断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香 凝(第二シリーズ)

破れ寺

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 二人の男が歩いていた。電車に揺られる事四十分。それ程の時を溶かす距離にある駅を降りて十五分は歩いただろうか。待ち構えていた森は空をも緑で食い尽くし、昼間の輝きを受け入れない。
 奥まで足を運べばいつでも不安を作り上げることの出来る森の中で秋男と春斗の二人はうわさを確認する。
「ここでいいんだよな」
 秋男の確認に一度頷き、春斗は思い返した。
「木に寄りかかる女の霊だってな」
 春斗がコンビニでアルバイトをしている時に中年の後輩から聞いた話だった。

 森の中を仲間と共に歩いていた冬の事。その男は暗い森に恐怖を植え付けられていた。葉のざわめきは静かな笑い声のようにも聞こえ、風の吹く音は害獣の唸り声の印象を刻み付けて来る。葉の重なりによって揺らめく影は果たして何者なのか、生きているようにすら見えてしまう。
 臆病な彼を嗤っていた仲間が先へ先へと手早く進んで行く。取り残されてしまっては恐怖心の煮凝りが出来上がり足を取るぬかるみとなってしまうだろう。様々な音に共鳴して震え上がる想いを、竦む脚をどうにか動かして歩く。
 やがて何もない事を悟り、怯える男は溶けて安心する男へと変貌を遂げたそう。
「結局何もなかったな」
「次は廃工場な」
 それは勘弁、乾いた薄い空気を破る笑い声、それが破られたのは後輩の仲間の方。
「あれ、人じゃねえの」
 このような所に来るもの好きが他にもいたのだろうか。愉快な仲間に加えようと近付いて行ったそうだが男は途中で立ち止まる。
「あそこの木の女」
「白い着物か」
 灰色の頼りない木に寄りかかる女は白くて粗末な着物を纏っていた。肌をも引き裂く寒気の中、薄い着物一枚で立っている女は生気すら纏っていなかった。
「気味が悪い」
 呟きが静寂の空気の水面に波を立てると共に女は顔を上げる。
 その顔は腫れ上がり、右目と対になっているはずのそこには見つめる事すら堪えられない空虚が開かれていた。

 脂ぎった顔が引き攣っている様は今でも忘れられない。震えて上手く捻り出せない声と感情のままに奇怪な踊りを見せる頬の肉は今でも記憶に残っていた。
 この森の何処で見かけたのか、判断が付かなかったものの、探れば何か手がかりが見つかるだろうかと期待半分冗談半分といった姿勢で探り続けていた。
「何年前の話なんだそれ」
 秋男の問いとすれ違うように今という時間に呼び出した記憶。彼はいつの話と言っていただろうかと俯き気味で探り黙り込む事数秒を経て春斗は顔を上げる。
「五年以上は前って言ってたかな」
 それだけ前だとすれば余程深い傷が幹にでも付けられていない限りは残されていないだろう。
 森は愉快な踊りを不愉快な雰囲気の飾りを纏って行なっていた。車道は遠く、線路は見当たらない。そんな様を見つめて秋男はぽつりと零す。
「別の世界に迷い込んだみたいだ」
 たったそれだけの言葉がどこまでも恐ろしく感じられる。此の世に根付く怪奇現象のうわさの中にも別の世界へと迷い込む話は幾らでもある。特にこのような場所で神隠しといった古来より伝わる現象の連想への誘導は得体のしれない現実味を帯びてしまう。
「怖いこと言うなって」
 春斗の返しはただ秋男の表情に愉快な彩りを与えるだけだった。
 更に歩く事、時間すら忘れてしまう森の中でいつまでもそこに在る暗い緑。歩いても懐中電灯で照らしてみても何も代わり映えするものは見当たらない。
 微かな疲れを感じ始め、戻りたいと口にしようと思ったその時、ようやく変化を目にする事が叶った。
 目の前にそびえるのは背の高い壁。木々に蝕まれて元の形を殆ど失っていたものの、秋男の頭より少し高い位置から飛び出た瓦の姿を見てようやく遥か昔から存在する建物だと窺い知ることが出来た。
「これは」
「多分この辺で有名な寺か何かだろ」
 秋男の雑な想像で片付けてしまっていいのだろうか。春斗は仄かな嫌悪感を見つめる。
「そんなにありがたいものかな」
 目の前に聳え立つように在り続ける寺は闇に透けるように染め上げられ、姿を見通すことが出来ない。果たしてそれは見た目通りの歴史を歩んで来たものなのだろうか。
 寺と呼ぶには清浄なる気配が足りない。
 竦む脚はあの時あの男が味わった感情と大きく変わらないものを背負ってしまったことを告げていた。
「行こうぜ」
 秋男の興味は既に木陰の女から寺の方へと移ってしまったようで、目に映る薄暗い未来から目を逸らして壁を伝うように歩いて行く。今年に入ってから心霊スポットに足を運ぶ機会は格段に増えたものの、いつまで経っても慣れないのは危機感が生きている証拠なのだろうか。その感情が死霊達に飲み込まれてしまったらきっと命まで向こう側へと引き込まれてしまう事だろう。
 壁は土の身体を隠しているだけなのか、植物を支えにしているのか。分からない。壁の上にはみ出た寺の屋根は苔やツタが生えていて今にも崩れ去ってしまいそう。
 頭の中を暗い想像が支配していく。既に雰囲気に憑り付かれてしまっている。春斗の背筋をなぞるように形無き何かが這い回っているようだ。
 この世界は触れたくないもので溢れている。嫌いなものを詰め込んだ闇鍋を思わせる場所すらある。この寺こそがそうした気配を纏っている。
 正面の門は開かれていて、入ることは容易いはずのそこは何故だか入る事が容易でないように感じられてしまう。ぽっかりと開かれた口から見える景色は揺れる水に覆われた空気。
「秋男」
 春斗の言葉に対してただ一度頷くだけ。秋男の目はしっかりと寺を見つめていた。
 そのまま踏み込まれた一歩、それを目にして秋男の未来の行動が目に見えてしまう。初めから春斗の想像通りの物だった。
「やめよう」
 声は警告の重みを持って響く。それでも秋男の足は止まらない。
「待って」
 嫌な予感が異質な物体のような仕立てを作っているにも拘わらず秋男は感じ取ることが出来ないのだろうか。
 止まる事を知らずに進み続ける彼を追い、結局は春斗も同じように危機の中に飛び込んで行く。
 薄暗いそこは昼間でも霊の存在が活発なままでも違和感を抱かせない。
 門という一つの境界線を踏み越えた途端、空気が揺れる。重く大きく澱んで濃く深く、霧を思わせる無味無臭の穢れが辺りを舞い始めた。
「なあ、戻ろう」
「何言ってんだよ」
 秋男の表情はいつになく活き活きとしていた。ここまで輝いている瞬間など見たことが無かった。
「怖いものが見たいんだからこれからだぜ」
 春斗の精神は内側でしゃがみ込み、果てには丸まり震え上がっていた。額を冷や汗が伝う。森の空気を吸って実に冷たい汗となって流れ落ち、余裕すら奪い去って見せる。
 視線を地に落としたその時、春斗は目にしてしまった。
 地面から生える幾つかの手を、同時に数を増やし目にも止まらぬ速さで幾つもの手へと変わっていく瞬間を。
 秋男はニヤつきながら地面から生えた青白い手が伸びて肘まで伸びて、やがて地へと倒れるように折り曲げられて地中から這い上がる様を見届けていた。
 一人、また一人。それぞれの人物の顔は腫れ上がっていたり爛れていて目にするだけで痛々しさを刻み込まれてしまう。
 秋男は周りを見回し、ようやく正気に返ったのだろうか、否、初めから正気、ただありとあらゆることを軽んじて見ていただけに過ぎなかった。
「ここ、もしかして」
 人の気配など遥か昔の時点で途絶えていた。そこにある建物は朽ちて所々が欠けていて、今にも崩れてしまいそうな姿をしていた。
「破れ寺か」
 気が付いた瞬間、駆け出し始める。しかし秋男は離れることが出来ずに地面に転がってしまう。
 動けない理由、引っ張られる感触、視界をそこへと移してようやく悟った。足をつかまれて動けないという事実に。
「春斗」
 救いを求めて声を上げた途端、春斗はバッグを開き線香の束を取り出して火を点ける。緑の体の先が黒に、更にその先が灰色と赤へと色を変え、煙が上がり始める。
 そのまま幾つかを青白い手に向けて投げ、足から手を放す瞬間を見て秋男の手をつかみ引いて立ち上がらせ、そのまま寺を抜ける。


