その刹菜に

焼魚圭

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第一幕 ――未来改変編――

アイドル

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 手帳を勢いよく閉じて顔を微かに亜紀の方へと傾ける。その姿その仕草、その佇まいは何ひとつ無駄がなければ何ひとつ異論を唱える隙や感想も出てこない立派な中学生のよう。
「私よりせっちゃんのが中学生みたいだな」
 刹菜は鋭い影を瞳に宿らせ微笑みながら黒々とした雰囲気を向けて。
 夜闇に溶け込むことなくただただそこに浮き上がっている。そんな彼女の表情に魅せられて亜紀はつい笑いを零してしまう。
「せっちゃんめ、やっぱり私と同い年だろ」
「重ねてきたのは生きた年月ただこれだけのことさ、あこちゃん」
 本名をしっかりと聞いたのだろうか、もしかするとこの静寂の中でさえも聞き取ることが出来なかったのかも知れない。そこまで考えた後に思いを改める。あの女は分かってやっている。言動のひとつひとつに遊び心が込められている。純粋だけでは推し量ることも聞き分けることも出来ない経験の力の必要性を感じる。そういったことをしっかりとあの目の色から学んでいた。
「どうやら私の事少し分かってきたみたいだね、あこ、いや、アキだからオータムでおーちゃんかな」
「あっちゃんとかアッキーとかあっただろ」
「じゃあ悪鬼」
 妙に卑しい響きを、声の音色に何かしらの悪意を感じたものの、その正体をつかむには至らない。如何なる意味合いを込めたのだろう、どのような言葉の色を込めたのだろう。見通すことなど叶わない。その目はそこまで切り込むことが出来ない至って普通の観察眼。分かる方が異常だと刹菜の口から直接語られることでようやく見いだすことが出来た。
「アッキ、私がこれから執り行う運命戦線に加わってくれないか、その紅の意志は絶対に役に立つ」
 名を呼ぶ声は明らかに柔らかに変わり果てていた。どうやらそれが本心を告げる声。想いは伝わりやすくおどけて見せても演じていても分かりやすい。言葉の回し方もまた敢えて激しくふざけているのだとすぐさまその手に取って理解することができた。
 そんな塩梅、それこそが彼女にとっての親切なのだろうか。そのつもりなのだろうか。
「ふふっ、いいんだ、無理はしなくても。世界の終焉の姿に興味ありならそれにしたがうのもまた一興」
 そこに宿る裏の意味など容易く見て取ることが出来た。きっと彼女は自分たちの生きる世界が閉じていく様をおめおめと眺めているだけで終わるつもりかと問いかけているのだ。
「無理しなくても、か。無理しなきゃ私たち、最終的に死んでしまうんだ」
 そこまでしっかりとつかみ取っていた。ここまで分かっていて立ち止まる理由など無かった、終わりを止めてくれる他人などという不確実な存在を待つことなど出来ない、そう、世界が滅びてしまったときの言い訳を考えながら迎える最終幕などまっぴら御免だった。
「よし、私は進む。ニヤけ面に従って突き進んでやるぞ」
 刹菜のニヤけはより一層深くなる。きっとこれこそが彼女の振る舞い、人格と見ても差し支えのない程に日頃から多用される態度に違いない。慣れてもなおくたびれることなく色褪せも見えない。
 それはまさにいつでも新鮮をお届けという言葉の似合うもの。届けられるものはあまりにも奇妙で亜紀の身体は激しくありながらも小刻みな震えに支配されていた。
――少し薄気味悪いのはわざと……なんだよな
 きっとそうなのだろう。刹菜はニヤけを保ったまま左肩に垂らした髪の房を撫でて亜紀に向ける。
「ほらほら仲良くしようよ、髪の筆で仲良し色に塗って差し上げるぞ」
「どんな色だそれ」
