断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

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 春斗は白いベッドに背を預けていた。白い天上を見つめて歩く事すら許されないのだと思い知らされる。吊るされた脚を見つめ、ため息をついた。
 それから現実から目を逸らすように窓の方へと目を向ける。
 広がる青空の上から陽の光は差し込み、柔らかそうな雲は優雅に泳ぎ、鳥たちは滑るように泳いでいる。青空の海は美しくありつつもどこか物足りない。春斗の知る海とは異なり少し寂しくもある。
「まるで秋男や冬子がいない今の俺みたいだよ」
 暇な時間、何も出来ずにため息を吐く。窓の外から差し込む異様に明るい日差しと共に差し込む翳りに汚された想いを振り払うべく春斗は昨日の冬子との関わりを思い出す。
 連絡を寄越してから数十分程度だろうか。強い言葉の押しに負けて家の鍵を貸したのだった。
 本人の言葉によれば危険を排除するとのこと。恐らく花瓶を割りにでも行くのであろう。あの花瓶の怪現象から逃れるべく飛び出したが為に車に撥ねられたのはもう一週間近くの昔話。
 心霊現象に首を突っ込む割には基本的に対処が出来ない三人。所詮は一般人であり怪現象に立ち向かう力など宿っているはずもなかった。そんな人物たちの一人でもそのくらいは出来るとの事だった。
 暇を持て余すという苦痛に見舞われた春斗は母が見舞いに来た際に置いて行ったみつ豆ゼリーの上蓋のフィルムを剥がし始める。
 透明なゼリーの中に黄色の四角と豆が二つ。小さく纏まった甘い水に可愛らしい飾りを沈めた姿は見るからに愛おしい。プラスチックのスプーンを手にして小さなアクアリウムに突き刺して、すぐさま掬って食べる。
 春斗はゼリーを食べ終えていつも思っていることを改めて想う。周りが妙に大人しいのだ。他にも五人ほどのけが人や病人が同じ室内にいるはずだが不自然な程に静か。
 物音一つ立てない模範的な態度は当然なのか凄いことなのか。驚きを隠すことも出来ずに表情の着地点に困っていた。
 本人だけならばまだしも、見舞いに来た人々までもが殆ど口を開くことなく春斗が抱えている不思議は大きくなる一方。やがて抑えきれない疑問に口を任せて看護師に訊ねた。
「何かの気配でも感じているのでしょう。この病院出ますから」
 返って来た話は洒落にならない。既にウンザリしている類いのうわさ話がここまで付き纏って来るという事実に呆れを抱いていた。
 何故霊のせいで入院したのに更に霊に会わなきゃいけないのだと肩を落として項垂れる。完全に心が折れてしまいそうだった。
 そんな春斗の肩を小さな手が優しく叩く。人に触ることに慣れていないのだろうか。触り方の癖にぎこちなさを感じてしまう。初めは独特な感覚に戸惑いを覚えていたものの、今となっては完全に慣れてしまった。
「もしかして」
 ある人物を想像しながら零した言葉。すぐさま顔を上げたそこに立つ背の低い女の姿はどこまでも心強い。相変わらずの目付きの悪さと目の下に染み込んでしまったようなくま。まさに春斗が想像していた人物だった。
「よっ、暇してたろ」
「冬子待ってたよ」
 この場に訪れた人物が秋男であっても同じことを言ったことだろう。
「変に静かで嫌だったんだ」
 寂しさを紛らわすために明るい言葉で希望を示す春斗の顔を覗き込みながら始まる冬子の報告。
「花瓶は割って捨てて来た」
 その際特に霊障や不幸はなかったとの事。花瓶を割った際の気配の消失からしてあの件は解決と見ていいのだろう。
「あとここさ、出るな。この前はたまたまと思ったけど、この部屋で出る」
 加えられた報告の意味を理解した途端、春斗は身を震わせる。決して逃げ出すことの出来ない状態で最も恐れるべきものだろう。
 眉を顰める春斗を見つめ、冬子は小さな鞄に手を突っ込み何かを探り始めた。
「あんなやつらに命持ってかれないようにこれでも食べて元気出せ」
 そう言って冬子が手渡した物、それは水色のゼリーだった。文字通りの水を連想させる姿の中に緑色の葉っぱのような物に赤と黒の金魚。ゼリーという名の小さな可愛い金魚鉢は心の癒し、そう理解しつつも気を許した相手に疑問を投げかけずにはいられなかった。
「俺こういうのが好きと思われてるのかな」
「もしかして嫌いか」
「いや好きだけど」
 その言葉を聞いて冬子は目を優しく細める。ご満悦の様子だった。冬子は再び鞄に手を突っ込み探る。それから数秒後に鞄の口から引き抜かれた手に握られたものは一冊の本だった。
「あのバカから」
「シャレにならないんだけど」
 それはこの場で読むと確実に心霊スポットとしての姿の持つ雰囲気に浸る事間違いなしの代物だった。
「私は絶対やめとけって言ったがな」
 そう言っても止まらないのが秋男なのだとしっかりと理解していた。


