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絶賛人間不信中。されど奴は甘く囁く……胸やけ注意!
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信じていた相手に裏切られた恨みは簡単には消えてくれないらしい。
平和ボケした騎士団での生活で少しは薄れたと思っていたのに、いざ本人と再会してみればそんなことはなくて。
ただいま対人恐怖症が再発中な俺です。
あぁ、人間ってやっぱり怖い。何考えているのかまったくわかんない。
いくら爺さまに抱かれてるところを見たからって、じゃぁ俺もと考えるものか?
異性ならともかく、同性を複数で襲うなんてさ……うわ……思い出しかけて、また気持ち悪くなった。
ゆっくり歩かせてくれてるけど馬上が、まったく揺れないわけがなく。
揺れると本当に吐きそうだから口を手で覆い、服の胸元をにぎりしめてこらえた。
スウェンから逃げ出して闇雲に走り回ってたところをハイヤスに助けられた後、ずっと寒くてたまらない。
ハイヤスにくっついているのに歯が鳴るほど震える俺を見かねて、ハイヤスが自分の分と俺のマントをかけて包んでくれた。
怖くていまはだれも見たくないし、そばに近づけたくない。
ただひとり、ハイヤスを除いては。
その唯一にしがみついて離れない俺を抱えて、ハイヤスが馬を進めていく。
少し距離を置いてロイカたちが後に続いているけど、また無言の行進だ。
旧王都で助けだしてもらってから、俺は周りに迷惑ばっかりかけてる。
いや……よぉく考えたら、こっちに来てからずっと迷惑かけ通しだ。
災いを転じていると言われても、目に見えて効果がわかるもんじゃない。
人型をした災いを消滅させたって、ゲームみたいにお金に代わるわけでも、特別なアイテムになるわけでもないしさ。俺は何の役にも立ってないんじゃないかって思うんだよ。
何か、だれかの役に立ちたい欲求を満たせないってことは、どこにいても辛いもんだね。
「このまま行けば、明後日には騎士団に戻れそうですね」
沈黙を破ってロイカが穏やかに話しだした。
その声に思考を中断して目を上げる。館を出発した時はまだ明るかったのに、もうすぐ夕暮れが訪れそうな時間になっていた。
「そうだな。何事もなく帰りたいな」
ラインがロイカに答えた後で、野宿する場所を決めて馬を止める。
指示に従って全員が馬を降りた道の脇には、館の周辺と違って深い森が広がっていた。
影を色濃くした森の手前にある、平らな草地が今晩の寝床だ。
俺のせいで予定より早く出立するはめになっているんだから文句は言えないんだけど、夜空の下、身体ひとつで眠るこの状況は、いまの俺には心細い。
何か身を隠せる場所が欲しいんだよなぁ……密室とか、物に囲まれた空間に行きたい。
わがままだってわかってるから言いませんが。
相変わらず手際良く準備していく騎士団御一行サマ。もちろん俺除くで。
みんなはだれに指示されることもなく、各々で自分の役割を判断して動いていく。
これぞまさにチームプレーだね。騎士団員として普通なのか、ラインたちだから出来ることなのかわかんないけど、素直にすごいなぁと感心する。
ロイカがしなやかな指先をなめらかに動かして、あっという間に火を熾す。
そこに森の中へ入って行ったラインが水を汲んで戻ってきて、携帯食料を温めるエルに水を渡した。
火から少し距離を置いた場所にあった石のそばに俺を座らせて、ハイヤスがその間に獣避けだと言う粉薬をまいていた。
「皇帝側は今回の事件で、騎士団への手出しをあきらめて欲しいものです」
荷物から油紙に包んだ粉末を取りだしながら、ロイカが話し出した。
携帯用調理器に水を入れて火にかけていたエルが粉末を受け取って、調理器の中に入れながらロイカに答える。
「どうだろう。王政の名残りが一番色濃い場所だ。たとえ支配者が代わろうと、監視は続くと思う」
少し離れた場所にいた俺のところまで、香ばしい匂いが流れてきた。
