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第三章
我恋歌、君へ。第三部:17 再会ココア
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未だ声が戻らない俺を最後に、メンバーのレコーディングが進んでいく。
(早く声を思い出してくれ)
俺はジュノさんの練習室へ逃げ込み、かつての自分の声をひたすら聞いて過ごした。
「おい、おまえさん暇だろ。ちょっとついて来い」
ジュノさんがいきなりそう言って俺を連れだしたのは、間もなくレコーディングが終了すると言う時だった。
事務所があるビル内の、いつもは使わない階へと向かったジュノさんを追いかけて行くと、練習中らしいスタジオの前でジュノさんが手招きをしていた。
スタジオの扉の前に立つと、ジュノさんが中を指で指し示す。
(何だろ……あっ!)
中が透けて見える部分から覗いた光景に、懐かしい姿を見つけて息を飲む。
「今なら入っても構わねぇだろ。ほれ、行って来いや」
ドアを勝手に開けて、ジュノさんが俺の背中を押して中へ突き飛ばす。
(あわわ……っ)
突然の乱入者に中にいた人たちが動きを止めた。
その中央にいたのはかつて俺を突き落とした人だった。
「……片平、響……?」
茫然と俺を見つめて名前を呟いた須賀原は、最後に見た時よりも健康そうな顔つきになっていて、その男らしい整った顔立ちは同性が見ても羨ましいと思うほどだ。
「どうしてここに?」
戸惑いが隠せない声は耳に心地よく、あの日のような掠れた感じはほとんどない。
(すごい、まるで別人みたいだっ。この声がこの人の本当の声だったんだ)
メジャーデビュー寸前でメンバーとの仲違いの末、喉を負傷してしまった須賀原と出会ったのは、高校卒業の少し前のこと。
アレンさんにつきまとい、俺を追い出そうと画策したけれど、富岡さんが責任を持って立ち直らせると言い、それきり動向を知らされていなかった。
その人が俺を見て驚いているけれど、同じくらい俺も驚いていた。
「……みんな、悪いけど少しの間休憩にしてもらえるか?」
背後にいたメンバーたちに手振りを交えてそう言うと、須賀原がゆっくりと俺に近づいてきた。
「よぅ。まさか片平の方から来るとは思ってもいなかった」
「…………」
(お久しぶりです)
心の中で返事をして、軽くお辞儀をする。
須賀原は不思議そうに少し首を傾げた後で、外に行こうと指で示した。
廊下の先にある休憩スペースへ行くと、座っていろと言い置いて、須賀原が自販機へ向かう。
戻ってきた須賀原は俺の前にココアを置いて、向かいに座った。
「やるよ。変なことはしてないから、安心して飲め」
須賀原はコーヒーをゆっくりと飲みながら、じっと俺を観察してくる。
思わぬ展開に戸惑いながら、おごってもらったココアを飲む。
(う~ん……なぜ俺はココアだ。自分はコーヒーを飲んでるくせに)
決してココアが嫌いなわけではないけれど、まるで子ども扱いされているようで、少し不満だった。
するとようやく須賀原がくすりと笑った。
「そんな顔をするなよ。おまえ、前に会った時にコーヒーをほとんど飲まなかったから、嫌いなのかと思ってそれにしただけだ。嫌いだったら構わず残せ」
嫌いじゃないと言い返せないので、ココアを飲むことで返事に変えた。
「……おまえ、何かあったのか?」
前置きもなく須賀原が核心をついてきた。
俺は須賀原を見返し、その表情にからかいや嘲笑もないことを確認して、スマフォをポケットから取り出した。
『変な薬を打たれて、痺れが残ったせいか声が出せなくなった。指先が今も少し痺れている』
スマフォに文字を入力して須賀原へ画面を向けた。時間がかかるけど、書くよりは早い。
須賀原はじっとスマフォを見た後で、数回まばたきをした。
「薬を打たれたって……何があったんだ」
口元を指で撫でながら、低く唸るように聞いてくる須賀原へ、俺は事情を説明するべく文字を入力する。
時間がかかっても須賀原は急かす気配もなく、じっとコーヒーを飲んで待ってくれる。
「……ドラマじゃあるまいし、そんなことが現実に起きるとは。巻き込まれたおまえも相当運が悪いと言うか……」
事情を読み取った須賀原は複雑な表情で言葉を濁す。
微妙な空気になってしまったので、俺は須賀原へ質問することにした。
『いつから歌えるようになったの?』
「ぅん……おまえと最後に会ってから、富岡が紹介してくれた医者に提示された治療法を試したらな。カウンセリングみたいなものだったんだが……それを受け始めたら少しずつ改善して……半年後には私も驚くほど声が戻った」
困ったような表情で後頭部を撫でながら須賀原が打ち明ける。
「私の場合は、思い込みの部分も強かったんだ。すべてを失ったつもりでいて、その怒りをぶつけるために自分は被害者だと思い込んでいた。声がその歪みの影響を受けていたんだろう。さすがに完全に元通りとはいかないが、聞ける声にはなっただろう」
俺は頷いた後でもたつく指を叱咤しながら次の質問を入力する。
『良かったです……それで今は何をしているんです? まさかいますぐ復帰するところまで進んでいる?』
スマフォを見た須賀原がふっと笑った。
「安心しろ。さすがにブランクが長すぎた……実績もないに等しい私が、すぐに戻れるほど甘い世界ではない。今は声を掛けてくれた人の仕事を手伝っている段階だ。きっかけは富岡が回してくれた仕事で、縁あって続けて仕事をもらえているが、いつ途切れるともわからない状態だ」
須賀原の口調は決して明るい未来を語っているわけではないのに、とても軽やかで今を楽しんでいる様子だった。
(良かった。もう昔の須賀原と違うんだ)
重い何かを背負い込んでいたような、高校時代に出会った須賀原はもういない。
今俺の目の前にいる須賀原は肩の力が抜けて、風通しよい雰囲気になっている。
『それは良かった。俺の準備も整っていないので、すぐに復帰されたら困ります』
「……ちっ。こんなことなら、おまえが追いつけないと思うほど、前進しておくんだった」
悔しそうに言った須賀原は、言葉ほど後悔してはいないのだろう。
俺をちらっと見た後でくくっと笑う。
「そんな顔するなよ。心配していただかなくとも、私は私の力で立ち上がってみせる。何度倒れてもな……それが私の償いだから」
須賀原は年長者らしく大人びた優しい笑顔で、俺の頭を撫でてくる。
(償い……)
階段の上から突き飛ばされた時、俺は須賀原を訴えなかった。
その代わり、歌を聞かせて欲しいと俺は言ったけれど、須賀原はちゃんとその言葉を受け止めてくれたようだ。
「……なぁ、余計なお世話かもしれんが、ひとつ聞いてもいいか」
『何ですか?』
須賀原は口元を指で擦り、先を続けるべきか少し迷った素振りを見せた。
「片平は煉……アレンと寝たか?」
俺の頭はいきなり電源が落ちたみたいで、須賀原の言葉を理解できなかった。
(寝るって、何、えっ、何を言ってるの?)
