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第19話:血と鋼と
#04
しおりを挟むミ・ガーワ宙域とトーミ宙域の国境付近に進出した、イマーガラ軍第2宇宙艦隊の旗艦『ギョウガク』が星の海の中に浮かぶ。
ここ最近、『ギョウガク』はこの位置に停泊したままだった。そして艦内に幾つか設けられている医療区画の中の一つでは、病室のベッドで上体を起こしている筆頭家老、セッサーラ=タンゲンの姿がある。龍のようなその顔には明らかに衰弱の影があるものの、目の前に立つ家臣、シェイヤ=サヒナンの通信ホログラムを見詰める眼光は鋭い。
タンゲンはホログラムのシェイヤが行う報告に耳を傾けるうちに、一つ「うぬぅ…」と唸り声を漏らした。シェイヤの報告は二日前に実行された、ヒディラス・ダン=ウォーダの暗殺についてである。その結果にタンゲンは満足していなかったのだ。
「大うつけめ、生き延びおったか…」
そう呟いた直後、タンゲンは激しく咳き込んだ。ここ数か月の体調の異変がSCVID(劇変病原体性免疫不全)によるものだと判明したものの、病状はすでに手遅れとなっており、もはや残された日々はそう多くない。
そのような中で、タンゲンが生命の残り火を燃やし尽くしてまで果たそうとしているのは、温厚で純朴すぎるイマーガラ家次期当主ザネル・ギョヴ=イマーガラにとり、最大の障害となるであろうナグヤ=ウォーダ家を排除、もしくは無害化する事であった。
特にナグヤ家次期当主ノヴァルナ・ダン=ウォーダの抹殺は、タンゲンにとって最後の絶対使命となっている。ノヴァルナが秘めた戦略眼と苛烈ともいえる決断力は、いずれザネルが治めるイマーガラの領域を、窮地に追いやるに違いなかったからだ。そもそも今回のヒディラスの暗殺も、第一目標はノヴァルナだったのである。
それが当のノヴァルナが不在で、第二目標のヒディラスの暗殺となったのだが、さらにノヴァルナは、ミノネリラ宙域星大名サイドゥ家内のタンゲンの協力者、ギルターツ=サイドゥが用意した刺客をも退けてしまった。ギルターツの本来の目的はノア姫の暗殺だったのであるが、どうせならばノヴァルナと会う機会を狙って、二人まとめて始末しようと企んでいたのだ。
期せずして二重の罠となった形だったが、ノヴァルナはその両方を掻い潜り、そのうえラゴンから緊急発進した直轄戦力の第2宇宙艦隊と合流したという。強運と言えば強運だが、それ以上にノヴァルナの即応能力に驚かされる。
ホログラムのシェイヤは背筋を伸ばした姿勢で報告を続けた。
「この事態に対しオガヴェイ殿は、ヤーベングルツ殿にナグヤ第2宇宙艦隊の撃破を要請され、ヤーベングルツ殿もご承諾。モルザン星系占領を目的に発進した艦隊を、そのままオ・ワーリ=シーモア星系へ向けられました。また、ナグヤ第2宇宙艦隊を追う形で発進した、キオ・スー家の艦隊はそのまま宇宙要塞の一つに駐留。ノヴァルナのラゴン帰還を阻止する態勢に入っております。この二つの部隊が上手く連携出来れば、ノヴァルナの艦隊を挟撃する事も可能かと思われます…」
今回のヤーベングルツ家の一連の行動に協力しているのは、イマーガラ家の重臣にして第5艦隊司令を兼ねるモルトス=オガヴェイである。
オガヴェイは先日ナグヤ=ウォーダ家より奪還したミ・ガーワ宙域のアージョン宇宙城から、ヤーベングルツ家の領地のナルミラ星系に移動し、外征に出たヤーベングルツ艦隊の代わりに星系の防衛を担っていた。シェイヤ=サヒナンはミ・ガーワ宙域のトクルガル家本拠地オルガザルキ城におり、その中継役となっていたのだ、
ノヴァルナ・ダン=ウォーダが艦隊戦力を手にしてしまった以上、それを上回る戦力で対抗するしかない。
ウォーダ家内のイマーガラ家への同調勢力としては、クーデターに成功したカダールのイル・ワークラン=ウォーダ家も存在するが、こちらはいまだ政権の完全掌握が済んでおらず、オガヴェイが要請しても動きはしないはずである。そうであれば、イマーガラ家への寝返りを決めたヤーベングルツ家の“本気”を試す良い機会でもあった。
急いで判断し、手配したと思われるが、オガヴェイの要請は正しい…とタンゲンは評価した。ヤーベングルツ家はヴァルツ=ウォーダの領有する、経済力の高いモルザン星系を欲しがっており、ノヴァルナを倒してカルツェをナグヤの当主に据えれば、もはや艦隊戦力を有してイマーガラ家に敵対するウォーダの一族は、ヴァルツぐらいのものだ。
“あの大うつけさえ討てれば、星系の一つや二つ、くれてやってよい”
そう思うタンゲンだが、一方でヒディラスの急死に動じず、即座にノヴァルナの元へ直轄艦隊を送ったナグヤの家臣達への評価も忘れない。
“後見人のセルシュ殿あたりであろうか。よく主君に尽くす忠義者よ…しかし艦隊出動が早すぎる…これは、キオ・スーから情報が漏れたのかも知れんな”
