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第16.5話:動く星、佇む星
#02
しおりを挟む皇国暦1555年10月に、オ・ワーリ宙域モルザン星系外縁部で生起した、ナグヤ=ウォーダ家とサイドゥ家、そしてイマーガラ家による戦闘は、それぞれの星大名にとって少なからず影響を残した。
中でも大きな変動があったのが、領域に侵攻を受けたウォーダ家である。
イル・ワークラン家、キオ・スー家、ナグヤ=ウォーダ家が完全に分裂状態に陥り、特にこの侵攻に乗じてナグヤ家の勢力を削ぐ事を画策し、ナグヤ家の直轄領地であるヤディル大陸に水陸両用部隊を派遣までしたキオ・スー家と、それを撃退したナグヤ家との間は完全に敵対関係となり、惑星ラゴンはいつ内乱が起きてもおかしくない状況だ。
そしてウォーダの総宗家であるイル・ワークラン家でも、サイドゥ家への迎撃戦中に、当主ヤズル・イセスの長男カダールが謹慎を破り、反ヤズル派の重臣達の支持を受けて、謀叛を起こした。
その謀叛はサイドゥ家迎撃戦に出陣していた、艦隊将兵の家族を人質にする事で成功、ヤズル・イセスに代わり、カダールがイル・ワークラン家当主の座に就くという波乱の結末を迎えたのである。
このような混乱した状況であるために、皇国暦1589年のムツルー宙域までトランスリープで飛ばされたというノヴァルナの話も、どの程度まで信用してよいか、詳しい聞き取りも、それに準じた領民への公式発表も行われず。やはりというか、日頃の行いというか、“ノヴァルナがノア姫を誘拐して身を隠していた”、“誘拐したノア姫を洗脳して無理矢理婚約させた”という、良からぬ噂ばかりが巷には流れている。
そんな中でもノヴァルナはナグヤ家の次期当主で、ナグヤ城の城主だけあって、なかなかに忙しい。一か月以上留守にしていたため、仕事が溜まりに溜まっていたのだ。
「これとこれと、それ。爺がやっといてくれ!」
執務机にこれでもかと浮かび上がる、無数の書類ホログラムにうんざりした表情で、ノヴァルナはその中の幾つかを指差し、傍らにいる後見人のセルシュ=ヒ・ラティオに言い放った。だがセルシュはきっぱりとそれを拒否する。
「なりません! 若ご自身でお目を通して、ご決裁して頂かねば」
「いーじゃねーか。指差したの、大した内容じゃねーし」
「なりません!」
ふてくされた表情でホログラムに指先で触れ、城主の指紋認証を書類ホログラムの一つに与えるノヴァルナ。
「なぁ、爺」
「なんでございましょう?」
「このホログラム。ずらして十枚重ねて、十本の指でまとめて承認印を与えても…」
「なりません!」
「ちぇえ。なんだ爺は、さっきから“なりません”ばっか。いっそ名前も“なりま・せんぞう”になったらどうだ?」
「お断りします」
「いや。だからそこは、“なりません”て言おーぜ!」
それは馬鹿馬鹿しいやり取りであったが、ノヴァルナもセルシュも、また日常が帰って来たという実感を得る瞬間でもあった。
ただその一方で、今のノヴァルナは物足りなさも感じる。ほんの二週間前まで、いつも傍らに感じていたノアの存在が、今は無いからだ。
出逢いは最悪…未開惑星での二日間は苛立たしいだけの女…それが傍にいるのが当たり前の女になり、惑星アデロンでオーク=オーガーに奪われた時は、胸をかきむしりたくなる程の焦燥を覚え、自分の命と引き換えにしても取り返したいと感じた………
そして今は―――
ノアは婚約者であってナグヤ家の人質ではない。であるから、ノアがミノネリラのサイドゥ家に帰るのも当然の成り行きである。そしてノヴァルナの父ヒディラスも、ノアの父ドゥ・ザンも表立っては、戦場のど真ん中でぶちかました二人の結婚宣言に、反対はしていなかった。ノアと連絡を取り合うのも止められてはいない。
だが今のノヴァルナには内心、ノアをオーク=オーガーにさらわれた時と似た焦燥感がくすぶっていた。両家ともその結婚宣言を危機的状況の回避のための、方便と考えているのは察するところだからだ。
書類ホログラムに承認印を与えるために伸ばした自分の指に目をとめ、ノヴァルナはあの時ノアに言った言葉を思い出した。手の平を返し指を軽く握る。
“おまえはもう、二度と俺の手を離すんじゃねぇ!!”