須賀原は俺の顔をじっと見た挙句、ぶっと噴き出して盛大に笑いだした。
「いや、何も言わんでも理解した。やっぱりおまえはアレンの好み、そのまんまだわ。あいつは昔っから変わらないなぁ」
『こ、好みって……』
「アレンは私たちのバンドに入る時に、性癖について打ち明けた上で参加したから、メンバーは全員知っている。そしてアレンが想いを寄せた相手も知っているし、その純情っぷりも見てきた。あいつはおまえさんみたいに、構いたくてたまらなくなるタイプが好きなんだよ」
『……あまり、うれしくない』
俺の感想を見て、また須賀原が額を押さえて笑い続ける。
「いいじゃないか。あいつは良い奴だぞ、おまえも知っているだろ?」
『……だったら以前の人たちにも、同じように薦めれば良かったのに』
返事を入力したとたん、ちくっと胸が痛んだ気がした。
「それはまぁ、な……昔の話はどうでもいいだろう? 正直なところ、おまえはどう思っているんだ」
『……何が』
「アレンを好きなのかって聞いている」
単刀直入に聞かれて返事に迷う。
(ユリエルにも同じこと聞かれたよな……)
イギリスで偶然再会したアレンさんのそばにいた美形の歌手、ユリエルは俺を敵視していた。
あの時は言えなかったし、定まらない胸の内を覗くことも怖かった。
でも今は違う。須賀原とある意味で同じ立場になっているから。
『俺も言えるようになるでしょうか』
守りたいと思ったものを、すべて守ることはできなかった。
そんな俺でも望むものに手を伸ばしても許されるのだろうか。
薬を打たれた後に目が覚めてからずっと、俺の中にわだかまっていた想いだ。
須賀原はしばらくスマフォの画面を見て考えて、ポンと俺の頭へ手を乗せて呟いた。
「……心のかさぶた」
『?』
上手く聞きとれず、須賀原へ目を向けると須賀原もじっと俺を見て、ふっと目を細めてかすかに笑う。
「肉体の傷と同じさ。治りかけの傷を覆うかさぶたは、取れる時が一番気になるものだろう。心のかさぶたも同じだ。みっともなくあがいて、泣いて醜態をさらして……その先で急に身も心も軽くなる。私のようにな」
だからせいぜいあがけ、と須賀原は言い残して立ち上がった。
「そろそろ戻る。またな」
そっけない台詞を置いて、去っていく須賀原の後ろ姿がとても凛々しく見えた。
須賀原と再会した日から三日が経ち、ついに他のメンバーたちがレコーディングを終えてしまった。
(どうしよう……終わっちゃった……)
本当ならば今日からヴォーカルのレコーディングに入るはずなのに、俺は変わらず声が出せないままだった。
落ち込んでいる俺のところへ、松木に代わってマネージャーとなった相川さんがやってきた。
「おぅ、どうした、キョウちゃんや」
口調がどうにも荒っぽく、金髪に脱色したままの相川さんは、富岡さんが俺につけた護衛役だった人で、かつてアレンさんと一緒のバンドにいてギターを弾いていた人でもある。
退院した後に初めて紹介された時は、本当に驚いた。神音と夜の街で演奏していた時に声を掛けてきた人はとてもマネージャーなんて出来そうになかった。
だけど実際は細やかな気遣いをしてくれるし、手配に抜かりがない。
人は見かけだけで判断できないの該当者だった。
「あぁ~そう言やぁ、キョウちゃんはスガちゃんに会ったんだってな。スガちゃんってのは須賀原のことな。あいつ元気になってただろ? わしもこの間再会してよ。相変わらずカッコイイ顔と声してやがった……はっ、自分が担当しているコを差し置いて言うべき台詞じゃなかったか。いや、これ本当にスミマセン」
第一印象は怖いお兄さんだったんだけど、会話を重ねて間もなく、その印象はあっさり消え去った。
軽薄そうな口調で気安く話せるのでありがたい。
「どっちかって言うと、キョウちゃんの方は可愛らしいカッコ良さだからなぁ。スガちゃんは昔っから危ない男って感じのカッコ良さでさ……あれ、もしかして悩んでいるのソコじゃなかった?」
会話に乗り気じゃない俺の気配を察したのか、目をぐるりと回転させてからまたやっちゃったと呟き、肩をすくめた。
「スガちゃんと何かあった?」
『いいえ。ただいろいろ……悩んでいると言うか、焦っているだけで』
マネージャーだからこそ、現状を把握しているだろうに、相川さんはスマフォの文字を介して俺の気持ちを知ると、バンバンと俺の背中を叩いて、豪快に笑い飛ばした。
「キョウちゃんのスランプなんて可愛いもんよ~。スガちゃんを見てみろよ、何年かけてカムバックしたんだっての。おまけに年下で後輩のキョウちゃんにさんざん迷惑かけまくってさ~。いやぁ~誠にその節はお世話になりまして」
椅子に三つ指ついて、頭を下げる振りをした直後、ガバッと顔を上げた相川さんが俺を至近距離でじぃっと見てきた。
「……もしかしてスガちゃん、また失言しちゃったとか?」
『そんなことは……むしろ助言してもらったくらいです。今はみっともなくあがいてみせろって。ただ何をしたらあがくことになるのかな、と悩んでしまって……』
歌えるようになりたいと言う望みに対してなら、十分にあがいているつもりだ。
自分が歌ったメジャーデビュー曲をくり返し聞きすぎて、眠る時でさえ耳元で再生されているように幻聴を覚えるほどだ。
他の人たちの演奏を聞く以外に、もっと良い方法はないのかとジュノさんに詰め寄ったこともある。
体力を取り戻せば声も戻るかもしれない。そう思ってデビュー前よりも長距離を走るようになったし、食事の量も意識して増やしている。
だけどまだ声が取り戻せない。
(ここまで来て焦るな、なんて悠長に言っていられないんだよ)
今回の新曲は自分で作詞したからと言う理由以外にも、ぜひとも多くの人に聞いて欲しいと思う。
良い具合にファンを驚かせることが出来そうな曲に仕上がる予感がする。
(ちゃんと俺が歌えば、これまで以上の曲になれると思うのに……)
喉にそっと手で触れる。
どんなに意識してもそこは動かせないままだ。
鏡と昔の曲を使って、歌っている自分自身をイメージしながら口を動かすことを続けてきた。
