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優しい雨(永倉+原田)
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あの日は、もの凄く蒸し暑かった。
着込んだ鎖の胴衣だって、突入する時には結局は脱ぎ捨ててしまっていて、頭に巻いた鉢金からは汗が滴り落ち、目が沁みる。
むせ返るような熱気だった。
忘れようもない記憶。忘れたくても忘れられない温度。
こんな雨の日に、思い出す様な天候じゃなかったことは確実なのだけれど。
なのに毎年あの日から、まるで男達の涙を代弁するかの様に、この時期になると決まって降る雨に、思い出さずにはいられない。
「八っつぁん、何怖ぇ顔してんだ」
「……左之か。いや、今年もまた雨だな、と思ってよ」
着物を着ているんだか着ていないんだかわからない位にはだけさせて、団扇を手に自分の隣に座る原田を見る事もなく、灰色の空を見上げたまま呟く。
女にモテるこの色男が、それでいて男にもモテる理由は、気取らずありのままに表現するその豪快さと、人懐っこい性格に、兄貴肌気質の飾らない性格。
そして何より、仲間思いで決して裏切らないと信じられる、裏表のない所だろうと思う。
西本願寺に屯所を移して、組も大きくなった。
その分、大切な仲間もたくさん失ったけれど、ただ一人、こいつだけはきっとずっと側にいてくれる。
そんな風に思い始めたのは、いつ頃からだっただろう。
近藤や土方と、もし決別する時が来ても。原田だけは自分の味方でいてくれるような、そんな信頼がある。
だからこそきっと、自分も原田を裏切らない。
「今年も? 今日なんかあったっけ」
「祇園祭の宵宮だ」
「あぁ! もうそんな時期か……って、祭の日っていつも雨だったか?」
「だな。池田屋の日から毎年、この日は雨だ」
「そうだっけ? でもあの日は暑かったよなぁ、んであの頃が一番楽しかった! あーそろそろ暴れたいぜ」
「お前はいいな、単純で」
「なんだよ八っつぁん、人を馬鹿みたいに言ってくれちゃって。自分だって刀抜いたら、嬉しそうに突っ込んで行くくせに」
「うるせぇよ」
図星をつかれてすねたようにそっぽを向く永倉の背中を、ばんばん叩いて原田は豪快に笑う。
確かに、あの頃はまだいろんなことが不安定だったけれど、たくさんの可能性とやる気だけが満ち溢れていた。
その熱気だけで、どこまでもいけるような気がしていたものだ。
「ま、冷静な八っつぁんより、俺ぁ熱血八っつぁんの方が好きだぜ」
「それは褒めてねぇ」
「そっか?」
ものすごく褒めてんのになぁと、本気で首を傾げながらどさっと後ろに倒れて、原田は大の字に寝転がってしまう。
床が冷たくて気持ちいいのだと、原田は昔からなにかとどこででもごろっと転がっている。
多摩のぼろ道場で出会った頃から変わらない原田に、何度救われたことだろう。
だからだろうか、原田といる時にはつい本音がこぼれ出してしまうのは。
別に、どう言って欲しいわけでもない。
ただ聞いて欲しいだけの呟きを、原田は何でもない事の様に、ただ聞いていてくれるから。
「あの時の、血の海を。神様が洗い流してんのかもな」
あの時、京の都を火の海にしようとしていた浪士達の末路に、同情するつもりはない。
自分達の取った行動は、間違っていなかったと、今でも思う。
けれど、形や方法や目指す方向が違っていても。自分達の思うこの国を守りたいという思想が、あそこに集まっていた浪士達にもあったのは確かで。
わかりあえないもどかしさと、どんなにもがいても最後は刀しかない自分と、こうして灰色の空を見上げるだけの、この日に。
胸の奥が、もやもやとするのだ。
許して欲しいわけじゃないのに、毎年雨に責められている様で。
弱い自分を、見透かされている気分になる。
「よっし、じゃあ行くか」
「は? どこへだよ」
「もちろん、祭りに決まってんじゃねぇか。八っつぁんが言ったんだろ。今日は祭りだって」
「待て待て、俺は今そういう気分じゃねぇって話をしてたんだがな」
「何言ってんだ、そういう時こそ騒がねぇとだろ」
「左之……」
「なんかよくわかんねぇ事、うじうじ考えてっから怖ぇ顔になんだよ。ほら、行くぜ」
弾みをつけて飛び起きた原田に、そのまま腕を掴まれた。
そして雨の中、傘もささずに平然と飛び出していく原田を止められず、一緒に雨の下に足をつく。
だけど、どうしてだろう。
あんなに責められているように感じた雫は、原田の手を借りただけで温かく感じるのは。包み込まれるような優しさに変わるのは。
ただ見上げているだけなのと、触れてみるのでは世界は違って見える。
本能のままに行動できる原田を、羨ましく思うのは、きっとこういう時だ。
「ちょ、左之待てって。傘……」
「そんなのいらねぇだろ、どうせ濡れちまうって。早く」
「ガキみてぇな奴だな」
子供のようにはしゃく原田の姿に引っ張られるように、追いかける。
引っ張られていたはずのその足取りは、いつの間にか随分軽くなって、祭りを楽しむ気分になっている自分に気付いた。
(人の事は言えねぇな)
