断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

注連縄

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 アスファルトで舗装された蛇のようにうねる道を車で登り続けた。山の道はいつの時間でも恐怖を与えてくれる。
 やがて車は止まり、たどり着いた頂上。木々が途切れて見晴らしのいい空が広がる景色の隅、木々に覆われたひとかけらの土地に設けられた駐車場に車を停めて降りた三人。空は既に薄暗く、秋男としてはいい景色とは言い難い印象だそうで不満が顔から零れて二人にかけられた。
「これなら夜景のが綺麗だぜ、待とうぜ」
 そんな言葉に対して背が低く目にクマのある鋭い目付きの冬子は腕に巻いた明るい茶色の腕時計が指す時間を目に映し、肩にかかるサラサラとした綺麗な黒髪を揺らしながら首を横に振る。
「意外と時間かかったからムリな話」
 舌打ちを撒きながら車の後ろにそびえる木々たちを見て、欠伸を噛み殺しながら秋男はそのまま歩いて行く。木々が生い茂っているものの、ある一つの狭い道を作るようにほんの少しの間を空けていた。
 土と丸太で出来た階段があり、降りて行く事が出来るよう。秋男はその先に何があるのか確かめに行く。湧いて溢れ出る山の水の如き好奇心は留まる事を知らず、秋男は己の心に逆らうことが出来ない。
「ちと見てみっか」
 秋男が立ち去る瞬間を目撃した人物など誰一人としてそこにはいなかった。
 冬子は自販機で缶コーヒーを買ってタブを持ち上げる。空気の抜ける音は心地よく、共にフタが開かれる様は新鮮な気分を補充してくれる。そのまま黒い液体を口へと運び、香ばしさ全開の苦みと共に景色を眺めていた。

 虚しいな、春斗が一緒なのに遠く感じる。

 遠くを見つめて物思いに浸る冬子の道を遮る邪魔者、春斗は慌てた様子で訊ねた。
「秋男がどこか行ったんだけど。しかもメール来てるし」
 送られて来たメールに記載されている事実をすぐさま読み上げるとそこには「今すぐ来てくれ俺やらかしちまった」と文章のまま伝わって来た。
「秋男のバカ。アイツといるとホンット話題に欠かないな」
 溜め息をつきながら呆れ果てている冬子の言う通り、いつも軽率な行動を取る秋男はいつでも話題を持ち込んでくれる。勿論悪い意味で。
 二人は見渡して見回して、やがて見つけた木々の隙間の道を、秋男が降りたと思しき階段を降りていく。恐らく彼は欲望の赴くままに階段を降りて行ったことであろう。
 木々や斜面、それらは自然のあるままの姿でそこに在り、薄暗い空が影と重なり闇のような暗さを感じてしまう。木々のざわめきは心のざわめきだろうか。押し潰されそうな不安に背を押されるように降りていく二人。その先にあったそれはあまりにも異様で二人共に目を見開いてしまう。その場に立つ秋男を挟んだ二本の木、そこから伸びる縄は汚れて黒ずみすっかりと古びた様子を見せながらこれまた古びた様子の苔むした賽銭箱のような物を囲むように張られていた。六本の木々を頂点として張り巡らせた注連縄は賽銭箱のようなものを囲むような六角形を作っていたのだろう。秋男の立つ一辺は注連縄の直線など引かれておらず、二ヶ所からしっかりと地に垂れていた。
「まさかアイツ」
「俺さ」
 秋男は俯いていた。俯いたまま振り向く。影で見えない表情はどのような色をしていたことだろう。全てを隠し終えたのか突然顔を上げた。
「俺さ、注連縄踏み抜いちまった」
 そこに描かれた得意げな感情は危機感の無さの表れであろうか。誰が考えても分かるほどのバチ当たりの行為をやってのけた愚かな男。しかしながらそこに張られた感情は偽り、ただの強がりなのだと手に取るように分かってしまう。
「何やってんだ、どうなっても知らないぞ」
 それでも冬子は冷たくありながらも熱を込めた声を上げずにはいられなかった。怒りは本物、心配の表れであろう。しかし秋男の強がりは剥がれ落ちることなく、ただただ忌々しいとだけ表情が語る。
「取り敢えず帰ろうぜ、ここにいてもどうしようもないしな」
「帰ろうぜ、じゃなくて、ホントバチ当たるぞ」
 冬子は賽銭箱のような物を見つめる。そこには賽銭を入れるような穴が空いているわけでもなければ飾るように敷かれた紙はすっかり古びているようで管理の手が伸びている気配もない。その箱の正面には大きく口を開けた蛇の絵が彫られていた。社か祭壇か、畏怖か感謝か分からないものの、信仰の対象のように見受けられた。
「帰ろうぜ帰ろうぜ、他のやつらに自慢するんだ」
 箱を見ていた冬子とずっと黙っていた春斗は秋男に急かされて階段を登り始める。例の物体には何も気配が残っていないものの、どこか身近に潜んでいるような、そんな曖昧な香りが漂っていた。


