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断末魔の残り香(第一シリーズ)
傀儡師の屋敷
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会社で得てきた疲労、日頃から溜め込んでいる様々な社会の重みを取るべく家でコーヒーを飲む。春斗の生活はいつも同じ事を巡らせるだけのもの。これまでもこれからもいつでも、進むことも無ければ戻ることも無くこのまま生きてそのまま死んで行くのだろう。
昨日何もなかったから今日も何もなく、そして明日も何もない。大きな不幸が訪れるその時まで怠惰に身を委ねて最期に学ぶ努力を怠ってきた自身を、最後まで生きる事から逃げて来た自身を恨む事だろう。
そんな事を思っていた春斗の携帯電話にメールが送られて来た。
送り主は中学生の頃からの友人の秋男。明るい文面に心を躍らせ何一つ変わらない男と共に寿司を食べに行く約束を取り付けた。
これは惰性だけで生きてきた春斗が久々に友人と共に懐かしさに浸りながら心霊スポットに忍び込む話。
☆
日は沈み、暗闇が空を飲み込んでいく。春斗は既に二十四歳になっていた。過ぎ去りし日々を思い出す。大学を中退して以来時間を尽く無駄使いしていた事も、明るい未来など存在し得ない事ももう分かり切っていた。重ねて来た歳、歩んで来た年月はただの数字以上の意味を見いだすことが出来ない、そんな男。
急な坂を下り、木々や畑が隣に堂々と居座る歩道を進んで神社の前の信号を渡る。続いて橋、先ほど降りたもの程の角度を持たない坂を上って母校の小学校へと繋がる坂道には目もくれずに通り過ぎる。
信号を渡り、道なりに進み交差点へ。さらに続いて信号を渡って少し歩くことでようやく辿り着いた回転寿司屋の前で待つ。
働く人々が昼間は去り夜は寝床とするために帰って来る街、ベッドタウン。闇に覆われた空は地上の明かりが射し込み明るみを帯びていて車がよく通る場所。
そんな中で車の音を聞きながら十分程度待っていると、茶髪の男が幅の広い歩道を堂々と歩いて来る姿を目にした。秋男だった。
「よっ、元気してっか。俺は元気過ぎるぜ」
いつもと変わらない顔、昔から何一つ変わりない態度、春斗が気にしている変化のない事に対して全く恐れを抱いていない人物。
「大学は四回生の二年生で中退したけどな、小春と元気に元気し過ぎて元気溢れ過ぎだ」
つまりカップルとしては仲良し、という事である。秋男は春斗の妹の小春と付き合っており、明るい日々を過ごしているのであろう。
「しっかし春斗と遊びにいく度に春斗のこと大切にしてあげてね、とか言われるんだが」
不自然に重ねられる言葉を思い返しながら秋男は苦笑を浮かべつつ引き続き口を開く。
「お前何かあったのか」
「昔ちょっとね」
かつては辛辣な言葉を用いて脅しなどを受けていた春斗。小春もその事は反省しているようだが一度謝ってもらってから一度も会っていないのだ。恐らく気まずいのだろう。
回転寿司屋に入り、テーブルの席へと案内されるなり即座に座って端末を触って注文を始める秋男の姿にある種の感心を抱いてしまう。席に座って確認したところ敷かれている三段のレーンには寿司が流れていない。今どきの回転寿司は常にネタを置いて回すという春斗の印象とはかけ離れているようだった。
「行くぜ、始まりからクライマックス」
小春との生活で外食など春斗以上に久々なはずの秋男は手慣れた様子で注文ボタンを押した。これが二人の差というものなのだろうか。
それから数分後、サーモン、炙りサーモン、とろサーモン、鮭ハラミ、マヨサーモンなど、様々なサーモンが流れて来る様を見つめては微笑むことしか出来なかった。
☆
寿司屋でのひと時を過ごして楽しい気分を味わって、春斗は既に満足していた。しかしながら秋男はこれだけでは終わらせるつもりはないらしい。次の提案を下す。
「懐かしいことするか」