ノアがあの時、手を離した理由はノヴァルナを助けるためだ…それはノヴァルナ自身も分かっている。
“それでも俺のために手を離すってんなら、俺はその手をもう一度握ってやるさ…”
自分の手を見ながら胸の内でそう呟いたノヴァルナに、セルシュが声を掛ける。
「いかがなされましたか?」
ノヴァルナが「いんや、別に」と言葉を濁した直後、インターホンが電子音声で来訪者を告げる。
「トゥ・シェイ=マーディン殿が見えられました」
「おう、待ってたぜ。入れ」
ノヴァルナがそう応じると、執務室の扉が開き、長身の美丈夫が入って来た。ノヴァルナの親衛隊『ホロウシュ』筆頭の、トゥ・シェイ=マーディンである。
「殿下」
マーディンはノヴァルナの前に進み出ると、軽くはあるが恭しさを感じさせる会釈をした。ノヴァルナは机の上に大量に浮かべていた書類ホログラムを、腕をひと振りして消し去ると、セルシュに目配せする。セルシュはきちんと頭を下げ、執務室から立ち去った。
マーディンと二人になると、ノヴァルナは座ったままで「うーん」と背伸びをし、椅子の背もたれにだらりと上体を預ける。
「ちょうど書類の山にうんざりしてたとこだ。いいタイミングだぜ、マーディン」
相も変らぬ主君の態度に、マーディンは苦笑いを浮かべた。二週間前、フルンタール城を襲撃して来た、ダイ・ゼン=サーガイ率いるキオ・スー家の水陸両用部隊を撃退した直後に、ノヴァルナの生還を知り、その場で『ホロウシュ』全員が安堵のあまり、腰砕けに崩れた光景を思い出す。
「殿下が真面目に書類のご決裁とは、珍しいですな」
マーディンが感心して見せると、ノヴァルナは大袈裟に肩をすくめて言い放った。
「爺の奴、近頃ノアの名前を使うようになりやがってよぉ。“少しは真面目にして下さらないと、ノア姫様が恥をおかきになりまするぞ!”だとか、“そのような若を好かれた、ノア姫様がお可哀想と思われませぬか!”だとか、きたねーと思わねぇか?」
と、セルシュの堅物な口調を真似て不平を並べるノヴァルナに、マーディンの苦笑は大きくなる。ただそんな不平は並べても、誰かの名前を持ち出されて言う事を聞いているのは、以前のノヴァルナにはなかった変化だと気付いて驚いた。
いや、“変化”ではない…自分達『ホロウシュ』が知る、傍若無人を装う我等が主君の本質が、ノア姫の前では無防備になるのだろう。
ほとんどの人間が我等が主君お得意の、その場しのぎの悪ふざけの類いだと思ったノア姫との結婚宣言だが、たぶんこの二人にとっては大真面目な気持ちだったに違いない。
「まぁ、そいつは置いといて…だ」
ノヴァルナはそう言い捨てて、話を本題に移らせた。
「辞表は受け取った…望み通り、おまえはクビだ」
その言葉にマーディンは深く頭を下げた。
マーディンが辞表を出した理由は、ノヴァルナの三人のクローン猶子の保護を名目に、フルンタール城を占拠しようと目論んだ、キオ・スー家のダイ・ゼン=サーガイの部隊に対し、独断で『ホロウシュ』を指揮して出陣、これと交戦した事に対する責任であった。
キオ・スー家はイル・ワークラン家と並ぶウォーダ一族宗家の一つで、ナグヤ家の上位にあり、形骸化しているとは言え、ナグヤ家に対する指揮権を有している。つまり形の上では、ダイ・ゼンの部隊がフルンタール城を“警護”するのは正当な行動で、マーディンが指揮した『ホロウシュ』の妨害は、反逆行為にあたる。
「本来なら辞表どころか、軍法会議ものだがな。キオ・スーが事実上の敵になった以上、そいつはどうでもいい。だが軍には規律ってもんがある。そっちの方で、おまえはクビになるってわけだ」
「承知しております」
マーディンが硬い面持ちで応じると、ノヴァルナはそこでガラリと態度を変え、またいつもの砕けた調子に戻る。
「…とまぁ。コイツは建前だ」
「はあ?」
「おまえみてぇな有能なイケメンが、よその国にでも雇われちゃあ、大損失だからな」
「それはご心配に及びません。ナグヤを出る事になっても、私が忠誠を誓うお方はノヴァルナ殿下ただお一人にございます」
「おう、なら話が早い」
「?」
階段を一段飛ばしに駆け上がるような主君の物言いに、マーディンは話が飲み込めずに首を傾げた。するとノヴァルナはようやく意味の分かる言葉を告げる。
「おまえには、身分を隠して皇都に行ってもらう」
「!」
「モルタナねーさんには頼んである。『クーギス党』の船でヤヴァルト宙域まで送ってもらえ…向こうでカーズマルス=タ・キーガーと接触し、例の件の情報を集めろ」
「殿下が仰せになった、トランスリープに関わる謎の組織…ですね?」
「そういうこった!」
満足げに言ったノヴァルナは、不意に悪だくみをする人相に変わる。
「さぁて。んじゃ、俺もズラかるとするか」
「どこへ行かれるので?」
「爺がいなくなったこの隙に城を抜け出て、コイツを届けに行くのさぁ」
そう言ってノヴァルナが見せたのは、以前クローン猶子達に約束した『閃国戦隊ムシャレンジャー』の映像データ…今はもう会えぬ友人の、マーシャル=ダンティスから貰ったデータパックだった………
【第17話につづく】
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