そう苦笑しながら、雨を肌に感じつつ原田と先を競うように屯所を飛び出した。
終
着込んだ鎖の胴衣だって、突入する時には結局は脱ぎ捨ててしまっていて、頭に巻いた鉢金からは汗が滴り落ち、目が沁みる。
むせ返るような熱気だった。
忘れようもない記憶。忘れたくても忘れられない温度。
こんな雨の日に、思い出す様な天候じゃなかったことは確実なのだけれど。
なのに毎年あの日から、まるで男達の涙を代弁するかの様に、この時期になると決まって降る雨に、思い出さずにはいられない。
「八っつぁん、何怖ぇ顔してんだ」
「……左之か。いや、今年もまた雨だな、と思ってよ」
着物を着ているんだか着ていないんだかわからない位にはだけさせて、団扇を手に自分の隣に座る原田を見る事もなく、灰色の空を見上げたまま呟く。
女にモテるこの色男が、それでいて男にもモテる理由は、気取らずありのままに表現するその豪快さと、人懐っこい性格に、兄貴肌気質の飾らない性格。
そして何より、仲間思いで決して裏切らないと信じられる、裏表のない所だろうと思う。
西本願寺に屯所を移して、組も大きくなった。
その分、大切な仲間もたくさん失ったけれど、ただ一人、こいつだけはきっとずっと側にいてくれる。
そんな風に思い始めたのは、いつ頃からだっただろう。
近藤や土方と、もし決別する時が来ても。原田だけは自分の味方でいてくれるような、そんな信頼がある。
だからこそきっと、自分も原田を裏切らない。
「今年も? 今日なんかあったっけ」
「祇園祭の宵宮だ」
「あぁ! もうそんな時期か……って、祭の日っていつも雨だったか?」
「だな。池田屋の日から毎年、この日は雨だ」
「そうだっけ? でもあの日は暑かったよなぁ、んであの頃が一番楽しかった! あーそろそろ暴れたいぜ」
「お前はいいな、単純で」
「なんだよ八っつぁん、人を馬鹿みたいに言ってくれちゃって。自分だって刀抜いたら、嬉しそうに突っ込んで行くくせに」
「うるせぇよ」
図星をつかれてすねたようにそっぽを向く永倉の背中を、ばんばん叩いて原田は豪快に笑う。
確かに、あの頃はまだいろんなことが不安定だったけれど、たくさんの可能性とやる気だけが満ち溢れていた。
その熱気だけで、どこまでもいけるような気がしていたものだ。
「ま、冷静な八っつぁんより、俺ぁ熱血八っつぁんの方が好きだぜ」
「それは褒めてねぇ」
「そっか?」
ものすごく褒めてんのになぁと、本気で首を傾げながらどさっと後ろに倒れて、原田は大の字に寝転がってしまう。
床が冷たくて気持ちいいのだと、原田は昔からなにかとどこででもごろっと転がっている。
多摩のぼろ道場で出会った頃から変わらない原田に、何度救われたことだろう。
だからだろうか、原田といる時にはつい本音がこぼれ出してしまうのは。
別に、どう言って欲しいわけでもない。
ただ聞いて欲しいだけの呟きを、原田は何でもない事の様に、ただ聞いていてくれるから。
「あの時の、血の海を。神様が洗い流してんのかもな」
あの時、京の都を火の海にしようとしていた浪士達の末路に、同情するつもりはない。
自分達の取った行動は、間違っていなかったと、今でも思う。
けれど、形や方法や目指す方向が違っていても。自分達の思うこの国を守りたいという思想が、あそこに集まっていた浪士達にもあったのは確かで。
わかりあえないもどかしさと、どんなにもがいても最後は刀しかない自分と、こうして灰色の空を見上げるだけの、この日に。
胸の奥が、もやもやとするのだ。
許して欲しいわけじゃないのに、毎年雨に責められている様で。
弱い自分を、見透かされている気分になる。
「よっし、じゃあ行くか」
「は? どこへだよ」
「もちろん、祭りに決まってんじゃねぇか。八っつぁんが言ったんだろ。今日は祭りだって」
「待て待て、俺は今そういう気分じゃねぇって話をしてたんだがな」
「何言ってんだ、そういう時こそ騒がねぇとだろ」
「左之……」
「なんかよくわかんねぇ事、うじうじ考えてっから怖ぇ顔になんだよ。ほら、行くぜ」
弾みをつけて飛び起きた原田に、そのまま腕を掴まれた。
そして雨の中、傘もささずに平然と飛び出していく原田を止められず、一緒に雨の下に足をつく。
だけど、どうしてだろう。
あんなに責められているように感じた雫は、原田の手を借りただけで温かく感じるのは。包み込まれるような優しさに変わるのは。
ただ見上げているだけなのと、触れてみるのでは世界は違って見える。
本能のままに行動できる原田を、羨ましく思うのは、きっとこういう時だ。
「ちょ、左之待てって。傘……」
「そんなのいらねぇだろ、どうせ濡れちまうって。早く」
「ガキみてぇな奴だな」
子供のようにはしゃく原田の姿に引っ張られるように、追いかける。
引っ張られていたはずのその足取りは、いつの間にか随分軽くなって、祭りを楽しむ気分になっている自分に気付いた。
(人の事は言えねぇな)
そう苦笑しながら、雨を肌に感じつつ原田と先を競うように屯所を飛び出した。
終
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