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第一章

4:ジェットコースター

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 とにかく一度歌ってみて、神音たちの反応を見てみよう。
 俺がようやくひとつの結論にたどりついた時、頭の中を読んでいたのかと思うようなタイミングで、彼が学校前に来た。
 午前中だけだった授業を終えて、樫部と並んで校門を出た時だった。
 赤いスポーツカーが目の前に止まる。
 こんな場所に車が止まることはほとんどなく、何だろうと見ると運転席側の窓が下がって、見覚えのある顔がこちらを見ていた。
「と、富岡さんッ!?」
 まばらに生えたひげ、ほとんど変わらない表情、樫部とよく似た銀縁のメガネをかけた無口なプロデューサーだった。
 質素な文学青年っぽい外見の富岡さんが、海外製の鮮烈な赤色のスポーツカーに乗っているなんて思いもしなかった。
 戸惑いながら車に目を奪われていると、声が聞こえた。
「乗れ」
「へっ?」
 短く呟いた富岡さんの声が聞き取れなくて、窓に顔を寄せた。
「乗れ、と言っている」
「え、ええっ?」
 慌てる俺の背中をだれかが押した。
 振り向くと樫部だった。
「だれだか知らないが、片平の知人なんだろう。校門前にいつまでも停車されているのは、他学生にも迷惑がかかる。言われた通りに乗れよ」
「あ……そ、そうだな」
 しどろもどろに樫部に別れを告げて、車体を回って助手席に乗り込んだ。
 シートベルトをセットするのに手間取っていると、何も言わないまま富岡さんは車を発進させてしまった。
「うわっ、ちょっとまだ……」
 セットできてないと言おうとして、言葉を見失う。
 走り出した車内にデッキから音楽が流れてきた。それがまた、富岡さんには似つかわしくない曲だったのだ。
 明るくてリズムの良い女性ヴォーカルの恋の歌に吹き出しそうになって、慌てて手で口を塞いだ。
 富岡さんは無言のままハンドルを握っていて、一瞬だけ俺を見たような気がした。
 相変わらず表情に変化はない。
「……あの、どこへ行くんですか?」
 何も言わない富岡さんに焦れて、俺の方から質問してみた。
 するとまた俺を見ただけで、富岡さんは前方へ向いてしまう。
(無口すぎるよ、富岡さん~ッ!)
 この人と会話できる人がどこかにいるんだろうか。
 神音たちは、ちゃんと意思の疎通ができていたようだから、俺だけが会話できていないのかもしれない。
(まいったな~。何が何だかさっぱりわかんないよ)
 一度走りだしてしまった車から、いきなり飛び降りるわけにもいかない。
 まるで誘拐みたいだ。
(自分から乗ったなら、誘拐にならないのかな。じゃあ、拉致?)
 俺はどうでもいいことを考えながら、車窓を眺めていた。
 車は高速に入ったようだった。
 エンジン音やすれ違う車の音と、リピート再生されている女性ヴォーカルの歌だけが車内を漂う。
(この曲好きなのかな、この人……ずっとこればっかり)
 恋する楽しさと、臆病になる心をジェットコースターに例えているこの曲は、十数年前に発表されて大人気だったらしい。音楽をほとんど聞かない俺でも知っているくらいだ。
 早すぎないリズムと覚えやすい歌詞が、自然と耳に残っていく。
 浮き立つ心を歌う曲とは正反対に、重く沈んだままの車内。
 ようやく車が高速を降りた時には目的地が近いんだとわかって、ほっと息を吐いた。
 ここはどこだろうと、周囲を見渡すと特徴的なシルエットが目に入った。
「えっ、遊園地っ!?」
 冬の青空に骨組みがうねり、色とりどりの車体がレールを滑っていく。
 その遊園地はジェットコースターが名物だとかで、全国各地から観光客が遊びに来ると聞いたことがある。
 自宅から一時間と少しで行ける場所なのに、俺は一度も入ったことがない。友達に誘われても絶対に行かなかった。俺はジェットコースターが苦手なんだ。
「こんなところで……何かあるんですか?」
 まさか男を連れて来て、デートしようとか言うタイプでもなさそうだし。
 富岡さんは妻帯者で、もうすぐ父親になるとか言ってなかったっけ。
「…………」
 期待してなかったけど、返事はやっぱり沈黙だった。
 再び沈黙も乗せたスポーツカーが園内の駐車場へ入って行った。


(あれ、何か弾んでる……?)