「ユーザ自らが体を許した時と違って、許可なく手を出せばどうなるか。わかってもらえたと思ったのですけどね。残った王族は数少なく、私も今後は言いなりにはなりません。また痛い目にあうだけでしょうに」
「そうだが、抜け道を見つけるのが悪人だ。そして支配者と悪人は紙一重の違いだろ」
ラインが苦笑しながら締めくくったところで、エルが香ばしい匂いがするお湯を携帯コップに注ぎ入れた。それを片手に持って俺の方へ歩いてくる。
目の前に腰を下ろしたエルに、わかっていても一瞬だけ体が震えた。
エルもそれに気づいて、無表情が少し揺れた気がする。
「気持ちを穏やかにする薬草を入れた。少しずつでいいから飲め」
「……ありがとう、ございます」
俺が携帯コップを受け取ると、満足そうに頷いてエルが火のそばに戻る。
入れ代わりにハイヤスが歩いて来て、背後に座ると足を広げて、その間に俺を挟むように抱きしめてきた。
「少しは落ち着いた?」
「……はい」
スウェンから逃げ出した直後みたいな、恐慌状態からは抜け出せたと思う。
頷きながらコップの縁に口をつける。薬湯と距離があっても唇に伝わる温度は熱い。
ふぅ、と息を吹きつけてから舐めるように飲んでみた。
玄米茶の香ばしさがあるコーヒーみたいな味だった。特別美味しくないけど、ちょっとずつ飲んでいると確かに強張っていた体から力が適度に抜けていく。
寄りかかる俺を受け止めるハイヤスが頭を撫でてくる。
「また力を使いそうになって、びっくりしたんだよね」
「すみませんでした……また迷惑を……」
「キュカは悪くないよ。僕がロイカと相談して決めたことだから。もう少し早く助けに行く予定だったんだけど、ちょっと手間取って」
「相談? 何に手間取ったんですか?」
言いにくそうに口ごもるハイヤスを見上げると、しばらく火の方を見て悩んでから教えてくれた。
なぜか呼び方が元に戻っている。まぁ、それは後で聞いてみよう。
「キュカを苦しめている相手が村を失った後どうしているのか。気になったから調べてみたんだよ。そうしたら主犯格のあの男が、どうも変な動きをしていてね。少し隙を見せてみようと決めたんだ。あいつがキュカに手を出すつもりなら容赦なく殺すつもりだったし、動かないならそれに越したことはない」
「殺さないと……約束したはずなのに」
館に着く前に約束したことを、さっそく破るつもりかよ。
ハイヤスが肩を竦める。
「うん。だから半殺しで止めるつもりだった」
怖いよ、ハイヤスさん。爽やかに笑いながら言っているけど、目が笑ってないから。
「嫌な思いをさせてごめんね」
表情を変えて、強く抱きしめてくる。
やっぱりこいつの体温に包まれると安心できるなぁ。他の奴とは大違いだ。
そのまま心地よさに身を任せて、目を閉じかけたところで、ふと疑問が浮かんできた。
「今日は力が発動しかけたのに、なぜあの時はすぐに力が発動しなかったんでしょう?」
「あの時?」
「……スウェンたちに……された時」
「あぁ……たぶんキュカがあいつを信頼してたからだと思う。心のどこかで、あいつはこんなことをするはずがないって思っていたんじゃない? 受け入れられない現実に直面して、現実だとわかっていても認められなかった……だけど今日は違った」
「…………」
「キュカが気に病まないのなら、あいつに報いを与えてやりたかった」
俺はそうだよな、とも違うとも言えずに黙りこむ。
憎くないはずはないけど、皇帝たちのような姿にさせてしまったら、それはそれで後悔する。
スウェンが可哀想だからって理由じゃなくて、俺が望んでだれかをそんな姿にできるんだって事実が、いまだに受け入れられないからだ。
「でも良かった」
「……何がですか?」
小さく笑って、ハイヤスが顔をくっつけてくる。犬や猫が飼い主に甘える時みたいな仕草だ。
「キュカが僕を信じてくれていること。こうしても怖がらないって、そう言うことでしょう?」
まぁ、ね……でも口に出しては言ってやらない。
わざと顔を離して、嫌がっているふりをしてみたら、もっと深く抱きしめて顔をすりつけてくる。
おまえは犬かっ!
