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第九幕 霧に覆われし眠らぬ国
世界線
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愛しい時間を胸に仕舞って、幹人は歩き出す。辺りは闇に包まれ始めていた。空の上澄みは既に暗いヴェールに覆われていた。
リリを想いながら、旅の終わりを、人生の続きを想いながら、歩き続ける。立派な廊下は嘘のように想えていた。この世界の全てがハリボテに視えていた。
立ち止まって正面を見つめ、己を見つめる。
大人となった幹人が入った会社でリリと出会って、明るい日々を送っている姿。
増えて行く矛盾は、支離滅裂な記憶は一体なに故に増えているものだろう。全くもって見通すことができなかった。
全てが実態を持った想い出、全てに見覚えがあるというこの身体。いくつもの運命を背負っているなど本来あり得ないことだった。
止まっていた足は再び動き始め、大きな扉へと向かって進み続ける。流れる景色は変わり映えのしない豪華なもので、瞳は常に慣れない景色を拾い上げてしまうがために落ち着きを得ることが出来ずにいた。
景色と共に時間は流れ、幹人は今どれほど無駄な時間を過ごしているのか思い知らされた。足を速めて、扉へと素早く向かって行く。通りすがりの風、残像を残して後ろへと去って行く景色、幹人の歩みと共に視界の中で揺れる灯り。
全てを無視してチョコレートを思わせるこげ茶色の扉を開いた向こうで待っているランスの傍へと歩み寄った。
ランスは幹人をその目に映してしっかりと微笑んだ。これから出される言葉は先輩としてのものだった。
「やあ幹くん、遅かったね」
「歩いてる途中で全然違う人生が見えたんで」
痛々しい発言は若者特有のもののよう。しかし、完全なるノンフィクションだった。幹人には完全に異なる人生がいくつも視えていた。夢だと思っていたコウモリの姿のリリも今では現実なのだと分かる。親が待つ幹人も、母親を亡くして父を軽蔑する幹人も、成人してリリに出会う幹人も、全て重なり合う現実だった。
理解の追いついていない頭でどうにか言葉を振り絞り、それを説明する。幹人のあどけない声も相まって子どもによる説明にしか聞こえない。先輩は微笑んで全てを聞き届けて、頷いて幹人の頭に手を置いた。
「それなら実は私がやった」
「……え?」
新しく投げられた短い言葉、それが持つ大量の情報を理解することすら叶わず、立ち尽くしてしまう。
「私が幹くんの中に幹くんを入れたんだ」
「それって、どういう」
ようやく形にできた言葉は疑問に対する答えを求める姿勢の表れだった。先輩は幹人の目を見て口を開く。言って聞かせたものは、犯行の自白。
「この世界と元の世界、異界はふたつじゃないんだ、たったそれだけのちっぽけなものなんかじゃない。他に幾つもの可能性を体現した並行世界があって、似たり寄ったりなものから全く異なるものまでバラエティー豊かなものがあってね」
先輩は花柄のメモ帳とソーダの描かれたシャーペンを取り出し、幹人の知る文字、人生で最も触れて来た懐かしいあの文字で何かを書き留め始めた。
「様々な世界が存在する。幹くんがこれまでに触れて来たものと旅の中で聞かされたものから説明しよう」
差し出されたメモ。そこに書かれた文字は『異世界風聞録』と読むことができた。
「まずこの世界、幹くんの旅には常にうわさ話が付き纏っていたみたいだから異世界風聞録とでも呼ぼうかな、この世界にも幹くんはいたんだ」
続けて紡がれた文字、それは『正世界線』と訴えていた。
「次の世界、幹くんや静嬉に紘大はモチロンのこと、恐らく真昼や紅也にアナの正体である瑠菜も住んでる元の世界、あなたたちの中心だから仮に正世界と呼ぶよ」
あなたたち、その言葉に大いなる違和感を覚えていた。先輩は元々異なる世界の住民だったのだろうか。
