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第一章
26:前日
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卒業記念ライブ会場は、デビュー前のヒロたちも使っていたと言うライブハウスで、はじめて歌ったところよりずいぶんと大きくて広かった。
「こんなとこ借りてやろう思う奴らはみんな、他のとこでもチケット即完売しとる奴らばっかりや。そうでなければ、ばっか高い料金を自腹で払って演奏することになるでなぁ……ほんま、チケット売れてなかったらこれ全部払うハメになっとったんかと思うと寒気がするわ」
神音たちがここで演奏するのは三度目なのだそうで、手続きや費用の管理を一任されている八代さんがぼやいていた。
俺は八代さんにずっと言えないでいることがある。
(チケット一枚余ってませんか……なんて言えないよなぁ)
結局言えないまま完売したと聞いて、かなり落ち込んでいる。
ただでさえアレンさんの実家に居候中の身分だ。神音が父親から預かった生活費をアレンさんに渡してくれているけれど、使わずにしまったままなのを偶然見てしまった。
そんな状態でチケットが欲しいと言うのは、すごく後ろめたかったのだ。
(あぁ~……樫部、ちゃんと買ってくれてるかな……そもそも来るのかな……う~肝心の樫部が聞いてないなら、新曲作った意味ない~)
告白できないかわりに、どさくさまぎれに想いだけでも伝えようと一念発起したものの、最後の詰めが甘く、当の本人が会場に来なかったなんて、笑い話にもならない。
(最悪だ、俺。間もなく飛び立つ、なんて須賀原相手に豪語しておきながら、まったく変わってない。情けない男のまんまじゃん……はぁ~)
最終目的地だった卒業記念ライブのステージに立ち、マイク片手に項垂れる。
時はすでにライブ前日。楽器や機材などの搬入とセッティングを終えて、演奏しながらの調節を終えた。
翌朝の予定を確認してから、解散と言われたところだ。
「どしたん、響ちゃん?」
「やけに暗い空気を背負っていますけど」
八代さんと文月さんが、ステージを出て行こうと俺の背後を通りがかり、首を傾げて声をかけてくれた。
「……いえ、まぁ……いろいろと考えてしまいまして」
正直に打ち明けたくはないし、八代さん相手に恋愛に関わる話題はしたくない。
あいまいに返事をする俺を見て、ふたりはお互いに顔を見合わせ、肩をすくめた。
「須賀原さんに言ったことを後悔していますか?」
文月さんがもしかして、と眉を寄せながら聞いてきた。
「……え?」
まるで考えていなかった話題を持ち出されて、理解が及ばない。
「僕たちと一緒にこれからも演奏し続けると言ったことを後悔しているのではと……」
あ、と思わず口から音がこぼれてしまった。
「俺……そんな風に見えました?」
「気を悪くしないで聞いてください。前回響君が歌った時、ずいぶん悩んでいた様子でした。先輩が付き添って大丈夫だと教えてくれましたが……この場所に立ったら、気が変わってしまったのかと」
初めてステージで歌った時の様子に、文月さんや八代さんも気づいていたのだ。
表情を曇らせる文月さんのとなりで、八代さんも表情をあらためて俺を見ながら頷いている。
アレンさんだけじゃなく、他のメンバーにも心配させていたんだと思うと、申し訳なさと同時に感謝したくなった。
(この人たちに出会わせてくれてありがとう)
音楽以外のことは聞きたくないと突き放すわけでもなく、未熟さを理由に追い出そうともしない。
俺を受け入れてくれたのが彼らだったからこそ、ここまで来れたんだろう。そしてこれからも一緒にやりたいと思うことが出来る。
「心配しないで下さい。あの時聞こえた声はかき消されて、ここまで届きませんから」
ふたりは声? と首を傾げていたけれど、ステージ奥に残っていたアレンさんは聞こえていたらしく、目を細めて満足そうに笑っていた。