この二人が揃って懐かしいと思うような事、それも明るくはあれどもこんな夜の闇の中で言うのだから最早答えなど出ているようなものだ。
「心霊スポットに行くんだ、ある屋敷にな」
心霊スポット。大学に通っていた頃にはおどろおどろしい曰く付きの場所にばかり足を運んでいたものだった。
「ところで冬子は」
「アイツは仕事忙しいだろうからな」
あの頃は運転手の同い歳の女性がいたのだが、就職してしまっていてはそう簡単に呼ぶ事も出来ないだろう。
「俺ら底辺中退組くらいだろ、こんなに好き勝手出来るのは」
冬子は二人よりも頭の良い大学を出ていたため、やはりそれなりの仕事に就いているのだろう。仕事に就いたという通話はもらっていたものの、場所まで深く訊ねることまでは到底出来なかった。
軽い口調で通話をもらった事を話すと共に秋男は目を見開いた。
「なんで俺はメールだけだってのに」
きっと日頃の行いが悪い、の一言で片づけることが出来ること、それでもそう簡単に応えることが出来ない。
「もしや、春斗の事が好きなんだろ」
「はっ、秋男何言って」
顔を赤くして目を泳がせる。そんな崩れた表情を見つめて秋男は笑いながら春斗の背を叩いた。
「なんてそうとは限らない冗談はおいといて」
秋男は通りかかった自販機に金をつぎ込み、缶コーヒーの無糖と炭酸水を買ってコーヒーを手渡しながら不敵な笑みを浮かべる。
「別に冬子呼んでも良いが絶対心霊スポット巡りがなくなるからいやなんだよな」
春斗は完全に理解した。全てが秋男の都合だったのだと。
人々が眠る街を歩いて、閉まった店が並ぶ暗い坂道を登っていく。家々の並ぶ通りに見覚えがあるのは恐らく昔訪れたことのある道だからであろう。
途中に左手側に迎えた狭い道路へと足を向け、上って辿り着いたのは知らない場所、家から離れた立派な広さを誇る庭には草木が雑に生えていて元の姿すら見えて来ない。かつては人の手が着いていたと言われてもにわかには信じがたかった。
そんな庭の草木を掻き分けて歩いた先にある大きな家、蜘蛛の巣が張っていて窓は割れている。壁や屋根も傷み所々が凹んでしまっている。かつて人が住んでいたという事実だけで死の匂いを感じさせる景色、そこが今回忍び込む場所なのだろう。
秋男は家を指して過去を嗤うように告げた。
「金持ちが住んでた家だ。最後の家主は傀儡師だったな」
既に割れている窓をくぐり抜けて入って行く。蜘蛛の巣が張られ、枯れ果てた観葉植物があったと思しきシミは死を連想させて恐怖を引き出す。
そんな屋敷を歩き回る。静かなこの場所に響き渡るのは二人が歩みを進める度に軋む音。今にも壊れてしまいそうな音は屋敷が長らく手入れされていない事を実感させた。
やがて廊下の壁に薄汚れたドアを見付けて秋男はホコリ被ったドアノブを引いた。
「ビデオテープを持って帰ったらアウトらしい」
警告なのか、実行に移すという宣言なのか。分からないまま促されるままに部屋の中へと入っていく。
広い部屋、壁には様々な人形がならび、壁に掛けられた立派な角の生えた白い頭は雄ヤギのものであろうか。その部屋の中でも最も存在感の大きなものは堂々と居座る高そうなテーブル、更にその上にはビデオテープが置かれていた。新品同様の状態で、明らかに異質なそれを秋男は手に取り裏返して何も書かれていない事を確かめる。
「誰かのイタズラか」
「霊のイタズラだ」
軽い口を叩きながら秋男は壁際に飾られたテレビの下に設置されたビデオデッキにビデオテープを入れて電源ボタンを押した。
「って、電気通ってるわけないか」
秋男は顔を上げて驚きを顔にした。電気が通っていないはずのテレビは明るく輝き、ビデオデッキはテープを読み込み始める。
古びた機械が動く不穏な音を耳にしながら春斗は冬子にメールを送っていた。いざという時の為に。
震える指を懸命に動かす春斗になど構うことなくテレビにはある映像が映され動き始める。目だけが見えるような黒い被り物をした傀儡子が人形を操るその映像、つまり彼の仕事の映像だろう。
