異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

腐臭

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 辺りに漂う腐臭はあまりにも強く、歩く死体はその存在感を堂々と示しだしていた。
 風を切って振るわれる腕を音で視て躱す。風の衝動とのすれ違いざまに、幹人は言葉を吐きつけた。

「和服のゾンビなんて……聖なる木の下で映像にしてろ!」

 ジャパニーズ着物ゾンビホラー。既にいくつも擦っては失敗を繰り返していそうなジャンルの話。そんなものを言ったところで相手の頭を通っては抜けるだけ、ただそれだけのことでしかなかった。理解するだけの頭脳など土の中に溶けてしまって遺されてはいないだろう。
 周囲を包み込み支配する腐臭はあまりにも強すぎて、相手が一度死んだ者だと幹人の頭脳の中にしっかりと刷り込まれ意識を引き付けられる。死者が生のロスタイムという謎に思い浮かんだ言葉を呟き、こう続けた。

「もう無い命、もう一度奪うしかないのか」

 人の魂を呼び出した存在、天草 綾香。苗字を持っている時点で貴族であることは間違いない陰陽師の知り合い。その人物の目的が分からない。なに故に死者を起ち上げたのだろうか。
 腐臭が迫る。ただでさえ強い匂い、鼻をへし折る勢いを持った匂いがさらに強まった。それを合図に幹人は身体を折って手を地について、攻撃を躱す。

「調子に乗ってんじゃねえ」

 静寂の中で響いた声は幼子の戯れの叫びのよう。声も言葉も理解することは当然のこと、調子に乗る知能が残されているはずなどありはしない。それでも構わない。対象に聞こえても届かない声と共に手を挙げて、大まかな方向を見定めて荒々しい魔力の絞り方で風を放つ。渦を巻いて、腐臭を巻き込んで上がる風は死者の元へとしっかりと届いたのだろう。思っていたよりは弱かった風、しかしそれで充分すぎた。鈍い音と共に穢れ切った魔力がぶれて、独特な肉質が地に叩きつけられる音を奏でていた。
――やった
 力を抜いて、気を抜いて、張り詰めた空気を闇の中へと溶かしきり、魔力を視つめて死者の方を見る。きっとどこかに綾香へと繋がる手がかりが括りつけられているだろうと信じて。
 しかし、そこには何もなかった。身体の実態も温度も、穢れた魔力の塊も。
 辺りには腐臭と冷気ばかりが漂っていて、幹人に存在だけを告げていた。残り香だろうか、過去のものが立ち去り遅れてまだ今に残っているのだろうか。

「危ないよ」

 細くて高い声が静寂を裂いた。途端、迫り来る気配を感じて幹人は気を引き締め魔力を纏う。身体を打つ衝動、壁に叩きつけられる身体。幹人は遅れて理解した。まだ奴は斃せていないのだということを。
 腐臭に鼻を澄ます。風を切る音に耳を凝らす。死した者が現在進行形で世界に残すものは何だろうか。
――ああ、視える。『断末魔の残り香』が視える
 目で聞いて、耳で味わって、鼻で触れて、肌で匂って、舌で見る。全ての感覚で全てを想って頭脳で感じる。そんな得も言われぬやり方で死者を視ていた。
 強い腐臭みも濃淡があって、居場所を知らせるには最も都合の良い状態となっていた。匂いを用いて自身の居場所をさらけ出しているも同然の状態だった。
 腐り切った身体が放つ嫌悪が強まってくるのを幹人は見逃さなかった。
――ああ、分かる
 強すぎる匂いが少しだけ強まって行く様を見て取って、生きた動きを感じながら躱してもう一度詠唱すら挟まない雑な方向の視認と共に風を撃つ。
 肉が地に打ち付けられたよう独特な音で分かる、再び先程の状況が訪れた。その瞬間を逃すことなくつかみ取り、幹人は心の中できっちりと方角を視認した上で、いつもとは異なる言の葉で味気ない闇を彩る。

「清キ風ヨ、世モ知ラズ荒ラブル魂ヲ、祓ヘ給ヘ 清メ給ヘ 護リ給ヘ 幸ヘ給ヘ」

 唱えられた呪文は先ほどから何も物も言わぬ死者の口から苦しみの叫びを引き摺りだした。死人に口なし、その態度はようやく打ち崩され、清き風の洗礼と共に腐臭と禍々しさが吹き飛ばされゆく。

「綾香への手がかりは……」

 幹人の視つめる先、全てが清められて崩れ去るその瞬間、一瞬だけ赤い糸のような魔力が伸び、切れてしまった。魂と死体、そして綾香を繋ぐエニシ之糸、それが魔力の伝達方法も兼ねていたのだろう。切れて遠くへと、恐らく綾香の元へと戻ろうとする糸を、幹人はしっかりとその目に映す。

――逃すな、あれが手がかりだ!

 自身に想いを無言の言葉を叩きつけて素早くつかみ取り、赤い糸を辿り始める。急ぎ足、それは幹人だけの速度ではなく、綾香のチカラの戻りによる引き寄せも加わってのことだった。鈴香はそれを魔力の動きで知って、慌てて追いかけ始める。
 狭い路地を走り抜け、人々が提灯で通行の方向を照らす道を迷惑承知無礼上等の態度で駆けて行く。突き進み、引っ張られた先、そこに待つのは立派な菊と鬼灯が描かれた黒い着物を纏いし少女。左手の上に青白く輝く炎を浮かべて、彼岸花を簪の代わりに挿していた。
 小さな花が飾られた薙刀を持つ右手と隠すことなく見せつけられた広い額を見て、少女の肌の青白さを知った。美しいはずの白い肌は、夜の闇と死を連想させる花たちによって不気味に感じられた。
 その少女は、気味の悪さを着こなしていた。
 幹人は異様な雰囲気に見惚れて飲み込まれていて、気の緩みに身を任せ、そのまま進んでいた。少女の纏う死の美しさに釘付けになって離すことを忘れてしまっていた。
 勢いよく向かって来る風が少女の簪を軽く揺らす。それに気づいたのだろう。少女は思い切り薙刀を振るった。
 綺麗な刃、はためき揺れる華やかな黒い袖。月光を思わせる青白い炎に照らされたそれらは、幹人の目に映るその瞬間は、この世で最も美しい死が優雅に刃を向けているように見えた。
 近付く幹人、迫り来る刃。
 危機をどうにか把握して糸から手を離して落下し躱す。
 刃は視界の内、上端を切り裂くような残像を残しながら進む。幹人の身体は地に落ちる。
 転げながらも力を入れて体勢を整える。
 気が付けば向こうに立つ少女、天草 綾香と冷たくて熱い感情を互いに放ちながらにらみ合っていた。
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