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第四話 玉座の主
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カイラギは、大陸東部に流れる八つ首川の四つ目と五つ目の分岐点に浮かぶ三角州に建設された、800年の歴史を持つ古い都市国家である。外敵と殺人的な日照から市民を守るために堅固な城壁に囲まれ、中央にそびえる黒塗りの塔は市民に影を与える王の慈悲で出来ている。しかし今、塔の中心に据えられた玉座に座す者は、かつて建設の指示をした国王の系譜に連なる者ではない。
計略と自らの威力によって、総軍将及び国王を打ち取り、王位を簒奪したカイラギ機士団左翼将ハジュバルド=ドラヴァルガ・ミツラエルである。抜きんでた長身と、細身だが体躯に見合った褐色の肉体、炉から打ちだされた銅そのままの美しさを誇る長髪は、金銀で象嵌された玉座の一部であるかのようであった。
癖のない髪のいくらかをまとめ、顔の左右に2本ずつ、細い三つ編みを編んでいるのは、かつて王に奴隷として買われた時の名残である。そのうち右こめかみから垂れている一房の三つ編みを、気のない様子で弄び、部下の報告を聞く。
「見失った。そういう訳だな」
玉座より一段下がった絨毯の上で機士イェールメザールは片膝をつき、不必要なほど体を丸めて震えを押し殺した。橙赤色の髪もしおれたように床に垂れている。
玉座の間は銅の合金で出来た床下に土管を通し、川より引いた水を流すことで涼をとっている。しかし、機士は床からたち昇る冷気とは別の寒さが骨の内にこもっているのを感じていた。
威力が全ての世の中であっても、民にも人気のあった王を倒し、王位を奪うのは外聞の良いことではない。それをなした者が都市外から来た、言わば外様であれば尚更である。白い目で見られるだけならば実害は無いが、他の都市がこれ幸いと難癖をつければ、準備の整わないうちに戦争だ。負ける気は無いが、万一の可能性は排除せねばならない。
それを避ける最も手っ取り早い方法は、先王の一人娘であった機士ヴァルナを妻とし、正統な後継者と主張することである。多少無理はあるが、血統と力さえあれば多少の無理など問題にならない。
最悪は王位継承者を生かしたまま逃すことである。別の都市に入られて再起されてしまえば厄介この上ない。よってイェールメザールに与えられた任務は第一に王女の生け捕り、それが叶わないならば抹殺。そして彼はどちらもし損じ、王権の象徴たる選王の剣までも持ち逃げされたわけで、今や自身が生命の危機に在る。
「は、いえ。王女殿下は自らの喉を貫き自害を」
「首は」
「は?」
ハジュバルドは右頬の、まだ体液が滲む傷を撫でる。焦がした大麦のような肌の、そこだけに桃色が混ざり、彫像のような美丈夫が生身の肉であると主張する。
先王との闘いで胸甲を拳でぶち抜かれた。その際削ぎ飛ばされた名誉の負傷であった。
「首も持たずにあの王女が死んだと。その与太を信じよと言うのか?」
ハジュバルドの目がほのかに発光する。赤みを帯びた茶が風に煽られた砂のようにゆらめき、金の光線が、その間に陽光の如く差す。首の金属器官、威力腺に力が収束するのを産毛が捉えた。
イェールメザールのうなじが総毛立つ。彼我の位置は一足で首を落とせる間合いである。土気色の顔に死相が浮かんだ。
「で、ですが、剣は確実に威力腺を砕き、800共通尺はある崖より落ちたのです!我が威力ではあの断崖をくだる事は」
ぱちん、と種子が火にあぶられて弾けたような音がした。イェールメザールの右の薬指、その爪からタンパク質を焼く匂いがあがる。血は溢れない。爪は熱によって蒸発していた。
歯を食いしばり、呻きを飲み干す。ここで取り乱してはいよいよ後がない。脂汗をためながらも、ハジュバルドに視線を向ける。
