断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

バイト先の知り合い

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 汗が空気と混ざり合って肌を冷やす。汗そのものが気持ちよくなって、空気中に放り出された末に熱をばら撒きながら働いた。引越しのトラックへの荷物運びのバイトでの事。秋男はひたすら重い荷物をトラックの中へと運び続けていた。肉体労働、それは頭を使う事が苦手な秋男にとっては気楽な業務。身体を動かす事が快感で隣にてノロノロと荷物を運ぶやせ細った三十代の男のように怒られる事も殆どなく秋男にとっての良い職場。そうして働いている内に大学の勉強など馬鹿馬鹿しく思うようになってしまった。
 荷物を運び続けたその後の休憩時間、その時に飲む缶ジュースこそが頑張った自身へのご褒美、充実感の度の始点だった。
「働いてからのこの一本が堪らねぇな」
 一人で椅子に座る休憩所の向こう側、壁のような大きさをしている不透明な窓ガラスの向こう側に人影を見た。
「誰だ、一緒に休もうぜ」
 上機嫌な秋男はすぐさま立ち上がり、ドアを開いて確かめるもそこには誰もいなかった。
 もしかすると秋男の大好物かも知れない。秋男の大好物、それは例のあれだった。
――例の、いや、霊のだ
 そうしてただただ一人で興奮している秋男の元にシワだらけの顔の男が近寄ってきた。それはこのバイトに触れる者たちからすれば偉い人物。その立場に固まって頭の固まった男。男は腕時計を眺めながら目を見開いて驚きを露わにして言った。
「秋男、休憩はまだだぞ」
 秋男はそれから一秒たりとも数える事を許さずに頭を下げる。
「すんません」
「たく、お前が休憩時間間違えるなんて珍しいじゃねえかもしや、そういう事か」
 どのようなことだろう、分からなかったものの、秋男は他に一つ気になった事を訊ねた。
「そういえばさっきそこ誰か通ってませんしたか」
 男は頭を掻きながら大きなため息をついて睨むような視線を浴びせる。
「やっぱりそれか、今日はお前はもう帰れ」
「しかし」
 素直に聞かず、働き続けようとする若い力から地へと視線を落とし、皺の寄った顔を捻じ曲げながら言葉を続ける。
「休憩時間間違えて何かを見間違えるようなやつは怪我すんだ。いつもそうだ、寝不足じゃねえだろうな」
 思う事はあれどもこの人に逆らう事は出来ない。秋男はやむを得ず帰る支度を始める事にした。通り過ぎるその時、男はぽつりと呟いた。
「次も見かけたって言うならもうここ辞めろ。気の抜けたやつは怪我するだけだ、なんで全員揃いも揃って同じ事をいうのだか」
 そんな後ろ向きの言葉に見送られて帰ってから三日後、再び職場を訪れて聞いた話によるとあの男は仕事の途中で怪我をして病院へと運ばれたのだという。
 秋男は思うのであった。
 あの偉い男も休憩時間を間違えて来ていたのだろう。あの時あの人影を見て怪我を負ったのだという事。
 秋男は大人しく退職届を手にしてペンを動かし始めた。


  ☆


 木目の壁、埃すら飾りに見せてしまうくすみに充ちたこげ茶の床、良い雰囲気が漂うカフェでのこと。目の前には目の下にくまのある目つきの悪い女性、名は波佐見冬子。春斗の視線はそんな不愛想な冬子に釘付けであった。慣れとは恐ろしいもので恐ろしい目付きからはカッコ良さを感じてしまう。
 冬子はコーヒーをひと口飲んで春斗に目を向ける。
「見てばかりじゃなくて何か喋ったらどうだ。私も話題は特に持ってないがな」
 いつもかっこいいね。綺麗な髪だね。口調はアレだけどいつも優しいね。
 かけたい言葉は数多くあるものの、そのどれもこれもが心の中に閉じこもってしまって出て来る事もない。
 ただ仕舞っておく事しか出来ない言葉たち。想いの数々はただただ春斗の中で叫び続けるのみ。そんな持っているだけのものは語彙力の数に入らないだろう。
 もしも言葉の一つでも出してしまえば全てが変わり果てて今の三人の関係は終わってしまう。なんとなくではあったがそんな気がしていた。
 ドアの開く音と共に二人の男が店に入って来た。その内の一人、秋男はカプチーノを頼むと冬子と春斗の元へと座る。もう一人の男は特に何も頼むことなくおどおどとした様子を見せながら立ち尽くしていた。恐らく三十代ほどの人物。彼に座るように促して秋男は口を横に開き鋭い笑顔を作る。
「どうだ、今回は彼が困ってるから助けてやるんだぜ」
 二人の注目を受けながら男は行動通りのたどたどしさが主成分な震える声を靡かせ自己紹介をする。
「お、俺は雲仙夏彦。秋男とは、バイトでし、知り合ったんだ、よ、よろしく」
 あまりにもたどたどしい口調と声。冬子は聞いていて他の同じような雰囲気を持つ者と一線を画す雰囲気をつかんでいた。その調子は常人とは思えないものだった。
「そ、その、俺はよく霊を見かけるんだ、あ、見かけるじゃなくて聞こえる、かな」
 その霊たちは複数人いて夜に戸を叩いてくる、雨の日はよく騒ぐ、外を歩く夏彦が人とすれ違うとたまに「殺せ」と言うなど、気まぐれでかつ音だけを用いて迫ってくるのだという。
 冬子は目を閉じてその話を聞いていたが、やがて目を開いて訊ね始める。
「出る時の条件は。例えば毎回ある音楽を聴いている時だとか」
 それはつまり、ある周波数の音を聴く事で発生する幻聴説。脳の認識を歪めるために相性のいい音が彼にはあるのかもしれない、そんな仮定。
 男はそのような事を言う冬子を睨み付けて叫ぶように答える。
「し、知らない、音楽なんてただの音だ」
 それから置いている物や建物の角度や方角など様々な要因を推察するも、夏彦は不自然な程にキッパリと否定した。
 そんな会話も途切れてみんな静かになったその時、夏彦はふと常人ならざる言の葉の塊を呟き始めた。
「なぜ俺を喰った」
 春斗は驚きのあまり目を見開く。一秒の空白を置いて夏彦の目をしっかりと捉え始める。
「殺してやる」
 冬子は夏彦の方を睨みつける。いつ暴れ出しても押さえられるように心構えだけはしっかりと固めていた。
「ああ、ようやく死ねる」
 秋男は口を横に広げてニヤける。
「愛してた」
 整合性の取れていない言葉の羅列。そこから理解を得る事は不能だろうか。誰が食べたのか、そこにいるのに。殺してやる、実際食べられていないにも関わらず放たれた言葉。ああ、ようやく死ねる、どういう事であろうか。愛してた、突然出て来る意味が分からない。
 三人には全くもって理解出来ない。多重人格なのか、精神の病なのか、春斗には見当もつかない。夏彦は突然頭を横に振り、黙り込む周囲に疑問を投げかける。
「ぼーっとする、みんなどうしたんだ」
 冬子は春斗に顔を近付けて地声混じりに囁きかける。
「それぞれ違った断末魔の残り香が見えた」
 春斗は首を傾げる事で分からなかった事を示す。感じ取ったのは冬子だけだという事だ。それからみんなで話し合った結果、一度夏彦の家に向かうという方向で話は進められた。