「いままで受けたいやがらせ全部、吹き飛ばすくらいに、明日みんなを盛り上げましょうねってことです」
八代さんの左腕と文月さんの右腕をつかんで、えいっと引っ張りながら言うと、ふたりがためらった後で笑った。
もちろん、と頷くのが文月さんで。
やったるで、と拳を振り上げる八代さん。
「極めつけは響ちゃんや。頼むで~」
「うわっ……」
八代さんが俺の肩を抱きこんで、頭のてっぺんを撫でまわしてくれる。
「八代は緊張をほぐす方法を考えてくることだね」
キーボードのとなりで何かを鞄にしまいながら、神音が呆れた様子で口を挟んできた。
「響の初ライブの時みたいな凡ミスしたら、ピアノの超絶技巧曲よりもはるかに難しい曲を書いて、やらせるからね」
「んな~もう十二分に難しい曲ばかりやんか~」
「まだまだ甘いよ、八代くん」
にやりと笑ってみせた神音の前に、八代さんが膝をついて拝みはじめた。
「ヤッシーは緊張しなければ、何でもこなせる人なんです。結成当時のライブ映像を見ましたか? あんな風にドラムも叩けるし、ギターだって人並み以上にこなせます」
何か言い合う神音と八代さんを見ながら、文月さんが苦笑しつつ教えてくれた。
そこにアレンさんも加わってきた。
「ずいぶんおしとやかなドラムだったけどね、一応叩ける。でもヴォーカルはダメ。歌う以前の問題。マイク持って中央に立たせただけで冷や汗まみれ。いざ歌おうと息を吸ったら、そのまま気絶しちゃう。せっかく見てくれは申し分ないってのにね」
「……気絶……」
笑おうにも笑えなかった。初ライブの記憶はまだ鮮明で、八代さんの気持ちもわからなくないから。
「ファミレスで響くんとはじめて会った日を覚えてる?」
「え、ええ……」
「あの時自己紹介したでしょ。八代ね、響くんに言ったあの台詞を前日の夜からくり返し練習してたんだって。ファミレスで集まってからも、神音が響くん連れてくるまで、ひったすらくり返してて。オレの方が覚えちゃって、響くんに早瀬八代です~と言っちゃいそうだったよ」
文月さんと俺がそろって吹き出した。
気づいて神音と八代さんが俺たちを振り向いた。アレンさんが肩をすくめ、舌を出しておどけてみせる。
「八代の『緊張しすぎで症』をライブのたびに、どうやってほぐしたら効果的なのか。そればっかり考えてるよね、ぼくたち」
神音が俺たちの話題に気づいたのか、わざとらしい大きなため息をつきながら、額に手を当てて言う。
「解消方法を見つけたメンバーには、オレから報奨金出してもいいよ」
「それ、ぼくが響の時に言ったことじゃん」
「俺の?」
いきなり名前を呼ばれて、目を丸くする俺に気づいて、しまったと神音が顔をしかめた。
「ほら……響くんが練習に来れなかった時期があったでしょ。あの時にオレたちに全部話してくれていたんだよ。指のこととかね。で、響くんを解放してくれるなら、全財産譲ってもいいって真面目な顔で言ったの」
「……神音」
照れてるのか、鞄を肩にかけて帰り支度をする神音は、絶対に俺を見ようとはしなかった。
(……ん? と言うことは……)
神音がどれくらい稼いできたのか実感がないから、全財産がいくらなのか想像もできないけど、その気持ちがうれしくて感動に浸っていたら、思考がカツンと音を立てて止まった。
「だったらアレ、ン……」
「さぁ、明日は本番。早く帰って十分休息をとりましょう、諸君」
アレンさんが神音の全財産を受け取る権利がある。そう言いかけた俺の口を素早く手で塞いで、アレンさんがメンバーたちを追い出しにかかった。
メンバーたちがステージを出て行く中で、口を塞がれたまま俺はアレンさんを見上げた。
耳元に顔を寄せたアレンさんが、だれにも聞こえないように囁いた。
(あの夜は、オレたちの記憶の中にだけあればいいの)
さらりと囁いて、手と顔が離れて行く。
「…………」
思わず視線で追いかけた先で、帰り支度をしながらアレンさんがウィンクした。
(神音の財産目当てでしたことじゃないって言いたいのかな……?)