「イェールメザール。お前の力は私も承知している。その髪色に見合った臆病さもな。だからこそ逃げる者の目で追えるお前を選んだ。その責は私にある。だからそれは良い」
瞳に差す黄金の光が数を増す。
「しかしお前は無意味な弁明をするために私の前に出たのか?その責は誰にある?」
淡々と、むしろ無関心なまでの叱責に、毛深い絨毯を擦り切って、金属の床に頭をこすらんばかりに体を曲げる。
「申し訳ございません!ただちに王女の捜索に出ます!」
「行け。六つ目の川ならば、南に150共通里も行けば傾斜の緩い場所に出る。隊を分けて虱潰しに探せ」
「かしこまりました!」
重圧が解けたように素早く立ち上がると、くるりと背を向け走らず出せる最高速度で謁見の間から出て行く。控えていた衛兵が威力を通すと、大の男2人が肩車をしてようやく手が届きそうな重厚な扉が、根本に付く繊維化させた鋼血の収縮で音もなく閉じた。ハジュバルドが軽く手を振ると、奴隷の女が盆に乗った果実を差し出す。掌にすっぽり収まる柑橘系の実を皮ごと齧ると、奴隷の出した手の上に種を吐き出した。
三つ編みをいじりながら遠くを見る目。王女について思索をめぐらす。あの男が偽りを述べたとは思っていない。そんな度胸など持ち合わせない小心者だ。だが、喉を完全に破壊し、身の丈の500倍以上の高さから落下して、それで死ぬような機士ではないと、どこかでそう期待している己を見出して苦笑する。
だが俺は負けぬ。心の中でそう呟く。あの王にさえ俺は勝った。武器を奪いはしたが、機士として正面から争い、打ち勝ったのだ。その娘に仇を討たせてやるいわれは無い。
「剣で喉か」
独り言に反応した奴隷を、おっくうそうに手を振って止める。与太話といえば、何百年か前までは王になる際に神意を問うため喉を剣で突いたというが、いくら機士でもそれは自殺行為である。古い話によくある荒唐無稽な武勇伝だろうと記憶の隅に追いやった。
機士200機と号するカイラギ機士団ではあるが、この不安定な時期に都市外の探索へそう多くの機士を割くわけにもいかない。いまだ借り物の王が無暗に動けば軽んぜられるだけである。ハジュバルドは玉座に身をあずけると、従僕の扇ぐシダ植物の葉が起こす風を感じながら、しばし目を閉じ、戦の知らせを待つ。
計略と自らの威力によって、総軍将及び国王を打ち取り、王位を簒奪したカイラギ機士団左翼将ハジュバルド=ドラヴァルガ・ミツラエルである。抜きんでた長身と、細身だが体躯に見合った褐色の肉体、炉から打ちだされた銅そのままの美しさを誇る長髪は、金銀で象嵌された玉座の一部であるかのようであった。
癖のない髪のいくらかをまとめ、顔の左右に2本ずつ、細い三つ編みを編んでいるのは、かつて王に奴隷として買われた時の名残である。そのうち右こめかみから垂れている一房の三つ編みを、気のない様子で弄び、部下の報告を聞く。
「見失った。そういう訳だな」
玉座より一段下がった絨毯の上で機士イェールメザールは片膝をつき、不必要なほど体を丸めて震えを押し殺した。橙赤色の髪もしおれたように床に垂れている。
玉座の間は銅の合金で出来た床下に土管を通し、川より引いた水を流すことで涼をとっている。しかし、機士は床からたち昇る冷気とは別の寒さが骨の内にこもっているのを感じていた。
威力が全ての世の中であっても、民にも人気のあった王を倒し、王位を奪うのは外聞の良いことではない。それをなした者が都市外から来た、言わば外様であれば尚更である。白い目で見られるだけならば実害は無いが、他の都市がこれ幸いと難癖をつければ、準備の整わないうちに戦争だ。負ける気は無いが、万一の可能性は排除せねばならない。
それを避ける最も手っ取り早い方法は、先王の一人娘であった機士ヴァルナを妻とし、正統な後継者と主張することである。多少無理はあるが、血統と力さえあれば多少の無理など問題にならない。
