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断末魔の残り香 凝(第二シリーズ)
自転車
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春斗は大学を中退して以降、いくつかの職を巡っていた。季節はどのように過ごしたところで過ぎ去って行くもので、そうと思いきや一時的には止まっているようにも見える。
数年を消費した事で秋男もまた退学という道を選んでしまったことを残念に思いつつ、力なき体、というよりは気の力を失った身というべきだろうか、そんな身体を動かし今日という日を過ごして行く。
春斗たちの青春は既に過去のもの。桜咲く春が再び巡ってきたところで、元気な日差しが少し鬱陶しい夏が訪れてきたところで、彼らのあの日々が帰って来る事など無かった。
秋男が久々にカフェに訪れた時、彼の表情から今まで見られた元気が抜けている様を目にした。
「もうじき退学しちまうぜ」
それでも春斗よりは元気な様を見せていて、やはり恋の力や楽しむことは大切なのだと思い知らされた。
「突然だが」
いつにも増して怪しい笑みを浮かべながらカフェの駐輪場を指す。
「ロード乗ってみないか」
それはロードバイクと呼ばれるもの。値段とサドルの位置が異様に高い自転車で日頃乗っているものと比べて相当大きな速度が出る事で有名。春斗は本物こそ見たことが無かったものの、テレビの街頭インタビューを受ける外国人が身体を壁代わりに支えている姿を見た覚えはあった。
「すっげー気持ちいんだぜ」
それは想像が付くものの、あまりにも大きな壁が立ちはだかっているように感じてしまう。
「でも高いしな」
それは秋男も認めているようで、しかしながら引き下がってはくれない。
「いいじゃねえか、生きがいも無いんだろ」
今の春斗の姿を見れば誰でも気が付いてしまうものなのだろうか。力が抜けきった身体、何も感じさせない魂。やはり分かってしまうものだろうか。
それから様々な会話を経て、コーヒーと共に思い出の一つとして体の中へと流し込む。冬子は元気にしているだろうか。秋男も今では殆ど会っていないのだという。小春と付き合ってしまったからには他の女とそう簡単に会う事は出来ないのだろう。金銭という意味でも異性との関係性という意味でも。
「小春はたまには冬子と会ったらって催促してくれるんだがな」
秋男との出会いのきっかけが事故物件で、あの日は冬子も一緒だったためらしい、抵抗なく言ってのけていたそうだが秋男の中に渦巻く感情がそれを許さないのだという。一見すると軽そうな男であるものの、実際にはそうでもないよう。
見かけに覆われた本音は案外真面目な者だった。
数日が経ち、春斗は立派な白い自転車を手にしていた。結局あの後には言われるままに動いてしまっていたというわけだった。
仕事の休日を迎え、軽いサイクリングとして様々な道を進んでいた。広く走りやすい道から狭くて好奇心を掻きたてられる住宅街など、様々な景色を見て回った。
薄いタイヤは路面がもともと持つ凹凸や削れた面の形をつかんでそのまま春斗へと伝えている。車体は軽くて速い分、風を伝えて涼しいことは間違いなかったものの、どうにも快適とは行かない。
日頃ならば電車でしか立ち寄らなかったような場所にまで訪れる事が出来て様々な可能性を感じた一方で乗り心地の悪さや肩の痛みが強く印象に残ってしまう。
坂道を止まらずに駆け抜け、いつもよりも空に近付いたと錯覚させる爽やかさと同乗したその心情のまま景色を見おろす。
住宅が不規則に並ぶ一つの街。家の隙間だけが道として生きているそこは一度入ってしまえば抜け出すことに苦労する複雑な迷路のように感じられてしまう。
無機質なそこを、秋男の今の住まいに近いそこを駆けてみようと思い坂道を降りる。
それからすぐさま迷路のような道へと入り込み、走る。
その時の事だった。視界に映り込む影は白く、現実味が感じられない。一瞬で通り抜けた春斗は止まって見回すもそこには何もない。
これはきっと日差しの仕業、光の錯覚だろう。春斗の底でふつふつと煮えながら揺らめく嫌な予感を振り払って進み続ける。
するとまたすぐに、白い影が視界いっぱいに広がって通り抜け、今度こそは不自然だと思うに至る。
「抜け出さなきゃ」
予感が告げていた。全身を駆け巡り、自転車を漕ぐことによって噴き出る汗の中に冷や汗を交えて振り返って進もうとしたその時の事だった。
春斗の視界は傾いていた。傾きは目にも止まらない速さで大きくなって行き、やがて地面と顔が平行線を描く。実感を得られたのは情けないことに肩や脚に痛みが走った瞬間。
地面に倒れた春斗、身体から離れた自転車を目で追ってみると後輪をつかむ手と、頭から血を流した若くて髪の短い男の姿があった。
その目はどこまでも深い闇を塗り付けたような黒をしていて、どこから来たのかどこまで行くのか分からない、そんな感情に塗れた形相で自転車を睨み付けていた。
次に秋男と出会ったのは退学手続きを終えた日の事だったそう。カフェで向かい合い、先日の出来事を語る。
すると秋男はカフェの中、迷惑など気にしないといった様で豪快な笑い声を上げた。
「あそこら辺に住んだのはそれ目的だったんだよな」
秋男の話によればそこにはかつて自転車に跳ねられ運悪く壁に頭を打ち付け死亡した男がいたのだそう。
