断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

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 夜の海は墨のようで果てが見えない。渦巻く黒の世界に飲まれたら死んでしまいそう。
 冬子が呟くと共に春斗は怯える。秋男は鋭い目を笑みにして闇の中でも目立っていた。
「随分良い事言うじゃねえか」
 このままだと暗闇の中で数時間もの時を費やしてしまうかも知れない。月の明かりに揺れる波は怪しい動きを見せて不安を掻き立てる。今にも揺らめきの輝きが触手になって伸びてきそうで。
「取り敢えず花火やろうぜ」
 春斗の空想など初めから見えていないであろう秋男は暗くて辺りも見えないそこにマッチに火をつける。辛うじて見える灯りの周囲の無の空気。マッチに灯された火をそのままロウソクに移すように燃やす事で照らし出す。
 先程よりは大きくなっても未だに頼りなく輝く小さな明かりに過ぎない。ちっぽけなそれは地上の小さな一面に現れた星なのだろうか。空には星、海には波、砂は柔らかくて、感触を持ち込み生きている感覚を届けてくれる。
 冬子はいきなり線香花火を取り出して火をつけた。
「お前ないきなり線香花火かよ」
「別に良いだろ私がやりたい花火選んだだけ」
 パチパチと弾ける火花は闇に現れては消え、点滅を繰り返す毬のよう。小さな火はホタルを思わせる儚さを持っていてどことなく愛おしかった。
「秋男もやりたいのをやれば」
 そのやり取りを傍目に春斗もまた、線香花火を取ろうとする。大切な人とゆっくり眺める静かで優しい花火の時間が欲しくて堪らなかった。
「春斗、この秋男様を一人ではしゃぐバカ者にするんじゃねえぜ」
 しかしながら失敗したようで、春斗は諦めを込めて秋男と共に走り回ることにした。
その様子を見て冬子は大きな溜め息をつく。続けるように言葉が零れ落ちた。
「いつまでも子どもか」
 零れた言葉は雫となって、想い出を蘇らせる。秋男と過ごした高校時代、あの笑顔は入学当初と比べて何一つ変化が見られない。
「あんな遊びに振り回されて春斗も大変だろうな」
 儚く弾ける線香花火はひとり残された冬子を弱々しく見守る。閃光が弱く小さくなってしまった。その変化に変わらない彼と変わり果てた冬子の姿を見た。寂しく思いつつもあのままでは恥ずかしいのだから仕方がない、そう結論を貼り付ける。
「春斗もこっち側だろうからあんまり引きずり回さないでやって欲しい」
 声は風に飲まれて霞んでいた。孤独が生まれて暗い空は静けさを演出する。星さえもが既に命を持たない中で残した輝き。世界が死んでいるように見えてしまう。
 春斗も秋男も闇に飲まれて消えてしまい、ただ一人、次の線香花火へと手を伸ばした。


  ☆


 秋男はマッチに火をつける。
「実はロウソクもう一本持ってんだぜ」
 得意げに語りながら取り出して火を点けて銀色の皿に置いて。火を灯したロウソクはまるで拠点。周りは何も見えなくて闇が広がるだけでここが一つの部屋だと錯覚してしまう。秋男は秘密基地にいるような気分を得ていた。
「ははは、こういうのいいよな。昔ゲームとかで自分だけの基地とか作ってたよな」
 あまり行動的でない春斗にも覚えがあった。あるゲームが話題になり過ぎてしかしながら春斗は持っていなくて周りから置いて行かれるような生活を送っていた時の事。やがてどうしようもない程の孤独が広がり始めて限界を感じた事で、珍しく親に頼んだことがあった。貧乏な親は嫌な顔をしていたが中々物を欲しがらない春斗の真剣な眼差しを見つめて仕方なく買い与えた、という形でどうにか手に入れたゲーム。そのゲームの機能の一つだったと記憶している。
 子どもの頃の記憶の温もりは懐かしくて故郷のよう。浸るだけでかつての感情が底から浮かび上がってきた。
「作ってたね、秋男は確か奥まで行ったら閉じ込められる仕掛けとか作ってたりしたね」
 秋男は花火に火をつける。その棒から放出される火花は色鮮やかな炎。まき散らされては美しく激しく暴れていた。子どもの心を忘れないまま生きてきた秋男はそれらを振り回していた。
「ちょっ、危ない」
 そうして動き回り散りゆく光が辺りに微かな色を付ける。照らされた光景の中に人の影が映り込んでいた。
 その姿を確認すると共に春斗の心は縮み上がる。視界に入り込んだものは小さな男の子。春斗は幼い男に対して苦手意識を抱いていた。以前怪我をして入院していた時に出会った子どもの霊のせい。あの子が首を締めて「代われ……代わりに死ね」と怨みを込めた呪詛を吐きつけていた事、剝き出しの感情と怨念の直接的な姿勢があまりにも恐ろしかったのだ。
 そんな春斗の気持ちなど知りもせず、秋男は男の子に嬉しそうに近寄り話しかけていた。
「なあなあお迎えは来ないのか。ひとりじゃ暗くて危険だぜ」
 男の子は顔を上げることすらなくただひっそりと返事を靡かせる。
「後で来るから」
「そっか、じゃあそれまで俺たちと花火しようぜ」
 そう言って秋男は子どもを連れて冬子のところへと戻っていく。
 少し離れた所から眺めるだけでも春斗には感じ取れてしまった。風に運ばれてくる潮の香りに混ざった微かな血の匂い。途切れ途切れではあったもののそれは確かにそこにあった。


