです」

「もう漬けこんじゃえばいいじゃん」

「生地が傷むし表面が歪むのです!10分で片付きます。費用対効果を勘案しても行うべきです」

「ちぇー。消毒槽に身体ごとぶち込んでた頃が懐かしいぜ」

「それは家畜の洗浄です」

 被服の手入れ、約10分。細々した着方の指導に5分。寝床の片づけにまた5分。すっかり引っ越し前の雑然さがなくなり、モデルルームのような簡明さを誇る自室を、一欠は満足げに歩き回る。
 もともとかさばる荷物など無かったにしても、一日で生活空間が完成したのは彼女の努力あってこそと、余も認めざるを得ない。そもそも片付ける発想さえ無かったので有難迷惑としか思えないのは、社会不適合な精神の拒絶反応に過ぎないのだろう。

「やはり早起きして正解でした。現在の久世余の習慣には、長年にわたって蓄積された病巣が潜んでいます。このままでは30年以内に醜く肥え太り、あげく血管の破裂で死ぬでしょう」

「言いすぎだろ!日をまたぐ前には寝ていたぞ。サプリも思い出した時に呑んでたし。うん健康的」

「20年以内に紫色の肌になって横たわる中年肥満無産階級の無残な遺骸が見えるようです」

「そんなに!?」

 7時ごろに朝食。寮には当然食堂も置いてある。普段ならエリートとはいえ十代の学生が集まる場、話し合うざわめきや雑踏の喧騒で耳が痺れるほどである。
 しかしその日は防音室になったかのように音が響かない。一般的に、異常には必ず原因がある。並んで歩く文字通り異色の二人がそれだった。

 純白の少女と赤黒の少年。揃うと余計に際立つ。数十年、いや数百年の時を経ても変わらない、完成された形のお盆に料理を積んで座る。
 人の薄い場所を選んだが、3つは離れた席の生徒の食事がにわかに加速する。余たちの周囲は風洞実験のような有様だった。

「やっぱり離れていた方がいいじゃないですかね。境界面の人たちが圧縮されて衝撃波になりそうだ」

「一時的な反応に過ぎません。3日もたてば落ち着くでしょう。それよりその献立はなんですか」

 余は手元を見下ろす。大盛のから揚げがまず目に入った。特におかしい所は無い。から揚げに文句を付ける奴には正義の7.62mm弾が必要だろう。大盛の丼の上には香ばしく匂いたつ豚の生姜焼き。労働者の味方だ。重要。汁物は豚汁。あったから頼んだ。あったら頼むに決まってる。これは外せない。

「ああ、豚と豚だとかぶってるか。カルビ丼にしたほうが良かったかな」

「肉以外を頼みなさい。野菜を分解できないのですか。栄養バランスを考えなければ人体はすぐに効率を落とします。野菜を摂りなさい」

 真っ当な正論を次々と投げ込んでくる。もはや譲歩の他なしか。

「いや、でも」

「でもではありません」

「でも……」

「なんですか」

 しつこく食い下がる余に、普段無表情の一欠もさすがに不機嫌を露わにする。

「ラーメンじゃんそれ」

 一欠の膳にでんと居座っているのは、渦巻き模様に縁どられたどんぶり。湯気のたつスープからはこしょうとラー油の刺激が漂う。魚介の香ばしさだけが抽出され、生臭さは丁寧に取り除かれていた。完成度の高い醬油ラーメンである。

 一欠はゆっくりと首を横に振る。

「ラーメンではありません。完全栄養食です。これ一つで必要栄養素の全てをまかなえます」

「いやラーメン……」

「くどい!」

 目を見開いて一喝。上位者が白と言えば限りなく黒に近いグレーも純白。これが監視社会である。余に与えられた選択肢など、元より幻想であった。

「はい」

「サラダをとってきなさい」

「はい」

 しょんぼりと配給装置に向かう。数千の献立をさばく小型工場じみた機械群が、錯覚だろうが余を慰めるようにきんきんと鳴いた。
 サラダボウルは片手に余る大きさだった。余は基本的に加減を知らない。大盛が正義の男である。



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