彼の怨念は消えることなく漂って自転車に乗った人々に対して良き場の無い恨みをぶつけている。ただそれだけの話だった。
数年を消費した事で秋男もまた退学という道を選んでしまったことを残念に思いつつ、力なき体、というよりは気の力を失った身というべきだろうか、そんな身体を動かし今日という日を過ごして行く。
春斗たちの青春は既に過去のもの。桜咲く春が再び巡ってきたところで、元気な日差しが少し鬱陶しい夏が訪れてきたところで、彼らのあの日々が帰って来る事など無かった。
秋男が久々にカフェに訪れた時、彼の表情から今まで見られた元気が抜けている様を目にした。
「もうじき退学しちまうぜ」
それでも春斗よりは元気な様を見せていて、やはり恋の力や楽しむことは大切なのだと思い知らされた。
「突然だが」
いつにも増して怪しい笑みを浮かべながらカフェの駐輪場を指す。
「ロード乗ってみないか」
それはロードバイクと呼ばれるもの。値段とサドルの位置が異様に高い自転車で日頃乗っているものと比べて相当大きな速度が出る事で有名。春斗は本物こそ見たことが無かったものの、テレビの街頭インタビューを受ける外国人が身体を壁代わりに支えている姿を見た覚えはあった。
「すっげー気持ちいんだぜ」
それは想像が付くものの、あまりにも大きな壁が立ちはだかっているように感じてしまう。
「でも高いしな」
それは秋男も認めているようで、しかしながら引き下がってはくれない。
「いいじゃねえか、生きがいも無いんだろ」
今の春斗の姿を見れば誰でも気が付いてしまうものなのだろうか。力が抜けきった身体、何も感じさせない魂。やはり分かってしまうものだろうか。
それから様々な会話を経て、コーヒーと共に思い出の一つとして体の中へと流し込む。冬子は元気にしているだろうか。秋男も今では殆ど会っていないのだという。小春と付き合ってしまったからには他の女とそう簡単に会う事は出来ないのだろう。金銭という意味でも異性との関係性という意味でも。
「小春はたまには冬子と会ったらって催促してくれるんだがな」
秋男との出会いのきっかけが事故物件で、あの日は冬子も一緒だったためらしい、抵抗なく言ってのけていたそうだが秋男の中に渦巻く感情がそれを許さないのだという。一見すると軽そうな男であるものの、実際にはそうでもないよう。
見かけに覆われた本音は案外真面目な者だった。
数日が経ち、春斗は立派な白い自転車を手にしていた。結局あの後には言われるままに動いてしまっていたというわけだった。
仕事の休日を迎え、軽いサイクリングとして様々な道を進んでいた。広く走りやすい道から狭くて好奇心を掻きたてられる住宅街など、様々な景色を見て回った。
薄いタイヤは路面がもともと持つ凹凸や削れた面の形をつかんでそのまま春斗へと伝えている。車体は軽くて速い分、風を伝えて涼しいことは間違いなかったものの、どうにも快適とは行かない。
日頃ならば電車でしか立ち寄らなかったような場所にまで訪れる事が出来て様々な可能性を感じた一方で乗り心地の悪さや肩の痛みが強く印象に残ってしまう。
坂道を止まらずに駆け抜け、いつもよりも空に近付いたと錯覚させる爽やかさと同乗したその心情のまま景色を見おろす。
住宅が不規則に並ぶ一つの街。家の隙間だけが道として生きているそこは一度入ってしまえば抜け出すことに苦労する複雑な迷路のように感じられてしまう。
無機質なそこを、秋男の今の住まいに近いそこを駆けてみようと思い坂道を降りる。
それからすぐさま迷路のような道へと入り込み、走る。
その時の事だった。視界に映り込む影は白く、現実味が感じられない。一瞬で通り抜けた春斗は止まって見回すもそこには何もない。
これはきっと日差しの仕業、光の錯覚だろう。春斗の底でふつふつと煮えながら揺らめく嫌な予感を振り払って進み続ける。
するとまたすぐに、白い影が視界いっぱいに広がって通り抜け、今度こそは不自然だと思うに至る。
「抜け出さなきゃ」
予感が告げていた。全身を駆け巡り、自転車を漕ぐことによって噴き出る汗の中に冷や汗を交えて振り返って進もうとしたその時の事だった。
春斗の視界は傾いていた。傾きは目にも止まらない速さで大きくなって行き、やがて地面と顔が平行線を描く。実感を得られたのは情けないことに肩や脚に痛みが走った瞬間。
地面に倒れた春斗、身体から離れた自転車を目で追ってみると後輪をつかむ手と、頭から血を流した若くて髪の短い男の姿があった。
その目はどこまでも深い闇を塗り付けたような黒をしていて、どこから来たのかどこまで行くのか分からない、そんな感情に塗れた形相で自転車を睨み付けていた。
次に秋男と出会ったのは退学手続きを終えた日の事だったそう。カフェで向かい合い、先日の出来事を語る。
すると秋男はカフェの中、迷惑など気にしないといった様で豪快な笑い声を上げた。
「あそこら辺に住んだのはそれ目的だったんだよな」
秋男の話によればそこにはかつて自転車に跳ねられ運悪く壁に頭を打ち付け死亡した男がいたのだそう。
彼の怨念は消えることなく漂って自転車に乗った人々に対して良き場の無い恨みをぶつけている。ただそれだけの話だった。
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