 訊ねても無駄、分かっていながらもそう返すこと。刹菜との会話であれば流れに従うことこそが最も楽しむ術だった。
「いやだなあ、そんなの決まってるじゃないか、血の赤とカビの緑と乳白色の迷彩柄だよ」
「いやな組み合わせやめてくれる!?」
 嫌がらせのような色合い、それは確実にいたずら心、筆で塗るといったにもかかわらず柄まで決めてしまう辺りやはりこの女は真剣に話していないのだと見抜くことが出来た。
 夜闇の暗黒の中に表れた明るみのような笑みはかわいらしさを一切残さないまましかしながら心を波立たせる雰囲気を提供してくれる。彼女にカレシはいないのだろうか、いないのだろう。一生出来ることもないだろう。見た目やちょっとした出来事からきっかけを作ることの出来ない雰囲気はそう断定することを許し通していた。
「触れ合っていれば楽しいのにな」
「ああ、非モテってお分かりで。だったらアッキとデートしたいな」
「ふざけるな私に言うな私も男いないんだぞ」
 とは言うものの亜紀は未だ中学生。周囲での色恋の話を聞きつけ落ち込んでいるようだったもののまだまだこれからという言葉が普通に通用してしまう年齢。
 刹菜は薄暗い想いをニヤけの裏に隠して声を飛ばす。
「まだまだこれから。だったら頑張らなきゃな」
 それはどのような意味を込めて放った言葉なのだろう。気休めであればあまりにも残酷で息が詰まってしまいそうで。しかし刹菜の言葉の続きには素直に受け取ることの出来る想いが見えていた。
「世界が終わったらお付き合いどころか嫉妬も出来ない」
 ただ一度、頷くことしかできない、逆らう理由など何もない。中学生の反抗など世界の動きひとつ、天上の存在の気まぐれひとつで如何なるカタチにでも容易くねじ曲げてしまえるのだから。


 小鳥がさえずり青空に和やかな温もりを運び込む。この運命が風に流され水に運ばれ失われてしまう、絶望へと向かっている。そんな印象をなにひとつ思い起こさせない景色に亜紀は見とれながら歩く。
 ドアをくぐった先に広がる淡い世界に潜り込んだ彼女、明るくありながらも色素の薄い赤みがかった茶髪は日に透けて、活発そうな顔に、茶色の瞳に明るみをもたらしていた。
 そんな顔に、更に言えば性格にさえも似合わないセーラー服は大人にとっては若さや可愛らしさを一目で色付けてくれるなどとは言うものの。
 そうは言うものの、亜紀にとってはそんな感情から言葉に本音を感じられなかった。自分自身の姿にさえも女としての香りを感じられなかった。
 他人の全て、自分のカタチにさえ希望を見いだすことが出来ないままに零れ落ちるため息。
 地面に零れ落ちたため息は視線さえも落としてしまう。
 その先に咲く小さな花、黄色に色付いたその花は地の下では非常にたくましく人々などよりも余程立派に生きていることだろう。
「私と違って強くても綺麗だしな」
 花に向けて零した影に見えない涙がしたたり落ちて行く。形無き感情、色さえ影に染まったそれにつられて言葉が垂れ下がる。
「羨ましいよ」
 果たしてそれは伝わる言葉なのだろうか。そこにいる薄くてかわいらしいドレスを纏った妖精に嫉妬の想いは届いているのだろうか。
 そんな亜紀の表情を見たのか分かったのか、それとも全てに否定の返事を突きつけるのか、声を掛けてくる者があった。
「やっほー、アッキ」
 亜紀はその目を見開いた。アッキなどと呼ぶ女は、力の無さ故に生まれた独特の掠れ混じりのガラガラとした声は、亜紀の記憶が知る限りひとりしかいなかった。
「せっちゃん仕事は……ってなんじゃそりゃ」
 亜紀は思わず目を見開いていた。刹菜が着ていたのは亜紀とお揃いの服。所属する同性総員ペアルックなあの衣装。学校指定のセーラー服。紺色の襟やスカートに薄緑のリボン、亜紀を超えた彩度を誇る赤みがかった髪は茶髪と呼ぶことに疑問すら感じさせる。そんな髪をひと房に纏め上げて左肩に垂らすその姿は明らかな校則違反。校則など気にする人物の方がまれだったものの、行き過ぎていやしないだろうか。
