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この朝をいつもの光景に

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「おはよう、良く眠れた?」

 マルガリータが屋敷に帰ってきた、次の朝。
 気合いの入ったアリーシアの仕事ぶりに感謝しながら、可愛く着飾ったマルガリータを一階の食堂で出迎える。
 見慣れない光景だからだろう。マルガリータが驚いた様に目を見開いて、ぱちぱちと瞬きをしているのを前に、苦笑が漏れる。

(これは、間違いなく俺のせいだな……)

 毎朝、マルガリータと朝の挨拶を交わしていたのはダリスだったはずだから、いつもと違う朝に驚くのも無理はない。

「おはようございます、ディアン」

 庭師だと疑われもしていなかった頃と同じように、白いシャツとズボンという屋敷の主人としては簡易すぎる格好で迎え入れたのは、マルガリータがディアンの事を、王子だから好きになってくれたわけではないと知っているからだ。
 それにいつも通りの格好の方が、新しい生活が始まったばかりで戸惑うことも多いはずのマルガリータからすれば、気が楽だろう。

 自分は黒を纏う不吉の王子だとマルガリータに明かすのが恐くて、ディアンが情けなくずっと逃げていたから、この屋敷内で何も隠し事なくマルガリータの前に立てる様になったのは、今日が初めてだ。
 これからは、一番にマルガリータに朝の挨拶をするのがディアンである様に、それこそがいつも通りの変わらない日常になる様にして行きたいと思っている。

 毎日謝罪をしていただろうダリスが、後ろに控えて澄ました顔をしているのが新鮮らしく、マルガリータの視線がディアンを飛び越えて、後ろに注がれているのが多少気にはなるが、今はこうしてマルガリータに朝の挨拶が出来ることを感謝すべきだろう。

(やっと、隠し事も偽りもないオブシディアンとして、マリーに会えたんだから)

「今日からは、俺も一緒に朝食を取ってもいいかな」
「もちろんです!」
「ありがとう。マリーは今日も可愛いね」

 スッと差し出した手に、何の戸惑いも無く手が重ねられる。
 それが嬉しくて、そのまま甲にキスを落としたら、マルガリータがびくっと肩を跳ねさせた。
 以前から思っていたが、マルガリータは異性との接触にあまり慣れていない様子だ。
 元伯爵令嬢という事もあり、エスコートされる態度にぎこちなさはないけれど、それ以外の接触となると途端に身体が固まる。

 ずっと恋心を温め続けて発酵寸前だったディアンと違って、マルガリータがディアンを気に留めてくれるようになったのは、恐らくつい最近の事だ。
 今まで恋人もいなかったとも聞くし、こういった触れ合いには慣れていないのかもしれない。

 誰の目にも届かない所に、いっそ閉じ込めてしまいたい。
 そう考えてしまう位に想いを拗らせているディアンにとっては、他人との触れ合いに慣れていない様子なのは願ってもないことだけれど、ディアンとのそれにも驚かれると少し傷付く。
 これから慣れてくれるのを期待して、続けて行くしかないが。

「きょ、恐縮です」
「そんなに畏まらないで」

 僅かな距離だけでも傍に居たくて、わざと朝食の場面では必要のない腰を抱く密着型のエスコートで席まで案内して、その正面にディアンも腰掛ける。
 マルガリータと一緒に過ごす、朝の食卓。それだけで空気が温かい。

 バルトとアルフが朝食を並べ、ディアンにはハンナが、マルガリータにはアリーシアが紅茶を淹れてくれる。
 メニューは、いつも通りマルガリータの好みに合わせるように言っておいた。
 ふわふわのパンと野菜を煮込んだスープがメインで、軽めのおかずが申し訳程度に添えられている。

(思っていたより質素だが、これで良いのか?)