これ以上何をどうあがけばいいのだろう。
すると相川さんが俺の顔を覗きこみ、悪役さながらに人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「キョウちゃんが引っ掛かってることは、もっと他にあるってことじゃないか? 例えば……好きな子に好きだって言えない、とかな」
『……えっ?』
「隠しても無駄無駄~。わしはおまえさんたちのこと何から何までお見通しだぜ。護衛役任されてくらいだからなぁ。もっとも、最後の最後にお姫様の窮地を救ったのは、文月大悟だったが……ん。わし、こう見えても平和を愛する情報至上主義だもん。あんな問答無用の一撃必殺な飛び蹴りは真似できませんて」
つらつらと話し続ける相川さんが遠くを見ながら思い出しているのが、浚われた俺を救出してくれた時のことだとわかるのだけれど、肝心の俺がほとんど意識がなかったため、同意することもできない。
「おまえさんを襲ってた輩は文月大悟の蹴りで肋骨を折られてたぜ。なぁに、仕上げはレンちゃん……アレンのことな。奴が踏みつけたせいだと思うが、その辺りは適当に誤魔化しておいたから二人にお咎めはないだろう。で、問題はおまえさんの気持ちだな」
『……気持ち……?』
「そうそう。念のため言っとくが、あの野郎におまえさんは抱かれちゃいないぞ。そりゃ濃厚にキスされまくって全裸の肌に赤い跡が華々しく散っててな。その気はない野郎が見てもちょっとクラッとくるような扇情的な姿にはされてたが」
聞いている間に俺は少し気持ちが悪くなってきた。相川さんはちゃんと気がついて、舌打ちしつつ小さな声でしまった、と呟く。
「……最初に連れ去られた時の写真や動画も、回収して処分した。もちろん完全に葬り去ることは不可能だが……おまえが気にすることはない。本人が他人ほど簡単にそう言えないことは承知してるけどよ……おまえは汚れてねぇよ。だから好きな奴に遠慮することもないぜ」
『…………』
「思ってること全部、あいつに伝えてやんな。レンちゃんはちゃんと受け止めてくれるさ。おまえさんがあがくべきなのは、案外そっち方面かもよ?」
『……しかし、俺は……』
これ以上、負担をかけたくないのだ。
何度アレンさんの前で泣いてしまったことか。俺は自分でしっかり立っていたいのに、どうもアレンさんのそばにいるとその気持ちが揺らいでしまう。
「甘えていいんだって。レンちゃんは甘やかしたいんだよ。おまえはぐだぐだ考える前に、レンちゃんに蕩けるほど甘やかしてもらえ」
相川さんはそう言って、俺の頭頂部に手を載せるとぐりぐり撫で回す。
「でもって早く立ち直れ。わしはおまえたちの今後が楽しみで、この業界に戻ってきたんだぜ。わしを楽しませろよ、キョウちゃんや」
かつてアレンさんと一緒にメジャーデビューを目指して演奏していた相川さんは、須賀原の一件で何を思ったのか、それから何をしていたのかは語らなかったけど、多くを秘めた顔つきで俺の頭を仕上げとばかりに、軽く叩いて立ち上がった。
「憂い顔のヴォーカルってのも様になるけどな。マネージャーとしてはこう言わねばなりますまい。お仕事の時間でございますよってな」
ぴんと背筋を伸ばして、優雅にお辞儀してみせた相川さんに言われて、慌ててスマフォの時間を確認した。
(えぇっと、昼からPV撮影だって言ってたっけ……うわっ、もうこんな時間!)
早めに家を出て来たはずなのに、もう少しで遅刻しそうな時間だった。
悩むのもいい加減にしないと、と反省しながら走りだした。
相川さんに先導されて、撮影予定のスタジオまで急ぐ。
PV撮影をするスタジオに入ると、スタッフから衣装を手渡された。それを見て俺は何度もまばたきをした。
(学生服?)
「はぁ~い、お久しぶり。今日もビシッと決めてね、お兄さんたち♪」
今日も元気良く美しく、スタイリストの久遠さんが俺たちに準備をするよう催促する。
高校生に戻ったような気分になりながら、学生服に袖を通した。タイは襟元にホックで留めるだけのものだったので、着替えはすぐに終わる。
「んふふっ、髪のツヤもだいぶ元通りになってきているわね。これなら合格だわ。今日も可愛く、かっこよい響ちゃんの出来上がり」
「…………」
可愛く、は余計なんだけどと久遠さんを振り返ったけど、さらりと無視された。
「うわ~、ぼくと響の衣装はお揃いなんだ。中学の頃以来だね、同じ制服着るの。何だか楽しいな~♪」
神音も準備を終えて、ウキウキした様子で近づいてくる。
神音が言った通り、違う高校へ通ったので学生最後の三年間は制服が違っていた。
だから並んで立ち、鏡に映る自分たちがまったく同じデザインの服を着ているのを見ると、高校生よりもずっと昔へタイムスリップしたような気分になった。
「ちょっと待って。神音は襟元、少し崩した方が良さそうね」
久遠さんがすかさずチェックを入れ、神音の衣装を手直しした。
「響は優等生の鑑みたいだよね」
ちらっと俺を見て神音が言うと、久遠さんは頷く。
「それが狙いなの。響ちゃんは個性が強いクラスメイトに囲まれて、オタオタしている優等生くんの役なの。で、神音ちゃんは天才肌で問題児な生徒役」
「え、ぼくは問題児なの? おっかしいな~、学生時代は真面目な生徒だったのにな~」
口を尖らせて反論しているけれど、神音の目が笑っているので、あまり説得力がない。
「神音の方がマシやで。おれなんか、コレやもん……おれもそっちが良かったわ」
八代さんも着替え終わったらしく俺たちの方へ歩いてくる。
赤いジャージの上下に学生服の上着だけ羽織った衣装で、髪の毛も赤く尖らせた体育会系の怖そうなお兄さんになっていた。
その隣へ文月さんが近づく。
「ヤッシー、すごくお似合いです」
「褒めとらへんやろ、それ。嫌味たっぷりやん」
じろっと文月さんを睨んだ八代さんは、一瞬声を飲んだ。
涼しい顔をして八代さんを見返す文月さんは、両サイドの髪を編みこんで、濃いアイシャドーのメイクと黒い口紅をして、改造した学生服を着こなしている。
(暴走族?)