 何よりあまりにも似合っていない。若々しいにも関わらず大人が纏っているのだと全身が語っていた。つまるところ言葉に表すことの出来ない不自然な雰囲気が纏わり付いていた。
「これでカンペキだろう? 私の二度目の中学生活が始まってしまうんだ」
「肌とか肩? 脚? なにか違和感あんだよね」
 潜入するのだろうか。明らかに大人、教師の方に化けた方が良かったのではないだろうか。そもそも潜入する必要などあったのだろうか。
 そんな数々の問いかけを刹菜に向けてみたところ、思いも寄らぬ回答が訪れた。
「潜入しなきゃイケナイんだ。世界を滅ぼすきっかけを方法知らずで作ってしまう凶器の持ち主がいるからな」
 教師でなくてよかったのか、亜紀が再び差し上げる問いに対していつものニヤけを浮かべながら声を張り上げる。
「はははは、この私の頭に教師が務まるだけの教養や心がけが収録されているとでもお思いかな」
「あ……納得」
 刹菜はいつでもこの調子。いつまでも責任を背負いたくないのだと態度や細かな仕草のひとつひとつに表れていた。そんな中学生と横並びで歩くことがお似合いな彼女に対して爽やかな笑顔と太陽のような元気満開の声を捧げてみせた。
「そうだな、やっぱ中学生だった」
「昨夜も同じ事言ってただろう」
 いつもに増して顔は歪められて、邪悪な感情が垣間見えたものの、紐解いてみればきっと大した闇でもないだろう。見たこと眼に映して抱いた感想をそっと胸の内に仕舞って亜紀は道を進み始める。
 そんな彼女に向けて刹菜は話題を曲げて好き放題に話を紡いでいた。
「ところでところでところでだよ」
「何回言ってんだ」
「はは、良いじゃん別に減るものでもない、それともこれで減りを感じるくらい気力の無い若者かな」
「いいから話の続き」
 刹菜のニヤけ面、愉快な色彩を空気中に放つその視線を見つめることすらなくまっすぐ、気持ちの良いほどに他所に目を向けることなく進むべき場所を捉えていた。
「こんなに関わりやすいオンナノコに接することすらない男どもってセンス無いよなアッキは絶対いい人なのに」
「仕方ないさ、ほら、センス無い奴らとやらが何見てるか今すぐ観察しろよ」
 亜紀が指した方へと目を向けると共に刹菜はすぐさま納得した。
「そりゃそうか、あと私的にコイツはムリだな」
「だろ」
 目の前に立つ女はふたりの嫌悪感になど気が付かない。白黒の影に映してみても美しさを損なわない完璧の権化の色をした塊、整った身体から顔、放つ甘ったるい雰囲気まで何もかもが男たちの視線を集めていた。
 男たちが大量に集まってくるその中に十数人の少女の色。ちらほらと居座る女子の姿に刹菜は眼を向けひとりひとり特徴を捉えていった。
「おかしな気配が漂ってるのは……中心にしかいないな」
 亜紀の首は同調するように縦に動いた。振った首が再び目の前の女を捉えるまで必要な時間など数える程の長さでもなかった。
「アイドルやってるらしいな、私は嫌いだけど」
「そうだね、あれはインチキだなあ。異能は隠せ無能をさらけ出すな」
 目の前の女は明らかに異なる雰囲気を漂わせていた。周囲の空間が逃げ水のようにゆらゆらと揺れる。それは明らかに常識では計り知ることの出来ない現象で、知る人にとってはお馴染みの現象。刹菜は未だ亜紀と目の前の女のふたりから滲み出るモノしか見ていないものの、それだけで充分だと記憶が語り聞かせていた。
「そんなに魅力的な花ならいつの日か扱いを違える乱暴者まで出そうだ犯罪の温床だな」
 言いたい放題だった。どう足掻いても声が届いていない、そんな前提があるからこそ、こちらの言葉が流れ込まないざわめきの防波堤が広がっているからこそ容赦を捨てて語ることが出来ることだった。
