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イタズラの罰
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突然呼び鈴が響き渡った。男はドアを開き、顔を出す。そこから鋭い声によって始められたやり取りが男の耳を叩き始める。一秒たりとも許されなかった余白は心に寄り添うつもりの一片もないのだろうか。
「トリックオアトリート」
目の前には白い布に身を包み、可愛らしい目玉の付いたフードを浅く被ることで気弱な幽霊に成り切っている女の子の姿、隣にはカボチャを思わせる縞模様の入ったズボンとどこかお堅くなれていないジャケットのような橙色の服を纏い、先の尖った帽子を斜めに傾かせて頭に軽く乗せた女の子がいた。
幽霊は自信などありませんと全身が語っていた、縮こまっていた。対して魔女はキラキラと輝くオーラをラメ入りパウダーのように振りかけていた。
魔女は秋の寒気を吹き飛ばす勢いでお菓子の詰まったかごを差し出して笑顔を向けた。
「お菓子寄こせ、さもなくば悪戯するぞ」
「そんな脅迫するようなイベントだったっけ」
ぶどうの蔓で編まれたかごは大いなる年季を感じさせる。隣の幽霊はフードで顔を覆い隠して見せようとするも長さが足りないのか全く隠れず伸びる舌だけが眉間に垂れていた。幽霊というよりキョンシーに見えてくる。恥じらいキョンシー。低価格で作り上げられた感情。
「一方で魔女はえらく楽しそうだな」
お菓子を強請るイベントだと勘違いしているのだろう。男、健司はお菓子を取りに戻る際に一つの悪戯を思いついてしまった。
小さなレジ袋に新聞紙を丸めて放り込む。それを繰り返して出来上がったのは小学生相手に大人の現実を思い知らせようという大人げない罠だった。
なんとも情けないもので、健司はそれで満足感を覚えつつ「引っ掛かったな」と書いた紙を一緒に放り込んで魔女のかごに乗せた。
魔女は振り返りながら礼を告げる事もなく、代わりの言葉を幽霊の女の子に向けた。
「後でラッコ公園で収穫確認しよっか」
すぐさまその場を後にする。幽霊は細々とした声でごめんなさい、ありがとうと呟きながら立ち去ろうとする。魔女の方はともかく幽霊の方にあの扱いは気が引けてしまいついつい健司は幽霊少女に棒付きキャンディーを差し出してしまう。棒に刺さった黒猫の姿をした飴を細い指でつまみ、目にも止まらぬ速さで深々とお辞儀を三度して立ち去って行った。
「絶対魔女が無理やり着せただろあれ」
健司は白い背中が少しずつ小さくなる様を見届けながらドアを閉め、ジョッキを思わせる大きなグラスに氷とウイスキーとジンジャーエールのブレンドを作り上げ、啜り始めた。
夕方の空はすぐに立ち去ってしまう。少し前までは長かった太陽の出番がみるみるうちに減っていった。そんな季節の移り変わりに頭を抱えながら分厚い布団を取り出そうとクローゼットを開けたその時の事だった。季節に合わせた寝具を仕舞っている袋を開いたそこにあったものは新聞紙を丸めて作ったボールの詰め合わせ。幾つ取り出してもそこに布団の姿は見当たらない。
「は、なんでだ」
布団とは蒸発するものなのだろうか、それとも溶けて無くなるものだったのか。健司はごみしか詰められていない袋をひっくり返して別のクローゼットを開いた。その瞬間、健司の目に飛び込んだ光景は驚きのものだった。
ハンガーに掛けられた服が弾けて新聞紙のボールの群衆へと姿を変えたのだ。
驚きのあまり三歩後退り。バランスを崩しているのも身体が揺れているのも酔っているという理由ただ一つとは言い切れなかった。平常を保てない感情を振り回すように振り返ったその時、酒の入ったグラスの底で薄っすらと澄んだ輝きを見せていたはずの氷は新聞紙のボールに変わり果てていた。
「あいつらか」
あの小学生たちに何ができるというのだろう。酒に振り回された頭では正常な思考が出来ないという事実に怯えながら寒気に震えを混ぜては誤魔化しグラスが新聞紙に置き換わると同時に外に飛び出した。
それから特に見当もつかないまま、しかし何かを知っているような確かな足取りで進みながら、自分がどこへと向かっているのかを理解した。
「あいつら確かラッコ公園にって」
実際には土地の名前を持つだけの面白みの欠片もない公園のはずだが前後に揺れるラッコの遊具が特徴的であるために付けられた名。
夜闇の中、足音を隠す気持ちすら持ち合わせないまま健司は自分の存在を音という形で周囲に零し続けていた。
言葉の意味する場所の先に魔女とお化けの少女たちがいた。まるでおびき寄せられてしまったかのよう。もしかすると月夜の下の運命は彼女たちの想いのままなのかもしれない。