仕上げはガムを噛むらしいですよ、と文月さんが支給されたガムを俺たちに見せたところへ、最後のメンバーが入ってきた。
「お待たせ~……なぜかオレだけ別室に呼ばれてたけど、みんな準備出来てる?」
アレンさんの声に振り向いたメンバー全員が、しばらく沈黙した後、盛大にため息をついた。
「え、えっ、何……どうしてため息? オレの格好、そんなに救いようがない?」
「いや……まぁ、ある意味救いようがないわ、リーダー」
「ええっ」
「まったくです……先輩は卑怯です」
「えぇーっ」
「アレン、今からでも遅くないよ。人生考え直してみたら?」
「じ、人生まで否定されてるっ!」
メンバー各自に弄られて、肩を落としているアレンさんは久遠さん解説によれば、困った生徒たちを立ち直らせるために奮闘する教師役らしい。
(教師役のはずなのに、襟元がひらひらしているから、舞台俳優みたいだよ)
アレンさんの体型にぴったり合うスーツに、なぜか襟と袖にひだがある白いシャツ、銀縁の丸眼鏡に細いチェーンを垂らした姿は教師と呼ぶには優雅すぎる。
着る人が良いものだから、その衣装が浮いてしまうどころか、違和感がないので八代さんが言う通りに救いがない。
(今すぐオーディションを受けに行くべきですよ、アレンさん)
映画かミュージカルに応募したら、間違いなく採用されるだろう。
心の中でアレンさんに転職を勧めながら、ふと須賀原との会話を思い出した。
(……あがけって言われてもなぁ……)
はぁ、ともう一つため息をつく。
やがて準備が整い、PV撮影がスタートした。
レコーディングが終わったばかりの新曲がスナジオに流れ出す。
歌っているのは俺ではなく神音だ。
(ごめんね、みんな)
ヴォーカル無しではイメージが掴みにくいだろうから、と神音が仮に歌ってくれた。
歌い終わった時、神音は大きくため息をついていた。
「はぁ……やっぱり響は偉大だよ……もうぼくじゃ歌えないや」
珍しく弱気発言をしていた神音だけど、十分に歌えていると思う。
ため息をつきたいのは俺の方だ。
「前半はコミカルにお願いね。で、エキストラ生徒さんたちと絡みながら中盤でドタバタして、後半は思いっきり弾けてちょうだい。キョウさんは上着を脱ぎ捨ててもいいくらいよ」
制作側の指示を受けて学校の教室を再現したセットにスタンバイをする。
アレンさんは教壇に立ち、俺、神音、文月さん、八代さんの順番で机に座る。
パントマイムで教科書片手に、生徒を指さし指導するアレンさんへ、ガムを噛みつつ文月さんが反抗的態度を取る。
八代さんは机に突っ伏して大いびきをかく演技をして、神音はひたすらノートに何かを書いている。
俺は彼らをオロオロを見ては、冷や汗を書く役割で、いつもとあまり変わりがないなとひっそりと苦笑する。
個性豊かなクラスメートと打ち解けることが出来ない優等生だけど、ひょんなことから体育系問題児の八代さんと仲良くなり、放課後こっそり集まって演奏している文月さんと神音の元へ連れて行かれる。
てんでバラバラに演奏して、どうだ、と胸を張る彼らに本当のことが言えない優等生。
そこへアレン教師が登場。鍛え直してやるとばかりに熱血指導がはじまる。
ちゃっかり教師がドラムを叩いているところが笑えるポイントだと思う。
最初は反抗的だった問題児たちが、少しずつまとまり、体育館のステージで演奏を成功させることで自信を持ち、仲良くなっていく。
そのままステージから校舎の屋上まで、歌い演奏しながら歩き出すメンバーたちの背後を、エキストラの生徒たちがはしゃぎながらついてくる。
扉を開けて屋上に飛び出した俺の後ろから、続々とメンバーと学生たちが飛び出し、屋上はまるでお祭りのような騒ぎとなる。
最後はライブさながらに盛り上がった学生たちの中で歌ってPVは終わるのだけれど、青空の下の屋上で生徒たち相手に歌って欲しいらしく、その他の場面での撮影がいくつか後回しにされて、ラストを先に撮影することになった。
学生たちはエキストラと言っても本当の現役学生さんたちなんだとか。
彼らの中央に簡易的な足場を組み立てて、各楽器が並べられていた。最前列にはスタンドマイクも用意されているけど、どれもこれも音は出ない状態になっている。
(今の俺がここに立つのって、何だかみんなに嘘をついているようで気後れする)
定位置に立ち、学生たちを見回すと仲が良い相手と話をしている。
他のメンバーたちも位置について、準備が整ったのを確認してスタッフが声を上げる。
いよいよラストの撮影がはじまり、カメラを搭載したクレーンがぐんっと高い位置へ滑っていく。
大音量で新曲が流れて、学生たちが指示されていた通りにはしゃぎだす。
彼らと一緒に弾けてみせるのが俺たちの役目なのだけれど、ライブの時のような高揚感がないまま、同じようなノリを要求されてもどうも上手くいかない。
とりあえず指示されていた通り、歌うふりをしながらネクタイを緩め、シャツのボタンをいくつか外す。
(う~ん、どうしてもワザとらしい気がするんだけどなぁ)
最後は上着を脱いで学生たちへ思いっきり投げて、撮影は終了だ。
「んん~っ、ラストもう一回やり直して」
何度か衣装の乱し方を変えて、ラストの屋上でのシーンを撮り直し、学生がいない場面の撮影は明日することになり、その日の撮影は終了した。
(早く声を思い出してくれ)
俺はジュノさんの練習室へ逃げ込み、かつての自分の声をひたすら聞いて過ごした。
「おい、おまえさん暇だろ。ちょっとついて来い」
ジュノさんがいきなりそう言って俺を連れだしたのは、間もなくレコーディングが終了すると言う時だった。
事務所があるビル内の、いつもは使わない階へと向かったジュノさんを追いかけて行くと、練習中らしいスタジオの前でジュノさんが手招きをしていた。
スタジオの扉の前に立つと、ジュノさんが中を指で指し示す。
(何だろ……あっ!)
