答えは聖書の中に

藤野 あずさ

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変化の時代1936

霧の都

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カンタベリーからロンドンまでは、列車で1時間半で行ける。列車の本数も多いので、意外にも帝都までは近い。まだティータイムを過ぎたばかりなので、帰る頃には遅くなるが、カイミルに会うのに間に合うだろう。
ロンドン駅のホームを出て、バスに乗って孤児院の近くで降りる。前大戦で帝都はカトリックによる超遠距離砲撃によって、市街地は荒廃した。歴史的な建築は、国教会によって優先的に防衛されたが、住宅密集地は焼けただれ、瓦礫まみれとなった。あれから20年弱、大戦の面影はなく、何百年も続くロンドンの空気がする。
「ここか」
孤児院は教会と併設されており、入り口は教会の門から入ることになる。広い中庭があり子どもたちが元気に走り回っている。
子どもの世話をしているシスターに声を掛けて、招待状を渡す。
「あらまあ、管区本部からわざわざ来られたんですね。まあまあ、どうぞ中に入ってください。ライズ、ちょっと来てちょうだい。」
シスターはこの中でも年長に見える女の子の名を呼んだ。
「じゃあ、私はちょっとお話をしなきゃいけないから、子どもたちのこと、頼んだわよ。」
「うん!」
ここは彼女に任せ、シスターに案内されて孤児院の中に入る。
「しっかりした子でしょ?まだ12才なのよ。ここの子はみんな言う事を聞いて、いい子ばかりよ。」
「そのようですね。静かだけど、優しい雰囲気を感じます。」
事務室のような、小さな部屋に入る。
「じゃあまあ、そこに座ってて頂戴。」
「どうも。」
僕が椅子に腰掛けると、シスターは奥の部屋に行った。
すると、入ってきた扉から、金髪の少女がこちらを覗いてきた。気がついて目を合わせると、すぐに顔を引っ込めてどこかへ行ってしまった。
「どうかしました?」
戻ってきたシスターは紅茶を淹れてくれた。
「いえ、覗いてくる子がいたので。」
「まあまあ、軍人さんがここにくるなんて珍しいですから。それで何の用事で?」
「はい。そういえば名前を言っていなかった。僕はウィリアム・アーチリステと言います。よろしく。」
「どうも~」
「早速ですが、ある少女を探していまして…」
そう言ってアウグスト嬢の写真を見せる。
「ユーディットラウト・アウグストという女の子がいるはずなんですが、今会うことはできますか?」
「あらあら、ユーちゃんのことかしら。」
「ここにいるんですか?!」
突然の僕の声に、シスターは目をぱちくりさせている。
「す、すいません、急に大声をあげてしまって。」
「構いませんよ。それで、ユーちゃんなら呼んできましょうか?」
「お願いします、話すだけでもいいので、ぜひ」
「じゃあちょっと待っててくださいね」
シスターは部屋を出て、孤児院の中、おそらく彼女の部屋に向かっていった。

数分すると、シスターが金髪の少女、さっき僕のことを覗いた女の子を連れてきてくれた。
「初めまして、君がユーディットラウト・アウグストで間違いないのかい?」
少女は首を縦に振った。
きた。ついに。
福音教会の聖職者と会うことができた。
「国教会の軍人さんが私に何か用ですか?」
「初めまして、僕はウィリアム・アーチリステ。早速で悪いんだけど、君が福音教会の聖職者であることは本当なの?」
「はい、"元"と言った方が正しいですが。」
「でも他の聖職者と違って使徒としての能力は、まだ残っている、これも本当?」
「微かに、ですが、身体能力上昇と銃火器の軽い魔装化程度ならまだできます。」
「よかった。」
中将の言ったように、彼女の能力はまだ残っていた。長期的なリハビリをすれば元の能力まで戻る可能性だってある。ここで彼女を見逃す手はない。
「ウィリアム・アーチリステ少佐、私からも聞きたいことがありますが、いいですか?」
「もちろん」
「私を、国教会の軍に入れさせようとしていますか?」
「ノーと言えば嘘になる。もちろん元の階級や権限はそのまま、ぜひ国教会に─」
「そうですか」
突き放すように彼女は言った。
「私はもう軍には入りません。今の私には、家族も友人も守るべき国も無い。福音教会は私の家みたいなものでした。それなのに─」
彼女は手を強く握って小さな声で言った。
「それなのに、あの国は変わってしまった。私はもう疲れたんです。福音教会も統一主義も、もうどうでもいい。今ここにいるのも、誰も私に干渉しないから、誰も私を見ないから、ここで静かに暮らしていた。なのに、なんで私を呼ぶの…」
目から涙を溢しながら、彼女は僕にそう訴えかけた。
「すまない、しかし、君のような優秀な聖職者は、軍にいるべき人間なんだ。我々もできる限りの、」
「Halt die Klappe!」
ドイツ語は分からないが、彼女の必死さが伝わる。
「……もう帰ってよ…」
俯いて彼女は掠れた声で言う。
「ごめんなさいね、アーチリステさん。今は1人にさせてあげて下さい…」
「すいません、完全に僕が悪かったです…今日はもう帰ります…」
残念だが、彼女はもう僕と話をする気は無い。
今、彼女の心を癒すことができない自分がとても情けない。
「またいらしてくださいね。今度はゆっくり話しましょう。」
「はい、今日はありがとうございました。」
陽の沈む教会から鐘の音がした。
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