断末魔の残り香

焼魚圭

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断末魔の残り香(第一シリーズ)

組費回収の話

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 初めての寺に駆け込みからのお祓いを受ける。この季節としては暑いであろう分厚い作務衣を身に着けた住職がひたすら念仏を唱える。
 春斗と冬子、元凶にして被害の手が伸びて来なかった秋男を除いた二人は眠気と戦っていた。退屈ながらも大切な時間、生きるために必要な儀式に時間は溶かされる。
 そうして朝が過ぎ去って、 ゴールデンウィークも残すは二日。春斗は久々に実家へと帰っていた。
 昼ごはんを牛丼屋で簡単に済ませた後、冬子が送ろうかと提案していたが春斗は当然のように断っていた。これ以上迷惑をかけるわけには行かないのだと語っていた。
 一人で電車に乗り、大して混んでいないという光景を目にして違和感と安心感を得る。大学生が電車に乗る上ではやはり人混みは避けられないものだ。
 やがて駅へと到着してバスに乗り更に大きく揺られながら目的地へとたどり着いた今。気が付けば青空は明るみを失い始めていた。そこにあるはずの夕日はなく、雲が群がって空から水を地へと落とし続けているという有り様。
 春斗はため息を吐く。せっかくの帰省が天気によって暗い印象へと塗り替えられていた。天気一つで想いが変わってしまうことなどいつでも起こってしまう事。
 バス停からの短い距離ではあったものの、雨に濡らされながら坂を下りて実家へと駆け込む。濡れた地面の心地はお世辞にも良いとは言い難いもので、湿り切った空気が含む重たい気分を抱え続け、上からも下からも嫌な気が射し込んでいた。
 家に入った春斗がすぐさま目にした姿は電話を片手に話している母。相変わらず痩せている母は相変わらず力の抜けた表情をしていた。
 春斗はその会話を聴こうとするもすぐに母は受話器を置いて通話を終えてしまった。
「春斗おかえり」
 母の声は久々に聞いたものの、記憶にあったものそのものだった。最後に実家に帰ったのは一年近く前ではあったものの未だに記憶に新しい。
「聴いてよ今年この地区の組長やる事になったんだけど」
 真っ先に面倒ごとを抱えてしまったという報告を受ける。言葉を放つ表情からはより一層大きな疲れが見え隠れしている。
「お金集めめんどくさいね」
 地区の清掃活動やイベントの運営などを担当する組長に選ばれた者はその役割を一年間全うするのだが、今年は母がそれを任されたのだという。三月に妹の小春にパソコンの使い方を教えてもらったらしく、手慣れない作業は疲れると零していた。パソコンで文字を打ち込んで報せを作り、全員のポストへと放り込むように配る役目は一旦果たしたらしい。
 今回やる事は組費の集金。母は必要なものを手に取って外へと出て行った。


  ☆


 春斗は小春の部屋のドアを開いてほんの少し顔を覗かせる。そこにいたのは背の低い少女。冬子と比べると身長はわずかに高く、顔立ちはしっかりと整っており、可愛さ抜群の妹。
 そんな小春は春斗を見るなりいきなり睨み付けてきた。
「部屋入らないで。こっち来ないで」
 綺麗な顔を歪めて敵意をむき出しにする姿は必要以上に恐ろしい。
 高校三年生、受験生、大人の一歩手前。そんな時期に立っている小春。確かにその年齢にもなれば兄の事など嫌いにもなるであろう。春斗は何も言わずに自分の部屋へと立ち去る。その時背後より恐ろしい言葉が聞こえてきた。
「気持ち悪。ドア触りやがってマジで汚い」
 高校時代、かつてのクラスメイトたち何人かは妹がいる事を知った途端に羨ましがっていたものの、現実はこの有り様だった。仲の良い場合と悪い場合の差が激しいとよく言われるものの、仲の悪い兄妹関係はあまりにも居心地が悪い。
「はあ、一人っ子のが良かったな」
 ついついこぼしてしまった愚痴の直後、またしても怒号が飛んでくる。
「うるさい私もお前なんかいらないんだよさっさと死ね」
 一切容赦のない言葉は春斗の心の中の警戒の意思を膨らませるのみ。今後は永遠に顔すら見たくない。それは春斗の方も心から願っていることだった。