中が透けて見える部分から覗いた光景に、懐かしい姿を見つけて息を飲む。
「今なら入っても構わねぇだろ。ほれ、行って来いや」
ドアを勝手に開けて、ジュノさんが俺の背中を押して中へ突き飛ばす。
(あわわ……っ)
突然の乱入者に中にいた人たちが動きを止めた。
その中央にいたのはかつて俺を突き落とした人だった。
「……片平、響……?」
茫然と俺を見つめて名前を呟いた須賀原は、最後に見た時よりも健康そうな顔つきになっていて、その男らしい整った顔立ちは同性が見ても羨ましいと思うほどだ。
「どうしてここに?」
戸惑いが隠せない声は耳に心地よく、あの日のような掠れた感じはほとんどない。
(すごい、まるで別人みたいだっ。この声がこの人の本当の声だったんだ)
メジャーデビュー寸前でメンバーとの仲違いの末、喉を負傷してしまった須賀原と出会ったのは、高校卒業の少し前のこと。
アレンさんにつきまとい、俺を追い出そうと画策したけれど、富岡さんが責任を持って立ち直らせると言い、それきり動向を知らされていなかった。
その人が俺を見て驚いているけれど、同じくらい俺も驚いていた。
「……みんな、悪いけど少しの間休憩にしてもらえるか?」
背後にいたメンバーたちに手振りを交えてそう言うと、須賀原がゆっくりと俺に近づいてきた。
「よぅ。まさか片平の方から来るとは思ってもいなかった」
「…………」
(お久しぶりです)
心の中で返事をして、軽くお辞儀をする。
須賀原は不思議そうに少し首を傾げた後で、外に行こうと指で示した。
廊下の先にある休憩スペースへ行くと、座っていろと言い置いて、須賀原が自販機へ向かう。
戻ってきた須賀原は俺の前にココアを置いて、向かいに座った。
「やるよ。変なことはしてないから、安心して飲め」
須賀原はコーヒーをゆっくりと飲みながら、じっと俺を観察してくる。
思わぬ展開に戸惑いながら、おごってもらったココアを飲む。
(う~ん……なぜ俺はココアだ。自分はコーヒーを飲んでるくせに)
決してココアが嫌いなわけではないけれど、まるで子ども扱いされているようで、少し不満だった。
するとようやく須賀原がくすりと笑った。
「そんな顔をするなよ。おまえ、前に会った時にコーヒーをほとんど飲まなかったから、嫌いなのかと思ってそれにしただけだ。嫌いだったら構わず残せ」
嫌いじゃないと言い返せないので、ココアを飲むことで返事に変えた。
「……おまえ、何かあったのか?」
前置きもなく須賀原が核心をついてきた。
俺は須賀原を見返し、その表情にからかいや嘲笑もないことを確認して、スマフォをポケットから取り出した。
『変な薬を打たれて、痺れが残ったせいか声が出せなくなった。指先が今も少し痺れている』
スマフォに文字を入力して須賀原へ画面を向けた。時間がかかるけど、書くよりは早い。
須賀原はじっとスマフォを見た後で、数回まばたきをした。
「薬を打たれたって……何があったんだ」
口元を指で撫でながら、低く唸るように聞いてくる須賀原へ、俺は事情を説明するべく文字を入力する。
時間がかかっても須賀原は急かす気配もなく、じっとコーヒーを飲んで待ってくれる。
「……ドラマじゃあるまいし、そんなことが現実に起きるとは。巻き込まれたおまえも相当運が悪いと言うか……」
事情を読み取った須賀原は複雑な表情で言葉を濁す。
微妙な空気になってしまったので、俺は須賀原へ質問することにした。
『いつから歌えるようになったの?』
「ぅん……おまえと最後に会ってから、富岡が紹介してくれた医者に提示された治療法を試したらな。カウンセリングみたいなものだったんだが……それを受け始めたら少しずつ改善して……半年後には私も驚くほど声が戻った」
困ったような表情で後頭部を撫でながら須賀原が打ち明ける。
「私の場合は、思い込みの部分も強かったんだ。すべてを失ったつもりでいて、その怒りをぶつけるために自分は被害者だと思い込んでいた。声がその歪みの影響を受けていたんだろう。さすがに完全に元通りとはいかないが、聞ける声にはなっただろう」
俺は頷いた後でもたつく指を叱咤しながら次の質問を入力する。
『良かったです……それで今は何をしているんです? まさかいますぐ復帰するところまで進んでいる?』
スマフォを見た須賀原がふっと笑った。
「安心しろ。さすがにブランクが長すぎた……実績もないに等しい私が、すぐに戻れるほど甘い世界ではない。今は声を掛けてくれた人の仕事を手伝っている段階だ。きっかけは富岡が回してくれた仕事で、縁あって続けて仕事をもらえているが、いつ途切れるともわからない状態だ」
須賀原の口調は決して明るい未来を語っているわけではないのに、とても軽やかで今を楽しんでいる様子だった。
(良かった。もう昔の須賀原と違うんだ)
重い何かを背負い込んでいたような、高校時代に出会った須賀原はもういない。
今俺の目の前にいる須賀原は肩の力が抜けて、風通しよい雰囲気になっている。
『それは良かった。俺の準備も整っていないので、すぐに復帰されたら困ります』
「……ちっ。こんなことなら、おまえが追いつけないと思うほど、前進しておくんだった」
悔しそうに言った須賀原は、言葉ほど後悔してはいないのだろう。
俺をちらっと見た後でくくっと笑う。
「そんな顔するなよ。心配していただかなくとも、私は私の力で立ち上がってみせる。何度倒れてもな……それが私の償いだから」
須賀原は年長者らしく大人びた優しい笑顔で、俺の頭を撫でてくる。
(償い……)
階段の上から突き飛ばされた時、俺は須賀原を訴えなかった。
その代わり、歌を聞かせて欲しいと俺は言ったけれど、須賀原はちゃんとその言葉を受け止めてくれたようだ。
「……なぁ、余計なお世話かもしれんが、ひとつ聞いてもいいか」
『何ですか?』
須賀原は口元を指で擦り、先を続けるべきか少し迷った素振りを見せた。
「片平は煉……アレンと寝たか?」
俺の頭はいきなり電源が落ちたみたいで、須賀原の言葉を理解できなかった。
(寝るって、何、えっ、何を言ってるの?)
