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第8話:悪代官の惑星
#09
しおりを挟むタイムスリップが実際には不可能で、おとぎ話の域を出ない事は、ヤヴァルト銀河皇国が恒星間航行技術を手に入れる以前から、理論的解答を得ている話のはずであった。
それゆえあの未開惑星で、どこから見ても中古となったプリーク型最新鋭貨物宇宙船に対し、自分とノアが未来へ飛ばされたた可能性を考えはしなかったのだ。いや実際は考えていたのかも知れないが、脊髄反射的にそれを自己否定していたとも考えられる。
“未来だと?…マジでか?”
考えを巡らせながらも、ノヴァルナはもう一度、自分が得た答えを自分に問い直した。だがやはりそれを肯定する事で、今の状況というパズルに全てのピースが落ち着くのである。ただそうなると、おそらく単純にこの星からオ・ワーリ宙域に戻るだけで、時代まで元に戻られるとは考えられない。
“唯一考えられるのは、あのブラックホールだが…ヤベぇ、さっぱり分かんねえ”
ノヴァルナはソファーの上で行儀悪く胡坐をかき、呑気そうな表情でグラスの飲み物をすすりながらも、精神世界の中では途方に暮れた。
するとそこに、カールセンの妻のルキナがやって来る。ルキナの後ろには入浴を済ませたノアの姿がある。ノアはパイロットスーツではなく、落ち着いたパステル調の、肩口の広い薄紫色をしたセーターと、カーキ色のショートパンツを身に着けていた。セーターの下には、黒いタンクトップを着ており、広く開いた肩口から黒色の襟ぐりが覗く。夏を思わせるような着衣だが、住居の中の暖房温度は高めで、むしろこちらの着衣が適切に思える。
一方、ノアが着ていたパイロットスーツは、ルキナが両手で抱えていた。そのルキナがリビングにいる、ノヴァルナとカールセンに「お待たせ」と告げる。
「よかったわ。ノアちゃん、あたしの服のサイズと合ってて…てゆーか、あたしよりスタイルがいいから、似合いすぎて少し悔しいぐらい」
ルキナの言葉で、ノアの着ている服がルキナのものだと分かった。そして確かにルキナの服はノアに似合っている。タイムスリップという想定外の出来事に途方に暮れていたノヴァルナも、風呂上がりの上気した肌で艶やかさを増したノアの姿に、しばし眼を離せなくなった。そんなノヴァルナの視線を感じ取って、ノアもまんざらではない視線を返す。
ノヴァルナとノアの間の“空気”に、カールセンと微笑みを交わしたルキアは、一つ咳ばらいをしてノヴァルナに呼び掛けた。
「ほら、ノアちゃんに見とれてないで、ノバくんもお風呂行ってらっしゃいな」
「ノ、ノバくん?」
さすがにそんなふうに呼ばれた事のないノヴァルナは、目を白黒させる。しかしルキナはお構いなしだ。
「ノバくんにはお風呂場にカールの服を置いてあるから、上がったらそれに着替えてね。そのパイロットスーツはノアちゃんのと一緒に、超音波クリーニングにかけるから」
「う…うッス」
ルキアはそう言うと、視線を少々冷ややかにして作り笑いを浮かべ、ノヴァルナの向かい側でくつろぐ夫のカールセンに尋ねる。
「で? カールはあたしが着替えを用意してる間、もちろん、夕食の下ごしらえをしといてくれたんでしょうね?」
それを聞いたカールセンは「ウッ」と息を呑み、「ハハハハハ…」と愛想笑いをして、「あ、当たり前だろ~」と目を泳がせた。その反応に当のカールセンを除く三人は、同時に“こりゃ、やってねーだろ”と心の中でツッコミを入れる。
そこでルキナは「はあっ」とため息をつき、「わかったから、一緒に来て。あなたも手伝ってちょうだい」とカールセンに告げた。「はいはい」と仕方なさそうに席を立つカールセン。ルキナはカールセンをキッチンに連れて行きながら、ノヴァルナを振り返って言いつける。
「ノバくんも早くお風呂に入るのよー」
ノヴァルナは「了解ッス」と快活に応じ、それでもソファーに腰掛けたまま、ルキナとカールセンがキッチンに消えて行くのを見送った。ノアはカールセンが座っていたノヴァルナの向かい側のソファーに腰を下ろし、タオルで濡れた髪を拭きながら、皮肉混じりの軽口でからかう。
「早くお風呂に行ったら? 臭うわよ、ノバくん」
ところがノヴァルナはノアと二人になったのを確かめると、すっくと立ち上がり「ノア!」と強く呼んで迫って来た。以前にもあったパターンで、その時にノヴァルナに「臭う」とからかわれてノアは憤慨したのだ。ただ今度のノヴァルナの眼には、その時以上の、怖いほど切迫したものが感じられる。
「ノア!」
「きゃ!」
ノアに詰め寄ったノヴァルナはノアの両肩を掴み、背中をソファーの背もたれに押し付けた。