最悪は王位継承者を生かしたまま逃すことである。別の都市に入られて再起されてしまえば厄介この上ない。よってイェールメザールに与えられた任務は第一に王女の生け捕り、それが叶わないならば抹殺。そして彼はどちらもし損じ、王権の象徴たる選王の剣までも持ち逃げされたわけで、今や自身が生命の危機に在る。
「は、いえ。王女殿下は自らの喉を貫き自害を」
「首は」
「は?」
ハジュバルドは右頬の、まだ体液が滲む傷を撫でる。焦がした大麦のような肌の、そこだけに桃色が混ざり、彫像のような美丈夫が生身の肉であると主張する。
先王との闘いで胸甲を拳でぶち抜かれた。その際削ぎ飛ばされた名誉の負傷であった。
「首も持たずにあの王女が死んだと。その与太を信じよと言うのか?」
ハジュバルドの目がほのかに発光する。赤みを帯びた茶が風に煽られた砂のようにゆらめき、金の光線が、その間に陽光の如く差す。首の金属器官、威力腺に力が収束するのを産毛が捉えた。
イェールメザールのうなじが総毛立つ。彼我の位置は一足で首を落とせる間合いである。土気色の顔に死相が浮かんだ。
「で、ですが、剣は確実に威力腺を砕き、800共通尺はある崖より落ちたのです!我が威力ではあの断崖をくだる事は」
ぱちん、と種子が火にあぶられて弾けたような音がした。イェールメザールの右の薬指、その爪からタンパク質を焼く匂いがあがる。血は溢れない。爪は熱によって蒸発していた。
歯を食いしばり、呻きを飲み干す。ここで取り乱してはいよいよ後がない。脂汗をためながらも、ハジュバルドに視線を向ける。
「イェールメザール。お前の力は私も承知している。その髪色に見合った臆病さもな。だからこそ逃げる者の目で追えるお前を選んだ。その責は私にある。だからそれは良い」
瞳に差す黄金の光が数を増す。
「しかしお前は無意味な弁明をするために私の前に出たのか?その責は誰にある?」
淡々と、むしろ無関心なまでの叱責に、毛深い絨毯を擦り切って、金属の床に頭をこすらんばかりに体を曲げる。
「申し訳ございません!ただちに王女の捜索に出ます!」
「行け。六つ目の川ならば、南に150共通里も行けば傾斜の緩い場所に出る。隊を分けて虱潰しに探せ」
「かしこまりました!」
重圧が解けたように素早く立ち上がると、くるりと背を向け走らず出せる最高速度で謁見の間から出て行く。控えていた衛兵が威力を通すと、大の男2人が肩車をしてようやく手が届きそうな重厚な扉が、根本に付く繊維化させた鋼血の収縮で音もなく閉じた。ハジュバルドが軽く手を振ると、奴隷の女が盆に乗った果実を差し出す。掌にすっぽり収まる柑橘系の実を皮ごと齧ると、奴隷の出した手の上に種を吐き出した。
三つ編みをいじりながら遠くを見る目。王女について思索をめぐらす。あの男が偽りを述べたとは思っていない。そんな度胸など持ち合わせない小心者だ。だが、喉を完全に破壊し、身の丈の500倍以上の高さから落下して、それで死ぬような機士ではないと、どこかでそう期待している己を見出して苦笑する。
だが俺は負けぬ。心の中でそう呟く。あの王にさえ俺は勝った。武器を奪いはしたが、機士として正面から争い、打ち勝ったのだ。その娘に仇を討たせてやるいわれは無い。
「剣で喉か」
独り言に反応した奴隷を、おっくうそうに手を振って止める。与太話といえば、何百年か前までは王になる際に神意を問うため喉を剣で突いたというが、いくら機士でもそれは自殺行為である。古い話によくある荒唐無稽な武勇伝だろうと記憶の隅に追いやった。
機士200機と号するカイラギ機士団ではあるが、この不安定な時期に都市外の探索へそう多くの機士を割くわけにもいかない。いまだ借り物の王が無暗に動けば軽んぜられるだけである。ハジュバルドは玉座に身をあずけると、従僕の扇ぐシダ植物の葉が起こす風を感じながら、しばし目を閉じ、戦の知らせを待つ。
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