  ☆


 一人で線香花火を灯して弾け始めてから散りゆくまでの有り様を眺める。その中に色とりどりの想いを馳せていただけの女、こころなしか目付きがいつもより優しく、いつまでも取れない目のクマも相まって冬子は随分と弱り果てたように見えていた。
 春斗と一緒に花火を楽しみたくて、しかし今は一人でしかなくて寂しい。秋男に嫌々ながらついて行く姿などこれ以上見たくはなかった。
 そんな冬子の元に例の男が近付いて来た。それも見覚えのない小さな男の子を引き連れて。
「よお冬子、何年ぶりだろうな」
「お前の時間感覚はどうなってる、見直してみろ」
 軽い口を叩きあう環境の中に春斗は遅れて到着した。
 冬子は辺りを見渡すように視界を流して全員揃ったことを確かめ一言を投じる。
「断末魔の残り香が見える」
 秋男は呆れながらも底知れぬ怒りを抱きながら震え始める。やがて声を荒らげ本心の火花を弾けさせた。
「どこだよコノヤロー、今日だけは心霊許さねえからな」
 冬子の言葉に春斗は一度だけ頷き遅れて声を乗せる。
「そうだね、潮の香りに混ざって血の香りがするね」
 秋男は男の子の手をしっかりと握り締めた。
「ぜってえお迎え来るまで離さねえ」
 秋男の手を握り締め返して微笑む男の子に冬子は訊ねた。
「お迎えはどこから来るんだ」
 男の子はある方向へと腕を伸ばしその先へと指を差した。そこに広がる光景は黒い墨のような闇の海。
「漁師かこんな時間まで遊ぶボートの夫婦か」
 秋男は子どもをかばうように予想を立てるものの、その言葉はどれもが間違い。
 男の子の指した先の海手前の砂浜が盛り上がっている。小さな突起のような膨らみがそこにはあった。小さな突起はやがて崩れてそこにいた存在に秋男は叫び声をあげた。
 砂浜に覆われて盛り上がっていたそれは、白い骨の手だった。
 秋男が怯えている間にも伸びている手の数は一つや二つでは済まされない。十も百もの手は並べられた忌まわしきアート。伸びるだけでは終わることなく地面から新たに生えてその数はまだまだ増えていく。
 やがて地中から生えて上がってくる骸骨たち、それらはゆっくりと歩き始めた。
「逃げるぞ」
 冬子の言葉に頷くしかなかった。勿論脅威でしかないであろう男の子は置き去りに三人は車へと向かって走り始める。
 振り返ると見えないはずの暗闇の中に大勢の子どもたちの霊と後ろに大きな黒い影を目にした。海よりも黒く空よりも暗い影、それは子どもたちに着いて行くように歩いていた。
 走って走って、その先に見えてきた車に急いで乗り込む。
 冬子はエンジンをかけるべくキーを回す。
 しかし、エンジンはキーを回した始まりの音を出すだけでかかりはしない。何度も何度も回す、焦り、不安は心を蝕み冷静ではいられない。回せども回せどもかからないエンジン。空回りを続ける姿は誰に似た事だろう。
 窓を叩く音が響き始めた。一つ、二つ、三つ。次から次へと増えて窓に張り付き不純な音を奏でる手。音だけでなく叩くタイミングがバラバラで不気味な笑い声も聞こえてきた。
 祈りながら回し続けるキー、生きていたい、まだ死にたくない。何度も回され続けたキー。運はそんな願いを拾い上げ、にようやくエンジンはかかった。
 ライトで照らされたそこには骨の手や顔が大量にいた。全てが骸骨、それはとても驚愕的な光景。それでも構わずに冬子は車を走らせた。


  ☆


 骸骨たちはすぐに振り解けたようで、車は秋男の家の前の道路で停まった。秋男はお礼だけ言って出ていく。続けて振り向くと共に目を見開いた。秋男の表情につられてドアを開け確かめる冬子の姿がそこにはあった。
「どうしたんだ」
 問いかけながら目を当てる。一方で秋男は悲惨な光景を目にしながら言葉を零す。
「おい、これ手形だらけだぞ」
 それ以上の言葉を見失って立ち尽くしている秋男、震えるその脚を何かが引っ張るような気配を感じて下を向いた。
 車の下から伸びる手、そこからこちらを睨み付ける顔は最初の男の子だった。
 完全に霊の存在に引っ張られていた秋男は腹の底から怯えの感情を喚き散らした。
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