断末魔の残り香

焼魚圭

文字の大きさ
上 下
37 / 55
断末魔の残り香 凝(第二シリーズ)

自転車

しおりを挟む
 春斗は大学を中退して以降、いくつかの職を巡っていた。季節はどのように過ごしたところで過ぎ去って行くもので、そうと思いきや一時的には止まっているようにも見える。
 数年を消費した事で秋男もまた退学という道を選んでしまったことを残念に思いつつ、力なき体、というよりは気の力を失った身というべきだろうか、そんな身体を動かし今日という日を過ごして行く。
 春斗たちの青春は既に過去のもの。桜咲く春が再び巡ってきたところで、元気な日差しが少し鬱陶しい夏が訪れてきたところで、彼らのあの日々が帰って来る事など無かった。
 秋男が久々にカフェに訪れた時、彼の表情から今まで見られた元気が抜けている様を目にした。
「もうじき退学しちまうぜ」
 それでも春斗よりは元気な様を見せていて、やはり恋の力や楽しむことは大切なのだと思い知らされた。
「突然だが」
 いつにも増して怪しい笑みを浮かべながらカフェの駐輪場を指す。
「ロード乗ってみないか」
 それはロードバイクと呼ばれるもの。値段とサドルの位置が異様に高い自転車で日頃乗っているものと比べて相当大きな速度が出る事で有名。春斗は本物こそ見たことが無かったものの、テレビの街頭インタビューを受ける外国人が身体を壁代わりに支えている姿を見た覚えはあった。
「すっげー気持ちいんだぜ」
 それは想像が付くものの、あまりにも大きな壁が立ちはだかっているように感じてしまう。
「でも高いしな」
 それは秋男も認めているようで、しかしながら引き下がってはくれない。
「いいじゃねえか、生きがいも無いんだろ」
 今の春斗の姿を見れば誰でも気が付いてしまうものなのだろうか。力が抜けきった身体、何も感じさせない魂。やはり分かってしまうものだろうか。
 それから様々な会話を経て、コーヒーと共に思い出の一つとして体の中へと流し込む。冬子は元気にしているだろうか。秋男も今では殆ど会っていないのだという。小春と付き合ってしまったからには他の女とそう簡単に会う事は出来ないのだろう。金銭という意味でも異性との関係性という意味でも。
「小春はたまには冬子と会ったらって催促してくれるんだがな」
 秋男との出会いのきっかけが事故物件で、あの日は冬子も一緒だったためらしい、抵抗なく言ってのけていたそうだが秋男の中に渦巻く感情がそれを許さないのだという。一見すると軽そうな男であるものの、実際にはそうでもないよう。
 見かけに覆われた本音は案外真面目な者だった。

 数日が経ち、春斗は立派な白い自転車を手にしていた。結局あの後には言われるままに動いてしまっていたというわけだった。
 仕事の休日を迎え、軽いサイクリングとして様々な道を進んでいた。広く走りやすい道から狭くて好奇心を掻きたてられる住宅街など、様々な景色を見て回った。
 薄いタイヤは路面がもともと持つ凹凸や削れた面の形をつかんでそのまま春斗へと伝えている。車体は軽くて速い分、風を伝えて涼しいことは間違いなかったものの、どうにも快適とは行かない。
 日頃ならば電車でしか立ち寄らなかったような場所にまで訪れる事が出来て様々な可能性を感じた一方で乗り心地の悪さや肩の痛みが強く印象に残ってしまう。
 坂道を止まらずに駆け抜け、いつもよりも空に近付いたと錯覚させる爽やかさと同乗したその心情のまま景色を見おろす。
 住宅が不規則に並ぶ一つの街。家の隙間だけが道として生きているそこは一度入ってしまえば抜け出すことに苦労する複雑な迷路のように感じられてしまう。
 無機質なそこを、秋男の今の住まいに近いそこを駆けてみようと思い坂道を降りる。
 それからすぐさま迷路のような道へと入り込み、走る。
 その時の事だった。視界に映り込む影は白く、現実味が感じられない。一瞬で通り抜けた春斗は止まって見回すもそこには何もない。
 これはきっと日差しの仕業、光の錯覚だろう。春斗の底でふつふつと煮えながら揺らめく嫌な予感を振り払って進み続ける。
 するとまたすぐに、白い影が視界いっぱいに広がって通り抜け、今度こそは不自然だと思うに至る。
「抜け出さなきゃ」
 予感が告げていた。全身を駆け巡り、自転車を漕ぐことによって噴き出る汗の中に冷や汗を交えて振り返って進もうとしたその時の事だった。
 春斗の視界は傾いていた。傾きは目にも止まらない速さで大きくなって行き、やがて地面と顔が平行線を描く。実感を得られたのは情けないことに肩や脚に痛みが走った瞬間。
 地面に倒れた春斗、身体から離れた自転車を目で追ってみると後輪をつかむ手と、頭から血を流した若くて髪の短い男の姿があった。
 その目はどこまでも深い闇を塗り付けたような黒をしていて、どこから来たのかどこまで行くのか分からない、そんな感情に塗れた形相で自転車を睨み付けていた。

 次に秋男と出会ったのは退学手続きを終えた日の事だったそう。カフェで向かい合い、先日の出来事を語る。
 すると秋男はカフェの中、迷惑など気にしないといった様で豪快な笑い声を上げた。
「あそこら辺に住んだのはそれ目的だったんだよな」
 秋男の話によればそこにはかつて自転車に跳ねられ運悪く壁に頭を打ち付け死亡した男がいたのだそう。
 彼の怨念は消えることなく漂って自転車に乗った人々に対して良き場の無い恨みをぶつけている。ただそれだけの話だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サハツキ ―死への案内人―

まっど↑きみはる
ホラー
 人生を諦めた男『松雪総多(マツユキ ソウタ)』はある日夢を見る。  死への案内人を名乗る女『サハツキ』は松雪と同じく死を望む者5人を殺す事を条件に、痛みも苦しみもなく松雪を死なせると約束をする。  苦悩と葛藤の末に松雪が出した答えは……。

サクッと読める意味が分かると怖い話

異世界に憧れるとある青年
ホラー
手軽に読めるホラーストーリーを書いていきます。 思いつくがままに書くので基本的に1話完結です。 小説自体あまり書かないので、稚拙な内容は暖かい目で見てもらえると幸いです。

友達アプリ

せいら
ホラー
絶対に友達を断ってはいけない。友達に断られてはいけない。 【これは友達を作るアプリです。ダウンロードしますか?→YES NO】

【完結済】夜にも奇妙な怖い話を語ろう

テキトーセイバー
ホラー
作者が体験(?)した怖い話や聞いた噂話を語ります。 一部創作も含まれますのでご了承ください。 表紙は生成AI

催眠アプリを手に入れたエロガキの末路

夜光虫
ホラー
タイトルそのまんまです 微エロ注意

ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。 だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。 どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど?? ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に── 家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。 何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。 しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。 友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。 ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。 表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、 ©2020黄札

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...