須賀原は俺の顔をじっと見た挙句、ぶっと噴き出して盛大に笑いだした。
「いや、何も言わんでも理解した。やっぱりおまえはアレンの好み、そのまんまだわ。あいつは昔っから変わらないなぁ」
『こ、好みって……』
「アレンは私たちのバンドに入る時に、性癖について打ち明けた上で参加したから、メンバーは全員知っている。そしてアレンが想いを寄せた相手も知っているし、その純情っぷりも見てきた。あいつはおまえさんみたいに、構いたくてたまらなくなるタイプが好きなんだよ」
『……あまり、うれしくない』
俺の感想を見て、また須賀原が額を押さえて笑い続ける。
「いいじゃないか。あいつは良い奴だぞ、おまえも知っているだろ?」
『……だったら以前の人たちにも、同じように薦めれば良かったのに』
返事を入力したとたん、ちくっと胸が痛んだ気がした。
「それはまぁ、な……昔の話はどうでもいいだろう? 正直なところ、おまえはどう思っているんだ」
『……何が』
「アレンを好きなのかって聞いている」
単刀直入に聞かれて返事に迷う。
(ユリエルにも同じこと聞かれたよな……)
イギリスで偶然再会したアレンさんのそばにいた美形の歌手、ユリエルは俺を敵視していた。
あの時は言えなかったし、定まらない胸の内を覗くことも怖かった。
でも今は違う。須賀原とある意味で同じ立場になっているから。
『俺も言えるようになるでしょうか』
守りたいと思ったものを、すべて守ることはできなかった。
そんな俺でも望むものに手を伸ばしても許されるのだろうか。
薬を打たれた後に目が覚めてからずっと、俺の中にわだかまっていた想いだ。
須賀原はしばらくスマフォの画面を見て考えて、ポンと俺の頭へ手を乗せて呟いた。
「……心のかさぶた」
『?』
上手く聞きとれず、須賀原へ目を向けると須賀原もじっと俺を見て、ふっと目を細めてかすかに笑う。
「肉体の傷と同じさ。治りかけの傷を覆うかさぶたは、取れる時が一番気になるものだろう。心のかさぶたも同じだ。みっともなくあがいて、泣いて醜態をさらして……その先で急に身も心も軽くなる。私のようにな」
だからせいぜいあがけ、と須賀原は言い残して立ち上がった。
「そろそろ戻る。またな」
そっけない台詞を置いて、去っていく須賀原の後ろ姿がとても凛々しく見えた。
須賀原と再会した日から三日が経ち、ついに他のメンバーたちがレコーディングを終えてしまった。
(どうしよう……終わっちゃった……)
本当ならば今日からヴォーカルのレコーディングに入るはずなのに、俺は変わらず声が出せないままだった。
落ち込んでいる俺のところへ、松木に代わってマネージャーとなった相川さんがやってきた。
「おぅ、どうした、キョウちゃんや」
口調がどうにも荒っぽく、金髪に脱色したままの相川さんは、富岡さんが俺につけた護衛役だった人で、かつてアレンさんと一緒のバンドにいてギターを弾いていた人でもある。
退院した後に初めて紹介された時は、本当に驚いた。神音と夜の街で演奏していた時に声を掛けてきた人はとてもマネージャーなんて出来そうになかった。
だけど実際は細やかな気遣いをしてくれるし、手配に抜かりがない。
人は見かけだけで判断できないの該当者だった。
「あぁ~そう言やぁ、キョウちゃんはスガちゃんに会ったんだってな。スガちゃんってのは須賀原のことな。あいつ元気になってただろ? わしもこの間再会してよ。相変わらずカッコイイ顔と声してやがった……はっ、自分が担当しているコを差し置いて言うべき台詞じゃなかったか。いや、これ本当にスミマセン」
第一印象は怖いお兄さんだったんだけど、会話を重ねて間もなく、その印象はあっさり消え去った。
軽薄そうな口調で気安く話せるのでありがたい。
「どっちかって言うと、キョウちゃんの方は可愛らしいカッコ良さだからなぁ。スガちゃんは昔っから危ない男って感じのカッコ良さでさ……あれ、もしかして悩んでいるのソコじゃなかった?」
会話に乗り気じゃない俺の気配を察したのか、目をぐるりと回転させてからまたやっちゃったと呟き、肩をすくめた。
「スガちゃんと何かあった?」
『いいえ。ただいろいろ……悩んでいると言うか、焦っているだけで』
マネージャーだからこそ、現状を把握しているだろうに、相川さんはスマフォの文字を介して俺の気持ちを知ると、バンバンと俺の背中を叩いて、豪快に笑い飛ばした。
「キョウちゃんのスランプなんて可愛いもんよ~。スガちゃんを見てみろよ、何年かけてカムバックしたんだっての。おまけに年下で後輩のキョウちゃんにさんざん迷惑かけまくってさ~。いやぁ~誠にその節はお世話になりまして」
椅子に三つ指ついて、頭を下げる振りをした直後、ガバッと顔を上げた相川さんが俺を至近距離でじぃっと見てきた。
「……もしかしてスガちゃん、また失言しちゃったとか?」
『そんなことは……むしろ助言してもらったくらいです。今はみっともなくあがいてみせろって。ただ何をしたらあがくことになるのかな、と悩んでしまって……』
歌えるようになりたいと言う望みに対してなら、十分にあがいているつもりだ。
自分が歌ったメジャーデビュー曲をくり返し聞きすぎて、眠る時でさえ耳元で再生されているように幻聴を覚えるほどだ。
他の人たちの演奏を聞く以外に、もっと良い方法はないのかとジュノさんに詰め寄ったこともある。
体力を取り戻せば声も戻るかもしれない。そう思ってデビュー前よりも長距離を走るようになったし、食事の量も意識して増やしている。
だけどまだ声が取り戻せない。
(ここまで来て焦るな、なんて悠長に言っていられないんだよ)
今回の新曲は自分で作詞したからと言う理由以外にも、ぜひとも多くの人に聞いて欲しいと思う。
良い具合にファンを驚かせることが出来そうな曲に仕上がる予感がする。
(ちゃんと俺が歌えば、これまで以上の曲になれると思うのに……)
喉にそっと手で触れる。
どんなに意識してもそこは動かせないままだ。
鏡と昔の曲を使って、歌っている自分自身をイメージしながら口を動かすことを続けてきた。