  ☆


 それから車は山道を降りていく。不安を掻きたてる程の深い闇に包まれた道をライトで照らしながら走って行く。幾度も曲がりながら進む道はどこまでも伸びているように、闇は底なしのように見えて震えが止まらない。
 しばらくは何事も起こらなかったものの、トンネルへと入りそこを抜けた瞬間に合わせるように秋男の叫びが響き渡る。
「イテテテテテテテテ、あぁ、ぐるじ」
 苦しみ始め、もがき続ける秋男。車内に悲鳴と振動を与える様子に春斗は丁寧な心配がむき出しな言葉をかける。
「何があったの、大丈夫」
 秋男は苦しみながら汗と共に声を絞り出す。
「苦し……ヘビだ、ヘビに……巻き付かれて…………俺が注連縄にされそう」
「苦しいわりに無駄口叩けるんだな」
「待……て」
 心底苦しそうな秋男、その苦しみは如何程なものか分かり兼ねるものの相当なものだと言う事だけは分かった。
 冬子はその叫びに注意を奪われてしまわないように気を引き締めながら慎重にハンドルを切って道を進んで行く。
 進めども進めどもそこは闇の中、深い闇の中、木々のざわめきは闇に包まれた車を見つめてはさぞ愉快そうに嘲笑う。鳥や虫たちは見下したようにうるさく鳴いていた。
 それから三時間は経ったであろう。ようやく見覚えのある道へと出て同時に電波も繋がりを見せた。冬子は携帯電話を取り出して地名と山の名前、そして神社の言葉を打ち込み検索をかける。
「もしも管理する人、この山を知っている人がいるなら近所の神社か地元民くらい」
 何かを見つけたのか、冬子は携帯電話を弄る指を止めて車を再び走らせどこかへと向かった。
 少し走った車を迎え入れたのは木々の組み合わせや張り合わせをしっかりと感じさせる独特な施設。神社の駐車場に車を止めて降りた二人はもがき苦しむ秋男が自力では歩けないのだと確認して春斗が背負う。冬子は先に社務所へと向かって行った。社務所のドアを何度も叩く音と神主を呼ぶ冬子の姿が分かる。
 ドアはゆっくりと開き、年老いた男が出てきた。春斗が近付いて来ると共に優しそうな顔をした老人が目の色を変えた。
「貴様、あそこで何かしたな」
「すみません」
 苦しみを声にすることしか出来ない秋男に代わって春斗が頭を下げる。
「これはいけないな。今すぐ供物の酒と注連縄を用意せねば」
 神主は神妙な面持ちで秋男を見つめて叫びをも掻き分ける響きを持った声で伝えた。
「あとそこの若いの、蛇神さまにしっかりと謝るのだぞ」
 神主は歳を感じさせない動きで必要な物を準備する。それから始まった説明を耳にして冬子は顔を曇らせた。
「あの山をまた登るのか」
 神主は二人に目を緩めて言の葉を奏でた。
「あなた方はもう帰っていただいても待っていただいても構いません」
 冬子は秋男を見つめていた。濃い気配は秋男の肌の深くに噛み付く蛇のように見えた。
「蛇神さまの祟りを受けているのはそこの苦しんでいる者だけのようですから」
 社務所から出て来た白と赤で彩られた装束を纏った若い女性、恐らく老人の血を引いているだろうと思しき巫女が正常な気配に充ちた手を秋男に伸ばし、そのまま背負って歩いき始める。老人は車のカギを持ってその後ろをついて行き、闇へと飲まれて姿を消した。


  ☆


 それからどれだけの時間待ったであろう。既に日付けは変わってしまった。冬子は帰りの運転と言う使命が残っているためか、車の中で眠っていた。
 春斗は社務所に残っている巫女たちにこの地に伝わる話を聞いていた。
 曰く、古くより祀られる邪神たる蛇神。讃えられると言うよりは畏れられし神。神と呼ばれてはいても悪しき謂れが由来であるものが存在する事は春斗も知っていたため話の理解は驚く程に速かった。
 それから待つこと少しの経過。退屈を破るような勢いで社務所のドアは開き、見覚えのある男が入って来た。その男は春斗に向けて右手を軽く上げて元気だけで作り上げられた挨拶を声にする。
「よっ、ただいま。大変だったぜ」
「助かったんだね、良かった」
 不安という曇りに充ちた春斗の顔を晴らす勢いで秋男は笑いながら言葉を返す。
「おかげさまでピンピンしてるぜ」
 そこから沈黙が流れる事一瞬。しかしながら非常に長く感じてしまう時間を経ていつも通りの笑顔が煌めいた。
「それにしても蛇神さまに酒なんか供えてもしやハブ酒か」
 その言葉に全てを持って行かれて思わず笑い声を噴き零してしまう。この態度こそが秋男なのだと春斗の中で再び確認を取ることが出来た。
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