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第八幕 日ノ出ズル東ノ国
死体
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今日もまた食事の時間が訪れた。火を起こし、少々の玄米に多量の稗と粟を混ぜ込み炊いて肉と野菜を炒める。幹人は肉というこれまでこの国では見かけなかった存在に目を当てる。
「あれ? 肉?」
幹人の問いかけに、恐らく獲って来た本人であろうリリが答える。
「この国では獣の肉を食べるのは忌み事よ、なのだそうね。ついでにこれは山の鯨さ」
言っていることのワケが全く分からなかった。幹人の頭上で疑問符が激しい踊りを披露していた。
「いや待って、山の鯨ってなんだよ。鯨って山にいるわけ」
「じゃ、正体確認してきたら? 幹人ののちの替え服の材料もオマケつきだったから干してるの」
リリが指した方向。そこに目を向けた幹人は真実を目にしてしまった。家の屋根の下、壁のすぐそばに掛けられていたそれは茶色の毛に覆われたなにか。干されているそれと目が合う。宙に吊られるように掛けられた顔は、幹人が時渡りの石を求める王が夜を支配していたあの都で世話になったあの獣だった。
――い……イノシシだ! めっちゃお肉だよ
驚いた顔は、その感情の色は誰にでも分かってしまうものだったのだろう。肉食禁止と言いながら肉を調理している姿を目にしているのだから驚くことは無理もなかった。その情を調理に忙しいリリに代わって掴んだ鈴香があの高くて細くてすぐにでも切れてしまいそうな声で説明を始めた。
「山くじら……山の鯨って……誤魔化してね、みんな……食べてるの。牡丹っても……呼ばれてる」
鹿肉のことをもみじと呼んでいたり、肉の味噌漬けを薬と称して食したり、鳥の肉は忌むものでもないということからウサギを鳥と見なして一羽二羽と数えて食しているのだという。後ろ足二本で直立する姿を鳥に見立てて無理やりこじつける言い訳屋さん、それが日ノ出ズル東ノ国の民の心の本質の一面だった。
「鶏は……夜明けを告げる……神聖な…………鳥だから、ダメって言うの。だけど……うう、おいしかった」
「容赦なく食べたのかよ。やっすい神聖だな!」
まさにその通り、あまりにも安っぽい信仰心、それは悉く裏で打ち破られて、表ではいい子のふりをしているのだそう。
――多分元の世界でもそうだったんだろうな
今も昔もこちらもあちらも、時やセカイを跨いでも考えることは変わりないということだった。
幹人がそうした事実を知って思い当たることを掘り返し、想いに浸っている隣で鈴香は仄かな暖かみを帯びた薄桃色の頬に手を当てて、鶏を食べた時のことを語っていた。
「味がね、おいしいのは……そう、だけど。おいしさが……凄く増えるの……背徳感が、罪悪感が、とってもおいしくて」
つまるところ、薄暗い感情が上乗せされた不純な美味ということ、悪い子のご馳走なのだという。何ひとつ不自由のない食生活を送って来た幹人としては理解が出来ないことだった。
茶碗と皿に盛られた食事たち、それらに感謝の想いを込めながら、幹人は食べていた。純粋な感謝の気持ちを込めていただいていた。
決して豪華な味とは言えなかったものの、落ち着く味わいは、この世界に来てから久しぶり。例え異なる世界の異なる時代の異なる食材だったとしても、確かにそこに幹人が求める空気感があった。
和の食に感激しながら食事を終える頃、それは訪れた。洋子が茶碗に湯を注ぎ、たくあんですっかりしっかり拭き取って口へと運んだのだ。
――は、はあああぁぁぁぁ!?
