断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

バイト先の知り合い

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 青春とはどのような時期の事を指すのだろう。今という時間は美しくあり愛おしい、この大学生活の一年は春斗の大部分を占める大切なものとなり始めていた。講義は聞き流しやる気は枯れ果てていた。この流れでは中退という形をもって幕を降ろす事はほぼ決まっているだろう。
 しかし春斗にとっては今の友だちと過ごす時間こそが何よりも大切な事であった。
 今日もまた、いつかは過去となりやがて色褪せて行く青春のほんのひと時を深く強く記憶に刻みながらカフェのテーブルに腰掛ける。一足先に頼んだことで店員がコーヒーを置いて深々と頭を下げて立ち去った。スムーズな動きの流れは澱みを感じさせることなくどこまでも美しく思えた。
 テーブルの上で光沢を放つカップに注がれた黒くて熱い液体、湯気と共に香りを広げるコーヒーを啜りながら冬子と秋男の到着を待っていた。
 待っている時間はとても遅く流れているように感じられる。針の動きがいつになくゆったりとしているように思えてしまう。まさに今落ち着いている春斗と同じだった。
 ドアが開かれた。更に五分ほど経過してもう一度。まだかまだかと待ち侘びる春斗は次にドアの開く音とベルが揺れて空気を叩く音が響く様を耳で感じてすぐさま振り返った。既に三度目である。今回の来客も待ち合わせた彼らとは違っていたよう。
 そこに立っていたのは一人の若い男だった。
 歩いて来る。寄って来る。通り過ぎて行くだろうかと思ったその時、男と目が合って場違いな後ろめたさを抱いた春斗に対して男はそのまま目を覗き込む。
 重さを感じる唇を柔らかに動かし声を発す。
「よっ、春斗。久しぶり」
 春斗はその声をしっかりと覚えていた。髪形の変化や染めた事によって大きく変わった印象も高校時代に何度も聞いた声によって取り払われる。そこに居たのは紛れもなくあの日仲良く過ごしていた友だちだった。
「お、冬至じゃん」
 笛吹冬至、彼の見た目は高校時代の制約から解き放たれた事で選んだ理想の姿なのだろう。彼とはたまに携帯電話のメールを用いて交流を続けていたため同じ大学に進学していた事は知っていたものの、なぜだか会う気が起きないまま時は過ぎ去り今この場所ということ。
「どうだ、大学楽しくやってるか」
「お、おう」
「勉強大丈夫か」
 それについては春斗はただ黙っている事しか出来ないでいた。全く大丈夫ではなかったのだから。
 またしてもドアが開かれる。春斗が待っていた姿がようやく目に映る。
「よお春斗。寂しかっただろ。俺が来たぜ」
 秋男の到着、という事はもう一人の到着も必然のもの。背の低い女が遅れて姿を現した。
「待たせた。ゴメンな」
 冬子は秋らしいカーディガンを羽織っており、いつもより少し女らしく見えた。
「いいよ大丈夫。俺も友だちと話してたから」
 秋男は二人の間に強引に割って入る。和やかな薄桃色の空気の色を濃い紅で塗っていた。
「友だちなんてどこにいるんだそんなの、こことそこにしかいないだろ」
 そう言って秋男自身と冬子を指していた。冬子は春斗の方をあの分厚いくまの滲んだ目つきの悪い顔で覗き込んでいた。
 それから二秒ほどを経て、冬子は訊ねる。
「別に今回は誰も目的地もないみたいだが春斗はどこに行きたい」
 秋男はカフェ全体を揺るがしかねない音量で叫んだ。
「俺が今回も心霊スポットに」
 その言葉は冬子の目に気圧されて掻き消される。細められた目は秋男の意見をすり潰す程の凄みを備えていた。
 春斗は冬子にいただいたこの機会を逃すまいとすぐに答える。考えすらしないまま述べられた。
「俺が通ってた高校の近くのお墓とか」
 口が自然に動いてしまったようで、冬子への嫌がらせのような場所を示していた。秋男は面食らってその発言者を見つめていた。
 冬子は目を細めて不敵な笑みを浮かべた。
「分かった」
 春斗は先程の発言の違和感を探していた。それから程無くして見つけられた。それは本当に自分の意思で選んだ場所なのだろうか、という疑問を。
 ただの無意識ではない声の正体はつかめなかった。


  ☆


 冬子の運転する車からは相変わらず男性アイドルグループの甘い声が流れていた。聴き心地が良くて耳に残り、プロの仕事と言うものを見せつけられた気分。
 そんな車内で男が三人、秋男が助手席に座り、春斗と冬至が後ろの席に座っていた。
「冬子、なんで俺の意思無視で春斗に行きたい場所をきいたんだ、誰も目的地もないとか勝手に言いやがってお前」
「たまには春斗の行きたい所にでもってな」
 それからもただひたすら文句を言い続ける秋男に対して冬子はただ黒い目に圧を込めて一瞥するだけ。やがて車は二四時間営業のスーパーマーケットに停り、四人は降りる。そこが最寄の店なのだという事だった。
「後は案内してくれ、春斗」
 春斗は三人を率いて歩いていく。秋男が未だに冬子に文句を言っていたが、「しつこい男は嫌われる」の一言で片付けられてしまった。自分の提案でなければ何一つ受け入れない心の持ち主だと自ら鳴いているようだ。
 夜の暗い道の中、嫌に明るい信号とにらめっこして青に変わるのを待っていた。冬子は春斗にいつもの冷たい声で言葉を届ける。
「いいか、これから何があっても驚くなよ」
 冷たい声の中に宿る感情は確かに温かなもので、春斗の思う大きな不思議として記憶に刻まれた。
 信号が青い光を灯して進む事を許した。横断歩道を渡って狭い道へと入っていく。少し歩道に沿って歩いて道を曲がるとそこに広がるのは墓の大群が居座るあの場所。
 そこから先は冬子が率いていく。
「笛吹冬至、春斗の同級生、同じ大学に進学したらしいが姿は見ていないんだったな」
 並ぶ墓たちを眺めながら通り過ぎていく。墓たちに挟まれた一つの墓。何の変哲もないそれは春斗にとって大きな驚きを与える文字が刻まれていた。

 笛吹家之墓

 冬子は春斗の手を引いて墓の裏へと導き、懐中電灯の強くて狭い光で墓石を照らす。
 春斗は照らされた名前を順に目で追っていく。刻まれた名前の羅列、先祖代々続く文化の形。その端の方に笛吹冬至の名を見てしまい、春斗は目を見開き震えを抑えることが出来ずにいた。
「新聞、あの時はまだ読んでなかったんだよな、あの顔でピンと来たんだ」
 冬子は言葉を続けた。
「笛吹冬至、彼はある夜に交通事故で亡くなってしまったんだ」
 つまり、春斗が先ほどから話していた人物など存在しない事となっていた。
「三月に、入学式すら迎えられずにな」
 春斗は驚きつつも携帯電話を取り出して言葉にした。
「でもケータイのメールで」
 そう言って開いたメールの欄、そこに目を向けて春斗は寒気を覚えた。冬至とのやり取りをしていたはずの欄に綴られた名は全てが文字化けしていた。
 美しくて愛おしい、そんな青春の一つであることは間違いない高校時代。そこで隣に並んで純粋に笑っていた友だちは既にこの世にいなかった。それを知り、春斗は今日の関わりを強く記憶に心に刻み付けた。彼との最後のやり取り、彼の死後に許されたただ一度だけの出会いを噛み締め味を強く感じていた。
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