  ☆


 晩ごはんの時、小春は降りて来なかった。
「春斗がいる、キモいクソ野郎がいる」
 そんな言葉を用いて面と向かい合う事すら拒絶したのだ。全面的に春斗が悪いという意見を通すつもりらしい。春斗としても顔を合わせずに済んだことに感謝を込める。
「仲悪いのね、春斗には来てもらわない方が良かったかもね」
 母まで辛辣な言葉をぶつけに来たように思えたが、どうやらそういう事でもないらしい。そのまま続けて言葉を紡ぐ。
「受験生だし、今は春斗の姿も見せない方がいいかもよ」
 それから晩ごはんを頬張る春斗。久々に母の味を頬張り懐かしさに浸っている一方で母はご飯のおかずを何も言わずに頬張りながら生活に愚痴を撒くと言った様。
「さっき回収に行ったじゃない、あの人の方から時間を言ってきたくせに全く来ないのよ」
 急用なのだろうか、それとも年老いた住民が多いこの地区においては常に付き纏いそうな話だろうか。
「こっちから行って呼び鈴を鳴らしても来ないし腹立つ」
「たまにいるなぁそういうの」
 春斗はそう返して話を切ろうとした。休日の一日くらいはしっかりと休んでいたい、そんな想いを胸に抱いていた。
 しかし母はそう簡単には話を切ってはくれない。
「食べ終わったらもう一回行ってくるわ。それでも来なかったら電話かけてやる」
 怒りは心と頭の深くにまで根を張っているようで、普段は温厚な母でも怒りを撒き散らしている。煮えたぎる熱量が恐ろしくて全く安心できない。このような日に帰って来てしまったことを後悔していた。実に運が悪い、そう言って諦める他なかった。
 気分が悪くなってしまう空気感で過ごした晩ごはんの後、母は宣言通りに家を出た。
 春斗はその背中を見て苦労に対して協力の一つも出来ないまま風呂に入り、それ程長い時間を掛けることなく出た時には母が帰って来ていた。
 母は春斗の姿を見るや否や呼び止めて電話をかけ始める。二度ほどのコールの後で出たようで、そこから会話が続いていく。
「はい、九時頃ですね、はい、分かりました」
 そして電話を切り、母は怒り混じりの声を放り込む。
「聞いたね、九時にこちらに伺いますって」
 続けて言葉が加えられる。
「来なかったら行くから春斗も着いて来て」
 拒否権はないそうだ。一つの提案を差し出してみた。
「小春に任せたら」
 たったひと言、言い返すことを許さない単純な言葉だけが返ってきた。
「受験生」
 春斗は肩を落として二階へと上がり、ゲームをする。まさか久々に実家に帰った途端このザマとは、などと心に刻みながら。
 それからどれだけの時が経っただろうか、母の呼ぶ声により久々のゲームを中断して階段を降りる春斗。身体は瞬く間に階段を駆け下り、心は勢いよく墜落する。
 母は分かり切った事を言った。
「ほら、行くよ」
 そうして雨の中外へと出て行く春斗と母。春斗はその人物を絶対に許さないと心に決めていた。平穏なゲームの時間を奪い取ったその罪はあまりにも重いもの。軽い休息さえ許さない運命を呪うように恨みをどことも言えない闇の中に塗り付け続ける。
 少し歩いたところ、近所にある家を訪ね、インターホンを押すも反応はない。
 春斗はその家からおかしな気配を感じた。そう、例のあの気配、冬子が断末魔の残り香と呼ぶあのおぞましき気配がしっかり閉じられたはずのドアの隙間からこぼれ出ているように。
 それを悟った春斗は母に帰るよう促す。雨も降ってるし回収なら後日でも出来る。といった言葉を添えて。
 そして雨の降る夜の道を歩いて帰る。隣の公園に誰もいないという当然でありながら寂しさが募る光景に虚しさを残して。


  ☆


 みなして寝静まる真夜中の事。静寂を裂く音が耳に入って春斗は目を覚ます。朦朧とする意識と覚束ない足取りで歩いていく。水分が恋しくてたまらない、ただそれだけの事だった。そうでなければ如何なる現象が起きても二階から降りることもない。
 何も見えない夜闇の中、一階のモニターが光っていた。呼び鈴を鳴らした時に光るモニター。そこには人という存在は特に何も映っていなかった。ただ闇を照らす頼りない街灯と見慣れた景色が映るだけ。
 それを見て震え上がりながらも麦茶を飲んでドアを開けにいく。どうしてだろう。確かめる必要など微塵にもありはしないというのに。
 ドアの前に立った途端、再び呼び鈴は鳴る。春斗の中で焦りは膨れ上がり、心臓の鼓動の回数が急速に増していく。
 深呼吸をして、震える手をドアノブに伸ばす。
 予感とでも呼ぶべきだろうか。頭の中ではっきりとしないものが危機を喚いていた。そんな危険の報せを無視して春斗はドアを開ける。
 そこに広がるのは見覚えのある景色だけ。春斗は気を抜いてドアを閉める。そう、怖いことなど何もなかったのだ。
 と思った矢先に春斗は気がついてしまった。
 先程呼び鈴が鳴ったにもかかわらずそこに何もいなかった。つまり見えない何かが呼び鈴を押したという事ではないだろうか。その事実はとても強い恐怖となって根を張る。
 またしても呼び鈴は鳴った。
 春斗はドアを離れ再びモニターを覗き込む。そこに映る姿への驚愕のあまり、尻もちをついてしまった。
 そこにいたのは見慣れた景色と頼りない街灯、加えて太った男。顔は腐り切っていて凶悪なら穢れをまき散らしていた。太った身体からはカビが生えており、どう足掻いても近寄りたくない存在。離れているにもかかわらずすぐそこから周期が漂って来ているような気がした。
 男は更に呼び鈴を鳴らす。
「何回も来やがって」
 恨みを込めて呼び鈴を鳴らす。何度目の呼び出しだろうか。モニター越しに睨み付ける表情はこれまで見てきたありとあらゆるものを軽く超越する恐怖を運び込み、それが本当の殺意なのだと知った瞬間。
 春斗は慌てて上の階へと逃げ出した。
 何度目だろうか、鳴り止むことなく響く呼び鈴と、鮮明に届く男の太い声。
「何回も来やがって」
 震える春斗の事など知らない、見ていない。ただただ不満だけが耳元で響いて来る。
「何回も何回も」
 春斗は眠ろうとベッドに潜り込むも、その際の偶然が視界に及ぶ。カーテンをその目に収めてしまった。
 頼りない街灯の光を遮る事も出来ないカーテンの向こうには、幾度もの恨み言を吐き続ける太った男の影が映されていた。


  ☆


 恐ろしい夜を明かして不満に気怠さ、その二つを抱え込んだ朝。春斗は母に訊ねた。
「そう言えば、あの人の苗字、なんていうんだ」
 母の答え、そして回覧板に挟まっている名簿。
 春斗は気がついてしまった。並べられた名前の中にその苗字は存在しないということを。
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