その映像に見入っていたふたり、変わった職業にはやはり興味が湧くものだ。それから何分経っただろう、仕事の映像は終わり、画面が暗転する。
「なんだ、これだけか」
欠伸混じりに噂を思い出しながら春斗を一瞥する。
「持って帰らなきゃ問題ねえんだよな」
緊張の情は完全に消え失せたようで、軽い足取りでテレビに近付く秋男。不安を煽るような軋みの音を立てながらビデオデッキに手を伸ばそうとすると、突然呻き声が聞こえてきた。
秋男は顔を上げ、春斗は後ずさりをする。
そこには恐らく例の傀儡師であろう男の姿、そして年老いた女性の姿が映されていた。年老いた女性は包丁を手に持っていて、男の方へと迫る。若々しい男の顔は恐怖に歪み、素の形を失っていた。
女性は包丁を持っている腕を上げて男めがけて振り下ろす。男に刺さった包丁、春斗は目を手で覆い、秋男は口の端を引き攣らせる。スピーカーから流れる鈍い悲鳴と映像の中を流れる赤い血。
「あ、ああ」
女は包丁を引き抜き再び男を刺す。痛々しさに充ちたそれは耳から入り身体の節々を刺してしまいそうだった。
男は最後はただ、こう呻くだけ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
その瞬間、二人の横側で物音がした。春斗がそっちを向くと、壁に掛かっていたヤギの頭が傾いている。異変は既にテレビだけでは済まされなかった。
「秋男、これは逃げなきゃ」
「分かってる」
そうして二人は逃げ出したのだった。
☆
暗闇の中で始終無言。二人は緊張のあまり声すら出せずに肩で息をする。
やがて落ち着きを取り戻し始めた事を肌で感じ、さよならを告げてそれぞれの家に帰っていく。春斗は疲れ果てた身体を引き摺って、どこの誰が歩いていてすれ違っているのかも分からない状態のまま家に入っていく。
「ただいま」
その声に応えるように出てきた母親、そこで春斗は違和感を抱いた。母の目が虚ろである。
「おかえり」
そう言った母の声には感情がいまいち乗り切れていない。母の肩が何やら歪んで見えた。春斗は目を凝らし、意識を集中させて見つめて驚きを得た。
そこにいたのは傀儡師の男、すぐ後ろで指を動かしている様はまるで糸を引いて春斗の母を操っているよう。
「洗濯機回すから、早くお風呂入って」
その声に感情は宿るか、否、全て傀儡師に喋らされているもの。そんな物に感情はありはしなくて気味が悪い。
春斗は飛びつくように家を飛び出した。
走っていく。走っていく。そこですれ違う男、見知らぬ人が後ろを振り返り、声を発した。
「お疲れ様お兄さん」
感情の乗らない声、きっと傀儡師が操っているもの。振り返るのも恐ろしくて春斗はただ走って行く。
すれ違う人、外にいる人の全てが傀儡師の人形のよう。不自然な形で話しかけて来る人々から得る恐怖を抑え込んで走るその姿は幼子のようで情けない。
ようやくたどり着いたそこはあの屋敷。
先程と同じように割れた窓から忍び込んで例のあの部屋、ビデオテープのある部屋へと向かっていく。
急ぎ足で向かったドアを開いた先、閉ざされた世界の向こうには一人の男が立っていた。
「秋男」
呼ばれると共に春斗に目を向ける。震える目には感情が宿っていたものの、その情はあまりにも暗く重いもの。
「来るな、ダメだ、操られてたのは俺たちだったんだ」
恐怖の宿った言葉と共に秋男は春斗の腕を掴み部屋に引き摺り込む。勢いのままに蹴り倒し、飛び乗って右手に持った包丁を掲げる。
秋男の目には恐怖と焦りが宿っていた。春斗にも分かっていた。身体だけが操られている、殺人の瞬間は正気でいさせよう、全てに絶望を与えよう。傀儡師の心意気はあまりにも薄っぺらでありながらドロドロとした濃厚な憎悪を運び込む。
春斗は悔いていた。秋男に誘われた時に断っていれば、明らかに危ない場所に行っているのだからそこで引き返していれば、ビデオテープを取り上げて捨てていれば。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