ウォーダ家は旧宗家シヴァ家の家臣から成り上がって急激に大きくなった星大名で、そのせいか内紛が絶えない。ノヴァルナのナグヤ家でもノヴァルナの次期当主に反対する者達との間で分裂状態にあり、総宗家のイル・ワークラン家では、次期当主の座を巡ってクローン猶子のカダールがクーデターに成功したばかりだ。残るキオ・スー家でも実権は筆頭家老のダイ・ゼン=サーガイが握っている状況で、どのような不満分子がいてもおかしくはない。
“まあよい。それもあの大うつけさえ亡き者にすれば、残るウォーダに大望を抱ける器を持つ者は居なくなる…誰が生き残ろうと同じ事よ”
そう自分に語った直後、タンゲンの胸を激痛が締め付け始めた。SCVIDに侵された心臓の発作だった。血走った両眼を見開いたタンゲンは胸を押さえつけ、「ぐ!…むぅ」と歯を食いしばって前屈みになる。
その状況は直ちに医療センサーが捉え、心筋の動きを調整するビームが前屈みになった背中に照射され始めた。呼吸困難を回避しようとする体が激しく咳き込む。そこで病室の扉が開き、二人の医療用アンドロイドが入って来て、タンゲンの首筋に浸透注射を行う。
傍らではシェイヤ=サヒナンのホログラムが一人で報告を続けており、誰も見ていない中で一人で頭を下げ、報告を終えて消え去った。
ようやく激痛が治まり、肩で息をしながら胸を鷲掴みにするタンゲンは、頭を上げて虚空を見詰め、掠れた声で呟く。
「まだだ…」
ノヴァルナ・ダン=ウォーダの死亡の報告を自分の耳で聞くまでは、この体が九分九厘朽ち果てても死に切れるものではなかった。この手を血に染めて作り上げたイマーガラ家と主君ギィゲルト、そして孫同然のザネルの安寧のために、ノヴァルナだけは殺しておかなければならないのだ。
そう、七年前のあの日、利発な少年が言い放ったひと言を聞いた時から―――
「なぁんだ。おまえ達みんな、なにも今と変える気はないんだな!」
新たな星帥皇がその座に就いた日、皇都キヨウの宮殿で居並ぶ星大名達を前に、小さな胸を大きく反らしてそう告げた、十歳の少年の澄んだ瞳は虹色に輝いて見えた。少年の瞳の輝きはぞっとするほど美しく、同時に遠望神慮のタンゲンをして、頬を死神の手に撫でられたように感じさせたのだ。
その少年こそオ・ワーリ宙域の星大名、ナグヤ=ウォーダ家の嫡男だったのである。
今の星大名達の限界をひと言で言い切ったその少年は、取り押さえようとする父親や後見人の手をすり抜け、「アッハハハ!」と明るい笑い声を残して逃げて行った。
その場に居合わせた星大名達は、やれやれ…といった表情で苦笑いの顔を見合わせたものだが、自分を含めた数名だけは、その少年がこの先巻き起こすであろう“風”を感じたのだ。しかもやがて、立ち塞がるものを全て吹き飛ばして行くほど強くなるであろう“新たな、そして危険な風”………
それを感じ取ったがゆえに、タンゲンはノヴァルナの初陣で占領を目指した、植民惑星キイラの住民およそ五十万人を焼き殺し、まだ十五歳の多感な少年に、一生引きずるような精神的ダメージを与えて捕らえようとしたのである。
ところがそのタンゲンの仕掛けた罠が、ノヴァルナに“生きる事と死ぬ事の儚さ”を悟らせ、才能の覚醒を促してしまった。自らの苦悩や葛藤、そして運命までも蹴り飛ばし、高笑いとともに、捕獲を企図して取り囲んだイマーガラ家のBSI部隊を、BSHO単機で全滅させたのだ。奇しくもその才能を恐れたタンゲンが、自分の手によって稀代の怪物を作り上げたのである。
なればこそ、あ奴はわしの手で始末せねばならぬ―――
呼吸が落ち着いたタンゲンは、医療用アンドロイド達を下がらせ、艦橋とのインターコム回線を開く。そして応答して来た参謀に命令を告げた。
「艦隊をアージョン宇宙城へ移動させよ。ヤーベングルツ家の作戦の後詰めに回る」
「了解致しました」
参謀は短く応えて通信を切る。タンゲンは自分の体の状態をモニターしているスクリーンに目を遣った。体温は通常より六度高い。そして呼吸は…すでに生体ユニットが埋め込まれ、機能を補助しなければならなくなっている。もはやこの外征を生きて帰る事は出来ないだろう。
そもそもタンゲンがこの何もない星域にいるのは、次期当主ザネル・ギョヴ=イマーガラを気遣っての行動だった。純朴なザネルはタンゲンを祖父のように慕っており、そのタンゲンが不治の病で死を間近にしていると知れば、どれほど嘆き悲しむか知れない。そこでタンゲンはザネルには病が回復したと偽って、宇宙へ出たのである。
“どうか、お健やかに…”
窓の外を流れ始める星の海を眺め、東洋の龍に似た頭のタンゲンは、自分が唯一人の心を預けておける存在に、穏やかな目で別れを告げた………
▶#05につづく
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