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第8話:悪代官の惑星
#15
しおりを挟むその夜、仮住まいのリビングのソファーで寝転び、小ぶりな本を読むノヴァルナの元に、ノアがキッチンからやって来た。ノアは左の小脇にデータパッドを抱え、右腕にはマグカップが二つ乗った丸いトレーを持っている。
「ほら、ノバくん。コーヒー」
ノアはトレーをテーブルの上に置き、片方のカップを差し出した。
「ノバくん言うな」
別に怒るふうもなく、文句だけを言い、ノヴァルナはおもむろにソファーから体を起こす。そしてノアの淹れたコーヒーを手に取って口をつけ、「めっちゃ薄いな」と感想を告げた。
「仕方ないでしょ。物が無いんだから…ここじゃコーヒーがあるだけでも、贅沢な話よ」
「おう」
「“おう”じゃなくて、お礼は?」
「さんきゅ」
「よろしい」
出逢った頃なら互いに、些細な事でも突っ掛かっていたような言葉のやり取りも、今のノヴァルナもノアも、さして気にはならなくなっている。自分もノヴァルナと向かい合って座ったノアは、データパッドを膝の上に置き、マグカップを両手で抱えてふうと息を吹きかけた。窓の外は夕方から雪が降り続いている。
カップをひと口すすって、コーヒーが熱かったらしくノアは僅かに眉をしかめた。びっくりしたように顔を離し、ノヴァルナに話しかける。
「本なんて珍しいわね。どこにあったの?」
「おう、この家のクローゼットの中だ。ここいらの宙域にあった、昔の恒星間文明の主な神話が書いてあって、結構面白いぜ」
この家に以前住んでいた住人は、家具など一切を置いて姿を消しており、この本も前の住人の持ち物だったのだろう。ノヴァルナが“ほれ”という感じで本を差し出し、それを受け取ったノアも、ページをパラパラとめくってみた。
もうずいぶん昔に、インターネットは人体と融合したNNL(ニューロネットライン)へと進化を遂げ、今の銀河皇国では何らかの理由で制限されていない限り、どのような情報も即座にNNLから引き出す事が可能となっている。そのため、ノヴァルナもノアも実物の『本』を手にする事は、これまでほとんどなかったのだ。
「それに、何か新鮮な感覚だぜ。文字情報が固形物として手に取って触れるってのは。大昔の人間達ってこんなだったんだな」
「たぶんまだ、本を使ってた歴史の方が長いわよ」
静かにそう言って、ノアは本をノヴァルナに返した。
「それでか…なんか懐かしい感じがするのは」
ノヴァルナはノアが返した本を片手でもてあそびながら、思った言葉を口にした。
「NNLが無くても、案外困らねえもんだな」
銀河皇国に籍を置く者であれば、三歳になれば無償で体内に埋め込まれる半生体ユニットの、NNLシステム。それは個人と社会、そして個人と個人を繋ぐための必須の情報コアであった。しかしそれが機能しなくなっても、今は特段困る事がないのが事実である。
とは言え、NNLがなくても困らないのは日常の生活の上であって、この世界に飛ばされた原因を考察していたノアには、ネットワーク上のデータを集められないため迷惑な話だった。
「呑気な事言わないでよ。こっちは手持ちの知識だけで考えるのが大変だったんだから」
「過去形で話をするって事は、例の異常な超空間転移でなんか掴めたのか?」
俄かに身を乗り出して来るノヴァルナにノアは微笑んで頷き、膝の上のデータパッドをテーブルに置く。パッドを起動し、ホログラムキーボードを呼び出して、素早く操作すると、二人の間にホログラムのスクリーンと、自分達の住むシグシーマ銀河系が浮かび上がった。ノヴァルナはそのスクリーンに表示された文字を、訝しげな表情で声に出して読み上げる。
「なに?…『トランスリープ』航法だと?」
「あくまでも仮説だけどね…でも一番可能性が高いわ」
「それなら俺も聞いた事ァあるが…今の科学じゃ理論だけで、実際に開発するのは不可能、って話じゃなかったのか?」
現在のヤヴァルト銀河皇国で使用している超空間航法は、DF(ディメンションフォール)ドライヴと名付けられている、超高圧縮で位相過負荷状態にした重力子の空間投射によって疑似ワームホールを発生させ、130光年程の直線距離を数秒間で転移する恒星間航行技術である。
これに対し『トランスリープ』は、全ての次元を展開した超弦飽和空間を船の周囲に発生させて、タイムラグなしに数万光年の距離を転移する事が出来るという、夢の恒星間航法だった。
その理論方程式自体はDFドライヴの実用化より古く、ヤヴァルト銀河皇国が惑星キヨウの大陸国家であった時代にすでに確立されていたが、実用化への技術的問題を解決出来ないまま、今日に至っているのが実情だ。