暗闇の中、小さなコウモリたちが羽を広げながら必死に飛んでいく。星々の明かりを覆い隠してしまう彼らによって作り上げられた闇が心を絞め付けてくる。
「もう一人だね」
魔女の呟きが静寂の中を伝わり不自然に響いた。それから沈黙は再び産み落とされて数秒後、お化けの少女が相変わらずおどおどとした調子を見せながら透き通る声で言葉を鳴らす。
「そうだね」
彼女の声が届くと共に足音が聞こえてきた。次第に近づいてくるそれは少しずつ大きくなっていく。夜空はそんな誰かの姿を詳しくは映してくれないものの、揺れるスカートの気配を見て女だと悟った。
「私の魔法をくらえ」
声を弾ませる魔女は指を振り、ステップを踏む。か細い指が虚空の夜闇を泳ぐように踊り、足がカツカツと素早く忙しない動きを刻むと共に激しい輝きが、星々の粉が散る。
途端に駆けつけてきた女は黒猫へと姿を変えてしまった。
お化けは黒猫を抱えながら儚さを残した笑顔で柔らかな頭を撫でながら魔女の影に隠れて微かな声を滲ませる。
「今日はこれでいいよ」
魔女は大きく頷きながらコウモリを集め、妖艶な女の姿をそこに呼び出す。翼の生えた青白い肌はドラキュラだろうか。黒一色という虚しい景色の中から橙色のカボチャの頭をした女が現れた。
数々の異形が目に映る度に健司の不安は大きなものへと育っていく。
魔女は健司を一瞬だけ見つめ、顎に手を当てて黙り込むこと数秒。目を輝かせて指を回る星のように素早く動かし口を開いた。
「じゃあ、あのおじさんは新聞紙と一緒に処分するね」
「待ってくれ」
様々な感情を差し置いていきなり出てきた言葉は命乞いへの導入を準備していた。
「あんなラブレターまで入れる人だもの、失恋ね」
「そういう意味じゃなかったんだけど」
お化けの子は救ってくれようとしていたようだがそれは叶わない話。健司は魔女の振る指と足が刻むステップに回るたびに揺れる髪、全ての動きにあどけなさと、もう一つ影に隠れた感情の片鱗を見た。
魔女は星をばら撒くと共に声を弾ませた。
「もう、一人だね」
それから数日が経った。己は今どのような姿をしているのだろう。新聞紙の中に転がる者は既に健司という名を失い、誰からも目を向けられることなく未来に控えている死を見つめ続けていた。夜が明け、朝を迎え、昼が訪れて夜との再会。その繰り返しが次第に不安を強めていくものの、ソレには何も為すことの出来るモノは残されていない。命果てるまでただその場に居座る事しか出来なかった。
そう、彼女の言葉の通り、一人きりで。
「トリックオアトリート」
目の前には白い布に身を包み、可愛らしい目玉の付いたフードを浅く被ることで気弱な幽霊に成り切っている女の子の姿、隣にはカボチャを思わせる縞模様の入ったズボンとどこかお堅くなれていないジャケットのような橙色の服を纏い、先の尖った帽子を斜めに傾かせて頭に軽く乗せた女の子がいた。
幽霊は自信などありませんと全身が語っていた、縮こまっていた。対して魔女はキラキラと輝くオーラをラメ入りパウダーのように振りかけていた。
魔女は秋の寒気を吹き飛ばす勢いでお菓子の詰まったかごを差し出して笑顔を向けた。
「お菓子寄こせ、さもなくば悪戯するぞ」
「そんな脅迫するようなイベントだったっけ」
ぶどうの蔓で編まれたかごは大いなる年季を感じさせる。隣の幽霊はフードで顔を覆い隠して見せようとするも長さが足りないのか全く隠れず伸びる舌だけが眉間に垂れていた。幽霊というよりキョンシーに見えてくる。恥じらいキョンシー。低価格で作り上げられた感情。
「一方で魔女はえらく楽しそうだな」
お菓子を強請るイベントだと勘違いしているのだろう。男、健司はお菓子を取りに戻る際に一つの悪戯を思いついてしまった。
小さなレジ袋に新聞紙を丸めて放り込む。それを繰り返して出来上がったのは小学生相手に大人の現実を思い知らせようという大人げない罠だった。
なんとも情けないもので、健司はそれで満足感を覚えつつ「引っ掛かったな」と書いた紙を一緒に放り込んで魔女のかごに乗せた。
魔女は振り返りながら礼を告げる事もなく、代わりの言葉を幽霊の女の子に向けた。
「後でラッコ公園で収穫確認しよっか」
すぐさまその場を後にする。幽霊は細々とした声でごめんなさい、ありがとうと呟きながら立ち去ろうとする。魔女の方はともかく幽霊の方にあの扱いは気が引けてしまいついつい健司は幽霊少女に棒付きキャンディーを差し出してしまう。棒に刺さった黒猫の姿をした飴を細い指でつまみ、目にも止まらぬ速さで深々とお辞儀を三度して立ち去って行った。
「絶対魔女が無理やり着せただろあれ」
健司は白い背中が少しずつ小さくなる様を見届けながらドアを閉め、ジョッキを思わせる大きなグラスに氷とウイスキーとジンジャーエールのブレンドを作り上げ、啜り始めた。