  ☆


 殺風景な部屋、生活に必要なもの以外は何もないその姿はまさに貧乏人の部屋そのものだ。
 そこで過ごす事が経過観察と言ったところであるが二時間経っても未だに何も起こらない。いつもと条件が異なるためであろうか。
 やがて、しびれを切らした秋男が欠伸混じりに言葉を流す。
「実は何もなかった、気のせいってオチか」
 そして夏彦を見た途端、秋男は夏彦の目の色が変わっている事に気が付いた。
「なんだよ睨み付けて、怖いな」
 急に人が変わったかのような気配。それはまさに別人が薬を演じているようだった。
「殺すぞ」
 夏彦は立ち上がって台所から包丁を取り出して暴れ始める。言葉と動き、何もかもが危うい存在だった。
「断末魔の残り香、それも濃厚な。これは大変だ」
 冬子の感覚によれば今回は夏彦そのものから感じたらしい。つまり取り憑かれているということだろうか。春斗はそう予想し、一旦暴れ回る夏彦から距離を取る。
 突然夏彦は包丁を手から滑らせて床に落とし、頭を抱え込み地にしゃがみ込む。
「やめて、助けて」
 またしても人が変わったかのような反応をする彼は明らかに普通ではない。その状態の夏彦を背負って寺か神社へと向かうべく秋男は家を飛び出した。
 ドアを出た先では涼しい空が待ち構えていた。それから夜の道を歩いて寺であれ神社であれ、探し求めて歩いていく。冬子は走って車を停めているところへと向かっていた。春斗は冬子に着いて行って突然出て行った秋男にメールを送って今いる場所を訊ねる。
 そして秋男たちを車に乗せて夜遅くまで神主がいる神社か常に住職のいる寺を探して走らせる。
「すまん、冷静じゃなかった」
「気にするな」
 冬子のそのひと言に救われて落ち着いた秋男。やがて車は神社に停まった。
 車を降りて社務所を探して歩いていく。すれ違った巫女が夏彦を一瞥し、立ち止まってもう一度見つめて訊ねた。
「これはとんでもない、何人に取り憑かれているのですか」
 そう言って流れるように社務所へと案内して、中へと入る。そこに待つ坊主のような頭をした男が夏彦の方に目を向けて言い放つ。
「これは危ないな、呪術を行使した者の末路だ」
「呪術だなんて、どういう事です」
 訊ねる冬子に対して夏彦を持って何処かへと向かった神主に代わって巫女が説明を始めた。
「気配で丸わかりです。あの方は呪術、それも蠱毒を行ったようです」
 それは小さな容器に大量の生き物たちを閉じ込めて殺し合い共食いさせる事で残った最後の一匹を媒体として発動させる呪術。
 夏彦は恐らく蟲毒の実験体。それも人で行う蠱毒の媒体の一人。暗くて固い一室に人を閉じ込め、ずっと放置していたという。やがて人々は殺し合いを始めて、生きるために人の肉を、魂を食べていく。そうして最後まで生き残り呪術の媒体とされるはずがなに故なのか今ここにいる人物、それが夏彦なのだと説明を受けた。


  ☆


 それは多少霊が見える程度の一般人の手に負える代物ではなく、彼らの限界を思い知らされたというだけの話。
 普通とその先にある深く暗い闇。その境目にある崖の前、三人は手を繋ぎあったまま後ろを振り返り、立ち去る。向こう側へと渡るには何が足りなかったのだろう。分かっているようで分からない不思議な気持ちでいっぱいだった。
 そうやって立ち去るようにも思える形で身を引いて、彼らは普通の人であり続けたのだった。
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