異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

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 幹人たちの戦いの様を見ている影がひとつ。闇に溶け込み隠れ同化する者、恐ろしいまでに邪の気に包まれたこの世ならざるモノ。それは紛れもない妖。本来人類に仇を成す存在、分かり合うことの出来ないはずの悪しき厄の持ち主はある人物の言の葉と呪言の書かれた札を額に張られることで言うことを聞くだけの人ノ形ヲ持ツモノと成り果てていた。
 その瞳を通して彼らの戦いを見通す者がいた。

「そうだ、それでいい」

 その男は妖を目に使い、そこから見える映像に鋭い笑みを浮かべる。

「そうだ、殺せ。貴族殺しの罪で真実を知る者を処刑する」

 企みの主は、陰陽師の阿部 晴義。彼の頭の中に書き込まれし計画を遂行できそうな状態にあること。それに対しこの上ない愉悦の感情を滾らせていた。
 貴族が人殺し、それが世間に漏れることは避けたいところ。とはいえ単に貴族を処刑してしまっては平民からの目は良くない物となってしまうだろう。
 貴族の恥晒しである。
 ならば、何も知らない実力者、あるいは貴族からの極秘の依頼を受けた人物が貴族の罪人を殺してしまえばどうだろう。人殺しの罪の全てを押し付け更に貴族を殺したという事実、そのふたつだけで堂々と処刑することが可能ではないだろうか。
 使っては捨てることの出来る駒。それにすべての責任を押し付けて不名誉な事実を全て闇に葬り去ること。それが晴義の狙いだった。
 幹人の攻撃により、綾香は生気まで吸い取られ、力なく跪いて下を向く。薙刀は手から滑り落ちて、草や枯れ葉の敷き詰めによって出来上がった天然の絨毯につかみ取られる。

「いいぞいいぞ、殺せ殺せ殺せ」

 この世界の陰や穢れを見つめ触れ続けたその目はくすんでいて、手はどこか薄っすらと生々しい嫌悪を感じさせる。この男は、見せかけの平和のためならばどこまでも残酷で卑怯な手段でも用いることが出来た。
 そんな男に綾香はどのように映っているのだろう。
 一方で幹人の目には綾香の苦しそうな姿に対して悲痛な感情の閃光を胸の中に走らせていた。いかに非道な人物だったとしても、目の前で見せるこの世で最も生々しい苦しみを見せられるのは気分のいいことではなかった。
 それでも、耐えるしかなかった。涙をこぼそうとも、叫びを絞り出し、声をからしていても、目の前の少女に対して次の行動へと移れるようになるまでは、その目に焼き付けておくことしか出来なかった。
 ごめんなさい、そのような甘い言葉は許されない、確かに相手は罪人であるものの、それを知っていても溢れ出る苦い感情を噛み締め見届け続けていた。
 やがて叫び声は収まり、綾香は地に伏した。そこから発せられる声はうめきへと変わり、動くことすらなくなって。
 その様子を妖越しに眺めている晴義は盛大に言ってみせた。

「いいぞ、全員彼岸の彼方に送りつけてやる」

 この戦いを見通す目の役割を果たす死者の女、額に呪符を張られた幼子。腐りかけたその幼女の目は綾香を映し出す度に瞳が揺れていた。失われたはずの命、何年もの壁を経た過去に魂を置いて来たはずの、感情すら残されていないはずの彼女の目は大きく揺れて震えて綾香を見つめようとして留まろうとして、しかし晴義の操作に敵うことなく、綾香だけに焦点を当て続けることは叶わなかった。
 弱り果て、抵抗する力も残されていない綾香を見て、幹人の隣に鈴香が立ち、大きな瞳を閉じる。

「大丈夫。私の……チカラが、あなたを……」

 鈴香の手にはいつの間に取り出したのか、どこから取り出したのか。短い奇妙な杖を取り出していた。無機質な石で出来た杖の先には石の玉と翼が激しい主張をしていて、柄には二匹の蛇が絡みついていた。
 綾香は、苦しみの果てに鈴香の姿を見ていた。その輝かしい雰囲気に、ある女の姿を重ねていた。
――悠菜
 悠菜、その名はいつまで隣について来ていただろうか。