気が付けば道化師の最期と同じ状況、同じ言葉で幕を降ろそうとしていた。
秋男が包丁を振り下ろそうとした時、春斗は目を閉じる。包丁を持って意思とは関係なく春斗を刺そうとしている秋男の表情を見るのが怖かった。
終わりの時は、暗闇の中で。
しかし、包丁が刺さる事はなかった。
横に払われるような衝撃と共に秋男の身体が吹き飛んでいくのを春斗は感じていた。
疑問を覚えて目を開けるとそこにいたのは相変わらずの目つきの悪さと目の下にいつまでも消えないくまを滲ませた背の低い女。肩まで伸びたサラサラとした黒髪と不健康そうな白い肌、もまた相変わらずだった。冬子の姿を見たのは何年ぶりだろうか。
「またあの馬鹿に振り回されてたみたいだな」
頼りになりそうな芯の強さをひしひしと感じさせる低い声は、堂々とした態度は、春斗よりもずっと格好いい。
「帰ろう」
秋男の後ろに立つ傀儡師を睨み付けて冬子はぼそりと呟く。
「断末魔の残り香。何年感じてなくても忘れられない気配だな」
霊感の強い冬子はきっとこれまで霊の存在を避けていたのだろう。春斗は罪悪感を抱かずにはいられなかった。
「死に際の人々が残した最後の呪詛は」
冬子と傀儡子がにらみ合っている間にも春斗はビデオテープをデッキから取り出した。冬子ほど強い霊感がなくてもそれが原因、曰く付きの品なのだと言うことは分かり切っていた。
そして、右手に持っているそのテープを霊に見せつけるように掲げた後、思い切り振り下ろして地に叩き付けた。
☆
月すら見えない都会近郊の明るい夜空。空気は濁っていてどこか重々しくお世辞にも良いとは言えない。そんな平凡な世界を冬子と春斗と秋男の三人で歩いていく。
「これに懲りたならもう二度と心霊スポットなんかに行こうとするんじゃない、分かったな秋男」
冬子にこっぴどく叱りつけられて子どものように肩を竦める秋男。その様子を見て春斗は微笑んだ。
「昔はこんな感じで三人で色々行ったよね」
「殆ど心霊スポットだったがな」
一つの出来事はようやく幕を閉じ、秋男はしっかりと反省を見せて今度こそ各々の家に帰るべく、別々の道を歩き出した。
昨日何もなかったから今日も何もなく、そして明日も何もない。大きな不幸が訪れるその時まで怠惰に身を委ねて最期に学ぶ努力を怠ってきた自身を、最後まで生きる事から逃げて来た自身を恨む事だろう。
そんな事を思っていた春斗の携帯電話にメールが送られて来た。
送り主は中学生の頃からの友人の秋男。明るい文面に心を躍らせ何一つ変わらない男と共に寿司を食べに行く約束を取り付けた。
これは惰性だけで生きてきた春斗が久々に友人と共に懐かしさに浸りながら心霊スポットに忍び込む話。
☆
日は沈み、暗闇が空を飲み込んでいく。春斗は既に二十四歳になっていた。過ぎ去りし日々を思い出す。大学を中退して以来時間を尽く無駄使いしていた事も、明るい未来など存在し得ない事ももう分かり切っていた。重ねて来た歳、歩んで来た年月はただの数字以上の意味を見いだすことが出来ない、そんな男。
急な坂を下り、木々や畑が隣に堂々と居座る歩道を進んで神社の前の信号を渡る。続いて橋、先ほど降りたもの程の角度を持たない坂を上って母校の小学校へと繋がる坂道には目もくれずに通り過ぎる。
信号を渡り、道なりに進み交差点へ。さらに続いて信号を渡って少し歩くことでようやく辿り着いた回転寿司屋の前で待つ。
働く人々が昼間は去り夜は寝床とするために帰って来る街、ベッドタウン。闇に覆われた空は地上の明かりが射し込み明るみを帯びていて車がよく通る場所。
そんな中で車の音を聞きながら十分程度待っていると、茶髪の男が幅の広い歩道を堂々と歩いて来る姿を目にした。秋男だった。
「よっ、元気してっか。俺は元気過ぎるぜ」
いつもと変わらない顔、昔から何一つ変わりない態度、春斗が気にしている変化のない事に対して全く恐れを抱いていない人物。
「大学は四回生の二年生で中退したけどな、小春と元気に元気し過ぎて元気溢れ過ぎだ」