『トランス・リープ』航法開発の現状に思考を巡らせていたノヴァルナだったが、ふとある事に気が付いて、ノアに問い掛けた。
「あのブラックホールの中で強制的にDFドライヴを発動したのが、偶然『トランスリープ』と同様の現象を起こしたってのか? また偶然が重なったって話か?」
するとノアは、データパッドのホログラムキーボードを操作しながら、パッドの画面から浮かび上がった、自分達が飛び込んだブラックホールのシュバルツシルト半径から導き出される、重力子エネルギーの総量などの数値情報や、『トランス・リープ』のシミュレーション画像を、ノヴァルナに説明した。
「偶然かどうかは別にして、理論的には一番近いって話ね。『トランスリープ』もDFドライヴも、重力子を使った航法という点では同じだけど、『トランスリープ』が実用化出来ないのは、今の対消滅反応炉で得られるエネルギー量では、量子界面に折り畳まれた五次元以降を展開する事が不可能だからよ。だけど重力子凝縮体であるブラックホールの事象の地平の内側なら、ブラックホールそのものをエネルギー変換、DFドライヴが引き金になって、連鎖反応的に『トランスリープ』が発生した…これが私の推論よ」
「なるほど、ブラックホールそのものが燃料になって、膨大な重力子が必要な『トランスリープ』を起こす事が出来たってワケか…大昔の熱核兵器が、原子爆弾を引き金にしてたようなもんだな」
「例えとしてはどうかと思うけど、全く違うという感じではないわね」
ため息混じりのノアの言葉に、「ふふん」と鼻を鳴らしたノヴァルナは、データパッドが浮かばせるシミュレーション画像を眺めながら告げた。
「…にしても、おまえ、やっぱ大したもんだな」
「え?」
「推論って言いながら、この一週間、いろいろ検証を繰り返して、少しでも確実な情報になるように仕立てていってたんだろ? ありがとな」
ノヴァルナに素直に感謝されて、ノアの顔は一気に赤らんだ。
「ま、まあ。帰るためには、少しでも確実な情報が必要だもの…それだけよ」
「そうかぁ? やっぱおまえ、こういった道に進んだ方がいいんじゃね? 好きじゃなきゃあ、なかなか出来ねえだろ、ここまで」
ノヴァルナがそう言うと、ノアはこの前と同じように寂しそうな表情になり、目を逸らした。
「………」
「どした? ノア」
覗き込むようにして尋ねるノヴァルナの口調は、思いのほか優しく、前回は何も理由を告げなかったノアも、今度は答える気になったようだった。
「無理よ、そんなの」
「なんでだよ?」
気安く訊いて来るノヴァルナに、ノアは寂寥感の滲む苦笑を向ける。
「私は星大名の娘なのよ。どうせ卒業したらすぐに、どこかの貴族か星大名の一族と結婚する事になるんだもの」
「………」思わず口をつぐむノヴァルナ。
「私がいくら次元物理学に興味を持っても、まず何よりサイドゥ家のため、娘として役に立たなければならない…それぐらい男のあなたにもわかるでしょ? あなたも星大名の一族なんだし」
「………」
無論ノヴァルナにも分からない話ではない。自分にもマリーナとフェアンという妹がいて、いずれ父ヒディラスの政治の道具として、誰かと政略結婚させられる事になるだろうからだ。
事実マリーナとフェアンは、離れて暮らしていた兄のノヴァルナと初めて顔を合わせるまで、母親のトゥディラに政略結婚のための道具として、人形のように育てられていたのだった。
気持ちを表に出す事を禁じられていた姉妹が、今のように思いのまま振る舞えるようになったのは、ある日突然二人の前に現れたノヴァルナの、強烈な個性の輝きが、閉ざしていた心の扉を開け放ったからだが、それはまた別の話である。
「なら、本当に駆け落ちすっか?」
少し間を置いてさらりと言い放つノヴァルナに、驚いたノアは紫色の瞳が釘付けとなった。見詰め返したノヴァルナは、悪戯っぽい目で言葉を続ける。
「星大名の勢力争いとは無縁の片田舎の星で、なんもかんも捨てて、俺は機械の修理屋。おまえは次元物理学の研究者…それも悪くねえだろ?」
「………」
ノヴァルナの言った事をノアは頭の中で想像した。エンダー夫妻宅のような家で、ガレージの作業場ではノヴァルナが何かの装置を修理し、自分は次元物理学に関する研究をNNLにアップし、時間になれば夕食の支度を………
そこで我に返ったノアは、赤らめた顔で慌てて声を上げた。
「なんで私達が一緒に暮らすのよ!」
「その辺は成り行きってヤツだ」と言って、「ハッハッハ」と笑い声を上げるノヴァルナを膨れっ面で見返すノア。ただ内心ではそんな冗談で気遣いを見せるノヴァルナに“ありがとう…”と告げた。
▶#16につづく
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