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第17話:道と絆と
#03
しおりを挟む反重力バイクのシートに跨ったノヴァルナが、惑星ラゴンの青い空を駆け上がって行く『クーギス党』のシャトルを見上げていた頃、ミノネリラ宙域のサイドゥ家本拠地、惑星バサラナルムでは、イナヴァーザン城のテラスで紅茶を飲む当主ドゥ・ザンの元を、娘のノアが訪れようとしていた。
淡いオレンジ色のブラウスに白いスリムパンツといった、庶民的な出で立ちのノアは、窓際の長い廊下を歩く自分の前を、一羽の揚羽蝶が舞っているのに気付いた。何処からか迷い込んで来たらしいそれは、テラスへ向かうノアを道案内するかのように、先へ先へと飛んで行く。
揚羽蝶はあのひとの家紋―――
ナグヤ=ウォーダの家紋…ノヴァルナが着ていたパイロットスーツの、ノヴァルナが操縦していたBSHOの、左肩に描かれていた『流星揚羽蝶』を思い起こしたノアは、自分の前を飛んで行く揚羽蝶に、微かな笑みと共に小さく囁き掛けた。
「―――きみも、先へ先へ行きたがるんだね…」
やがてノアは、ドゥ・ザンがティーカップを片手に、向かい側の椅子に立てかけた一枚の絵画を眺めているテラスへと着く。大理石の古風なテラスは、周囲の植え込みの新緑によって一層引き立てられていた。
「お父様…お呼びでしょうか?」
ノアは背もたれに上体を預けた父、ドゥ・ザンの後ろ姿に声を掛けた。するとドゥ・ザンはノアに振り向きもせず、眼前の絵画を眺めたままゆっくりと口を開く。
「絵というものは光の当たり具合や、光の種類によって表情が変わるものよ…」
ノアはドゥ・ザンの脇を通り過ぎ、テーブルの斜め右に置かれたもう一つの椅子に腰を下ろした。父が眺めている絵画は、皇都惑星キヨウの春の田園風景を描いた古い油彩で、それを飾る額も、瀟洒な彫刻が施された格調の高いものだ。
「皇国暦一〇一〇年代…サンナ=バシュルスの作ですか?」
娘の鑑定眼に満足そうに頷いたドゥ・ザンは、「キヨウの貧乏貴族が競売に出していた物だ」と応じ、カップを口に運んで残りの紅茶を飲み干して続ける。
「成り上がり者のわしには、こういった物の価値は、金額でしか判断出来ぬ。この紅茶の香りと味もな…だがおまえには、星大名の娘として相応しい教育を施して来た」
「はい。それについては深く感謝しております」
ノアはそう応じながらも、心の中でもう一人の自分が、嫌な予感を告げているのを感じ取った。
するとドゥ・ザンは、僅かに苦みの成分を加えた笑みで、ノアに振り向いて尋ねる。
「そろそろ…頭は冷えたかの?」
「!………」
頭の回転の速いノアは、即座に父親の言葉の意味を理解した。父親が言っているのは、三週間前にモルザン星系会戦でぶち上げた、ノヴァルナとの婚約発表の件だ。そしてそれについて何が言いたいかも分かる。しかしノアは敢えてとぼけてみせた。
「頭が冷えた…とは、何のお話ですか?」
それに対しドゥ・ザンは、“分かっておって…”とばかりに鼻を鳴らし、ポットから代わりの紅茶をカップに注いで、さらにノアの前のカップにも注いでやりながら、面倒臭げに娘に説く。
「離れ離れになって三週間。そろそろ冷静な目で、あのナグヤの大うつけを見られるようになったか?…と申しているのだ」
「私の夫となるお方を、大うつけはお止め下さい」
控え目だがきっぱりとしたノアの口調に、ドゥ・ザンは眉をひそめた。娘が見せた反応を納得していない様子である。
「おまえの報告が全て事実だとして、ひと月近くも、あの大うつけと危機的状況を共にしておれば、自然とそういった仲にもなろう。おまえ達がそういった感情もあって、あのような宣言を行った事も理解しておる―――」
