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和平の良案

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「そっかそっか。じゃあ僕が確認すべき事は、一つだけかな。ナティスは今、幸せかい?」
「はい。とても幸せです」
「わかった」
『何の騒ぎだ』

 はっきりと即答したナティスに満足した様子で、ヴァルターが再びナティスをぎゅっと抱きしめたのと、廊下側から低い声が響いてきたのは、ほぼ同時だった。
 ヴァルターの胸の中から、首だけをその聞き慣れた声のした方向へと向けると、抱き合うナティスとヴァルターの姿を見つけたロイトが、現状を把握出来ない様子でビシリと固まっている。

(驚いた時に思わず固まってしまうのは、ロイトも一緒なのね)

 先程、ヴァルターの姿を捉えたナティスと全く同じ反応を見せるロイトが、少し可笑しい。魔王の威厳というものが、どこにも感じられない。
 くすりと笑って、ロイトに声を掛けようとしたナティスの言葉を遮ったのは、ヴァルターだった。

「やぁ、魔王殿。先程ぶりだね」

 ロイトの元へと行こうとするのを阻止するかの様に、ヴァルターは何故かナティスを抱きしめる腕を解くどころか、更にぎゅっと力を込める。
 ヴァルターの気軽な声に、もしかしてもう随分仲良くなったのだろうかとナティスが暢気に考えていたら、 口イトが表情を凍り付かせたまま、 ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来た。

「勇者、貴様……」
「ロイ……」
「ねぇ、魔王殿。勇者と魔王の協力関係を示す方法について、凄く良い案を思いついたんだけど、聞いてくれるかな?」

 怒りに満ちた声色に、ロイトがナティスとヴァルターの関係を、誤解しているのだと気付く。
 ロイトのただならぬ様子に、思わず仲裁に入ろうとしたナティスの言葉を再び封じ、まるで仲睦まじさを見せつける様な挑発をしながら、ヴァルターがあっけらかんと提案する。

 ヴァルターは、領主として長い間人々に慕われてきた。
 今、勇者という立場に居るのも、きっと沢山の働きかけで協力関係を結んだ人々から、信頼を得ているからこそだろう。

 決して、空気の読めない人ではない。
 それなのに、何故かヴァルターはわざとロイトの神経を逆撫でしている様に見えて、ナティスは首を傾げるばかりだ。

「貴様、殺されたいのか?」
「物騒だなぁ。でも今僕を殺してしまったら、きっと魔王殿はその長い一生を、ずっと後悔して過ごす事になると思うな」
「ようやく見えかけた人間との和平の道が断たれるのは不本意だが、また機会が巡って来る事もあるだろう。心配は不要だ」
「そうじゃないよ」

 本当にヴァルターを殺してしまいそうな勢いで睨み付けてくるロイトは、この話し合い自体を無かった事にしてまで、ナティスを取り戻す方が大事だと暗に語っている。

「ロ、ロイト!」

 何故ロイトがそこまで不安を感じてしまっているのかが不思議で、一度きちんと説明しなくてはと声を上げようとしたナティスの唇を、ヴァルターが「しーっ」と黙ることを指示する様に、人差し指でそっと押さえる。

「ナティス、もうちょっとだけ黙っていて」
「…………え?」

 内緒話をするようにヴァルターがナティスの耳元で語りかけた瞬間、ロイトの怒りで魔力が大きく膨らむ。
 普通の人間には耐えがたい威圧感であるにも関わらず、ヴァルターは怯むどころか満足そうだ。

「魔王殿と勇者の妹が、結婚する。っていうのはどうかな?」
「ふざけた事を。俺はもう、生贄を受け入れるつもりはない」
「生贄じゃなくて、並び立つパートナーだよ。協力関係だけじゃなくてさ、和平の象徴にもなって、素敵だと思わない?」
「無理だ」
「魔王殿は、僕の妹では不満だって事?」
「勇者の妹が、という事ではない。俺にはもう、この先をずっと共に居たいと心に決めた人がいる。愛のない結婚を強いられるなら、生贄と同じだろう」
「聞き捨てならないな。つまり魔王殿は、ナティスを弄んでたって事かい?」

 ヴァルターの最後の言葉に、怒りで沸騰しかけていたロイトが思考を停止させたのが、端から見てもわかった。
 その表情を眺めているヴァルターは、完全にこの状況を楽しんでいる。

「…………は?」
「ん?」

 ハイドンに居た頃は、ナティスも恋愛どころではなかったので、近付いてくる男性を気にも留めていなかった。
 けれど思い返してみれば、いつもは誰にでも優しい兄が、ナティスに近付く者に対する品定めをする時だけは、かなり辛辣だった気がする。

 可笑しそうに笑いながらも、あの時と同じ目でロイトを見つめているヴァルターは、勇者や兄というよりは、娘を嫁に出す父親の様な風格だ。

「勇者の妹、とは」
「ここにいる、可愛いナティスの事だけど?」
「ナティスに兄弟はいないと、聞いているが……」
「血の繋がりが、そんなに大事かな?」

 ロイトや四魔天達は、ナティスの過去をナティス自身からしか聞いていない。

 リファナと、中庭の魔石を介して話したあの日。
 両親を亡くした事、リファナに拾われた事、ハイドンという小さな町の領主に引き取られた事は、セイルに丁寧に話したつもりだ。
 その報告を受けたロイトから、血の繋がった姉妹が居ないかという確認も、先日確かにされた。

 けれどナティス自身が、勇者はヴァルターであると知らなかったのだ。
 兄妹の様に育ったハイドンの領主が勇者であると、自分が勇者の妹だと、話す機会があるはずもない。
 「血の繋がった姉妹」がいるかいないかという問いには、否と答えるしかなかった。

 魔族は人間と違って、血筋によって身分が上下したりする事はない。
 元々、身分という制度自体がないも同然なのだ。
 ナティス本人から話を聞けばそれで充分で、素性をわざわざ調べる必要はなかったのだろうし、それで何かが変わる訳でもなかったからだろう。
 家族についての話は、それで終わっていた。

「つまり……?」

 そっと、ロイトからナティスへ視線が送られる。
 信じられないと疑いつつも、ヴァルターが嘘をついているようにも見えないのだろう。
 それはそうだ、真実なのだから。

 ヴァルターの胸の中でこくこくと頷くナティスに、ロイトの目が大きく見開かれる。
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