 窓から外を見ていると、駐車場の奥、入口ゲートの前で茶色い塊が上下に揺れていた。
 平日の昼間だからか、広い駐車場に思ったほど車は止まっていない。
 富岡さんは慎重に車を止めて、エンジンを切った。
 無言でシートベルトを外す富岡さんに倣って、俺もドアを開けて車を降りる。
 もう一度ゲートの方を見ると、やっぱり何かが弾んでいる。
「クニちゃ~~ん!」
「!」
 茶色い塊が止まったかと思ったら、姿形もよくわからない距離にいるのに、だれかを呼んでいる声が聞こえてきた。
(うっ、わ……すごい声だな……)
 今日は風が弱いと言っても、だだっ広い駐車場の中だ。拡声器を使っても、はっきりとは聞こえなさそうなのに。
「クニちゃん、クッニ、ちゃ~んっ」
「……うるさい」
 何度もだれかを呼ぶ声に、ようやく富岡さんが口を開いた。
 拉致されてから、はじめて聞く声に俺は苦笑する。
 そんな俺の手を富岡さんが掴むと、大股で歩き出した。
「ええ、ちょっと、富岡さんっ」
「クニちゃン、ここだよ~。早く、はっやく~!!」
 ずんずん駐車場を突っ切って富岡さんは、茶色い塊へ一直線に歩いて行く。
 入口前にいたのは、縦にも横にも大柄な男性だった。
 赤茶色の髪と青緑色の目をして、赤くて丸い頬が人柄の良さを表しているようだ。彼はとても楽しそうに目を細めていた。
 彼の前に到着した富岡さんは、珍しく不機嫌そうな表情をしていて、掴んでいた俺の腕を彼に付きだした。
「えっ」
 自然と体が前のめりになって、男性に抱きつくような勢いになった俺を、笑いながら男性が受け止めてくれた。
「何度も名前を呼ぶな、バカ」
 富岡さんは俺のことなどまるで気にせず、男性に向かって文句を言った。
 にこにこ笑う男性は、よしよしと分厚い手のひらで俺の背中を撫でて言い返す。
「だって~、すっごく楽しみだったんだもン。クニちゃんの秘蔵っ子なんて、ずいぶんと久しぶりなんだカラ」
「その呼び方はやめろと言ってる。ったく……その子は片平響だ。明日迎えに行く。頼んだぞ」
 舌打ちした後で俺を簡単に、ものすごくあっさりと紹介した富岡さんは、くるりと背中を向けて歩き出した。
 わけのわからない俺を置いて。
「と、富岡さんっ!」
「はいハ~イ、また明日会おうね~」
 大柄な男性は呑気に手を振って見送っている。
(何だよ、事情がわからないのは俺だけってこと?)
 校門前で問答無用で拉致されて、重苦しい沈黙のドライブに耐えて、恐怖のジェットコースター音が鳴り響く遊園地前で謎の男と取り残された。
(今日は厄日ってやつ? 助けて神音、樫部~ッ!)