これ以上何をどうあがけばいいのだろう。
すると相川さんが俺の顔を覗きこみ、悪役さながらに人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「キョウちゃんが引っ掛かってることは、もっと他にあるってことじゃないか? 例えば……好きな子に好きだって言えない、とかな」
『……えっ?』
「隠しても無駄無駄~。わしはおまえさんたちのこと何から何までお見通しだぜ。護衛役任されてくらいだからなぁ。もっとも、最後の最後にお姫様の窮地を救ったのは、文月大悟だったが……ん。わし、こう見えても平和を愛する情報至上主義だもん。あんな問答無用の一撃必殺な飛び蹴りは真似できませんて」
つらつらと話し続ける相川さんが遠くを見ながら思い出しているのが、浚われた俺を救出してくれた時のことだとわかるのだけれど、肝心の俺がほとんど意識がなかったため、同意することもできない。
「おまえさんを襲ってた輩は文月大悟の蹴りで肋骨を折られてたぜ。なぁに、仕上げはレンちゃん……アレンのことな。奴が踏みつけたせいだと思うが、その辺りは適当に誤魔化しておいたから二人にお咎めはないだろう。で、問題はおまえさんの気持ちだな」
『……気持ち……?』
「そうそう。念のため言っとくが、あの野郎におまえさんは抱かれちゃいないぞ。そりゃ濃厚にキスされまくって全裸の肌に赤い跡が華々しく散っててな。その気はない野郎が見てもちょっとクラッとくるような扇情的な姿にはされてたが」
聞いている間に俺は少し気持ちが悪くなってきた。相川さんはちゃんと気がついて、舌打ちしつつ小さな声でしまった、と呟く。
「……最初に連れ去られた時の写真や動画も、回収して処分した。もちろん完全に葬り去ることは不可能だが……おまえが気にすることはない。本人が他人ほど簡単にそう言えないことは承知してるけどよ……おまえは汚れてねぇよ。だから好きな奴に遠慮することもないぜ」
『…………』
「思ってること全部、あいつに伝えてやんな。レンちゃんはちゃんと受け止めてくれるさ。おまえさんがあがくべきなのは、案外そっち方面かもよ?」
『……しかし、俺は……』
これ以上、負担をかけたくないのだ。
何度アレンさんの前で泣いてしまったことか。俺は自分でしっかり立っていたいのに、どうもアレンさんのそばにいるとその気持ちが揺らいでしまう。
「甘えていいんだって。レンちゃんは甘やかしたいんだよ。おまえはぐだぐだ考える前に、レンちゃんに蕩けるほど甘やかしてもらえ」
相川さんはそう言って、俺の頭頂部に手を載せるとぐりぐり撫で回す。
「でもって早く立ち直れ。わしはおまえたちの今後が楽しみで、この業界に戻ってきたんだぜ。わしを楽しませろよ、キョウちゃんや」
かつてアレンさんと一緒にメジャーデビューを目指して演奏していた相川さんは、須賀原の一件で何を思ったのか、それから何をしていたのかは語らなかったけど、多くを秘めた顔つきで俺の頭を仕上げとばかりに、軽く叩いて立ち上がった。
「憂い顔のヴォーカルってのも様になるけどな。マネージャーとしてはこう言わねばなりますまい。お仕事の時間でございますよってな」
ぴんと背筋を伸ばして、優雅にお辞儀してみせた相川さんに言われて、慌ててスマフォの時間を確認した。
(えぇっと、昼からPV撮影だって言ってたっけ……うわっ、もうこんな時間!)
早めに家を出て来たはずなのに、もう少しで遅刻しそうな時間だった。
悩むのもいい加減にしないと、と反省しながら走りだした。
相川さんに先導されて、撮影予定のスタジオまで急ぐ。
PV撮影をするスタジオに入ると、スタッフから衣装を手渡された。それを見て俺は何度もまばたきをした。
(学生服?)
「はぁ~い、お久しぶり。今日もビシッと決めてね、お兄さんたち♪」
今日も元気良く美しく、スタイリストの久遠さんが俺たちに準備をするよう催促する。
高校生に戻ったような気分になりながら、学生服に袖を通した。タイは襟元にホックで留めるだけのものだったので、着替えはすぐに終わる。
「んふふっ、髪のツヤもだいぶ元通りになってきているわね。これなら合格だわ。今日も可愛く、かっこよい響ちゃんの出来上がり」
「…………」
可愛く、は余計なんだけどと久遠さんを振り返ったけど、さらりと無視された。
「うわ~、ぼくと響の衣装はお揃いなんだ。中学の頃以来だね、同じ制服着るの。何だか楽しいな~♪」
神音も準備を終えて、ウキウキした様子で近づいてくる。
神音が言った通り、違う高校へ通ったので学生最後の三年間は制服が違っていた。
だから並んで立ち、鏡に映る自分たちがまったく同じデザインの服を着ているのを見ると、高校生よりもずっと昔へタイムスリップしたような気分になった。
「ちょっと待って。神音は襟元、少し崩した方が良さそうね」
久遠さんがすかさずチェックを入れ、神音の衣装を手直しした。
「響は優等生の鑑みたいだよね」
ちらっと俺を見て神音が言うと、久遠さんは頷く。
「それが狙いなの。響ちゃんは個性が強いクラスメイトに囲まれて、オタオタしている優等生くんの役なの。で、神音ちゃんは天才肌で問題児な生徒役」
「え、ぼくは問題児なの? おっかしいな~、学生時代は真面目な生徒だったのにな~」
口を尖らせて反論しているけれど、神音の目が笑っているので、あまり説得力がない。
「神音の方がマシやで。おれなんか、コレやもん……おれもそっちが良かったわ」
八代さんも着替え終わったらしく俺たちの方へ歩いてくる。
赤いジャージの上下に学生服の上着だけ羽織った衣装で、髪の毛も赤く尖らせた体育会系の怖そうなお兄さんになっていた。
その隣へ文月さんが近づく。
「ヤッシー、すごくお似合いです」
「褒めとらへんやろ、それ。嫌味たっぷりやん」
じろっと文月さんを睨んだ八代さんは、一瞬声を飲んだ。
涼しい顔をして八代さんを見返す文月さんは、両サイドの髪を編みこんで、濃いアイシャドーのメイクと黒い口紅をして、改造した学生服を着こなしている。
(暴走族?)