 疑問に思って顔を上げると、「いただきます」という声と共に、マルガリータが幸せそうな顔で朝食を口に運んでいたので、大丈夫な様だ。
 ディアンは食事にあまり拘りが無いので、マルガリータが美味しそうに食事が出来ているのならばそれでいい。
 それにバルトの腕は確かだ。質素に思えても簡単なものだからこそ、味付け等に拘っている所もあるのだろう。

「今日は私に合わせて下さったみたいですけれど、ディアンはいつもどんな朝食を取っているのですか?」
「いつもは厨房で適当にバルトが作っている使用人達用の朝食を、横から摘まむ事が多いかな。ちゃんと皿に盛り付けられた食事は、久しぶりだ」
「……は?」
「生きて行く為の栄養素さえ取れれば、食事なんて何でもいいと思っていたけれど、マリーと一緒に食べると、とても美味しく感じられていいね」

 マルガリータが「ちょっと意味がわからない」と、本気で訴えて来ている目をしている。
 そして何故か助けを求めるように、マルガリータは給仕を終えて壁際に立っていたバルトに視線を移した。
 ディアンもマルガリータの視線を追いかけてバルトを見ると、肩をすくめて大きく頷いている。
 ディアンの言葉を全面肯定しての行動だが、「やれやれ」とでも言い出しそうな顔をしているのは何故だろう。

「待ってディアン。いえ、確かに一人で食べるよりも誰かと一緒にする食事の方が美味しく感じるのは、確かにわかるのだけど……朝食が美味しいのは、バルトさんが腕を磨いて心を込めて作ってくれているからです。ディアンはこの素晴らしさを、ちゃんと理解している?」
「マリー、なんだか顔が恐いよ? どうしたんだ?」
「嬢ちゃん、よくぞ言ってくれた! 是非とももっと言ってやってくれ。旦那様は食えれば何でも良いと思っているから、凝った料理の一つも作らせてくれねぇし、盛り付けの必要性も理解してねぇ。嬢ちゃんみたいに美味そうに食ってる所なんて、見たこともない。張り合いがないって言うレベルじゃないんだ」
「本当に?」
「本当でございますよ。旦那様はこの屋敷に移られてから、この食堂でお食事をなさった事など、無いに等しい」

 バルトの言葉を受けて、信じられないという瞳をしたマルガリータに冷静に言葉を返したのはダリスだ。
 心なしか、使用人達全員の表情が冷たい。
 むしろ食事の用意や後片付け等の必要もないし、少人数で忙しい使用人達の手を煩わせなくて良いと思っていたのだが、責められている雰囲気がひしひしと伝わってくる辺り、どうやらその認識は間違っていたようだ。

「なんて勿体ない!」
「マ、マリー?」
「確かに生命維持に必要なのは、栄養素だけなのかもしれません。置かれた環境的には、何でも良いから口に入れていかなければならない方々だって、この世界には沢山居るでしょう。それは私自身経験したことでもありますから、知っています」
「すまない、助けるのが……」
「ですが、幸いなことにディアンはそういう環境ではないのですから、食事はもっと楽しむべきです。これからはディアンに、バルトさんの作る料理の素晴らしさを、私が教えて差し上げますね!」

 奴隷に堕とされた時の経験を言っているのがわかって、自分の力のなさを苦々しく思いながら謝罪を乗せようとした言葉は、向かう相手であるマルガリータ自身によって、今の問題はそこではないのだとでも言う様に遮られる。
 一気に言葉を重ねられて微笑まれたら、もうディアンには頷くしか選択肢が無い。

「あ、あぁ……わかっ、た」
「バルトさん、ご協力頂けますか?」
「よしきた! 嬢ちゃんが協力してくれるのなら、百人力だ。すぐにでも旦那様を唸らせてやる」
「あ、でも食料が無駄になるようなやり方は駄目ですよ。食材に頼らなくてもバルトさんの腕なら問題ないんですから、適量でお願いしますね」
「もちろんわかってるさ。期待には全力で応えてやるから、楽しみにしてろ」