「せっちゃん言い過ぎ……と思ったけどあれは歯止め聞かせないと溺れ続けておかしくなりそうだな」
 異能の力をみだりに扱うことの危険性は異能力者との衝突だけには留まらない。そこに群がる人々の中に過激な爆弾が潜んでいる可能性も捨て去ることが出来ない限り、或いは魅力や嫉妬願望が次第に人々を蝕んで無害な人物を変えてしまうかも知れない。
「能力者の力で無害な味方を己の敵に変える。なんて血の気の多い能力だろうか」
 刹菜のおどけた口調によって紡がれた言葉が現実へと変わり果てる可能性も捨てきれない。
 刹菜は元の世界に戻ったあとで調べる事としてメモ帳に書き留める。
 そんな会話が聞こえてでもいたのだろうか。気が付けば女の煌めく眼差しがふたりを捉えていた。男たちもまた、ふたりの方を睨み付けていた。
 男たちの濁りきった眼、曇った思考、明らかに能力によって魅せられていた。一部の取り巻き女もまた、日頃はけっして見せないであろうおぞましさを剥き出しにしていた。
 刹菜は得意のニヤけ面を引き攣らせている。肝心な時に頼りにならないのだと悟って亜紀は思わず目を逸らしてしまっていた。
 人々を惹き付ける天性の魅惑の能力者は優しく微笑みながらふたりに声を流す。
「あなたたち、見かけない顔だけど、新人ファンかしら」
 それは聞き心地の言い声だった。心の底で嬉々とした感情を踊らせる、しかしながら必要以上に盛り上げずに澄み渡って染み込む声。音の方には異能の力の波を感じさせない。つまるところ、特別と格別が混ざり合った単なる奇跡。生まれながらにしての才能という言葉の意味を今ここで知った、思い知らされた。
「ファン、でもありませんね、よく分からないんですよ。親がテレビ独占してるんで……はあ、独占禁止法を家庭内の行動にも導入したい」
 すらすらと出て来た刹菜の虚言に呆れを隠すことが出来なかった。亜紀の眼差しの痛々しさは肌を刺してくるもののそれでも尚止まる事を知らなかった。
「お金もないんで追いかけられないんですけどもし機会があればしっかりと知りたいな、なんて」
――絶対思ってないだろ
 亜紀の視線は更に熱を増すものの、それでも刹菜の堂々たる嘘は溶けることなくこの場にそびえ立っていた。
「それは嬉しい、高校上がっても頑張っていくからその時にバイトでもして応援よろしく」
――向こうも馬鹿なのか?
 思いつつも違うことを直感していた。如何に経済事情に疎い亜紀でも分かり切ったこと。きっと刹菜のことを将来の金蔓として見ている、そうに違いない。
 建て前という名の化粧すらも美しい、そんな彼女はきっとこれからも大きく羽ばたく。
「はいはいはー」
 刹菜の声に真面目という色は見られなかったものの、それがまたファンであろうとすることを楽しみ蠢いているように見えた。
「私のこと応援してくれる日を楽しみに待ってるよ」
「ニュースや新聞で取り上げられる日を楽しみにしてる」
 ニヤけを添えて語る刹菜の感情はいとも容易く読み取ることが出来た。亜紀とふたりで交わしていた会話の流れからも確実につかみ取ることが出来た。きっと彼女が楽しみにしていることは燃え上がるスキャンダルや暗い影蔓延る出来事だろう。そういった事を望ませるほどの嫌悪を一瞬にして植え付けたこの女に対してある種の敬意を払って亜紀の腰は深く曲げられた。


 それからふたり並んで廊下を歩く。老化の影響は確実な姿をしていた。二十七から二十八という歳の積み重ねと言う割りには若々しくあれども中学生と呼ぶにはあまりにも大人びていた。
 そんなオンナと歩く自分の姿がどうにも幼く思えてくる。同じ服を纏って同じ場所を同じように歩く。ただそれだけで劣等感は深く濃く、どこまでも陰の深淵に落ちていく様を思わせた。
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