つまりカップルとしては仲良し、という事である。秋男は春斗の妹の小春と付き合っており、明るい日々を過ごしているのであろう。
「しっかし春斗と遊びにいく度に春斗のこと大切にしてあげてね、とか言われるんだが」
不自然に重ねられる言葉を思い返しながら秋男は苦笑を浮かべつつ引き続き口を開く。
「お前何かあったのか」
「昔ちょっとね」
かつては辛辣な言葉を用いて脅しなどを受けていた春斗。小春もその事は反省しているようだが一度謝ってもらってから一度も会っていないのだ。恐らく気まずいのだろう。
回転寿司屋に入り、テーブルの席へと案内されるなり即座に座って端末を触って注文を始める秋男の姿にある種の感心を抱いてしまう。席に座って確認したところ敷かれている三段のレーンには寿司が流れていない。今どきの回転寿司は常にネタを置いて回すという春斗の印象とはかけ離れているようだった。
「行くぜ、始まりからクライマックス」
小春との生活で外食など春斗以上に久々なはずの秋男は手慣れた様子で注文ボタンを押した。これが二人の差というものなのだろうか。
それから数分後、サーモン、炙りサーモン、とろサーモン、鮭ハラミ、マヨサーモンなど、様々なサーモンが流れて来る様を見つめては微笑むことしか出来なかった。
☆
寿司屋でのひと時を過ごして楽しい気分を味わって、春斗は既に満足していた。しかしながら秋男はこれだけでは終わらせるつもりはないらしい。次の提案を下す。
「懐かしいことするか」
この二人が揃って懐かしいと思うような事、それも明るくはあれどもこんな夜の闇の中で言うのだから最早答えなど出ているようなものだ。
「心霊スポットに行くんだ、ある屋敷にな」
心霊スポット。大学に通っていた頃にはおどろおどろしい曰く付きの場所にばかり足を運んでいたものだった。
「ところで冬子は」
「アイツは仕事忙しいだろうからな」
あの頃は運転手の同い歳の女性がいたのだが、就職してしまっていてはそう簡単に呼ぶ事も出来ないだろう。
「俺ら底辺中退組くらいだろ、こんなに好き勝手出来るのは」
冬子は二人よりも頭の良い大学を出ていたため、やはりそれなりの仕事に就いているのだろう。仕事に就いたという通話はもらっていたものの、場所まで深く訊ねることまでは到底出来なかった。
軽い口調で通話をもらった事を話すと共に秋男は目を見開いた。
「なんで俺はメールだけだってのに」
きっと日頃の行いが悪い、の一言で片づけることが出来ること、それでもそう簡単に応えることが出来ない。
「もしや、春斗の事が好きなんだろ」
「はっ、秋男何言って」
顔を赤くして目を泳がせる。そんな崩れた表情を見つめて秋男は笑いながら春斗の背を叩いた。
「なんてそうとは限らない冗談はおいといて」
秋男は通りかかった自販機に金をつぎ込み、缶コーヒーの無糖と炭酸水を買ってコーヒーを手渡しながら不敵な笑みを浮かべる。
「別に冬子呼んでも良いが絶対心霊スポット巡りがなくなるからいやなんだよな」
春斗は完全に理解した。全てが秋男の都合だったのだと。
人々が眠る街を歩いて、閉まった店が並ぶ暗い坂道を登っていく。家々の並ぶ通りに見覚えがあるのは恐らく昔訪れたことのある道だからであろう。
途中に左手側に迎えた狭い道路へと足を向け、上って辿り着いたのは知らない場所、家から離れた立派な広さを誇る庭には草木が雑に生えていて元の姿すら見えて来ない。かつては人の手が着いていたと言われてもにわかには信じがたかった。
そんな庭の草木を掻き分けて歩いた先にある大きな家、蜘蛛の巣が張っていて窓は割れている。壁や屋根も傷み所々が凹んでしまっている。かつて人が住んでいたという事実だけで死の匂いを感じさせる景色、そこが今回忍び込む場所なのだろう。
秋男は家を指して過去を嗤うように告げた。
「金持ちが住んでた家だ。最後の家主は傀儡師だったな」
既に割れている窓をくぐり抜けて入って行く。蜘蛛の巣が張られ、枯れ果てた観葉植物があったと思しきシミは死を連想させて恐怖を引き出す。
