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第7話:隣国の姫君
#10
しおりを挟む翌日。空はこの日もよく晴れていた。森には僅かに霧が立ち込め、夜に聞いたのとはまた違う鳥達の声が、視界を埋め尽くす木々のそこかしこから聞こえる。
「うーっす!」
目を覚ましたノアがテントから出て来ると、少しひんやりとした空気の中、すでに起きていたノヴァルナが振り向いて、悲壮感の欠片もなく気軽に声を掛けた。ノヴァルナは大型のアーミーナイフを腰のベルトの背中側に差し、小さなラグビーボールのような装置を手にしている。
「お…おはよう」
まるで馴染みの土地でキャンプにでも来ているような、ノヴァルナのあっけらかんとした態度に、ノアは起床と同時に引き締めた気持ちが削がれてしまった。
「何をしているの?」とノア。
「水の確保だ」そう言ってノヴァルナは森を見る。
「え?」
ノヴァルナの言葉にノアは怪訝そうな顔になった。近くに川があるわけでもなく、樹木しか見当たらない森の中で簡単に「水の確保」と言われても、すぐには飲み込めない。
とその時ノヴァルナの前に、どこかにいたSSPが飛んで来た。SSPは空中で静止して、球状の本体前面にある三つの青いライトをチカチカ光らせ、何かを知らせているように見える。
ノヴァルナが頷くと、トンボのようなSSPはゆっくりと移動を始め、ノヴァルナはそのあとについて森の方へ歩いて行く。
「?」
また変な事を始めた…と眉をひそめたノアはさらにそのあとをついて行った。SSPは比較的近くに生えている、一本の樹木の前にノヴァルナとノアを案内する。だがその樹木は別段他の樹木と大差なく、巻き付いている蔓草の茎が他の樹木に巻き付いているものより、太いぐらいの違いしかない。
しかしノヴァルナの目的は樹木ではなく、その茎が太めの蔓草だった。せっかくついて来たのだからとばかりに、ラグビーボール型の装置をノアに持たせて、ノヴァルナは木の幹に巻き付いたその蔓草の茎を引っぺがし、アーミーナイフを振るって断ち切った。するとその茎の切り口から透明な液体がツツーッと流れ落ち始める。水だ。
目を丸くするノアに、ノヴァルナは“渡した機械を返せ”と手を伸ばす。ノアがラグビーボール型の装置を返すと、ノヴァルナはその側面のスイッチをスライドさせた。起動した装置は変形し、上下に開いて杯型になって中心に穴が現れる。漏斗を上下に二つ合わせたような形状だ。それは濾過分析器という装置であった。
ノヴァルナはその切断した茎から滴り落ちる水を、濾過分析器の上側の穴に流し込む。すると濾過分析器の中心をリング状に囲んだインジケーターが白い光を放った。同時にノヴァルナの脳に視覚情報として、茎の水の分析結果が書き出される。それを読み取ったノヴァルナは「ビンゴだ」と言って、不敵な笑みを浮かべた。そしてノアを振り返って言葉を続ける。
「そのまま飲んでも問題ないぜ」
「そう…なの?」
戸惑いを見せるノアに、ノヴァルナは「なんだよ、俺の言う事は信用出来ねーか?」と、その茎を高く掲げて顔を上に向け、滴る水を口で受け止めると、ゴクリと飲み干した。思った以上の青臭さに少し眉をしかめたが、“どうだ”とばかりに得意顔で目を輝かせる。
ただノアの言いたかった事は少々違っていた。なんでそんな事がノヴァルナはすぐに思いつけて、当たり前のように行動出来るのかに戸惑ったのである。その事をノアが尋ねると、ノヴァルナはやはり当たり前のように答えた。
「おう。これと似たような蔓草がラゴンにも生えててな。その草もこんなふうに飲める水が、茎の中に大量にふくまれてんのさ。昨日森に入った時に見掛けて、試そうと思ってな」
「いえ、そうじゃなくて。どうしてそういう事を知ってるのかを、聞いてるんだけど…」
「ん? 普通にサバイバル訓練してりゃ、常識だろ。SSPにもそういうのを探す機能が付いてるんだし」
「ふーん…」
気のない返事を返すノアだったが、内心ではノヴァルナを見直さずにはいられなかった。星大名の一族ならそういった軍事教練も、ひと通りは受けてはいるだろうが、いざ本番となった時、どれほど実践出来るかはまた別の話である。
そう思った直後、気の強いノアはまた苛立ちを覚えてしまった。自分がそのいざ本番となった時に、“実践出来ない側”の人間だと気付いたからだ。まあ、そもそも星大名の一族といってもノアは姫であり、通常なら姫は戦場には出て来ないのではあるが…
「これで水を汲めそうな川が見つからなくても、何とかなりそうだぜ。SSPにこの植物をピックアップするように設定してだ…なんせ水筒は一個しかねーからな」
「そう。よかったわね!」