「大好きだよ~キュカ」
「……だったら、なぜ名前を呼んでくれないんですか?」
頬で俺の顔を撫でるみたいにすりすりしていたハイヤスが、ぴたっと止まった。
しまった、俺も何か変な言い方をしたような。
別に不満に思ってるわけじゃないし、呼び方が元に戻ったからって疑ってるわけでもない。
純粋に疑問だったから聞いてみただけなんだけど、この言い方はまるで彼女が彼氏の浮気を疑って問いつめてるような気がする。
ハイヤスがどう思っているのか。不安が渦巻く沈黙が数秒間、俺たちを包んだ。
そっとハイヤスの表情を目だけ動かして見てみたら、きょとんとした表情で俺を見ていたハイヤスが、ゆっくり満面の笑みになっていく。
な、なんなの、その笑顔……。
意味を掴み損ねた俺に顔を寄せて、唇が触れるだけのキスをしてきた。
「……?」
何をされたのか、自覚する前に離れたハイヤスの顔がすぐ目の前で優しく笑っている。
「僕の名前を呼んでいいのはキュカだけだよ。反対にキュカの名前を呼んでいいのは僕だけなの」
すごく大切なことを言っているみたいに、ゆっくりハイヤスが言う。
そして耳元に口を寄せて囁いた。
「だからふたりきりの時だけ、ね?」
「…………」
「さっきはキュカに声が届いてないみたいだったから、仕方なく呼んだけど。キュカの名前を知っている僕以外の人間、すべて抹殺したいくらいだよ……どうしたの、キュカ?」
言いたいことがたくさんある気がするのに、何を言っていいのかわからない。
あわあわ動揺しまくりの俺に、ハイヤスが不思議そうな顔で聞いてくる。
あ、甘すぎる……そう言う台詞は少女マンガとか、恋愛ドラマの中にしか居住権がないもんだと思ってた。
いるんだな、素面でさらっと言ってのける奴が目の前に。
やたらと顔が熱くなってるのは気のせいだと思いたい。
俺はきらきら美少女でも、美少年でもないんだから。顔を赤くしたって似合わないっての。
深く息を吐き出した。落ち着け、俺。
「私はどちらでも構いませんけれど」
背中を伸ばして、何ともないって顔で言い返してやった。
あの時は日本語名で呼ばれてうれしかったけど、ハイヤスに呼ばれるのならどっちでもいいかな、なんて……これは惚気か?
