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断末魔の残り香 霧(第四シリーズ)
三面鏡
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出張とは果たしてこのような扱いでいいのだろうか。秋男は頭を抱えていた。仕事の都合というものに流されてここまで来たにもかかわらず、漂流先の気分な街に予約済みのホテルの一件すら用意してもらえないという状態。
ビジネスホテルに泊まろうかと考えつつも秋男は首を左右に振る。そのような大金をこのような目的で消費してしまった場合、きっと向こうで待っている小春を悲しませてしまう事だろう。
「節約だからな」
誰にともなくただ言葉を零してネットカフェに泊まる。夜という時間を過ごすためだけに使う人物がそれなりにいる事を理解していた。
特にインターネットに触れることなく、本を手に取る事も無くただ眠るだけ。朝ごはんをここで頼むことは出来るようだが値段を確認して背筋が凍える想いを受けてしまう。
目を閉じて一日溜めた疲れを取ろうと眠りに就いてみたものの、次の日に待ち構えている大きな気怠さは仕事に支障をきたしてしまう恐ろしい形相。
このままでは身体が持たない、危機感が背筋を伝い始める。来た時には出来て当たり前だったことにすら引っ掛かりが出来て焦燥感は確かな形を取り始めた。
このままでは秋男は役立たずという認識が会社に根付いてしまう事だろう。もしもそうなってしまえばどれだけ苦労や貢献を重ねたところで全てにおいて評価が付かなくなってしまう事を知っていた。
それだけは避けなくては、秋男はこれまでになかった焦りを感じていた。
そうしてたどり着いた相談相手、秋男にとっては出張先でしかないそこで十数年という時間を過ごして来た大先輩に相談を持ち掛けた。
すると不思議な答えを得ることが出来たものだからついつい口元が歪んでしまう。
「ここで話すのはよろしくない欲を発散するためのホテルに泊まる手がある」
その答えは呆れを呼んでしまう。しかしながら先輩が見せる表情は本気のもので、茶化すことすら許せない雰囲気が作り上げられていた。
「昔は派遣とかで来た人が泊まる為に使う事もあったんだぞ」
一応は悩みに寄り添ってくれているようで、それが尚更笑い飛ばす事を許さない。冗談と結論付ける理由は奪い去られてしまった。
しばらくの間流れる沈黙の中で彼はネットの力を、電子情報の海という広大な存在を駆使して一つの場所を、更にもう一つの場所を。続いて更にもう一つ、しっかりと調べ上げてみせた。
「三ヶ所、三千円台から四千円ちょっとのビジネスホテルがある」
向けられた画面に秋男の目は釘付けになってしまう。ネットカフェの三倍は覚悟しなければならないものの、千の位の値が秋男の知るビジネスホテルよりも一つから二つ、一番安い場所と縁があれば三つも下。
これで上手く生きて行けるのであれば文句のつけようもなかった。
「ネカフェより寝心地いいから頑張れるぞ」
寝所はしっかりと選ぶことが大切、椅子と台を組み合わせてブランケットを被るだけの寝床や妙にうねるクッションに寝ころぶよりも上質な眠りが期待できそうだった。
「ありがとうございます」
「いいんだ、働きやすい環境の為だし」
そこまで考えるのが先輩の役割だろうか、感謝の気持ちを一礼に込めつつ一日の仕事を、力と動きに掛かっている成果を上手く上げながら、秋男はこの日をどうにかやり過ごす。
もはや彼には自由など残っていないようだった。
仕事を数日間、加えて休日を意図的に一日返上、肝心の休日の過ごし方についてもスーパーで買ったサンドイッチや弁当を公園で貪り程よい時間が来るまで歩き回るだけ、そんな生活を三週間続けていた。
そんな変わり映えのしない生活の中で一つの変化が訪れる。ネットカフェとは異なり少し遅くまで寝ていても許される空間に体力をしっかりと回復できそうな寝床。
「やっと生きた心地が得られそうだな」