  ☆


 空はすっかり夜の色に染め上げられているであろう。星の泡たちが浮かぶ空の下、と言いたいところであるがベッドを囲むカーテンが外を見つめることを許さない。例え開けることが出来たとしても病室の窓のカーテンが閉まっていて外を見渡す許しは得られない。
 動く許可が下りたところで病院の怪談集を持たされている身分としては開けることすら恐怖に繋がってしまいそうで。
――怖い、別の事を考えよう。
 カーテンを開かない理由を考え続ける思考から逸れた視線の先で春斗は思い出した。
 昨日と今日、二人揃って水を連想させるようなゼリーを持って来た。風景を閉じ込めたようなそれはまさしく水場。幽霊が集まりやすい環境。まさにこの病室の事ではないだろうか。近くに霊が来ることは分かっている。
 連想は止まらない。恐怖は加速して思考の色を心の色を墨のような暗闇で染め上げていく。
――ダメだ、違う事を考えろ
 このままでは闇に飲まれてしまうことだろう。
 汚れ始めていた思考の色を変えようと試みる。今日は空を眺めていた。その上の宇宙とはとても広いもので様々な星が浮かんでいて、地球は有象無象の惑星の中でも極めて稀である生物の住まう星。中に人々を閉じ込めた青い球体はアクアリウムのよう。
――違う、怖い
 思考の色はすぐに恐怖を孕む連想へと流れて行く。流れる。恐怖への漂流。
――違うんだ、やめてくれ
 恐怖と言う感情を乗せた船は恐怖の海原を漂い更なる恐怖を呼んでくる。果たしてその個人で完結した恐怖は外側のモノまで呼び寄せるのだろうか。幸い、そうではなかった。
 だが、その感情が何者かをいつもよりも過敏に捉えていたのも事実。
 呻き声が微かに聞こえる。かつて生きていた者が最期の怨みを今もなお呻いている。

 あの子に……会い……たかっ……た

 どう……して

 来て……くれな……い……

 無念の呻きは恐ろしく悲しい。春斗の心は何処かへと飛んで行ってしまったのだろうか。言葉を失い、考える事すら出来ないでいた。

 うぅ……会い…………た……

 そう呻いて春斗の隣のベッドへと近寄って行く幽霊。
 カーテン越しの現象は姿を見せないものの、恐怖はあまりにもくっきりとした形を成していた。
 昼には気分転換にと言って差し出された怪談の本。秋男からの差し入れとは言えこのようなところで読む気にはなれなかった。現実逃避どころか今の状況と一体化して襲い掛かって来そうですらあった。
 しばらくは怪現象から遠ざかっていたくてたまらない。懲り懲り。しかし目の前の現実に目を向けて実感した。春斗のささやかな願いは叶わぬ話だった。
 隣で寝ている人物が足を激しくばたつかせているのだろう。力なき声でありながらも周りに響く強さで叫んで周りに想いをまき散らす。
「引っ張るな、やめろ」
 ナースコールを鳴らしたのだろう。靴が床を不規則に叩く音が響き近付いて来る。病室のドアは開き、看護師たちが慌てて入って来る様がカーテン下の隙間から微かに見えた。
「やめてくれ、やめてくれ。死にたくない」
 男の叫びの悲痛なこと、気が付いた時には耳を塞いでいた。

 やっと……一緒に……

 その呻きの動きと共に春斗は感じた。霊の気配が二つに増えて病室を出て行く様を何処かの感覚で見つめていた。
 隣では看護師たちが処置を施しているものの、その身体の中には既に生命は残されていない事だろう。
 彼はあの世に連れ去られてしまったのだから。
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