「キュカって嘘つけないよね。耳が真っ赤だよ」
「っ……」
あっさりと虚勢を見破って、ハイヤスが右耳をぺろりと舐めてきた。
思わずびくんっと肩を揺らした俺を見て、くすくす耳元で笑う。
「早く騎士団に帰ろうね。戻ったら、たぁ~くさん気持ち良いことしよう」
「……しません」
頼むから、そう言うことを耳元で言うなよ。
「うふふ……そんなこと言って、ほんとは期待してるのに」
「してませんって……ハイヤスッ!」
俺に巻きつけた二重のマントでロイカたちには見えないことをいいことに、ハイヤスが抱きしめていた腕を片方マントの中に入れて、股間をさらさら撫でやがったのだ。
声をひそめながらも、強く名前を呼んだら、あいつは得意げな顔をして笑ってた。
ったく、俺は何だってこんな奴を選んでしまったんだか……。
ちょっとだけ後悔した時、ハイヤスが俺の頭を引き寄せると軽くキスをしてきた。
「だからいまはお休み」
「…………」
ハイヤスが俺の体を向かい合う体勢に変えさせて、しっかり抱き寄せる。
マントのフードをそっと被せて、だれにも顔が見られないように隠してくれた。
「ゆっくり眠って。また明日からお馬さんと散歩だよ」
俺は子供じゃないっての。
文句を言いたかったけど、ぽん、ぽんとリズムよくそっと背中を叩くハイヤスの手が心地よくて、あっという間に俺は寝落ちしてしまった。
眠ってすべて忘れる人も多いだろうけど、俺は違ったみたいだ。
「……ハイヤス……?」
早朝の清々しい空気の中、目覚めた俺はひとり草原に横たわっていた。
寝起きの鈍い思考を置き去りにして、孤独感を肌が感知したとたん、恐怖心が爆発した。
俺が小さな虫になってしまったような心地だった。
世界中すべてが巨大化して、俺を押し潰そうと迫ってくる。
急激に体温が低下して、ガクガクと体が震えだす。
吐き気が込み上げて、止める間もなく地面にぶちまけてしまった。
気持ち悪さはそれでもなくならない。
どうやっていままで呼吸していたんだろう。息の仕方を忘れてしまったみたいだ。
苦しい、気持ち悪い、寒い……怖い。
すぐそばでだれかが笑っている気配がする。
ひとりじゃない。みんな笑って、俺を飲みこもうと隙を見ている。
逃げたいのに、囲まれて逃げ道がない。
だれか助けて、だれでもいいからここから救い出して!!
必死で振り回した手に何かが触れた気がして、すがりついた。
「キュカ、もう大丈夫ですから……ここにはだれもあなたを傷つける者はいません。だから安心してください」
優しい声が言い聞かせてくる。
すがりつく俺を抱きしめて、何度も何度も。
「すまない、ロイカ……」
「どこへ行っていたんですか。肝心な時におまえはいつも……後にしましょう。いまはキュカを安心させてあげなさい」
夢中で握りしめていた手が離されて、またパニックを起こしそうになったところを、だれかが抱きしめてくれた。
大丈夫とくり返す声、背中を叩く手、全身を包み込む体温が、少しずつ恐怖心を剥がしていく。
やがて疲労感が恐怖心にとって代わる頃、意識にも冷静さが戻ってきた。
眠る前と同じ場所で、俺はハイヤスに抱かれていた。
その向こうには心配そうにこっちを見ているロイカ、馬のそばにいるラインやエルもほっとした様子で息を吐いていた。
「……すみませんでした」
正直、声を出すのも辛いくらい疲れきってたんだけど。
これ以上心配させたくなくて、みんなに謝った。
「僕たちの前で、我慢しなくてもいいよ。みんなわかっているからね」
「……すみません」
ほんと、迷惑かけっぱなしでごめん。
情けなくてごめん、弱くてごめん。
わかっているんだけど、どうにもできなかった。
スウェンと再会したことは、俺自身が思っていたよりも深く影響したみたいだ。
携帯用の食事を分けてもらって食べたけど、間もなく吐き戻してしまったり。
道をそれて、途中の村で宿に泊まった時も夜中にハイヤスに起こされるまで、悪夢にうなされていたらしい。
自分自身の不甲斐なさに落ち込みまくりの俺を、それでも奴は辛抱強く支えてくれるんだよな。
「キュカが本音を隠さず見せてくれるってことは、僕を信頼してくれてるってことでしょう? 僕は喜んでるんだけど。それに言ったはずだよ、キュカの為なら胸でも腹でも尻でも差し出しますってね」
「……尻は要りませんって」
弱々しく笑った俺に、ちゅっとキスしてくる。
「泣いてるキュカにもそそられるしね」
弱ってる相手に言う台詞じゃないっての。
でも優しい顔をして、じっと見つめられるとね、何も言えなくなるんだよな。
はぁ、やっぱり色男は得だ。
平和ボケした騎士団での生活で少しは薄れたと思っていたのに、いざ本人と再会してみればそんなことはなくて。
ただいま対人恐怖症が再発中な俺です。
あぁ、人間ってやっぱり怖い。何考えているのかまったくわかんない。
いくら爺さまに抱かれてるところを見たからって、じゃぁ俺もと考えるものか?