 それから一週間の時が経ち、バイトの後輩が寺の事など知らないと告げ、違和感を抱いてしまう。
「そんなに奥まで進んでないのに見掛けないものかな」
 秋男に訊ねられ、背の低い女が睨みと共に声に感情を込め、しかしながら言葉には織り交ぜない。
「薄暗いからな」
 再び例の森へと踏み込んでいた。今度は三人で探していた。女の目の下には深いくまが刻まれていて黒く艶がかかった髪と共に生を感じさせない雰囲気を作り上げていた。
「冬子みたいに白いお化けだったぜ」
 春斗はしっかりと睨み付け、冬子の方へと寄って歩みを進める。
「そもそも何が本当か分からないんだ」
 冬子は上から舞うように落ちて来る濃い緑の葉、暗がりに磨きをかける材料と化しているそれが揺れながら地面へと向かう姿を見つめる。
「例えばあの葉が素直に落ちなかったらどう思うか」
 秋男はケタケタと笑いながら落ちて来る葉を手で掬い、春斗に手渡す。
「この場所ならポルターガイストとか言いそうだな」
「人によって付喪神、風、念力。どう思うか分からないな」
 きっと事実よりも場所の雰囲気や共に語り合う内容が大切、そう言いたいのだろう。
「破れ寺も、暗くてよく見えなかっただけで休憩所かも知れないし」
「あの霞みたいなのは」
 春斗の疑問はまさに自分の記憶からひねり出されたもの。確実に現実の光景なのか、自信を持つことが出来ない。
「森の中だ、寒ければ出るかもな」
 再び葉が回りながら不思議な曲線を描きながら舞う。それは幽霊が弄ぶポルターガイストなのか、それ自体が付喪神と成っているのか、裏でエスパーが悪戯をしているのか、ただの風という夢の無い話なのか。春斗には判別も付かない。
「帰ろう」
 そう言って冬子は振り返り、数歩だけ進んだのちに立ち止まる。
「どうしたの」
 春斗の疑問に冬子は弱々しい笑みを浮かべる。
「いや、ただの日差しと木陰の陰影みたい」
 いつになく弱々しい雰囲気に違和感を抱きつつも二人は冬子の後をつけるように歩き続ける。
 冬子が先ほど見つめていた木の隣を通り抜ける時、白い着物を纏った女が幹に寄りかかり、此方を見つめているような気がした。
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