そんな屋敷を歩き回る。静かなこの場所に響き渡るのは二人が歩みを進める度に軋む音。今にも壊れてしまいそうな音は屋敷が長らく手入れされていない事を実感させた。
やがて廊下の壁に薄汚れたドアを見付けて秋男はホコリ被ったドアノブを引いた。
「ビデオテープを持って帰ったらアウトらしい」
警告なのか、実行に移すという宣言なのか。分からないまま促されるままに部屋の中へと入っていく。
広い部屋、壁には様々な人形がならび、壁に掛けられた立派な角の生えた白い頭は雄ヤギのものであろうか。その部屋の中でも最も存在感の大きなものは堂々と居座る高そうなテーブル、更にその上にはビデオテープが置かれていた。新品同様の状態で、明らかに異質なそれを秋男は手に取り裏返して何も書かれていない事を確かめる。
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「霊のイタズラだ」
軽い口を叩きながら秋男は壁際に飾られたテレビの下に設置されたビデオデッキにビデオテープを入れて電源ボタンを押した。
「って、電気通ってるわけないか」
秋男は顔を上げて驚きを顔にした。電気が通っていないはずのテレビは明るく輝き、ビデオデッキはテープを読み込み始める。
古びた機械が動く不穏な音を耳にしながら春斗は冬子にメールを送っていた。いざという時の為に。
震える指を懸命に動かす春斗になど構うことなくテレビにはある映像が映され動き始める。目だけが見えるような黒い被り物をした傀儡子が人形を操るその映像、つまり彼の仕事の映像だろう。
その映像に見入っていたふたり、変わった職業にはやはり興味が湧くものだ。それから何分経っただろう、仕事の映像は終わり、画面が暗転する。
「なんだ、これだけか」
欠伸混じりに噂を思い出しながら春斗を一瞥する。
「持って帰らなきゃ問題ねえんだよな」
緊張の情は完全に消え失せたようで、軽い足取りでテレビに近付く秋男。不安を煽るような軋みの音を立てながらビデオデッキに手を伸ばそうとすると、突然呻き声が聞こえてきた。
秋男は顔を上げ、春斗は後ずさりをする。
そこには恐らく例の傀儡師であろう男の姿、そして年老いた女性の姿が映されていた。年老いた女性は包丁を手に持っていて、男の方へと迫る。若々しい男の顔は恐怖に歪み、素の形を失っていた。
女性は包丁を持っている腕を上げて男めがけて振り下ろす。男に刺さった包丁、春斗は目を手で覆い、秋男は口の端を引き攣らせる。スピーカーから流れる鈍い悲鳴と映像の中を流れる赤い血。
「あ、ああ」
女は包丁を引き抜き再び男を刺す。痛々しさに充ちたそれは耳から入り身体の節々を刺してしまいそうだった。
男は最後はただ、こう呻くだけ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
その瞬間、二人の横側で物音がした。春斗がそっちを向くと、壁に掛かっていたヤギの頭が傾いている。異変は既にテレビだけでは済まされなかった。
「秋男、これは逃げなきゃ」
「分かってる」
そうして二人は逃げ出したのだった。
☆
暗闇の中で始終無言。二人は緊張のあまり声すら出せずに肩で息をする。
やがて落ち着きを取り戻し始めた事を肌で感じ、さよならを告げてそれぞれの家に帰っていく。春斗は疲れ果てた身体を引き摺って、どこの誰が歩いていてすれ違っているのかも分からない状態のまま家に入っていく。
「ただいま」
その声に応えるように出てきた母親、そこで春斗は違和感を抱いた。母の目が虚ろである。
「おかえり」
そう言った母の声には感情がいまいち乗り切れていない。母の肩が何やら歪んで見えた。春斗は目を凝らし、意識を集中させて見つめて驚きを得た。
そこにいたのは傀儡師の男、すぐ後ろで指を動かしている様はまるで糸を引いて春斗の母を操っているよう。
「洗濯機回すから、早くお風呂入って」