異性ならともかく、同性を複数で襲うなんてさ……うわ……思い出しかけて、また気持ち悪くなった。
ゆっくり歩かせてくれてるけど馬上が、まったく揺れないわけがなく。
揺れると本当に吐きそうだから口を手で覆い、服の胸元をにぎりしめてこらえた。
スウェンから逃げ出して闇雲に走り回ってたところをハイヤスに助けられた後、ずっと寒くてたまらない。
ハイヤスにくっついているのに歯が鳴るほど震える俺を見かねて、ハイヤスが自分の分と俺のマントをかけて包んでくれた。
怖くていまはだれも見たくないし、そばに近づけたくない。
ただひとり、ハイヤスを除いては。
その唯一にしがみついて離れない俺を抱えて、ハイヤスが馬を進めていく。
少し距離を置いてロイカたちが後に続いているけど、また無言の行進だ。
旧王都で助けだしてもらってから、俺は周りに迷惑ばっかりかけてる。
いや……よぉく考えたら、こっちに来てからずっと迷惑かけ通しだ。
災いを転じていると言われても、目に見えて効果がわかるもんじゃない。
人型をした災いを消滅させたって、ゲームみたいにお金に代わるわけでも、特別なアイテムになるわけでもないしさ。俺は何の役にも立ってないんじゃないかって思うんだよ。
何か、だれかの役に立ちたい欲求を満たせないってことは、どこにいても辛いもんだね。
「このまま行けば、明後日には騎士団に戻れそうですね」
沈黙を破ってロイカが穏やかに話しだした。
その声に思考を中断して目を上げる。館を出発した時はまだ明るかったのに、もうすぐ夕暮れが訪れそうな時間になっていた。
「そうだな。何事もなく帰りたいな」
ラインがロイカに答えた後で、野宿する場所を決めて馬を止める。
指示に従って全員が馬を降りた道の脇には、館の周辺と違って深い森が広がっていた。
影を色濃くした森の手前にある、平らな草地が今晩の寝床だ。
俺のせいで予定より早く出立するはめになっているんだから文句は言えないんだけど、夜空の下、身体ひとつで眠るこの状況は、いまの俺には心細い。
何か身を隠せる場所が欲しいんだよなぁ……密室とか、物に囲まれた空間に行きたい。
わがままだってわかってるから言いませんが。
相変わらず手際良く準備していく騎士団御一行サマ。もちろん俺除くで。
みんなはだれに指示されることもなく、各々で自分の役割を判断して動いていく。
これぞまさにチームプレーだね。騎士団員として普通なのか、ラインたちだから出来ることなのかわかんないけど、素直にすごいなぁと感心する。
ロイカがしなやかな指先をなめらかに動かして、あっという間に火を熾す。
そこに森の中へ入って行ったラインが水を汲んで戻ってきて、携帯食料を温めるエルに水を渡した。
火から少し距離を置いた場所にあった石のそばに俺を座らせて、ハイヤスがその間に獣避けだと言う粉薬をまいていた。
「皇帝側は今回の事件で、騎士団への手出しをあきらめて欲しいものです」
荷物から油紙に包んだ粉末を取りだしながら、ロイカが話し出した。
携帯用調理器に水を入れて火にかけていたエルが粉末を受け取って、調理器の中に入れながらロイカに答える。
「どうだろう。王政の名残りが一番色濃い場所だ。たとえ支配者が代わろうと、監視は続くと思う」
少し離れた場所にいた俺のところまで、香ばしい匂いが流れてきた。
「ユーザ自らが体を許した時と違って、許可なく手を出せばどうなるか。わかってもらえたと思ったのですけどね。残った王族は数少なく、私も今後は言いなりにはなりません。また痛い目にあうだけでしょうに」
「そうだが、抜け道を見つけるのが悪人だ。そして支配者と悪人は紙一重の違いだろ」