素っ気無く言い放って、一人さっさとテントの所へ戻り始めるノア。その腹の内が分からないノヴァルナは、「アイツ、今度は何を怒ってんだ?」と不思議そうに首を捻った。
ノヴァルナとノアがテントやその他を片付け、再び西を目指して森を進みだしたのは、それから程なくしてである。
二人は互いに感じる相手との微妙な距離感から、歩いている間は5、6メートル程も離れてほとんど口を利く事はなく、時折取る休憩でも離れて座って、ありきたりの言葉を短く交わす程度だった。ノヴァルナもノアも多少は相手が理解出来るようにはなったが、調子に乗って変に相手の内面にまで立ち入ると、また口喧嘩に発展してしまいそうだからだ。
しかしそういった態度を取る事が、逆にもやもやと相手を意識してしまう結果になるのは、この年代の男女にはありがちな話でもある。要は話をしたいのだが、またこじれて距離が離れるのも困るという、もどかしさが二人の間の壁となっているのだった。それだけ二人とも強がってはいても、感受性が強いという事だろう。
だがそうも言っていられない事態が起きたのは、その日もまた夕暮れに差し掛かろうとしている時であった。
ノヴァルナの後について小高い丘を登っていたノアは、少し開けた木々の合間から空を見た。丘を登り始めたあたりから、雲の量が増えて来ていたのが気になっていたからだ。雲量はさらに密度を増し、空一面がコンクリートで塗り固められたようにも見える。
その空を見上げたノアの頬に、雨粒がポタリと落ちた。
「あ…」とノアが雨粒の落ちた方の片目をつむった直後、文字通りの“土砂降り”が二人に襲い掛かる。「きゃ!」と小さく悲鳴を上げるノアと、「ヤベえ!」と叫んだノヴァルナは慌てて周囲を見回した。すると左側の先に生える、ひときわ太い幹の樹が目に飛び込んで来る。反射的にその大樹に向かって駆けた二人は、必然的に幹の前で間近に顔を合わせた。
「…」
一瞬、立ち止まって躊躇うノヴァルナとノア。そこへ、まるで天がそうしろと言わんばかりに雨脚をさらに強める。二人は否応なしに、一本の大樹の根元に押し込められる事になった。
降雨と同時に吹き出した風は勢いを増し、やがてはゴウゴウと唸りながら樹林の上っ面を波打たせ始める。立ち込めた黒い雲の間からは紫色の稲光が走り、雷鳴が轟いた。この未知の惑星ではどういう扱いなのかは分からないが、ノヴァルナの住む惑星ラゴンや、ノアの故郷の惑星バサラナルムでは“嵐”と呼ばれる、低気圧による急激な気象変化である。
時ならぬ嵐に一つの大樹の下で、ノアとの物理的距離を縮めなくてはならなくなったノヴァルナだが、気まずさが先行してさっさと幹の反対側へ回り込む。ただそちらは北側という事が原因なのであろうか枝ぶりが少々弱くなっており、この強い雨を大してしのげそうにない。
「げ…」
肩を落とすノヴァルナだが、そうかと言ってノアのいる反対側に戻るのはなおさら気まずく、仕方なく幹に背をもたれさせて立った。
ノヴァルナは今朝の濾過分析器を、再びサバイバルバッグの中から取り出して起動させ、今度はさらに折り畳み傘のようなものを出して開く。すると開いたそれは真ん中に8センチ程のパイプが付いていた。
その開いた傘を、通常とは反対向きにその先を濾過分析器の上側の穴に差し込むと、押し出されるように分析器の下側からもパイプが伸び出た。
二つを組み合わせたそれの下側から出たパイプを、水筒の口に突っ込んだノヴァルナが雨の中に駆け出し、枝葉が少なく、雨が多く降り込んでいる場所にそれを置く。簡易式の濾過機能付き天水桶であり、濾過分析器のもう一つの使用法だ。大樹の根元に逃げ戻ったノヴァルナは、濡れた頭髪を右手でグシャグシャと掻きはらい、雨水をまき散らした。
行く手を遮る葉を、猛烈に叩く雨の勢いは一向に衰えず、雷鳴と稲妻が繰り返しては暗雲を切り裂く。ふとノアの様子が気にかかって背後を振り向くが、大樹の太い幹越しでは知り得るべくもない。
“なんだろな………”
やはりどうにも自分らしくないと、ノヴァルナは内心で首を傾げた。無論、ノアに対してだ。
いつもの自分なら相手の男女を問わず、自分のペースで行動して我を通そうとするのに、ノアに対しては変に気を回そうとしてしまう。引け目があるわけではなく、むしろ自分自身でも煩わしいと思っているのにである。
この豪雨で大樹の下に駆け込んだ時もそうだ。自分から相手の―――ノアの元を離れるなど、普段の自分では絶対に取らない行動だった。
ノヴァルナは少し先に置いた簡易天水桶を見詰めたまま自問自答した。
“なんで自分の方から離れた?”
“アイツの目を見て、嫌がってそうだったから”
“これまでそんな事、わざと気に留めなかっただろが?”
“知らねーよ…”
▶#11につづく
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