そこから更にはかつて紅也が魔導教団という組織に攫われたらしい世界を『創造の魔導士と魔導教団 世界線』、幹人は聞いたこともないメガネの少女が本来付き合うはずだった魔女と出会うのが遅れてしまったがために全く異なる道を進んだ『呪われ 世界線』、全ての人々が魔法に触れてしまったがためにロクでもない結末を迎える『魔女たちの色彩 世界線』など、聞いているだけで頭が痛くなってしまいそうな説明を受け続けていた。中には褐色肌の少女が運命をも書き換えた『魔女たちの色彩』の隣の世界線もあるのだとか。
「幹くんの記憶の中のコウモリのリリ、それは『変貌の薬 世界線』かな」
先輩は様々な世界線を駆け巡り、それぞれの世界に住む幹人をこの世界の幹人の身体に纏め上げ、重ね合わせているのだという。
「今の幹くんは、幹くんが辿り得た全ての可能性の重なりにあるんだ、今の世界にいるリリをさ、新しい世界線を創って一緒に連れ去ろう」
全てを塗り替えた新しいセカイ、それは幹人にとっては甘美なる可能性を秘めていた。
言葉を受けて輝いたはずの表情をどう取り違えたのだろう。
「心配しなくてもいい。今のところ全ての世界線で幹くんはリリと出会ってる。おかしいよね」
おかしい、それはどういうことなのだろう。なかったはずの心配が形と成って、首を傾げて疑問を差し出していた。
「幹くん、おかしいとは言ったけど凄いことでもあるんだ。数多の可能性の世界、人がどの道をとるのかはそれぞれの流れ次第、それぞれの流れもまた、全ての人物や現象が作り上げたもの、つまり」
そこから息をつき、一瞬の途切れの後に目を見開き、幹人に大切なことを伝えてみせた。
「全ては偶然の集まり、その中で幹くんは何故か毎回偶然リリを愛してリリに愛されてるんだ」
幹人は顔を赤くした。隅々まで根を広げる熱にのぼせ上り、この上ない恥ずかしさに包み込まれていた。頭はひたすら感情に打たれて揺らされて、思考すら覚束ない。そんな中でようやくひとつの言葉を絞り出す。それは、自身すら驚くほどの圧を持った叫びになっていた。
「誰が世界線ストーカーだ!!」
「それは私」
付け加えられた言葉に幹人はついつい吹き出して、そこで今の会話は幕を降ろして繋ぎ目を作れる端の部分すら切ってしまったのだという。
それからふたり、今夜の動きについて話を始めた。
リリを想いながら、旅の終わりを、人生の続きを想いながら、歩き続ける。立派な廊下は嘘のように想えていた。この世界の全てがハリボテに視えていた。
立ち止まって正面を見つめ、己を見つめる。
大人となった幹人が入った会社でリリと出会って、明るい日々を送っている姿。
増えて行く矛盾は、支離滅裂な記憶は一体なに故に増えているものだろう。全くもって見通すことができなかった。
全てが実態を持った想い出、全てに見覚えがあるというこの身体。いくつもの運命を背負っているなど本来あり得ないことだった。
止まっていた足は再び動き始め、大きな扉へと向かって進み続ける。流れる景色は変わり映えのしない豪華なもので、瞳は常に慣れない景色を拾い上げてしまうがために落ち着きを得ることが出来ずにいた。
景色と共に時間は流れ、幹人は今どれほど無駄な時間を過ごしているのか思い知らされた。足を速めて、扉へと素早く向かって行く。通りすがりの風、残像を残して後ろへと去って行く景色、幹人の歩みと共に視界の中で揺れる灯り。
全てを無視してチョコレートを思わせるこげ茶色の扉を開いた向こうで待っているランスの傍へと歩み寄った。
ランスは幹人をその目に映してしっかりと微笑んだ。これから出される言葉は先輩としてのものだった。
「やあ幹くん、遅かったね」
「歩いてる途中で全然違う人生が見えたんで」
痛々しい発言は若者特有のもののよう。しかし、完全なるノンフィクションだった。幹人には完全に異なる人生がいくつも視えていた。夢だと思っていたコウモリの姿のリリも今では現実なのだと分かる。親が待つ幹人も、母親を亡くして父を軽蔑する幹人も、成人してリリに出会う幹人も、全て重なり合う現実だった。
理解の追いついていない頭でどうにか言葉を振り絞り、それを説明する。幹人のあどけない声も相まって子どもによる説明にしか聞こえない。先輩は微笑んで全てを聞き届けて、頷いて幹人の頭に手を置いた。