ラインが苦笑しながら締めくくったところで、エルが香ばしい匂いがするお湯を携帯コップに注ぎ入れた。それを片手に持って俺の方へ歩いてくる。
目の前に腰を下ろしたエルに、わかっていても一瞬だけ体が震えた。
エルもそれに気づいて、無表情が少し揺れた気がする。
「気持ちを穏やかにする薬草を入れた。少しずつでいいから飲め」
「……ありがとう、ございます」
俺が携帯コップを受け取ると、満足そうに頷いてエルが火のそばに戻る。
入れ代わりにハイヤスが歩いて来て、背後に座ると足を広げて、その間に俺を挟むように抱きしめてきた。
「少しは落ち着いた?」
「……はい」
スウェンから逃げ出した直後みたいな、恐慌状態からは抜け出せたと思う。
頷きながらコップの縁に口をつける。薬湯と距離があっても唇に伝わる温度は熱い。
ふぅ、と息を吹きつけてから舐めるように飲んでみた。
玄米茶の香ばしさがあるコーヒーみたいな味だった。特別美味しくないけど、ちょっとずつ飲んでいると確かに強張っていた体から力が適度に抜けていく。
寄りかかる俺を受け止めるハイヤスが頭を撫でてくる。
「また力を使いそうになって、びっくりしたんだよね」
「すみませんでした……また迷惑を……」
「キュカは悪くないよ。僕がロイカと相談して決めたことだから。もう少し早く助けに行く予定だったんだけど、ちょっと手間取って」
「相談? 何に手間取ったんですか?」
言いにくそうに口ごもるハイヤスを見上げると、しばらく火の方を見て悩んでから教えてくれた。
なぜか呼び方が元に戻っている。まぁ、それは後で聞いてみよう。
「キュカを苦しめている相手が村を失った後どうしているのか。気になったから調べてみたんだよ。そうしたら主犯格のあの男が、どうも変な動きをしていてね。少し隙を見せてみようと決めたんだ。あいつがキュカに手を出すつもりなら容赦なく殺すつもりだったし、動かないならそれに越したことはない」
「殺さないと……約束したはずなのに」
館に着く前に約束したことを、さっそく破るつもりかよ。
ハイヤスが肩を竦める。
「うん。だから半殺しで止めるつもりだった」
怖いよ、ハイヤスさん。爽やかに笑いながら言っているけど、目が笑ってないから。
「嫌な思いをさせてごめんね」
表情を変えて、強く抱きしめてくる。
やっぱりこいつの体温に包まれると安心できるなぁ。他の奴とは大違いだ。
そのまま心地よさに身を任せて、目を閉じかけたところで、ふと疑問が浮かんできた。
「今日は力が発動しかけたのに、なぜあの時はすぐに力が発動しなかったんでしょう?」
「あの時?」
「……スウェンたちに……された時」
「あぁ……たぶんキュカがあいつを信頼してたからだと思う。心のどこかで、あいつはこんなことをするはずがないって思っていたんじゃない? 受け入れられない現実に直面して、現実だとわかっていても認められなかった……だけど今日は違った」
「…………」
「キュカが気に病まないのなら、あいつに報いを与えてやりたかった」
俺はそうだよな、とも違うとも言えずに黙りこむ。
憎くないはずはないけど、皇帝たちのような姿にさせてしまったら、それはそれで後悔する。
スウェンが可哀想だからって理由じゃなくて、俺が望んでだれかをそんな姿にできるんだって事実が、いまだに受け入れられないからだ。
「でも良かった」
「……何がですか?」
小さく笑って、ハイヤスが顔をくっつけてくる。犬や猫が飼い主に甘える時みたいな仕草だ。
「キュカが僕を信じてくれていること。こうしても怖がらないって、そう言うことでしょう?」
まぁ、ね……でも口に出しては言ってやらない。
わざと顔を離して、嫌がっているふりをしてみたら、もっと深く抱きしめて顔をすりつけてくる。
おまえは犬かっ!