ノアは紅茶を口に含み、香りと共に味を楽しみながら、父の言葉を静かに聞く。
「―――わしとてそこまで朴訥《ぼくとつ》ではないからの…だが、おまえなら大局を見て、いずれ我がサイドゥ家にとって最良の選択を為す、冷静な判断力を持っておるはず。それがわしのおまえへの評価であるが、見立て違いと申すか?」
それに対して、ノアはカップをテーブル上の受け皿に戻し、ゆっくりと尋ねた。
「いいえ。見立て違いではありません。それで?…お父様は私にどのようにしろ、と仰せなのでしょうか?」
そこでドゥ・ザンは兼ねてから考えていた、ノアを元のミノネリラ宙域星大名トキ家の次期当主、リュージュ=トキと政略結婚させる案を告白する。サイドゥ家が旧宗主のトキ家と一つになる事で国内外の不満と批判を抑え、国政の安定を図りたいという意図だ。
「では、私とノヴァルナ様の婚約は?」とノア。
「無論、破棄じゃ」
ドゥ・ザンが素っ気なく言い捨てると、ノアはわざとらしく間を置いて尋ねる。
「破棄…にございますか?」
「さよう。破棄じゃ」
事も無げに繰り返したドゥ・ザンに対し、ノアは再び間を置き、テラスを囲む手摺の上で羽を休めている、先程の揚羽蝶に目を遣った。そしてそれが羽ばたき、飛び去って行くのを見送ると、幾分強い口調で父親の言葉を拒んだ。
「私《わたくし》、嫌にごさいます」
「なに?」
思いも寄らぬ娘の言葉に、ドゥ・ザンはピクリと眉を吊り上げる。
「私が添い遂げるは、ノヴァルナ様ただ御一人…そう決めてございます」
ノアが持ち前の気の強さを発揮してそう続けると、娘の性格を理解しているドゥ・ザンは、話がこじれるのを察して眉間の皺が深くなった。
「これはまたおかしな事を…今しがた、おまえに対するわしの見立てを、自分で“間違いない”と申したのではないのか?」
「申しました。ですから、ノヴァルナ様との婚約を決めたのです」
「むぅ…」
怪しくなる会話の雲行きに、ドゥ・ザンは小さく呻いて問い質す。
「大うつけとの婚約発表を否定せなんだは、あの場を凌ぐための方便。我等の今後を考えれば、ナグヤ家などよりトキ家…それが分からぬおまえではあるまい?」
「分かりません」
「ぬ!…」視線を厳しくして、ドゥ・ザンは娘を見据えた。
「………」唇を真一文字にして見詰め返すノア。
「おまえは…わしの方が間違っていると申すか?」
「そうです」
「どう間違っておる?」
「サイドゥ家はナグヤ=ウォーダ家と共にあってこそ、栄えるのです」
ノアが言い切ると、ドゥ・ザンは「たわけた事を!」と一笑に付した。そしてノアの目を覗き込むようにして問う。
「おまえ、あの大うつけに抱かれでもしたか?」
自分の父親にそのようにあからさまに尋ねられ、微かにたじろぎを見せはしたが、ノアは真顔で「いいえ」と答えた。思いの外かたくなな娘の態度に、ドゥ・ザンもつい、聡明な我が娘も女としての情に盲目となったか…と思ったのだろう。
「ノヴァルナ様は、お父様や世間様が思われているような方ではありません」
ノアがさらに続けると、ドゥ・ザンは「カッカッカッ…」と笑い声を上げた。そしていよいよ馬鹿馬鹿しくなったらしく、呆れたように言い放つ。
「このように、たわけた振る舞いばかりしておる者をか?」
そう言ってドゥ・ザンはが軽く右手を振るとテーブルの上に、ノヴァルナの姿を映し出したNNLの映像ホログラムが浮かんだ。
▶#04につづく
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