異世界風聞録

焼魚圭

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最終三連幕── 始まりの幕 リンゴ

認識の壁

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 天空からの眺めはもはや高さを実感できないものだった。下を見下ろしたところでそこから見える景色は大地すら存在していない。雲に乗ろうにも幹人の足は突き抜けてそのまま落ちてしまう。
 風よりも高い処なのだろうか。地へと向かって勢いよく、時と共に加速していく身体を迎え入れるように下から風が吹いていた。
 恐怖の実感もないまま落ちていた。墜ちるという言葉を想うことすら許されない、地面と空の距離が分からない、人と再び触れ合うことの出来るセカイからどれだけ離れているのかも解らない。

 その高みは、この上なく美しくありながらも、人の身としては底が視えない程の虚しさに支配されていた。

 天の高みから人の集いへと落ちて墜ちて堕ちておちてオチテ……。天に住まう者がいるのだとすれば人のことなど知りはしないだろう。分かろうとすることすら知らないかもしれない。
 セカイにオチタトキ、この身は耐えられるのだろうか、否、確実に絶えるだろう。
 途端に幹人の中に焦りの感情、人らしさを誇るそれが生まれ落ちた。墜ち続ける身体、死へと確実に向かっている事実。幹人はどうすればいいのかを記憶の中から探り始めた。
 これまで旅の中で得てきたモノ。リリが扱っていたような巨大な植物に掴まるのはどうだろう。隣の巨大な木を見つめる。あまりにも遅く横流れする景色と少しずつ目に入って行くこげ茶の年季の生命。掴まるにはあまりにも離れすぎていた。とは言えメイアのように飛ぶのは不可能だとすぐに悟り、次の手段を考える。
 魂の姿を起こすのはいかがなものだろう。確実に助かるものの、顕現させるための魔力の消費が大半を占める大技たる秘術。一週間近く寝込んでしまうのは出来る限り避けたかった。最後の手段として保留とした。
 リズのように強い風を起こしたならどうだろう。自力で出来るかどうか。自分のチカラだけで扱えるだろうか、現実的ではなかった。
 続いて呼び起こされた記憶、東ノ国での魔法。それが救いとなるだろうか。最も正解に近いと思い、その瞳を閉じて、半眼で魔力の流れを視通す。東ノ国ほどの魔力の流れを求めるのは確実に絶望的だったものの、どうか少しでも。そう祈り魔力を視て、頼りない右手を挙げて何かを掴み取った。その手に握られたものはきっと人の目だけでは視えないだろう。空中で手を挙げる不審者のよう。
 孤独故に誰からも思考や思想のひとつも放り込まれることなどなかった。
 幹人の手に掴まれた魔力の流れ、霊的な流脈のひとつ。それに魔力を乗せ、一気に風を放ち、世界に見せびらかすことなく必要な時にだけ扱っていた魔法のチカラを解き放ち、当然のように飛び始めた。飛ぶというよりは魔力の流れを支えとしてなぞりながら地へと向かって進んでいると言うのが適切だろうか。幹人の身体は重力やその他様々な物理のルールの内従うものを選びながら、地へと滑るように降り立った。
 迎え入れられた先、大地で待っていた仲間たちが笑顔で迎え入れる。そこでようやく、いつ以来だったのか思い出すのも煩わしい動きを、口を動かしてその意思を伝え始めた。

「ただいま、みんな。帰ってきたよ」

 それから始まった報告。大樹を登ったところで大した意味などなかったということ。それを口にしながら背負っていた虹色の木材をリリに渡した。

「世界樹に凄いものがあったよ」

 リリは白い手で虹色の物質を軽く叩きながら音に耳を傾けて、しっかりと微笑んでみせた。

「これは加工出来そうだね」

 いい木材をありがとう、その言葉を残してリリはリズとメイアを引き連れて芸術の国へと立ち去った。

「さて、幹くん、残された私たちだが、調査を続けるか」

 積極的に促して、先輩はただひたすら木々や空気に張り付き染み込み漂い生きる魔力を見つめながら石の大剣を振り回す。幹人が視た剣の姿はただの石ではなく、魔力によって赤い線が輝き揺らめく美しき魔法。振るう度に量や濃さを変え何かを比べ続けていた。

「次は世界樹が見えなくなったところ、その次は境界線スレスレ、あとはふたつの壁を貫通して試そうか」

 そうした調査、魔法によって間引かれた世界、在るものが視える、あるのに視えない、認識の壁を確かめて費やすこと一週間。幹人は秘術を使わなかった過去の自身に多大なる感謝を送り届けていた。気持ちを贈る、それを本当にしたい相手はリリなのだと、出来ない現状の悔しさと共に願いを噛み締めながら、先輩の調査を見つめ続ける。
 リリは芸術の国で何をしているのだろう。幹人は何か大切なことを忘れていることを感覚として捉えて分かってはいたものの、その真相を思い出すことが出来ないでいた。

「そろそろリリが帰って来るかもな、それより幹くん」

 先輩はこれまでのことで分かったことを幹人に伝え始めた。それと共に足を踏み出し、巨大なセイヨウトネリコへと近づき、その手を当てて、幹人の方へと顔を傾けて語る。どうやらこの大樹周辺はこの世界と他の世界が重なり合ったものらしい。様々な世界が、ありとあらゆる世界線がこの大樹を見える姿見えない姿、過去に存在したもの未来の鉄塔のような姿で存在するもの関係なく共有して全てのセカイの存在を保っているらしい。
 幹人に全ての解決方法を、先輩は耳元でささやいた。

「つまり、幹くんの望むセカイを作ってこの樹に提げてしまえば理想通りというわけ」

 先輩が重ねた全ての幹人、大樹の細かな質の解析、全てを整えたことによって開いた未来への道筋へと進み始める。
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