「大好きだよ~キュカ」
「……だったら、なぜ名前を呼んでくれないんですか?」
頬で俺の顔を撫でるみたいにすりすりしていたハイヤスが、ぴたっと止まった。
しまった、俺も何か変な言い方をしたような。
別に不満に思ってるわけじゃないし、呼び方が元に戻ったからって疑ってるわけでもない。
純粋に疑問だったから聞いてみただけなんだけど、この言い方はまるで彼女が彼氏の浮気を疑って問いつめてるような気がする。
ハイヤスがどう思っているのか。不安が渦巻く沈黙が数秒間、俺たちを包んだ。
そっとハイヤスの表情を目だけ動かして見てみたら、きょとんとした表情で俺を見ていたハイヤスが、ゆっくり満面の笑みになっていく。
な、なんなの、その笑顔……。
意味を掴み損ねた俺に顔を寄せて、唇が触れるだけのキスをしてきた。
「……?」
何をされたのか、自覚する前に離れたハイヤスの顔がすぐ目の前で優しく笑っている。
「僕の名前を呼んでいいのはキュカだけだよ。反対にキュカの名前を呼んでいいのは僕だけなの」
すごく大切なことを言っているみたいに、ゆっくりハイヤスが言う。
そして耳元に口を寄せて囁いた。
「だからふたりきりの時だけ、ね?」
「…………」
「さっきはキュカに声が届いてないみたいだったから、仕方なく呼んだけど。キュカの名前を知っている僕以外の人間、すべて抹殺したいくらいだよ……どうしたの、キュカ?」
言いたいことがたくさんある気がするのに、何を言っていいのかわからない。
あわあわ動揺しまくりの俺に、ハイヤスが不思議そうな顔で聞いてくる。
あ、甘すぎる……そう言う台詞は少女マンガとか、恋愛ドラマの中にしか居住権がないもんだと思ってた。
いるんだな、素面でさらっと言ってのける奴が目の前に。
やたらと顔が熱くなってるのは気のせいだと思いたい。
俺はきらきら美少女でも、美少年でもないんだから。顔を赤くしたって似合わないっての。
深く息を吐き出した。落ち着け、俺。
「私はどちらでも構いませんけれど」
背中を伸ばして、何ともないって顔で言い返してやった。
あの時は日本語名で呼ばれてうれしかったけど、ハイヤスに呼ばれるのならどっちでもいいかな、なんて……これは惚気か?