驚きのあまり、口は開いても声は出ない。そんな驚愕に満ち溢れた表情を見て取って、洋子はため息をつきながら、困り果てたような笑みを見せた。
「水が貴重なの、分かりません?」
どうやら貴重な水を節約するための先人たちの知恵なのだそう。
食事を終え、辺りは既に真っ暗闇に閉ざされた世界を見つめ、幹人は鈴香を連れて外へと向かうことにした。
「リリは洋子さんを見守ってて」
人を守りながら戦うこと、それはあまりにも難しいと幹人は感じていた。ただでさえ大変なことである上に、この国の魔力の流れからわざわざ方角を見て風の脈を掴み乗せながらでなければまともに魔法も扱えない。それならば、鈴香とふたりで戦える綾香狩りに行こう、そう決心していた。
「来て……くれるん、だね」
正直に言ってしまえば話し方から苦手な相手ではあったものの、戦いの方面にすこしでも加わることが出来る人物であればネコの手でも借りたい、信じてもいない神にだって縋って祈りたい気持ちだった。鈴香とふたりで外へ飛び出して、探索を始める。鈴香の話によれば、歩いている死体からは穢れきったおぞましいオーラが出てきているのだという。
暗闇、正解も不正解も分かることも分からないことも何もかもを包んで隠し通す深みを持った闇。月の光すら届かせないこの地の底で、提灯を棒に提げて微かに照らして歩いて。
闇の中を移ろい歩く微かな影、それを目にしては魔力を視て、ヒトであれば何も見なかったように通り過ぎては次の影を探して。探り続け、数人どころか数十人は視ただろうか。ふたりはやがて両端を建物で挟まれた狭い路地へと入って行った。
「見つからないね」
「人目……避けてるの、かも」
鈴香の途切れ途切れの話し方に幹人はウンザリしていた。そこからついつい言葉を声を強めてしまう。
「鈴香はもっとスムーズに話してよ! 遅すぎてイラつくんだよ!」
ギョロギョロとした目は恐ろしく強い怒気を孕んでいたものの、存在の形すら隠し通す形なき闇の壁に覆われていては何も見通すことが許されない。
それでも充分に伝わったのだろう。鈴香の声は震えて慌てて不規則に跳ねていた。
「あ、え、ご……ごめ」
おどおどとした態度が更に強調されて、より一層苛立ちを募らせる。そればかりは見通せていないのだろう。それでも今言えることを動揺する心でどうにか探り当てて鈴香は言うのみだった。
「もう……あんまり、喋らないから」
それから静寂が訪れて、足音だけが響いていた。それ以外は黙り続けていて、幹人の中に残り続ける苛立ちが、誰にも見えない怒りが、幹人の中でうるさく喚き続けていた。
そうした刺々しい心情の中で狭い通路を歩き続ける間にすれ違った人数が三人。更に歩き続けること四人五人と累計数を伸ばして行って、その度に開いてを視てはため息をつき続ける。
次に通りかかった者の異様な様に、幹人は目を見開いた。姿こそは視えなかったものの、強く鼻を突くような腐臭をまき散らしているのだ。
あまりにも分かりやすい死体のものだったがそれでも念には念を入れてと魔力を視る。そこから感じ取る魔力の汚らわしいことこの上ない。誰かに訊くまでもなく、明白な理解を得られた。
そう、歩く死体と、狩るべき対象のひとつと念願の出会いを果たしたのだ。
「あれ? 肉?」
幹人の問いかけに、恐らく獲って来た本人であろうリリが答える。
「この国では獣の肉を食べるのは忌み事よ、なのだそうね。ついでにこれは山の鯨さ」
言っていることのワケが全く分からなかった。幹人の頭上で疑問符が激しい踊りを披露していた。
「いや待って、山の鯨ってなんだよ。鯨って山にいるわけ」
「じゃ、正体確認してきたら? 幹人ののちの替え服の材料もオマケつきだったから干してるの」
リリが指した方向。そこに目を向けた幹人は真実を目にしてしまった。家の屋根の下、壁のすぐそばに掛けられていたそれは茶色の毛に覆われたなにか。干されているそれと目が合う。宙に吊られるように掛けられた顔は、幹人が時渡りの石を求める王が夜を支配していたあの都で世話になったあの獣だった。
――い……イノシシだ! めっちゃお肉だよ
驚いた顔は、その感情の色は誰にでも分かってしまうものだったのだろう。肉食禁止と言いながら肉を調理している姿を目にしているのだから驚くことは無理もなかった。その情を調理に忙しいリリに代わって掴んだ鈴香があの高くて細くてすぐにでも切れてしまいそうな声で説明を始めた。
「山くじら……山の鯨って……誤魔化してね、みんな……食べてるの。牡丹っても……呼ばれてる」
鹿肉のことをもみじと呼んでいたり、肉の味噌漬けを薬と称して食したり、鳥の肉は忌むものでもないということからウサギを鳥と見なして一羽二羽と数えて食しているのだという。後ろ足二本で直立する姿を鳥に見立てて無理やりこじつける言い訳屋さん、それが日ノ出ズル東ノ国の民の心の本質の一面だった。
「鶏は……夜明けを告げる……神聖な…………鳥だから、ダメって言うの。だけど……うう、おいしかった」
「容赦なく食べたのかよ。やっすい神聖だな!」
まさにその通り、あまりにも安っぽい信仰心、それは悉く裏で打ち破られて、表ではいい子のふりをしているのだそう。
――多分元の世界でもそうだったんだろうな
今も昔もこちらもあちらも、時やセカイを跨いでも考えることは変わりないということだった。
幹人がそうした事実を知って思い当たることを掘り返し、想いに浸っている隣で鈴香は仄かな暖かみを帯びた薄桃色の頬に手を当てて、鶏を食べた時のことを語っていた。
「味がね、おいしいのは……そう、だけど。おいしさが……凄く増えるの……背徳感が、罪悪感が、とってもおいしくて」
つまるところ、薄暗い感情が上乗せされた不純な美味ということ、悪い子のご馳走なのだという。何ひとつ不自由のない食生活を送って来た幹人としては理解が出来ないことだった。
茶碗と皿に盛られた食事たち、それらに感謝の想いを込めながら、幹人は食べていた。純粋な感謝の気持ちを込めていただいていた。
決して豪華な味とは言えなかったものの、落ち着く味わいは、この世界に来てから久しぶり。例え異なる世界の異なる時代の異なる食材だったとしても、確かにそこに幹人が求める空気感があった。
和の食に感激しながら食事を終える頃、それは訪れた。洋子が茶碗に湯を注ぎ、たくあんですっかりしっかり拭き取って口へと運んだのだ。
――は、はあああぁぁぁぁ!?