いまになってもあの日を思い出すと、顔から火が出る心地になる。
アレンさんの車に乗せてもらって帰るのだから、先に行って待っていよう。追いつかれるまでの間で、心を落ち着かせたい。
そう考えてライブハウスの出口に向かう。すると出入り口の手前で神音が待っていた。
「お疲れ、響」
「神音こそ。俺は楽器とかないし、そんなに疲れてないよ」
ジャケットにお気に入りのエンジ色のマフラーを首に巻いた神音が、肩をすくめる。
「経験してないことだらけで、気疲れしているでしょう。響はそう言うこと、隠そうとするからね。歌えるようになったのに相変わらずだよ。ほんと、ツレナイ」
「……つれないって……」
自覚がないから神音に責められても、実感がわいてこない。ひとりになったら気づくだろうか。
すい、と神音が何かを差し出してきた。
「何、これ……」
白い封筒だ。一瞬いやがらせで毎日届いていた封書を思い出した。
神音がそれに気づいたのかどうか。あぁ、と少し早口で説明しはじめる。
「明日のライブのチケット。八代に頼んどいたの。響が言いにきたら渡してやってって。でも今日まで響、八代に言わなかったでしょ? 八代もつい準備に追われて忘れてて、帰る間際になって思い出したらしくて、僕に渡して帰って行ったんだ」
差し出された封筒を見つめて、俺は声を見失った。
あきらめていたものが、不意に目の前に現れたんだ。
「……代わりに、俺にも超絶難しい曲を歌わせるつもり?」
どうにか絞り出した声はみっともないくらい震えていた。
「いいね、それ。思いつかなかったや」
神音はあっさりと言い放って、封筒を俺の手に押しつけた。
「二枚あるけど、好きに使って。ここまで頑張ってくれた響への、ぼくからのご褒美だよ」
「神音……俺は迷惑しかかけてないのに」
チケット代を俺は持っていない。
アレンさんの家でも考えたことだけど、実家を出た時にアルバイト先を探せばよかったとまた後悔した。
(いやがらせとか怪我とか、いろいろあったけど。やろうと思えばできたこと、いっぱいあっただろ)
明日のライブが終わったら、ちゃんと考えようと決意をしながら、封筒を握りしめた。
「ありがとう、神音。これ無駄にしないよ、絶対に」
神音が俺の顔を見て、満足そうに目を細めた。
「こんなとこ借りてやろう思う奴らはみんな、他のとこでもチケット即完売しとる奴らばっかりや。そうでなければ、ばっか高い料金を自腹で払って演奏することになるでなぁ……ほんま、チケット売れてなかったらこれ全部払うハメになっとったんかと思うと寒気がするわ」
神音たちがここで演奏するのは三度目なのだそうで、手続きや費用の管理を一任されている八代さんがぼやいていた。
俺は八代さんにずっと言えないでいることがある。
(チケット一枚余ってませんか……なんて言えないよなぁ)
結局言えないまま完売したと聞いて、かなり落ち込んでいる。
ただでさえアレンさんの実家に居候中の身分だ。神音が父親から預かった生活費をアレンさんに渡してくれているけれど、使わずにしまったままなのを偶然見てしまった。
そんな状態でチケットが欲しいと言うのは、すごく後ろめたかったのだ。
(あぁ~……樫部、ちゃんと買ってくれてるかな……そもそも来るのかな……う~肝心の樫部が聞いてないなら、新曲作った意味ない~)
告白できないかわりに、どさくさまぎれに想いだけでも伝えようと一念発起したものの、最後の詰めが甘く、当の本人が会場に来なかったなんて、笑い話にもならない。
(最悪だ、俺。間もなく飛び立つ、なんて須賀原相手に豪語しておきながら、まったく変わってない。情けない男のまんまじゃん……はぁ~)
最終目的地だった卒業記念ライブのステージに立ち、マイク片手に項垂れる。
時はすでにライブ前日。楽器や機材などの搬入とセッティングを終えて、演奏しながらの調節を終えた。
翌朝の予定を確認してから、解散と言われたところだ。
「どしたん、響ちゃん?」
「やけに暗い空気を背負っていますけど」
八代さんと文月さんが、ステージを出て行こうと俺の背後を通りがかり、首を傾げて声をかけてくれた。