「キュカって嘘つけないよね。耳が真っ赤だよ」
「っ……」
あっさりと虚勢を見破って、ハイヤスが右耳をぺろりと舐めてきた。
思わずびくんっと肩を揺らした俺を見て、くすくす耳元で笑う。
「早く騎士団に帰ろうね。戻ったら、たぁ~くさん気持ち良いことしよう」
「……しません」
頼むから、そう言うことを耳元で言うなよ。
「うふふ……そんなこと言って、ほんとは期待してるのに」
「してませんって……ハイヤスッ!」
俺に巻きつけた二重のマントでロイカたちには見えないことをいいことに、ハイヤスが抱きしめていた腕を片方マントの中に入れて、股間をさらさら撫でやがったのだ。
声をひそめながらも、強く名前を呼んだら、あいつは得意げな顔をして笑ってた。
ったく、俺は何だってこんな奴を選んでしまったんだか……。
ちょっとだけ後悔した時、ハイヤスが俺の頭を引き寄せると軽くキスをしてきた。
「だからいまはお休み」
「…………」
ハイヤスが俺の体を向かい合う体勢に変えさせて、しっかり抱き寄せる。
マントのフードをそっと被せて、だれにも顔が見られないように隠してくれた。
「ゆっくり眠って。また明日からお馬さんと散歩だよ」
俺は子供じゃないっての。
文句を言いたかったけど、ぽん、ぽんとリズムよくそっと背中を叩くハイヤスの手が心地よくて、あっという間に俺は寝落ちしてしまった。
眠ってすべて忘れる人も多いだろうけど、俺は違ったみたいだ。
「……ハイヤス……?」
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俺が小さな虫になってしまったような心地だった。
世界中すべてが巨大化して、俺を押し潰そうと迫ってくる。
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吐き気が込み上げて、止める間もなく地面にぶちまけてしまった。
気持ち悪さはそれでもなくならない。
どうやっていままで呼吸していたんだろう。息の仕方を忘れてしまったみたいだ。
苦しい、気持ち悪い、寒い……怖い。
すぐそばでだれかが笑っている気配がする。
ひとりじゃない。みんな笑って、俺を飲みこもうと隙を見ている。
逃げたいのに、囲まれて逃げ道がない。
だれか助けて、だれでもいいからここから救い出して!!
必死で振り回した手に何かが触れた気がして、すがりついた。
「キュカ、もう大丈夫ですから……ここにはだれもあなたを傷つける者はいません。だから安心してください」
優しい声が言い聞かせてくる。
すがりつく俺を抱きしめて、何度も何度も。
「すまない、ロイカ……」
「どこへ行っていたんですか。肝心な時におまえはいつも……後にしましょう。いまはキュカを安心させてあげなさい」
夢中で握りしめていた手が離されて、またパニックを起こしそうになったところを、だれかが抱きしめてくれた。
大丈夫とくり返す声、背中を叩く手、全身を包み込む体温が、少しずつ恐怖心を剥がしていく。
やがて疲労感が恐怖心にとって代わる頃、意識にも冷静さが戻ってきた。
眠る前と同じ場所で、俺はハイヤスに抱かれていた。
その向こうには心配そうにこっちを見ているロイカ、馬のそばにいるラインやエルもほっとした様子で息を吐いていた。
「……すみませんでした」
正直、声を出すのも辛いくらい疲れきってたんだけど。
これ以上心配させたくなくて、みんなに謝った。
「僕たちの前で、我慢しなくてもいいよ。みんなわかっているからね」
「……すみません」
ほんと、迷惑かけっぱなしでごめん。
情けなくてごめん、弱くてごめん。
わかっているんだけど、どうにもできなかった。
スウェンと再会したことは、俺自身が思っていたよりも深く影響したみたいだ。
携帯用の食事を分けてもらって食べたけど、間もなく吐き戻してしまったり。
道をそれて、途中の村で宿に泊まった時も夜中にハイヤスに起こされるまで、悪夢にうなされていたらしい。
自分自身の不甲斐なさに落ち込みまくりの俺を、それでも奴は辛抱強く支えてくれるんだよな。
「キュカが本音を隠さず見せてくれるってことは、僕を信頼してくれてるってことでしょう? 僕は喜んでるんだけど。それに言ったはずだよ、キュカの為なら胸でも腹でも尻でも差し出しますってね」
「……尻は要りませんって」
弱々しく笑った俺に、ちゅっとキスしてくる。
「泣いてるキュカにもそそられるしね」
弱ってる相手に言う台詞じゃないっての。
でも優しい顔をして、じっと見つめられるとね、何も言えなくなるんだよな。
はぁ、やっぱり色男は得だ。
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皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
時々おまけのお話を更新しています。
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