驚きのあまり、口は開いても声は出ない。そんな驚愕に満ち溢れた表情を見て取って、洋子はため息をつきながら、困り果てたような笑みを見せた。
「水が貴重なの、分かりません?」
どうやら貴重な水を節約するための先人たちの知恵なのだそう。
食事を終え、辺りは既に真っ暗闇に閉ざされた世界を見つめ、幹人は鈴香を連れて外へと向かうことにした。
「リリは洋子さんを見守ってて」
人を守りながら戦うこと、それはあまりにも難しいと幹人は感じていた。ただでさえ大変なことである上に、この国の魔力の流れからわざわざ方角を見て風の脈を掴み乗せながらでなければまともに魔法も扱えない。それならば、鈴香とふたりで戦える綾香狩りに行こう、そう決心していた。
「来て……くれるん、だね」
正直に言ってしまえば話し方から苦手な相手ではあったものの、戦いの方面にすこしでも加わることが出来る人物であればネコの手でも借りたい、信じてもいない神にだって縋って祈りたい気持ちだった。鈴香とふたりで外へ飛び出して、探索を始める。鈴香の話によれば、歩いている死体からは穢れきったおぞましいオーラが出てきているのだという。
暗闇、正解も不正解も分かることも分からないことも何もかもを包んで隠し通す深みを持った闇。月の光すら届かせないこの地の底で、提灯を棒に提げて微かに照らして歩いて。
闇の中を移ろい歩く微かな影、それを目にしては魔力を視て、ヒトであれば何も見なかったように通り過ぎては次の影を探して。探り続け、数人どころか数十人は視ただろうか。ふたりはやがて両端を建物で挟まれた狭い路地へと入って行った。
「見つからないね」
「人目……避けてるの、かも」
鈴香の途切れ途切れの話し方に幹人はウンザリしていた。そこからついつい言葉を声を強めてしまう。
「鈴香はもっとスムーズに話してよ! 遅すぎてイラつくんだよ!」
ギョロギョロとした目は恐ろしく強い怒気を孕んでいたものの、存在の形すら隠し通す形なき闇の壁に覆われていては何も見通すことが許されない。
それでも充分に伝わったのだろう。鈴香の声は震えて慌てて不規則に跳ねていた。
「あ、え、ご……ごめ」
おどおどとした態度が更に強調されて、より一層苛立ちを募らせる。そればかりは見通せていないのだろう。それでも今言えることを動揺する心でどうにか探り当てて鈴香は言うのみだった。
「もう……あんまり、喋らないから」
それから静寂が訪れて、足音だけが響いていた。それ以外は黙り続けていて、幹人の中に残り続ける苛立ちが、誰にも見えない怒りが、幹人の中でうるさく喚き続けていた。
そうした刺々しい心情の中で狭い通路を歩き続ける間にすれ違った人数が三人。更に歩き続けること四人五人と累計数を伸ばして行って、その度に開いてを視てはため息をつき続ける。
次に通りかかった者の異様な様に、幹人は目を見開いた。姿こそは視えなかったものの、強く鼻を突くような腐臭をまき散らしているのだ。
あまりにも分かりやすい死体のものだったがそれでも念には念を入れてと魔力を視る。そこから感じ取る魔力の汚らわしいことこの上ない。誰かに訊くまでもなく、明白な理解を得られた。
そう、歩く死体と、狩るべき対象のひとつと念願の出会いを果たしたのだ。
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