その声に感情は宿るか、否、全て傀儡師に喋らされているもの。そんな物に感情はありはしなくて気味が悪い。
春斗は飛びつくように家を飛び出した。
走っていく。走っていく。そこですれ違う男、見知らぬ人が後ろを振り返り、声を発した。
「お疲れ様お兄さん」
感情の乗らない声、きっと傀儡師が操っているもの。振り返るのも恐ろしくて春斗はただ走って行く。
すれ違う人、外にいる人の全てが傀儡師の人形のよう。不自然な形で話しかけて来る人々から得る恐怖を抑え込んで走るその姿は幼子のようで情けない。
ようやくたどり着いたそこはあの屋敷。
先程と同じように割れた窓から忍び込んで例のあの部屋、ビデオテープのある部屋へと向かっていく。
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「秋男」
呼ばれると共に春斗に目を向ける。震える目には感情が宿っていたものの、その情はあまりにも暗く重いもの。
「来るな、ダメだ、操られてたのは俺たちだったんだ」
恐怖の宿った言葉と共に秋男は春斗の腕を掴み部屋に引き摺り込む。勢いのままに蹴り倒し、飛び乗って右手に持った包丁を掲げる。
秋男の目には恐怖と焦りが宿っていた。春斗にも分かっていた。身体だけが操られている、殺人の瞬間は正気でいさせよう、全てに絶望を与えよう。傀儡師の心意気はあまりにも薄っぺらでありながらドロドロとした濃厚な憎悪を運び込む。
春斗は悔いていた。秋男に誘われた時に断っていれば、明らかに危ない場所に行っているのだからそこで引き返していれば、ビデオテープを取り上げて捨てていれば。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
気が付けば道化師の最期と同じ状況、同じ言葉で幕を降ろそうとしていた。
秋男が包丁を振り下ろそうとした時、春斗は目を閉じる。包丁を持って意思とは関係なく春斗を刺そうとしている秋男の表情を見るのが怖かった。
終わりの時は、暗闇の中で。
しかし、包丁が刺さる事はなかった。
横に払われるような衝撃と共に秋男の身体が吹き飛んでいくのを春斗は感じていた。
疑問を覚えて目を開けるとそこにいたのは相変わらずの目つきの悪さと目の下にいつまでも消えないくまを滲ませた背の低い女。肩まで伸びたサラサラとした黒髪と不健康そうな白い肌、もまた相変わらずだった。冬子の姿を見たのは何年ぶりだろうか。
「またあの馬鹿に振り回されてたみたいだな」
頼りになりそうな芯の強さをひしひしと感じさせる低い声は、堂々とした態度は、春斗よりもずっと格好いい。
「帰ろう」
秋男の後ろに立つ傀儡師を睨み付けて冬子はぼそりと呟く。
「断末魔の残り香。何年感じてなくても忘れられない気配だな」
霊感の強い冬子はきっとこれまで霊の存在を避けていたのだろう。春斗は罪悪感を抱かずにはいられなかった。
「死に際の人々が残した最後の呪詛は」
冬子と傀儡子がにらみ合っている間にも春斗はビデオテープをデッキから取り出した。冬子ほど強い霊感がなくてもそれが原因、曰く付きの品なのだと言うことは分かり切っていた。
そして、右手に持っているそのテープを霊に見せつけるように掲げた後、思い切り振り下ろして地に叩き付けた。
☆
月すら見えない都会近郊の明るい夜空。空気は濁っていてどこか重々しくお世辞にも良いとは言えない。そんな平凡な世界を冬子と春斗と秋男の三人で歩いていく。
「これに懲りたならもう二度と心霊スポットなんかに行こうとするんじゃない、分かったな秋男」
冬子にこっぴどく叱りつけられて子どものように肩を竦める秋男。その様子を見て春斗は微笑んだ。
「昔はこんな感じで三人で色々行ったよね」
「殆ど心霊スポットだったがな」
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さいとう みさき
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