今のノアの姿はノヴァルナにからかわれた時のような、五日も着たままのパイロットスーツ姿ではなく、白く長い脚を無防備に晒し、肩口の広いセーターは大胆に胸元まで見せている。自分をからかったノヴァルナに対し、女としての仕返しに、肌の露出が多い姿で色目を送ったのがまずかったのだろうか。
「いやっ! だめっ!」
体の自由を奪われ、顔を近づけて来るノヴァルナに反射的に怯えた声を上げるノア。だがまたその危惧は思い過ごしであったらしい。ノヴァルナは真顔で、口調も真剣に言い聞かせる。
「ノア。いいか、説明はあとでするから、俺が風呂に行ってる間、あの夫婦に俺達の住んでた宙域の事を訊かれても、詳しく答えるな!」
「え?」
「だからいろいろマズいんだって! 特に俺達の住んでる時代的な事は絶対言うなよ!」
ノアにはノヴァルナの言っている事がさっぱり理解出来なかった。ただ自分が感じた“身の危険”がまたもや思い過ごしで、恥をかかされたのだけは確かなようだ。頬を紅潮させて口を真一文字にし、無言でノヴァルナを睨み付ける。
「………」
一方のノヴァルナにしてみれば、ここが三十数年後の未来世界である可能性が高いという、驚愕の事実を前に、ノアとの情報統制は緊急を要する事案であって、そのためにノアに強く呼び掛けたつもりだったのである。
しかしそのノアはふてくされた目をして、無言でこちらを睨み付けるだけだ。
「おい! 聞いてるのかよ、ノア!?」
するとノアは無言のまま、不意にグーパンチでノヴァルナの額を正面からゴン!と打つ。
「おおおおお…」
額を手で押さえて床を転げ回るノヴァルナに、ノアは苛立った声できつく告げた。
「なんだかよく分からないけど…分かったわよ。バカっ!」
ノヴァルナが入浴を済ませてリビングに戻ってみると、ノアに対する懸念は杞憂であった。というのも、ノアはソファーに身を深く沈めて寝息を立てていたからである。
ノヴァルナに用意されていたカールセンの衣服は、ライトグレーのゆったりとしたスウェットパンツとオリーブグリーンの七分袖のセーターだった。
入浴だけでも人間社会に帰って来た気分になるのを、柔らかな生地の衣服を身に纏うと、眠気を催すほどリラックスするのも致し方ない話である。
「あら、お風呂上がったのね」
ノヴァルナに声を掛けたのは、タイミングよくキッチンから姿を見せたルキナだった。ルキナは居眠りするノアに優しげな視線をやってノヴァルナに告げる。
「相当疲れてたみたいね。ノバくんがお風呂行ってすぐに、あたしが様子を見に来た時にはもうあんな具合だったし」
「すいませんッス」
「でもちょうど良かったわ。ノバくん、ノアちゃん起こして連れて来て。晩ご飯出来たから」
ルキナがそう言って立ち去ると、残ったノヴァルナは眠っているノアに歩み寄った。「おい、ノア」と言って肩を揺さぶろうと手を伸ばす。だがその手は、ノアの寝顔を視界に入れた事でピタリと止まった。
改めて見るノアはやはり美しい―――
黒いロングヘアは上質の漆器を思わせ、透き通るような白い肌に閉じた瞼の睫毛は長く、僅かに半開きの唇は艶やかで、妖しくすらある。そして視線を下げたそこには、セーターの広く開いた胸元から思いのほか豊かな胸の谷間が………ゴン!
双眸が胸の谷間に見入った直後、ノアの繰り出したグーパンチが再び額の真ん中にヒットし、ノヴァルナは両手で顔面を覆って床をゴロゴロ転げ回った。
「おおおおお!」
「どこ見てんのよ、バカ!」
ソファーからすっくと立ち上がり、冷たく言い放つノア。ノヴァルナも額を赤くしたまま体を跳ね上げて言い返す。
「なんだてめ! 寝てたんじゃねーのかよ!」
「あなたがあの人達に余計な事を言わないように言ったから、寝たふりしてたのよ。何を言っていいか、何を言ったらいけないか分からないんだもの! それをあなたときたら―――」
するとそこにカールセンが、廊下から顔を覗かせて呑気に声を掛けた。
「おおーい。メシが冷めちまうぞー。痴話ゲンカはその辺にしとけ~」
ノヴァルナとノアは慌てて同時にカールセンを振り向き、声を揃えて否定する。
「痴話ゲンカじゃねーし!!」
「痴話ゲンカじゃありません!!」
エンダー夫妻の用意してくれた夕食は、どこにでもある一般的な家庭料理であった。
野菜が多めのホワイトシチューに、小麦粉を練って焼き、溶けたチーズと豆とトマトのソースをかけたもの。そしてスモークサーモンのサラダである。少々味は薄目だったが、空腹を僅かな携行食料で食べ繋いでいたノヴァルナとノアにとって、暖かい料理は今この瞬間、何物にも代えがたい宝物だった。
▶#10につづく
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