異世界風聞録

焼魚圭

文字の大きさ
上 下
211 / 244
第八幕 日ノ出ズル東ノ国

死体

しおりを挟む
 今日もまた食事の時間が訪れた。火を起こし、少々の玄米に多量の稗と粟を混ぜ込み炊いて肉と野菜を炒める。幹人は肉というこれまでこの国では見かけなかった存在に目を当てる。

「あれ? 肉?」

 幹人の問いかけに、恐らく獲って来た本人であろうリリが答える。

「この国では獣の肉を食べるのは忌み事よ、なのだそうね。ついでにこれは山の鯨さ」

 言っていることのワケが全く分からなかった。幹人の頭上で疑問符が激しい踊りを披露していた。

「いや待って、山の鯨ってなんだよ。鯨って山にいるわけ」
「じゃ、正体確認してきたら? 幹人ののちの替え服の材料もオマケつきだったから干してるの」

 リリが指した方向。そこに目を向けた幹人は真実を目にしてしまった。家の屋根の下、壁のすぐそばに掛けられていたそれは茶色の毛に覆われたなにか。干されているそれと目が合う。宙に吊られるように掛けられた顔は、幹人が時渡りの石を求める王が夜を支配していたあの都で世話になったあの獣だった。
――い……イノシシだ! めっちゃお肉だよ
 驚いた顔は、その感情の色は誰にでも分かってしまうものだったのだろう。肉食禁止と言いながら肉を調理している姿を目にしているのだから驚くことは無理もなかった。その情を調理に忙しいリリに代わって掴んだ鈴香があの高くて細くてすぐにでも切れてしまいそうな声で説明を始めた。

「山くじら……山の鯨って……誤魔化してね、みんな……食べてるの。牡丹っても……呼ばれてる」

 鹿肉のことをもみじと呼んでいたり、肉の味噌漬けを薬と称して食したり、鳥の肉は忌むものでもないということからウサギを鳥と見なして一羽二羽と数えて食しているのだという。後ろ足二本で直立する姿を鳥に見立てて無理やりこじつける言い訳屋さん、それが日ノ出ズル東ノ国の民の心の本質の一面だった。

「鶏は……夜明けを告げる……神聖な…………鳥だから、ダメって言うの。だけど……うう、おいしかった」
「容赦なく食べたのかよ。やっすい神聖だな!」

 まさにその通り、あまりにも安っぽい信仰心、それは悉く裏で打ち破られて、表ではいい子のふりをしているのだそう。
――多分元の世界でもそうだったんだろうな
 今も昔もこちらもあちらも、時やセカイを跨いでも考えることは変わりないということだった。
 幹人がそうした事実を知って思い当たることを掘り返し、想いに浸っている隣で鈴香は仄かな暖かみを帯びた薄桃色の頬に手を当てて、鶏を食べた時のことを語っていた。

「味がね、おいしいのは……そう、だけど。おいしさが……凄く増えるの……背徳感が、罪悪感が、とってもおいしくて」

 つまるところ、薄暗い感情が上乗せされた不純な美味ということ、悪い子のご馳走なのだという。何ひとつ不自由のない食生活を送って来た幹人としては理解が出来ないことだった。
 茶碗と皿に盛られた食事たち、それらに感謝の想いを込めながら、幹人は食べていた。純粋な感謝の気持ちを込めていただいていた。
 決して豪華な味とは言えなかったものの、落ち着く味わいは、この世界に来てから久しぶり。例え異なる世界の異なる時代の異なる食材だったとしても、確かにそこに幹人が求める空気感があった。
 和の食に感激しながら食事を終える頃、それは訪れた。洋子が茶碗に湯を注ぎ、たくあんですっかりしっかり拭き取って口へと運んだのだ。
――は、はあああぁぁぁぁ!?
 驚きのあまり、口は開いても声は出ない。そんな驚愕に満ち溢れた表情を見て取って、洋子はため息をつきながら、困り果てたような笑みを見せた。

