異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

綾香

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 幹人はしっかりと耳を澄ます。目の前に立っているのは立派な着物を身に着けた若者。姿が立派で輝かしくて価値の壁を感じさせる。そんな彼は姿の雰囲気に偽りのない正真正銘の貴族だった。位が大幅に高い男からの頼み事とはいったい何なのだろう。そのことだけでも既に意識を引き付けられていた。

「女殺しを……綾香を、止めてくれ」

 貴族が平民に対して頭を下げるというたったひとつの小さな行動。そのたったのひとつが幹人の目を大きく見開かせた。それ以上に既に犯人を知っているという事態に幹人の中に住まう驚愕の感情は膨らみ続けてやがてはそれ一色と成り果てる。破裂してしまいそうな想いは意外にも丈夫なもので、形を保ったままその心の動きにも慣れ切っていった。
 そんな心の持ち主の口から飛び出した質問は、晴義の表情に重々しい影を運び込んだ。

「もしかして、知ってたんですか」

 質問の尾に捕まれて引きずられるように頭を更に深く下げた。

「申し訳ない、貴族の恥などそうそう話すことの出来ることではなかったからな」

 曰く、天草 綾香という名を持つ少女は人の魂を扱う魔女だ。亡霊を地獄から呼び出したり死体の肉に宿らせては放置するといった悪行を繰り返し積み重ね続けているのだそうだ。目的が分からない、想いも分からない。不明で埋め尽くされていた。ただ少なくとも悪い魔女なのだということだけは解った。
 幹人はあの見た目も態度もか弱い女の子のことを思い浮かべていた。
――もしかして、鈴香があの町に来た理由って
 綾香のチカラを没収するためではないだろうか。そう確信して感情を堂々と身に着ける。
 貴族なのだ、平民に知られては恥だと思っていたが、間違いだった。私は陰陽師の職を手にしているにもかかわらず、正しい導きが出来ていなかった。
 言葉の厚みが次第に幹人の中へと響いて行った。任されている、頼られている。晴義は貴族としての務めがあるためにそう簡単に町へと降りることは叶わないらしい。身分とは頭だけでなく、腰まで重くしてしまうらしい。
 幹人はそういった肩書きの飾りに対してこの上なく不便だと思い、平民であることに強い感謝の想いを感じていた。それから満天笑顔でしっかりと快諾の意を顕してみせた。

「わかりました。綾香さんですね」
「ああそうだ」

 夜は貴族の用事という人の鎖に縛られ動けぬ陰陽師の代わりに幹人が探すことに決まったのだった。
 そうした話を切って、晴義は幹人に薪を切らせ始めた。腐っていないもの、これが数日後も感じるであろう手ごたえ、それを肌で感じながら木の重みを受け止め切り倒す。それからいくつかに切り分けてそれを立てて半分に、更に半分に。短い丸太は八等分に切り分けられた。そうして作り上げられた木々の切れ端、燃料となるものを紐で括って縛り付けて背負い歩き出す。
 ここで再び晴義の願いが重ねて飛んできた。それは顔を見れば分かるほどに澄み切った事実、心からの望みだった。

「頼むから綾香を……殺してくれ。あれは人としてやっていいことの範囲を超えてしまった」

 既に死罪が前提で話が進んでいた。きっと殺さなければまた繰り返す、何故かそう断定しきっていた。その様を身に染みて感じて、幹人は心の底の音を閉ざしていた。
 晴義から更なる願い、というよりは警告じみた言葉が飛んできた。それは幹人を刺すように強く鋭く、手厳しい空気を纏って入り込んだものだった。

「あと綾香のことは仲間以外に話さぬように。貴族にそのような者がいるものだと世に知られるとざわめいて社会の全てが揺らいでしまうかも知れないからな」

 その言葉に一度大きく頷く。幹人はそこから流れるように陰陽師に背を向けて歩いて、自然に身を包み始めた。その時、既に見えない背から声が飛んできた。

「祓ヘ給ヘ 清メ給ヘ 護リ給ヘ 幸ヘ給ヘ」

 人生が正常な輝きで包まれますように、これから殺すべき者は人の形を取った怪物なのだと言っているようだった、殺人への距離はあと一歩残されていて、その距離を詰めるべく背中を押しているようにも見えた。

 幹人は身震いした。

 正当化とはここまで恐ろしいものなのだろうか。正義の名を振りかざしさえしたならば、何をしても許されるのだろうか。特定人物の処刑人に任命されるということが、その手が人の命を握るということが、この上なく恐ろしくてたまらなかった。そう、恐ろしいという言葉以外を見つけ出せない程に動揺を誘う恐ろしさに怯え切っていた。
 寒さ由来の震えに感情を滲ませ誤魔化して、幹人は歩き続ける。
 まだ太陽は高い位置を舞って見守っているにもかかわらず、空は薄暗くて悲しそうな貌をしていた。
 自然を踏み締めて、斜面を滑ってしまわないよう気を付けながら森を進んでやがては抜けて、目の前に広がる空の悲しい音色に耳を澄ましながら遠く見える町を目にしながら歩き続ける。背にかかる重みが歩みを遅らせていた。なかなか近付けなくて、もどかしさばかりが募る。斧を握る手は、薪を縛る紐に当てた手は、痺れと寒さによる痛みをねじり混ぜ合わせた痛みと感覚の薄れを呼び起こしていた。
――苦しい
 幹人の想いは口から出ることもない。必至に生きる中、悲鳴を上げる余裕すらなかった。言葉にしたところできっと声は重みに潰れていて届かないだろう。
――はやく
 どれだけ歩いた事か。ようやく町は大きくなり始めていた。
――リリに
 想いだけは立派な強さ、力の弱さを恨みながらも意志だけは強く持っていよう。その想いを振り絞り、町へと近づいて。
――リリに、会いたい
 想いこそが力に変わる。唱えて見れば馬鹿馬鹿しいとも思えるそれは、時として現実として心強い味方にもなることもあった。
 歩き続けてどれだけの時を経たか、空は既に薄暗くて、太陽の生気も感じられなくなっていた。どうにかたどり着いた町の中、見覚えのある道や建物、記憶の中に住まう見えない道筋をリリとの思い出と共に思い出しながら甘味処へと向かった。やがてたどり着いた建物に備え付けられるように置かれているかまどの脇に薪を置いて、裏口をくぐった。
 その瞬間、幹人にとって最も素晴らしい甘味が待ち構えていたのだった。

「おかえり、幹人。一緒にご飯食べようね」

 その笑顔は、どのようなものよりも甘くて美味しいリリの顔だった。
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