 ライブで歌わない? と神音に誘われてから、展開が激しくて目が回りそうだ。
 そんな俺の背中をもう一度、男性が軽く叩いた。ちゃんと立てるのを確認してから、大きな手が離れていく。
「サテ、かたひらひびき、だったカナ? 言いにくいからヒッキーって呼ぶネ」
 いきなり拒否権なしですか。
「あ、の……」
「ボクはモーチン。モーチン・バルムガートナー。クニちゃんの同級生で、声楽家デス。よろしく~ヒッキー」
 ああ、もうヒッキーでいいです。
 富岡さんが舌打ちした気持ちがわかるな。
「こちらこそ、よろしくお願いします……と言いたいところなんですけど、何で俺がここに連れて来られたのか、全然わからないんです」
 モーチンさんは頬をさらに膨らませるようにして笑った。
「もちろん、ジェットコースターに乗るタメだよ」
「……遠慮します」
 富岡さんみたいにモーチンさんから逃げようとした俺の肩を、がしっと大きな手で掴んでひきとめられた。
「何で、ナンで~?」
「苦手ですから……ジェットコースター」
「うっそぉ~っ! 日本人は絶叫マシン好きじゃないの?」
 どこで仕入れたんです、その偏見は。
 肩を落とす俺に、目を丸くするモーチンさん。
「ん~だったら、今日乗ってみて、好きになればイイよ!」
「なれません……って、だから俺は入りませんってば!」
「い~から、いいから。せっかく来たんだしネ!」
「好きで来たわけじゃありません……あーも~、話を聞いてくださいっ」
 ついさっきまでいた人とよく似た強引さで、モーチンさんの巨体が入口を目指す。
 大きな手が俺の肩を掴んで、ほとんど抱えるようにして歩くから逃げられなかった。
 俺の分もモーチンさんが入場料を払って、抱えられたまま俺は遊園地に入ってしまった。
「……あの、お金払います」
「いいのいいの。クニちゃんから頼まれてるんだから、ボクが払って当然なの」
 青ざめてため息をつく俺を抱えたまま、どこまでも楽しそうなモーチンさんはどこかへ歩いて行く。
「どこへ行くんですか?」
「ギネスに載ったジェットコースターも乗ってみたかったんだケドね~、ヒッキーにはこれね」
 モーチンさんが指さした先にジェットコースターの土台がある。横に巨大な看板が取り付けられていて、『Cupido』と書いてあった。
 頼んでもいないのに、モーチンさんが話し続ける。
「キューピッド。これはね、速度は特別早くないんだケド、ちょこまか、カクカク曲がるわ止まって、すんごく楽しいんダヨ~」
「……ぜんっぜん、楽しそうに思えません」
「あはは~、さぁ早速行きまショ~」
「行きませんーっ! うわぁあ……」
 逃げようとしたけど、見かけ以上にモーチンさんは力持ちだ。
 男子高校生ひとり、軽々と持ち上げて階段を昇ってしまう。
「離して、乗りたくないですってば!」
 荷物はこちらへ~と言ってくれる係員の声も、耳を素通りしていく。
 俺は本当にこういう乗り物が苦手だった。
 はじめて乗ったのは小学生になる前だったと思う。
 途中で降りたいと泣き叫んで、隣にいた神音にしがみついて離れられなかった。
 それ以来、近づこうとも思わなかったのに、容赦なく車体に乗せられてしまった。
「ボクたちは準備できましたヨ~」
「…………」
「ヒッキー、楽しみましょうね」
「できませんっ!!」
 俺の叫びもむなしく、乗客が揃った車体はサイレンの後に出発してしまった。


 モーチンさんの言葉以上に、二人乗りの車体は上下左右に揺れて、いきなり加速や停止をくり返して走行した。
 俺は叫び声もあげられず、安全バーにしがみついて固まっていた。
 すると隣で大声で笑っていたモーチンさんが、いきなり歌いはじめた。
(あ……れ? その曲は)
 低音の歌声だから雰囲気は違って聞こえるけれど、明るくてリズムが良くて聞きやすい歌詞。
 富岡さんの車の中で、延々とくり返し聞いた女性ヴォーカルの曲だった。
「もも、もーちん、さん」
 もつれる舌をどうにか動かして呼びかけると、ちらっとこっちを見たモーチンさんがさらに声を張り上げた。
 楽しそうに体を揺らして、にこにこと歌い続ける。
「ヒッキーも歌ってみて。キューピッドとこの曲ね、リズムが合ってるンだよ? 乗りながら歌うと、ほんとうに気持ちいいんだから~」
 そんなこと言われたって、俺は吐き出さないで乗っているのが精一杯だ。
 とても歌う気分になんてなれない。
 モーチンさんが続きを歌い終わると、しばらくしてキューピッドもレールを走り切り、乗降口に戻った。