 熱く視線を交わし合って、今後の食事のあり方について議論を始める二人に、当の本人であるディアンは置いてけぼりだ。

「マリーとバルトは、随分仲が良いのだな……」
「マルガリータ様は伯爵家で育ったとは思えない程に、良い意味で貴族らしい思考をお持ちではありません。我々使用人とかなり近い視点にいらっしゃるので驚きも多いですが、お考え自体は間違ってはおられないと存じます。バルトとは特に気が合いそうな思考を、お持ちではありますね」
「旦那様がもたもたしているから、バルトに先を越されるのですわ」

 面白くなさそうな顔が出ていたのだろう、ディアンの呟きは傍に居たダリスとハンナ夫妻の耳に入ったらしい。
 だが二人はディアンを慰めるどころか、呆れた声で追い打ちを掛けてくる。

「あ、でもマルガリータ様は、旦那様と庭園で話している時が、一番楽しそうでしたよ!」
「それに旦那様のブレンドされたお茶を、いつも嬉しそうに飲んでらっしゃいました!」

 しょんぼりと落ち込んでいくディアンを見かねて、年若いアルフとアリーシアまでもがそっと近寄って来て、慰めてくれる。
 だが、ディアンはマルガリータと年の近いこの二人こそ、気安く仲の良い確固たる関係を築いているのを知っていた。

「……ありがとう」

 慰めてくれている年下の二人に嫉妬するのは流石に大人げないというか、心が狭すぎると自分でもわかってはいるから礼を声に乗せたものの、表情は全く付いてきていない自覚はある。

「我々に嫉妬等していないで、今後はマルガリータ様と一緒の時間を、もっと過ごされるべきですね」
「そうする」

 ダリスを始め、この屋敷の使用人達はあまり主人の為に何でもすることが至上という態度では決してなく、落ち込んでいても甘やかしてはくれない。
 それはディアン自身が望んだことでもあったし、何より絶対的に味方でいてくれるのを知っているから問題はないのだが、わざわざとどめを刺す必要もないのではないだろうか。

 生まれてからずっと敵に囲まれて過ごしてきたディアンにとって、この屋敷の使用人達は唯一であり、信頼できる仲間だと思っている。
 だから彼らの言葉に嘘はない事も、厳しくてもディアンのためを想ってのものだと言う事も、わかっている。
 わかってはいるのだが、自分のせいだとわかっているからこそ傷付くという事もあるのだ。

 だが結局、使用人達の言葉は正しいので、特に食事のあり方は改めろと暗に言っているダリスの言葉に、素直に頷く事しか出来なかった。

 隠し事をしているのが後ろめたくて、助けられなかった自分が不甲斐なくて、この屋敷の主人オブシディアンとしてマルガリータと会う事を避けてきたのは、確かに自分自身で下した逃げという判断だった。
 何の説明も無く、自分の置かれている状況もわからず、知らない場所に連れて来られた状態のマルガリータに寄り添ってくれたのは、使用人達だ。
 どう考えても、現時点で分が悪いのはディアンの方だった。

 いくら幼い頃一緒に過ごした時間があるとは言え、それはほんの数年の事だ。
 あの頃はまだ、王宮が囚われの場所だったから頻繁に脱出することは難しく、そう頻繁に会えていたとは言い難い。
 しかも、まだ幼かったマルガリータからすれば、ディアンと過ごす時間など一瞬の出来事にしか感じられていなかっただろう。

 幼い頃「友人」だったディアンの事は覚えてくれていたようだったし、あの頃から共通の話題だったハーブを今もマルガリータが忘れず好きでいてくれた事は、繋がりを感じて嬉しく思う。
 けれどやはりディアンとマルガリータの間には、想いに大きな差があるような気もしていた。

 ディアンが正しくオーゼンハイム家の事情を理解して、怖がらずにマルガリータへ素直に自分の気持ちを全て伝えていれば、離れる事も婚約の申し出を断られる事もなく、婚約者としてずっと傍に居られたのかもしれない。
 ディアンの置かれている立場から考えると、マルガリータにとってはあまり望ましい相手ではなかったかもしれないけれど、そんな事を思わせる隙もなく愛せば良い事だと今ならわかるし、そうして行きたいと決心出来たからこそ告白に至ったのだ。