「水が貴重なの、分かりません?」

 どうやら貴重な水を節約するための先人たちの知恵なのだそう。
 食事を終え、辺りは既に真っ暗闇に閉ざされた世界を見つめ、幹人は鈴香を連れて外へと向かうことにした。

「リリは洋子さんを見守ってて」

 人を守りながら戦うこと、それはあまりにも難しいと幹人は感じていた。ただでさえ大変なことである上に、この国の魔力の流れからわざわざ方角を見て風の脈を掴み乗せながらでなければまともに魔法も扱えない。それならば、鈴香とふたりで戦える綾香狩りに行こう、そう決心していた。

「来て……くれるん、だね」

 正直に言ってしまえば話し方から苦手な相手ではあったものの、戦いの方面にすこしでも加わることが出来る人物であればネコの手でも借りたい、信じてもいない神にだって縋って祈りたい気持ちだった。鈴香とふたりで外へ飛び出して、探索を始める。鈴香の話によれば、歩いている死体からは穢れきったおぞましいオーラが出てきているのだという。
 暗闇、正解も不正解も分かることも分からないことも何もかもを包んで隠し通す深みを持った闇。月の光すら届かせないこの地の底で、提灯を棒に提げて微かに照らして歩いて。
 闇の中を移ろい歩く微かな影、それを目にしては魔力を視て、ヒトであれば何も見なかったように通り過ぎては次の影を探して。探り続け、数人どころか数十人は視ただろうか。ふたりはやがて両端を建物で挟まれた狭い路地へと入って行った。

「見つからないね」
「人目……避けてるの、かも」

 鈴香の途切れ途切れの話し方に幹人はウンザリしていた。そこからついつい言葉を声を強めてしまう。

「鈴香はもっとスムーズに話してよ! 遅すぎてイラつくんだよ!」

 ギョロギョロとした目は恐ろしく強い怒気を孕んでいたものの、存在の形すら隠し通す形なき闇の壁に覆われていては何も見通すことが許されない。
 それでも充分に伝わったのだろう。鈴香の声は震えて慌てて不規則に跳ねていた。

「あ、え、ご……ごめ」

 おどおどとした態度が更に強調されて、より一層苛立ちを募らせる。そればかりは見通せていないのだろう。それでも今言えることを動揺する心でどうにか探り当てて鈴香は言うのみだった。

「もう……あんまり、喋らないから」

 それから静寂が訪れて、足音だけが響いていた。それ以外は黙り続けていて、幹人の中に残り続ける苛立ちが、誰にも見えない怒りが、幹人の中でうるさく喚き続けていた。
 そうした刺々しい心情の中で狭い通路を歩き続ける間にすれ違った人数が三人。更に歩き続けること四人五人と累計数を伸ばして行って、その度に開いてを視てはため息をつき続ける。
 次に通りかかった者の異様な様に、幹人は目を見開いた。姿こそは視えなかったものの、強く鼻を突くような腐臭をまき散らしているのだ。
 あまりにも分かりやすい死体のものだったがそれでも念には念を入れてと魔力を視る。そこから感じ取る魔力の汚らわしいことこの上ない。誰かに訊くまでもなく、明白な理解を得られた。
 そう、歩く死体と、狩るべき対象のひとつと念願の出会いを果たしたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界転生ファミリー

くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?! 辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。 アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。 アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。 長男のナイトはクールで賢い美少年。 ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。 何の不思議もない家族と思われたが…… 彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

夢幻の錬金術師 ~【異空間収納】【錬金術】【鑑定】【スキル剥奪&付与】を兼ね備えたチートスキル【錬金工房】で最強の錬金術師として成り上がる~

青山 有
ファンタジー
女神の助手として異世界に召喚された厨二病少年・神薙拓光。 彼が手にしたユニークスキルは【錬金工房】。 ただでさえ、魔法があり魔物がはびこる危険な世界。そこを生産職の助手と巡るのかと、女神も頭を抱えたのだが……。 彼の持つ【錬金工房】は、レアスキルである【異空間収納】【錬金術】【鑑定】の上位互換機能を合わせ持ってるだけでなく、スキルの【剥奪】【付与】まで行えるという、女神の想像を遥かに超えたチートスキルだった。 これは一人の少年が異世界で伝説の錬金術師として成り上がっていく物語。 ※カクヨムにも投稿しています

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...