「……いえ、まぁ……いろいろと考えてしまいまして」
正直に打ち明けたくはないし、八代さん相手に恋愛に関わる話題はしたくない。
あいまいに返事をする俺を見て、ふたりはお互いに顔を見合わせ、肩をすくめた。
「須賀原さんに言ったことを後悔していますか?」
文月さんがもしかして、と眉を寄せながら聞いてきた。
「……え?」
まるで考えていなかった話題を持ち出されて、理解が及ばない。
「僕たちと一緒にこれからも演奏し続けると言ったことを後悔しているのではと……」
あ、と思わず口から音がこぼれてしまった。
「俺……そんな風に見えました?」
「気を悪くしないで聞いてください。前回響君が歌った時、ずいぶん悩んでいた様子でした。先輩が付き添って大丈夫だと教えてくれましたが……この場所に立ったら、気が変わってしまったのかと」
初めてステージで歌った時の様子に、文月さんや八代さんも気づいていたのだ。
表情を曇らせる文月さんのとなりで、八代さんも表情をあらためて俺を見ながら頷いている。
アレンさんだけじゃなく、他のメンバーにも心配させていたんだと思うと、申し訳なさと同時に感謝したくなった。
(この人たちに出会わせてくれてありがとう)
音楽以外のことは聞きたくないと突き放すわけでもなく、未熟さを理由に追い出そうともしない。
俺を受け入れてくれたのが彼らだったからこそ、ここまで来れたんだろう。そしてこれからも一緒にやりたいと思うことが出来る。
「心配しないで下さい。あの時聞こえた声はかき消されて、ここまで届きませんから」
ふたりは声? と首を傾げていたけれど、ステージ奥に残っていたアレンさんは聞こえていたらしく、目を細めて満足そうに笑っていた。
「いままで受けたいやがらせ全部、吹き飛ばすくらいに、明日みんなを盛り上げましょうねってことです」
八代さんの左腕と文月さんの右腕をつかんで、えいっと引っ張りながら言うと、ふたりがためらった後で笑った。
もちろん、と頷くのが文月さんで。
やったるで、と拳を振り上げる八代さん。
「極めつけは響ちゃんや。頼むで~」
「うわっ……」
八代さんが俺の肩を抱きこんで、頭のてっぺんを撫でまわしてくれる。
「八代は緊張をほぐす方法を考えてくることだね」
キーボードのとなりで何かを鞄にしまいながら、神音が呆れた様子で口を挟んできた。
「響の初ライブの時みたいな凡ミスしたら、ピアノの超絶技巧曲よりもはるかに難しい曲を書いて、やらせるからね」
「んな~もう十二分に難しい曲ばかりやんか~」
「まだまだ甘いよ、八代くん」
にやりと笑ってみせた神音の前に、八代さんが膝をついて拝みはじめた。
「ヤッシーは緊張しなければ、何でもこなせる人なんです。結成当時のライブ映像を見ましたか? あんな風にドラムも叩けるし、ギターだって人並み以上にこなせます」
何か言い合う神音と八代さんを見ながら、文月さんが苦笑しつつ教えてくれた。
そこにアレンさんも加わってきた。
「ずいぶんおしとやかなドラムだったけどね、一応叩ける。でもヴォーカルはダメ。歌う以前の問題。マイク持って中央に立たせただけで冷や汗まみれ。いざ歌おうと息を吸ったら、そのまま気絶しちゃう。せっかく見てくれは申し分ないってのにね」
「……気絶……」
笑おうにも笑えなかった。初ライブの記憶はまだ鮮明で、八代さんの気持ちもわからなくないから。
「ファミレスで響くんとはじめて会った日を覚えてる?」
「え、ええ……」
「あの時自己紹介したでしょ。八代ね、響くんに言ったあの台詞を前日の夜からくり返し練習してたんだって。ファミレスで集まってからも、神音が響くん連れてくるまで、ひったすらくり返してて。オレの方が覚えちゃって、響くんに早瀬八代です~と言っちゃいそうだったよ」
文月さんと俺がそろって吹き出した。
気づいて神音と八代さんが俺たちを振り向いた。アレンさんが肩をすくめ、舌を出しておどけてみせる。
「八代の『緊張しすぎで症』をライブのたびに、どうやってほぐしたら効果的なのか。そればっかり考えてるよね、ぼくたち」