 だがもし、あの頃のディアンにその覚悟があったなら。
 マルガリータが学園でされた理不尽な仕打ちも、奴隷に堕とされるというあり得ない事態も、ディアンを庇って生死を彷徨うような傷を負うことも、全部がなかったのかもしれないと思うと、自己嫌悪はすぐに襲ってくる。

「ディアン、聞いていますか?」
「え、あ……あぁ、聞いている」
「本当に?」
「すまない……何だっただろうか」

 過去の過ちに囚われて、ぐるぐるとたらればを考え始めてしまう。
 マルガリータの呼びかける声で我に返ったが、その間に進んでいた話は耳をすり抜けていた。
 誤魔化すように頷いてみたものの、マルガリータにはすぐバレてしまったようで、じっと真っ直ぐに見つめてくる視線に耐えかねて素直に謝る。
 マルガリータは怒ることなく、むしろ心配そうに再度言葉を重ねてくれた。

「これからは、朝食だけではなく昼も夜も私と一緒に食事をして下さいますか? お忙しいのはわかっていますが、厨房にある物で済ませてしまうのではなく、バルトさんの作る料理をここで座って食べましょう」
「それが君の望みなら、喜んで」
「はい。必ずですよ」
「もちろんだ」

 これから先、マルガリータの望むことは全部叶えてあげるつもりではいるけれど、この提案はディアンにとっても願ってもない誘いである事に違いなく、断る理由はどこにも無い。
 大きく頷くと、マルガリータが嬉しそうに笑うから、ディアンも笑顔になる。

 昔からマルガリータの笑った顔を見るだけで、ディアンの荒んだ心は浄化される気がした。
 それだけマルガリータの表情一つには、大きな力がある。

「マリー、今日この後の時間を、俺が貰ってもいい?」
「もちろんです、それがディアンの望みなら」

 ディアンと全く同じ台詞を声に乗せられてぽかんとしていると、マルガリータはくすくすと可笑しそうに笑っていた。
 そしてようやく、マルガリータが「甘やかし過ぎです」と暗に告げているのと同時に、「それならこっちも甘やかしますよ」と宣言されていることに気付いた。

 マルガリータを甘やかすのがディアンの幸せでもあるのだから気にしなくても良いのに、マルガリータはディアンと同じだけの、いやそれ以上の優しさを返そうとしてくれる。

(敵わないな……)

 幼い頃からずっと、マルガリータは黒の呪いによって闇に犯されたディアンに、光をくれる天使だ。

「まだ、外へ連れ出してあげる準備は出来ていないんだが……良い天気だし、この後庭園でデートしないか?」

 あの日を、やり直させて欲しい。楽しい記憶に書き換えたい。
 ディアンのその思惑はしっかり伝わったようで、マルガリータは笑顔を崩すことなく頷いてくれた。

「嬉しいです。でも少しだけ、時間が欲しいのですが……」
「ゆっくり準備してくれて構わない。それなら、今日の昼食は庭園で……と言うのはどうかな?」
「素敵です。楽しみにしていますね」

 嬉しそうなマルガリータの返事に、使用人達へ向いていた嫉妬心はあっけなく霧散していく。我ながら単純だ。
 屋敷の主人であるオブシディアンとして、マルガリータと共に過ごす時間を作ることは出来なかったけれど、そのおかげでマルガリータがディアンを庭師だと勘違いしてくれて、毎日会えていたのも事実だ。

 その時見せてくれていた表情は、使用人達へ向けられる信頼のそれと同じだったかもしれない。
 けれど、今ディアンに見せてくれているのはそれとは違う親愛によるものだと、マルガリータはわかりやすく示してくれている。

(ちゃんとマルガリータは、俺を特別にしてくれている)

「俺も楽しみだ」

 食事も終わっていたので立ち上がってマルガリータの傍へ行き、額にキスを落とす。
 吃驚したように目を見開いたマルガリータに、「ゆっくりしておいで」と目を細めて声を掛け、ディアンはダリスを伴って執務室へと足を向けた。
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