秋男の生活はこの日を以て少しだけ楽になる。ホテルを探し始める。
歩く人の姿がくっきりと目に映るのは果たして何週間前から待っていた光景だろうか。
人々が行き交う駅前で、飽くまでも秋男の故郷と変わりない規模の街の中で、いくつかのビジネスホテルの存在を認めた時には思わずはしゃいでしまいそうな気持を必死に抑え込んだものだった。
予約も無しの状態でいとも容易く受け入れてくれた受付に感謝の一礼を沈黙を被ったまま行ない、エレベーターに乗り込んだ。
そのまま上がって部屋へと入り込み、まずは荷物を置いて洗面台と向かい合う。
そこで手を広げるように開いた鏡、三面鏡と呼ばれるものがそこにあった。
秋男は疲れ果てた顔を力なく睨みながら思い出す。嫌な上司の事を、正しい事をしていても、これからの流れを辿ろうとしても先回りして怒鳴り散らす愚かな行ないを。
あの人物はきっとそうしたいだけなのだろう。
結論は無事に付いて、ため息をつくと共に耳元で怒鳴り声が聞こえて来た。
目を開けて見つめた鏡に上司の姿が写っているような気がした。
「気のせいだよな」
目を擦り、夕飯として買ったコンビニのパンを素早く口の中に放り込んで、準備を整え目を閉じ意識を内側に落とし始めた。
身体を引き攣らせながら目を開く。辺りは暗く、誰も歩かないそんな時間の事。
耳を叩くような刺々しい怒声が部屋中に充ちていた。聞き覚えのある声、嫌な上司の言葉が反響していた。
「なんでだよ」
眠気を否定できない身体に鞭を打ち立ち上がる。耳を澄ました方、怒声の発生源は三面鏡の方だろうか。
歩み寄り、目を向ける。
鏡に映るのは顔じゅうに力のこもった皺を寄せた脂ぎった男。それがただただ今まで秋男に怒鳴りつけるために使った言葉のコレクションを披露していた。
その顔を睨み付け、秋男は大きく息を吸った。
「黙れ」
空気を震わせ破り捨てるような怒鳴りを上げると共に上司の顔も声も全て消え去った。
その次の日、会社の詰め所にて気が付いた。あの男は必要以上に早く訪れているはずが今日は姿を見せない。
気のせいだと思いつつも欠勤したという結果を確認して次の日、さらに次の日も欠勤。
それから秋男が去る前に耳にしたこと。あの男は脳の血管が破れて亡くなってしまったのだという。
ビジネスホテルに泊まろうかと考えつつも秋男は首を左右に振る。そのような大金をこのような目的で消費してしまった場合、きっと向こうで待っている小春を悲しませてしまう事だろう。
「節約だからな」
誰にともなくただ言葉を零してネットカフェに泊まる。夜という時間を過ごすためだけに使う人物がそれなりにいる事を理解していた。
特にインターネットに触れることなく、本を手に取る事も無くただ眠るだけ。朝ごはんをここで頼むことは出来るようだが値段を確認して背筋が凍える想いを受けてしまう。
目を閉じて一日溜めた疲れを取ろうと眠りに就いてみたものの、次の日に待ち構えている大きな気怠さは仕事に支障をきたしてしまう恐ろしい形相。
このままでは身体が持たない、危機感が背筋を伝い始める。来た時には出来て当たり前だったことにすら引っ掛かりが出来て焦燥感は確かな形を取り始めた。
このままでは秋男は役立たずという認識が会社に根付いてしまう事だろう。もしもそうなってしまえばどれだけ苦労や貢献を重ねたところで全てにおいて評価が付かなくなってしまう事を知っていた。
それだけは避けなくては、秋男はこれまでになかった焦りを感じていた。
そうしてたどり着いた相談相手、秋男にとっては出張先でしかないそこで十数年という時間を過ごして来た大先輩に相談を持ち掛けた。
すると不思議な答えを得ることが出来たものだからついつい口元が歪んでしまう。
「ここで話すのはよろしくない欲を発散するためのホテルに泊まる手がある」
その答えは呆れを呼んでしまう。しかしながら先輩が見せる表情は本気のもので、茶化すことすら許せない雰囲気が作り上げられていた。
「昔は派遣とかで来た人が泊まる為に使う事もあったんだぞ」
一応は悩みに寄り添ってくれているようで、それが尚更笑い飛ばす事を許さない。冗談と結論付ける理由は奪い去られてしまった。