「あ、まだ降りちゃダメだよ、ヒッキー」
 ぎくしゃくした動きで安全バーを外そうとした俺の手を、モーチンさんが掴んで止める。
 えっ、とモーチンさんを見ると、楽しそうな顔でとんでもないことを言ってくれた。
「さっきの曲をヒッキーが歌えるようになるまで、降りちゃダメ」
「はぁ? な、なんだってそんなことになるんですか」
「ん~……だって、クニちゃんに頼まれたんダ。特訓してやってくれって。だから終わるまでダメ」
 ようやくここに来た目的を知ることはできた。
 だからと言って、こんな特訓を受けるつもりにはなれない。
「俺は降りますっ!」
「ダ~メ~。乗り放題のパスポート買ったんだモン。乗らなきゃ損だよ!」
 降りる、ダメ、と言い合って揉み合う間に、サイレンが鳴る
 青ざめた俺をちゃんと座らせて、モーチンさんも座り直す。
「さぁ、楽しい時間だヨ~!」
 呑気な声に、俺はもう何も言い返す気力もなく、車体に身を任せるしかなかった。


「……ぃ、ひ……っきー、ヒッキーって」
 我に返ると、車体は静かに止まっていた。
 俺を覗きこんで、モーチンさんが何度も名前を呼んでいる。
「モーチンさん?」
 丸い顔を心配そうに曇らせていたモーチンさんは、少しだけ笑顔を取り戻して頷いた。
「よかったヨ~。目の焦点が合ってなかったカラ、驚いちゃった」
 どうやら走行中に意識が飛んでしまっていたらしい。
 少しだけ申し訳ない気持ちになって謝ると、モーチンさんは頭を撫でてくれた。
「何でみんなこういう乗り物が好きなのカ、考えたことある?」
「え……いえ、ありませんけど」
 突然の問いかけに戸惑いつつ答えると、そうだよねとまたモーチンさんは頷いた。
「体全部で感じるでショ。突き上げてくる振動、吹きつける風の圧力。内臓を捩じられるような感覚。命の危険を感じるくらいの急降下に、ぼぅ~っとなる暇もないくらい、次から次へと強烈な感覚が襲いかかってくる」
「はい」
 だから苦手なんだ。
「感じるって、生きてることダと思わない?」
「……あ、の」
 急に哲学的な問いかけをされて、返事ができずに息を飲む。
「ジェットコースターに乗ると、強烈な感覚に襲われるじゃない? するとみんな自然に声を出してるでしょ。悲鳴や歓声と言うのかな? その感覚をね、クニちゃんはヒッキーに知って欲しいんだって。どうもヒッキーは感情を声にしないタイプみたいだからって言ってタ」
「それは……当たってますけど」
 だからって何も、こんな方法で覚えさせようとしなくても、他に方法があるんじゃないの。プロだって言うなら、いろんな方法を知っていそうなのに。
「クニちゃんは、ヒッキーにただ歌うだけの人になって欲しくなかったんだヨ。もちろんボクも同じ。感じて欲しいんだ」
「…………」
 車体の最前列に並んで座ったまま、モーチンさんの声を聞く。
 レールが前方へ伸びている。
 何人ものお客さんを乗せて、車体はレールを走る。
 それを支える従業員たち。考えた人たち。作りあげた人たち。
 すべてはお客さんを喜ばせるために。そうしてお金をもらうためにある。
「ヒッキーのすべてで感じたことで、歌う人になって欲しいンだよ」
「…………」
 強引で自分ひとりが楽しんでいるように見えたモーチンさんが、柔らかい声で話すのを聞いていると、だんだん情けない気持ちになってきた。
 まだ学生の俺と違い、モーチンさんは働いている。いくら富岡さんに頼まれたからと言って、見ず知らずの男子高校生を何の目的もなく連れ回したりしないだろう。
 富岡さんもわざわざここまで送ってきてくれて、特訓を手配してくれた。ためらってばかりで動けない俺の背中を押してくれている。
 自分の視野の狭さに羞恥心がわいて、思わず俯いた。
 膝の上で握りしめたままだった手が、白く強張っている。
 ふと、教室で見た手を思い出した。
 手を伸ばす勇気は持てなくて、教室で背中を見つめるだけの毎日だった。
(このまま卒業したら、樫部と話す機会はなくなるだろうな)
 アメリカに行った後に、俺を思い出してくれるのか、樫部の性格からして難しい気がする。
 数年後の同窓会ハガキを見て、そう言えばいたな、と思い出してくれたら奇跡だと思う。
(そっか……俺は樫部に見てもらいたいんだ。ここに、日本の高校に俺がいたと覚えていてもらいたい)
「……歌え、るでしょうか?」
 ぽつん、と声がこぼれる。
 頭の上にまたモーチンさんの手が乗った。
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