神音が俺たちの話題に気づいたのか、わざとらしい大きなため息をつきながら、額に手を当てて言う。
「解消方法を見つけたメンバーには、オレから報奨金出してもいいよ」
「それ、ぼくが響の時に言ったことじゃん」
「俺の?」
いきなり名前を呼ばれて、目を丸くする俺に気づいて、しまったと神音が顔をしかめた。
「ほら……響くんが練習に来れなかった時期があったでしょ。あの時にオレたちに全部話してくれていたんだよ。指のこととかね。で、響くんを解放してくれるなら、全財産譲ってもいいって真面目な顔で言ったの」
「……神音」
照れてるのか、鞄を肩にかけて帰り支度をする神音は、絶対に俺を見ようとはしなかった。
(……ん? と言うことは……)
神音がどれくらい稼いできたのか実感がないから、全財産がいくらなのか想像もできないけど、その気持ちがうれしくて感動に浸っていたら、思考がカツンと音を立てて止まった。
「だったらアレ、ン……」
「さぁ、明日は本番。早く帰って十分休息をとりましょう、諸君」
アレンさんが神音の全財産を受け取る権利がある。そう言いかけた俺の口を素早く手で塞いで、アレンさんがメンバーたちを追い出しにかかった。
メンバーたちがステージを出て行く中で、口を塞がれたまま俺はアレンさんを見上げた。
耳元に顔を寄せたアレンさんが、だれにも聞こえないように囁いた。
(あの夜は、オレたちの記憶の中にだけあればいいの)
さらりと囁いて、手と顔が離れて行く。
「…………」
思わず視線で追いかけた先で、帰り支度をしながらアレンさんがウィンクした。
(神音の財産目当てでしたことじゃないって言いたいのかな……?)
いまになってもあの日を思い出すと、顔から火が出る心地になる。
アレンさんの車に乗せてもらって帰るのだから、先に行って待っていよう。追いつかれるまでの間で、心を落ち着かせたい。
そう考えてライブハウスの出口に向かう。すると出入り口の手前で神音が待っていた。
「お疲れ、響」
「神音こそ。俺は楽器とかないし、そんなに疲れてないよ」
ジャケットにお気に入りのエンジ色のマフラーを首に巻いた神音が、肩をすくめる。
「経験してないことだらけで、気疲れしているでしょう。響はそう言うこと、隠そうとするからね。歌えるようになったのに相変わらずだよ。ほんと、ツレナイ」
「……つれないって……」
自覚がないから神音に責められても、実感がわいてこない。ひとりになったら気づくだろうか。
すい、と神音が何かを差し出してきた。
「何、これ……」
白い封筒だ。一瞬いやがらせで毎日届いていた封書を思い出した。
神音がそれに気づいたのかどうか。あぁ、と少し早口で説明しはじめる。
「明日のライブのチケット。八代に頼んどいたの。響が言いにきたら渡してやってって。でも今日まで響、八代に言わなかったでしょ? 八代もつい準備に追われて忘れてて、帰る間際になって思い出したらしくて、僕に渡して帰って行ったんだ」
差し出された封筒を見つめて、俺は声を見失った。
あきらめていたものが、不意に目の前に現れたんだ。
「……代わりに、俺にも超絶難しい曲を歌わせるつもり?」
どうにか絞り出した声はみっともないくらい震えていた。
「いいね、それ。思いつかなかったや」
神音はあっさりと言い放って、封筒を俺の手に押しつけた。
「二枚あるけど、好きに使って。ここまで頑張ってくれた響への、ぼくからのご褒美だよ」
「神音……俺は迷惑しかかけてないのに」
チケット代を俺は持っていない。
アレンさんの家でも考えたことだけど、実家を出た時にアルバイト先を探せばよかったとまた後悔した。
(いやがらせとか怪我とか、いろいろあったけど。やろうと思えばできたこと、いっぱいあっただろ)
明日のライブが終わったら、ちゃんと考えようと決意をしながら、封筒を握りしめた。
「ありがとう、神音。これ無駄にしないよ、絶対に」
神音が俺の顔を見て、満足そうに目を細めた。
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