夕方の空はすぐに立ち去ってしまう。少し前までは長かった太陽の出番がみるみるうちに減っていった。そんな季節の移り変わりに頭を抱えながら分厚い布団を取り出そうとクローゼットを開けたその時の事だった。季節に合わせた寝具を仕舞っている袋を開いたそこにあったものは新聞紙を丸めて作ったボールの詰め合わせ。幾つ取り出してもそこに布団の姿は見当たらない。
「は、なんでだ」
布団とは蒸発するものなのだろうか、それとも溶けて無くなるものだったのか。健司はごみしか詰められていない袋をひっくり返して別のクローゼットを開いた。その瞬間、健司の目に飛び込んだ光景は驚きのものだった。
ハンガーに掛けられた服が弾けて新聞紙のボールの群衆へと姿を変えたのだ。
驚きのあまり三歩後退り。バランスを崩しているのも身体が揺れているのも酔っているという理由ただ一つとは言い切れなかった。平常を保てない感情を振り回すように振り返ったその時、酒の入ったグラスの底で薄っすらと澄んだ輝きを見せていたはずの氷は新聞紙のボールに変わり果てていた。
「あいつらか」
あの小学生たちに何ができるというのだろう。酒に振り回された頭では正常な思考が出来ないという事実に怯えながら寒気に震えを混ぜては誤魔化しグラスが新聞紙に置き換わると同時に外に飛び出した。
それから特に見当もつかないまま、しかし何かを知っているような確かな足取りで進みながら、自分がどこへと向かっているのかを理解した。
「あいつら確かラッコ公園にって」
実際には土地の名前を持つだけの面白みの欠片もない公園のはずだが前後に揺れるラッコの遊具が特徴的であるために付けられた名。
夜闇の中、足音を隠す気持ちすら持ち合わせないまま健司は自分の存在を音という形で周囲に零し続けていた。
言葉の意味する場所の先に魔女とお化けの少女たちがいた。まるでおびき寄せられてしまったかのよう。もしかすると月夜の下の運命は彼女たちの想いのままなのかもしれない。
暗闇の中、小さなコウモリたちが羽を広げながら必死に飛んでいく。星々の明かりを覆い隠してしまう彼らによって作り上げられた闇が心を絞め付けてくる。
「もう一人だね」
魔女の呟きが静寂の中を伝わり不自然に響いた。それから沈黙は再び産み落とされて数秒後、お化けの少女が相変わらずおどおどとした調子を見せながら透き通る声で言葉を鳴らす。
「そうだね」
彼女の声が届くと共に足音が聞こえてきた。次第に近づいてくるそれは少しずつ大きくなっていく。夜空はそんな誰かの姿を詳しくは映してくれないものの、揺れるスカートの気配を見て女だと悟った。
「私の魔法をくらえ」
声を弾ませる魔女は指を振り、ステップを踏む。か細い指が虚空の夜闇を泳ぐように踊り、足がカツカツと素早く忙しない動きを刻むと共に激しい輝きが、星々の粉が散る。
途端に駆けつけてきた女は黒猫へと姿を変えてしまった。
お化けは黒猫を抱えながら儚さを残した笑顔で柔らかな頭を撫でながら魔女の影に隠れて微かな声を滲ませる。
「今日はこれでいいよ」
魔女は大きく頷きながらコウモリを集め、妖艶な女の姿をそこに呼び出す。翼の生えた青白い肌はドラキュラだろうか。黒一色という虚しい景色の中から橙色のカボチャの頭をした女が現れた。
数々の異形が目に映る度に健司の不安は大きなものへと育っていく。
魔女は健司を一瞬だけ見つめ、顎に手を当てて黙り込むこと数秒。目を輝かせて指を回る星のように素早く動かし口を開いた。
「じゃあ、あのおじさんは新聞紙と一緒に処分するね」
「待ってくれ」
様々な感情を差し置いていきなり出てきた言葉は命乞いへの導入を準備していた。
「あんなラブレターまで入れる人だもの、失恋ね」
「そういう意味じゃなかったんだけど」
お化けの子は救ってくれようとしていたようだがそれは叶わない話。健司は魔女の振る指と足が刻むステップに回るたびに揺れる髪、全ての動きにあどけなさと、もう一つ影に隠れた感情の片鱗を見た。
魔女は星をばら撒くと共に声を弾ませた。
「もう、一人だね」
それから数日が経った。己は今どのような姿をしているのだろう。新聞紙の中に転がる者は既に健司という名を失い、誰からも目を向けられることなく未来に控えている死を見つめ続けていた。夜が明け、朝を迎え、昼が訪れて夜との再会。その繰り返しが次第に不安を強めていくものの、ソレには何も為すことの出来るモノは残されていない。命果てるまでただその場に居座る事しか出来なかった。
そう、彼女の言葉の通り、一人きりで。
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