しばらくの間流れる沈黙の中で彼はネットの力を、電子情報の海という広大な存在を駆使して一つの場所を、更にもう一つの場所を。続いて更にもう一つ、しっかりと調べ上げてみせた。
「三ヶ所、三千円台から四千円ちょっとのビジネスホテルがある」
向けられた画面に秋男の目は釘付けになってしまう。ネットカフェの三倍は覚悟しなければならないものの、千の位の値が秋男の知るビジネスホテルよりも一つから二つ、一番安い場所と縁があれば三つも下。
これで上手く生きて行けるのであれば文句のつけようもなかった。
「ネカフェより寝心地いいから頑張れるぞ」
寝所はしっかりと選ぶことが大切、椅子と台を組み合わせてブランケットを被るだけの寝床や妙にうねるクッションに寝ころぶよりも上質な眠りが期待できそうだった。
「ありがとうございます」
「いいんだ、働きやすい環境の為だし」
そこまで考えるのが先輩の役割だろうか、感謝の気持ちを一礼に込めつつ一日の仕事を、力と動きに掛かっている成果を上手く上げながら、秋男はこの日をどうにかやり過ごす。
もはや彼には自由など残っていないようだった。
仕事を数日間、加えて休日を意図的に一日返上、肝心の休日の過ごし方についてもスーパーで買ったサンドイッチや弁当を公園で貪り程よい時間が来るまで歩き回るだけ、そんな生活を三週間続けていた。
そんな変わり映えのしない生活の中で一つの変化が訪れる。ネットカフェとは異なり少し遅くまで寝ていても許される空間に体力をしっかりと回復できそうな寝床。
「やっと生きた心地が得られそうだな」
秋男の生活はこの日を以て少しだけ楽になる。ホテルを探し始める。
歩く人の姿がくっきりと目に映るのは果たして何週間前から待っていた光景だろうか。
人々が行き交う駅前で、飽くまでも秋男の故郷と変わりない規模の街の中で、いくつかのビジネスホテルの存在を認めた時には思わずはしゃいでしまいそうな気持を必死に抑え込んだものだった。
予約も無しの状態でいとも容易く受け入れてくれた受付に感謝の一礼を沈黙を被ったまま行ない、エレベーターに乗り込んだ。
そのまま上がって部屋へと入り込み、まずは荷物を置いて洗面台と向かい合う。
そこで手を広げるように開いた鏡、三面鏡と呼ばれるものがそこにあった。
秋男は疲れ果てた顔を力なく睨みながら思い出す。嫌な上司の事を、正しい事をしていても、これからの流れを辿ろうとしても先回りして怒鳴り散らす愚かな行ないを。
あの人物はきっとそうしたいだけなのだろう。
結論は無事に付いて、ため息をつくと共に耳元で怒鳴り声が聞こえて来た。
目を開けて見つめた鏡に上司の姿が写っているような気がした。
「気のせいだよな」
目を擦り、夕飯として買ったコンビニのパンを素早く口の中に放り込んで、準備を整え目を閉じ意識を内側に落とし始めた。
身体を引き攣らせながら目を開く。辺りは暗く、誰も歩かないそんな時間の事。
耳を叩くような刺々しい怒声が部屋中に充ちていた。聞き覚えのある声、嫌な上司の言葉が反響していた。
「なんでだよ」
眠気を否定できない身体に鞭を打ち立ち上がる。耳を澄ました方、怒声の発生源は三面鏡の方だろうか。
歩み寄り、目を向ける。
鏡に映るのは顔じゅうに力のこもった皺を寄せた脂ぎった男。それがただただ今まで秋男に怒鳴りつけるために使った言葉のコレクションを披露していた。
その顔を睨み付け、秋男は大きく息を吸った。
「黙れ」
空気を震わせ破り捨てるような怒鳴りを上げると共に上司の顔も声も全て消え去った。
その次の日、会社の詰め所にて気が付いた。あの男は必要以上に早く訪れているはずが今日は姿を見せない。
気のせいだと思いつつも欠勤したという結果を確認して次の日、さらに次の日も欠勤。
それから秋男が去る前に耳にしたこと。あの男は脳の血管が破れて亡くなってしまったのだという。
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