異世界風聞録

焼魚圭

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第九幕 霧に覆われし眠らぬ国

学校

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 空から当然のように降り注ぐはずの朝日は霧に阻まれて、晴れの実感を人々に与えられないまま、世界に曖昧な明るさだけを運んでいた。
 幹人はランスと並んで学校へと足を運んでいた。学業など幹人にとっては苦痛の悪行に過ぎなかったものの、今回の目的は飽く迄視察。それでも幹人の背筋を走る気まずさと悪寒は止められなかった。
――俺、やっぱ勉強嫌いだなあ
 しかし、覚悟を決めなければならない日はそう遠くはなかった。リリを連れて帰るということは、戸籍すら持たない一般人を引き攣れるということ。一緒に生きるからには仕事は幹人がしなければならなかった。戸籍も学歴も資格もなくてはいないことと同じ、幹人の祖国はデータの有無ひとつでどこまでも冷たくなるものだった。
 校門をくぐり、中へと吸い込まれるように、奥へと飲み込まれるように進んで行った。
 景色は無機によって飾られていた。見渡す限り広がるレンガと黒く汚れ切った鉄と霧の汚染。自然というものは人の手によって淘汰されていた。
 先輩はランスとしての皮を被り、堂々たる佇まいで校舎を歩いて行く。赤いマントがはためいて、石を束ねて創り上げられた王冠を斜めに掛けるように被せる姿、医師の候補生たちの目をしっかりと惹き付けていた。
――目立ち過ぎだろう! 王様
 幹人から注がれる腫れ物に向けたような色をする目線になど構うことなく、ランスは進み続ける。
 周りからの視線はひとつの異色を覗いては憧れ恋情王への賞賛、明るい感情に充たされていた。

「気持ちがいいな、あなた方の気持ち。このような民のために世を治めているのだと思うとそれだけで晴れやかな気持ちになって来る」

 霧景色の中、霧ひとつ感じさせない晴れ晴れとした王の輝きはそのままある教室へと飲まれて見えなくなった。そこにいたのは全員が大人。教員という肩書きを持つ人物たちだった。ランスは大きく息を吸い、はっきりとした声であいさつを捧げた。

「ごきげんよう、働き手の諸君」

 教師たちはみな突然振り向いて、畏まった態度であいさつを返した。

「はっ、ランスさま、本日はどのような御用で」
「私の指示で私がある人物を御用に来た」

――言っちゃうんだ
 幹人の想いは恥ずかしさいっぱいで、声も出ない。最早知り合いだと思われたくもなかった。それ以上に不安で仕方がなかった。殺人事件の犯人はメスを扱っているという情報しかなくて、つまりは生徒とは限らない。教員かも知れないのだった。
 幹人はランスの斜め後ろでこそこそと問いかけていた。

「大丈夫なの? 隠さずに教えて」

 幹人の口に人差し指を当てて、ランスは微笑んでみせた。

「最近この国で起きている連続殺人事件だが、みんな知っているか」

 教員たちはそれぞれに語っていた、己が知る知識を。

「まだ見つかってないんだって」
「あれだろ、内臓抜かれたてやつ」
「国中そのうわさ流れてるよな」

 内臓ひとつで疑われたら堪ったものじゃねえ、そう語る人物までいた。ランスはそのまま話を続けて行った。

「だがそれだけではないのだ、使用した凶器はご存じか?」

 その問いに皆して黙り込み、言葉に困っている中、ひとりが答えを返した。

「メスだろう」

 ランスは不敵な笑みを浮かべながら一度頷く。表情を浮かべるだけのランスを見つめ、幹人は困った顔を見せる。その貌が示す感情に心を染め上げられていた。
――俺はなにも出来ないから、手伝いとかとんでもない
 しばらく続けられた沈黙、流れ続ける気まずさの塊に対し、その空気の責任をしっかりとランスが取って見せた。

「そうか、よく知ってることは良いことだな」

――先輩絶対何も考えてなかったよ

 断定、しかしながら決めつけてしまっても問題はなかった。それは決して憶測などではなくて、先輩の思考の理解だったのだから。

「とにかくだ、メス。それも医療用のもので人を殺しているということは医師か医療学校の教師か生徒、身元がだいたい予想できてしまうわけだ。そのようなものを他の何者が用意できようか、製造業者か? ただの工場勤務があんなにも綺麗な切り口を作れるものか?」

 しっかりと扱いに慣らした上で常用でもしていない限りは上手く扱えないだろう。ましてや人の皮膚であれば尚更のこと。それだけで留めるということを知らないのか探偵気分のスイッチでも入ってしまっているのだろうか。ランスは更に続ける。

「そうだな、医療の学校では医師を育てるために解剖のカリキュラムも取り入れられている。この国では豚の目や死人の内臓を配布しているが、果たしてそれだけで満足いくだろうか?」

 疑いの比率は教員たちに大きく傾いていた。それから後ろを振り向き、不安がらせないように生徒には黙っておいてくれ、それだけの単純な言の葉を付け加え、ランスは幹人の肩に手を置いて不敵な笑みを浮かべながら立ち去り始めた。
 歩き進め、足を進め歩みを進め。霧の中見通しの悪い道を突き進み、城まで速足の無言を貫き通していた。人々が身元を明かしながら城に入る許可を求める中、幹人はランスの顔パスで即座に城に飲み込まれた。
 王の部屋の中、ランスは公的文書に羽ペンで文字を書き連ねながら幹人に口を向けた。

「予想外、犯人がすぐに口を滑らせたな」

 幹人の無知の頭でもしっかりと理解を形にすることが出来た。殺害に用いられた凶器は医師と警察くらいしか分からず、彼らはしっかりと口を閉ざしていた。模倣犯を産まないためにも。

「ひとり、メスで殺したといった、犯人かそれに繋がるのは彼に他ならないな」

 ランスの、幹人の学校の先輩の当初の計画としては全てを伝えつつ生徒には話すことを許さずして試すつもりだったのだそうだ。殺人が止まなければ生徒か野良医師かあの中にホンモノの狂気がいたのか。殺人が止まるか凶器が変わったのなら教員の仕業。ということだった。
 これで考える手間が省けた。と言いながらランスは息をついた。
 残酷な殺人に王の裁きを、軽い声でそう告げるランスの表情はどこか愉快そうだった。
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