仕上げはガムを噛むらしいですよ、と文月さんが支給されたガムを俺たちに見せたところへ、最後のメンバーが入ってきた。
「お待たせ~……なぜかオレだけ別室に呼ばれてたけど、みんな準備出来てる?」
アレンさんの声に振り向いたメンバー全員が、しばらく沈黙した後、盛大にため息をついた。
「え、えっ、何……どうしてため息? オレの格好、そんなに救いようがない?」
「いや……まぁ、ある意味救いようがないわ、リーダー」
「ええっ」
「まったくです……先輩は卑怯です」
「えぇーっ」
「アレン、今からでも遅くないよ。人生考え直してみたら?」
「じ、人生まで否定されてるっ!」
メンバー各自に弄られて、肩を落としているアレンさんは久遠さん解説によれば、困った生徒たちを立ち直らせるために奮闘する教師役らしい。
(教師役のはずなのに、襟元がひらひらしているから、舞台俳優みたいだよ)
アレンさんの体型にぴったり合うスーツに、なぜか襟と袖にひだがある白いシャツ、銀縁の丸眼鏡に細いチェーンを垂らした姿は教師と呼ぶには優雅すぎる。
着る人が良いものだから、その衣装が浮いてしまうどころか、違和感がないので八代さんが言う通りに救いがない。
(今すぐオーディションを受けに行くべきですよ、アレンさん)
映画かミュージカルに応募したら、間違いなく採用されるだろう。
心の中でアレンさんに転職を勧めながら、ふと須賀原との会話を思い出した。
(……あがけって言われてもなぁ……)
はぁ、ともう一つため息をつく。
やがて準備が整い、PV撮影がスタートした。
レコーディングが終わったばかりの新曲がスナジオに流れ出す。
歌っているのは俺ではなく神音だ。
(ごめんね、みんな)
ヴォーカル無しではイメージが掴みにくいだろうから、と神音が仮に歌ってくれた。
歌い終わった時、神音は大きくため息をついていた。
「はぁ……やっぱり響は偉大だよ……もうぼくじゃ歌えないや」
珍しく弱気発言をしていた神音だけど、十分に歌えていると思う。
ため息をつきたいのは俺の方だ。
「前半はコミカルにお願いね。で、エキストラ生徒さんたちと絡みながら中盤でドタバタして、後半は思いっきり弾けてちょうだい。キョウさんは上着を脱ぎ捨ててもいいくらいよ」
制作側の指示を受けて学校の教室を再現したセットにスタンバイをする。
アレンさんは教壇に立ち、俺、神音、文月さん、八代さんの順番で机に座る。
パントマイムで教科書片手に、生徒を指さし指導するアレンさんへ、ガムを噛みつつ文月さんが反抗的態度を取る。
八代さんは机に突っ伏して大いびきをかく演技をして、神音はひたすらノートに何かを書いている。
俺は彼らをオロオロを見ては、冷や汗を書く役割で、いつもとあまり変わりがないなとひっそりと苦笑する。
個性豊かなクラスメートと打ち解けることが出来ない優等生だけど、ひょんなことから体育系問題児の八代さんと仲良くなり、放課後こっそり集まって演奏している文月さんと神音の元へ連れて行かれる。
てんでバラバラに演奏して、どうだ、と胸を張る彼らに本当のことが言えない優等生。
そこへアレン教師が登場。鍛え直してやるとばかりに熱血指導がはじまる。
ちゃっかり教師がドラムを叩いているところが笑えるポイントだと思う。
最初は反抗的だった問題児たちが、少しずつまとまり、体育館のステージで演奏を成功させることで自信を持ち、仲良くなっていく。
そのままステージから校舎の屋上まで、歌い演奏しながら歩き出すメンバーたちの背後を、エキストラの生徒たちがはしゃぎながらついてくる。
扉を開けて屋上に飛び出した俺の後ろから、続々とメンバーと学生たちが飛び出し、屋上はまるでお祭りのような騒ぎとなる。
最後はライブさながらに盛り上がった学生たちの中で歌ってPVは終わるのだけれど、青空の下の屋上で生徒たち相手に歌って欲しいらしく、その他の場面での撮影がいくつか後回しにされて、ラストを先に撮影することになった。
学生たちはエキストラと言っても本当の現役学生さんたちなんだとか。
彼らの中央に簡易的な足場を組み立てて、各楽器が並べられていた。最前列にはスタンドマイクも用意されているけど、どれもこれも音は出ない状態になっている。
(今の俺がここに立つのって、何だかみんなに嘘をついているようで気後れする)
定位置に立ち、学生たちを見回すと仲が良い相手と話をしている。
他のメンバーたちも位置について、準備が整ったのを確認してスタッフが声を上げる。
いよいよラストの撮影がはじまり、カメラを搭載したクレーンがぐんっと高い位置へ滑っていく。
大音量で新曲が流れて、学生たちが指示されていた通りにはしゃぎだす。
彼らと一緒に弾けてみせるのが俺たちの役目なのだけれど、ライブの時のような高揚感がないまま、同じようなノリを要求されてもどうも上手くいかない。
とりあえず指示されていた通り、歌うふりをしながらネクタイを緩め、シャツのボタンをいくつか外す。
(う~ん、どうしてもワザとらしい気がするんだけどなぁ)
最後は上着を脱いで学生たちへ思いっきり投げて、撮影は終了だ。
「んん~っ、ラストもう一回やり直して」
何度か衣装の乱し方を変えて、ラストの屋上でのシーンを撮り直し、学生がいない場面の撮影は明日することになり、その日の撮影は終了した。
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