 貴族の娘としてやるべきこと、将来のためにできること。親の手によって仕込まれることは学問と家事とおめかしに加えて仕事に関すること。自由な時間など殆ど与えられることもなく、ひたすら立派な貴族の嫁という地位ありきの人物へと染め上げられようとしていた。
 そんな中与えられた非常に貴重な休憩時間、綾香は日差しを遮るために傘をさしていた。竹の軸にアサガオの描かれた立派な紙を張った日傘。紫色の着物には桜の花びらが吹雪のように強く吹き荒れていてこの上なく美しい夜桜の風景のセカイを閉じ込めていた。
 一方で世の中は日差しの照り付ける明るみの世界。その中で綾香は甘味処にて団子を食べて抹茶を飲む。立派な厚手の茶碗の手触りは土を固めたものなのだと微かに実感させる程度、程よいざらざらとつるつると表せる塩梅を両立しており、茶を点てるには最も扱いやすいものなのだそう。しっかりと茶をかき混ぜて泡を立ててゆっくりと泡を潰して。そうして点てられた茶は、遠目に見たような茶の香りと優しい甘みが微かに声を上げたような味を引き出して苦みの中でか弱くも目立たなくとも、確かに手を挙げていた。
 その味を堪能している綾香の髪を見つめて女亭主は訊ねる。

「その簪、べっ甲かい? いいとこのお嬢が大寄席でもないのに……珍しい」

 綾香は微笑みを浮かべ、感情の陰を隠しながら言葉を繋いだ。

「私、お茶の席には出られないんです。そんな暇があったら勉強して立派な人にならなければいけないもので」

 貴族の闇、その表層にあるそこそこ厳しい家の者なのだと悟り、亭主は口を噤む。あの純粋な笑顔を自らの言葉で崩してしまうことを恐れたのだった。
 そうした綾香にとっては幸せだった時間を経て、家へと戻るために歩くのみ。そうした道の途中、綾香は目にしてしまった。建物の壁に背中を付けて膝を抱える女の子の姿を。
 同じくらいの歳だろうか。纏っている服はボロボロで汚れに塗れていた。髪も肌も全く手入れが行き届いていなくて荒れていた。
 その少女が綾香を一瞬だけ見つめ、すぐさま顔を下げる。その瞳の色は、曇り空すら見通せない闇の中に雲が蔓延っているような様。雨を降らせることすら出来ない、泣くことすら出来ない、そんな余裕も気持ちもない。といった様子だった。
 綾香はどうしてもその幼子が気になって仕方がなかった。どこか惹き付けられる闇があり、その虜になってしまっていた。
 当然のように歩み寄り、幼子に手を差し伸べる。

「ねえ、大丈夫?」

 幼子は手を取ることもなく、ただ見つめては目を逸らし、不機嫌の感情をあらわにした目を見せつけた。
 それでも綾香は幼子に近寄って、言葉をかけ続けた。

「お話しよう、私には友だちもいないから」

 幼子は綾香の姿を見るや否や、再び俯き言ってのけた。

「いやだ。服も綺麗な簪も……貴族って分かってるよ」

 身分の違う者とは話すつもりもないのだろうか。綾香は袖から布の袋を取り出して、中から紙を手に取った。

「綺麗な簪でしょ? べっ甲って言うんだけど」

 紙を開いたそこには、よく似た色の欠片が散りばめられていた。

「これあげる。べっこう飴っていうの。似てるでしょ?」

 幼子は目を震わせながらそれを見つめ止まって。震える手でたどたどしく、恐る恐るべっ甲のような色をした塊を手に取り、目に映し続けていた。

「きれい……」

 日に透かしたガラス質、それを口に放り込んで、幼子は顔の曇り空を一気に晴らした。

「……甘い」

 その甘さは幼子の頬を緩ませた。彼女の想いはとても澄んでいて、綺麗な水のよう。

「名前、教えて。私は綾香」

 問いかけは、幼子の名を容易く引き出して、綾香の記憶の中にしっかりと染み渡らせた。

「私は、悠菜。よろしく」

 それは、とても貴重な水などとは比べ物にならないほどに大切な思い出となった。
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