「それなら実は私がやった」
「……え?」
新しく投げられた短い言葉、それが持つ大量の情報を理解することすら叶わず、立ち尽くしてしまう。
「私が幹くんの中に幹くんを入れたんだ」
「それって、どういう」
ようやく形にできた言葉は疑問に対する答えを求める姿勢の表れだった。先輩は幹人の目を見て口を開く。言って聞かせたものは、犯行の自白。
「この世界と元の世界、異界はふたつじゃないんだ、たったそれだけのちっぽけなものなんかじゃない。他に幾つもの可能性を体現した並行世界があって、似たり寄ったりなものから全く異なるものまでバラエティー豊かなものがあってね」
先輩は花柄のメモ帳とソーダの描かれたシャーペンを取り出し、幹人の知る文字、人生で最も触れて来た懐かしいあの文字で何かを書き留め始めた。
「様々な世界が存在する。幹くんがこれまでに触れて来たものと旅の中で聞かされたものから説明しよう」
差し出されたメモ。そこに書かれた文字は『異世界風聞録』と読むことができた。
「まずこの世界、幹くんの旅には常にうわさ話が付き纏っていたみたいだから異世界風聞録とでも呼ぼうかな、この世界にも幹くんはいたんだ」
続けて紡がれた文字、それは『正世界線』と訴えていた。
「次の世界、幹くんや静嬉に紘大はモチロンのこと、恐らく真昼や紅也にアナの正体である瑠菜も住んでる元の世界、あなたたちの中心だから仮に正世界と呼ぶよ」
あなたたち、その言葉に大いなる違和感を覚えていた。先輩は元々異なる世界の住民だったのだろうか。
そこから更にはかつて紅也が魔導教団という組織に攫われたらしい世界を『創造の魔導士と魔導教団 世界線』、幹人は聞いたこともないメガネの少女が本来付き合うはずだった魔女と出会うのが遅れてしまったがために全く異なる道を進んだ『呪われ 世界線』、全ての人々が魔法に触れてしまったがためにロクでもない結末を迎える『魔女たちの色彩 世界線』など、聞いているだけで頭が痛くなってしまいそうな説明を受け続けていた。中には褐色肌の少女が運命をも書き換えた『魔女たちの色彩』の隣の世界線もあるのだとか。
「幹くんの記憶の中のコウモリのリリ、それは『変貌の薬 世界線』かな」
先輩は様々な世界線を駆け巡り、それぞれの世界に住む幹人をこの世界の幹人の身体に纏め上げ、重ね合わせているのだという。
「今の幹くんは、幹くんが辿り得た全ての可能性の重なりにあるんだ、今の世界にいるリリをさ、新しい世界線を創って一緒に連れ去ろう」
全てを塗り替えた新しいセカイ、それは幹人にとっては甘美なる可能性を秘めていた。
言葉を受けて輝いたはずの表情をどう取り違えたのだろう。
「心配しなくてもいい。今のところ全ての世界線で幹くんはリリと出会ってる。おかしいよね」
おかしい、それはどういうことなのだろう。なかったはずの心配が形と成って、首を傾げて疑問を差し出していた。
「幹くん、おかしいとは言ったけど凄いことでもあるんだ。数多の可能性の世界、人がどの道をとるのかはそれぞれの流れ次第、それぞれの流れもまた、全ての人物や現象が作り上げたもの、つまり」
そこから息をつき、一瞬の途切れの後に目を見開き、幹人に大切なことを伝えてみせた。
「全ては偶然の集まり、その中で幹くんは何故か毎回偶然リリを愛してリリに愛されてるんだ」
幹人は顔を赤くした。隅々まで根を広げる熱にのぼせ上り、この上ない恥ずかしさに包み込まれていた。頭はひたすら感情に打たれて揺らされて、思考すら覚束ない。そんな中でようやくひとつの言葉を絞り出す。それは、自身すら驚くほどの圧を持った叫びになっていた。
「誰が世界線ストーカーだ!!」
「それは私」
付け加えられた言葉に幹人はついつい吹き出して、そこで今の会話は幕を降ろして繋ぎ目を作れる端の部分すら切ってしまったのだという。
それからふたり、今夜の動きについて話を始めた。
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