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第八幕 日ノ出ズル東ノ国
生えて
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米を炊くこと。元の世界ではどれだけ楽なことだっただろう。他国と比べれば多い水も貴重なことには変わりがない。貴重な水を使ってまで米を研ぐことなど許されず、米をそのまま土釜に入れてかまどに薪を放り込み、火を起こす。
力仕事、重労働。膨大な体力と強靭な肉体こそが正しさを物語る世界観、それこそがこの国での料理のセカイの常識だった。
リリが山から採って来た山菜を煎り酒で煮込む。中にはゴボウや白菜など幹人が野菜と呼ぶものもあったものの、今のリリからすれば全て野草と呼ぶに相応しかった。雑草も野菜も山菜も、何もかもが野草と呼ばれる環境。農家や買い物と縁がなければこの状況。
ふと幹人はあの男の事を思い出していた。星を見て未来を視るあの男を。この国の陰陽師の阿部も下の方に置かれているだけの貴族なのだ。彼は食と職に関しては何不自由ない生活を送っていることだろう。阿部 晴義、陰陽師、星を眺めて国の行く末を占う一方で妖や呪いといった穢れに触れる仕事。呪符を切って妖の類いを「急々如律令」の言葉と共に呼び出したり「祓ヘ給ヘ 清メ給ヘ 護リ給ヘ 幸ヘ給ヘ」と唱えながら討ち祓うといった夢のような格好のついただけの戦いの仕事の裏では貴族はおろか庶民にすら忌み嫌われて恐れられているのだろう。
それでもやはり、幹人にとっては羨ましかった。食に困らない生活がはるか遠い空の向こうにあるような気がしていて、手を伸ばしても思い切り跳ねても風に乗っても届かない高みのセカイ。貴族と平民の隔たりの壁はそれほどまでに分厚くて固いものだった。
「幹人、米は炊けた?」
リリの声が届いて振り返り、現実に意識を引き戻される。見るべきは幻想などではなく現実。幻想ばかりを夢見ていてはいつの間にやら永遠に帰って来れなくなっているかも知れない。魂が向こうへと旅立ってしまうかも知れない。目の前の現実はそれほどまでに質素で命を繋ぐ気持ちで向き合わなければ生というもの、今という時間に置いて行かれて過去に遺されてしまうかも知れないほどのものだった。
釜の蓋をほんの少しだけ、釜の中の物どもに気付かれないようにこそりとずらして覗き込む。米はもう少しといったところだろうか、出来上がりと言っても差し支えはないだろう。艶や潤いは目に見えて足りないものの、環境の限界を思えば仕方のないこと。
出来上がった山菜の煮物と少し硬めの白米を三人揃っていただく。箸を使って食べること。リリは白米に手を着けてすぐに手首を振って疲れを示していた。
「ごめんなさい、箸って使いにくいもので」
リリの言葉はやはり外国住まい。旅の経験があって言語の扱いには長けていたとしてもひとつひとつの文化の扱いなど出来るはずもなかった。一度できたところで次に待つのは文化の管理、それも箸の扱いのような独特な物まで。
リリの言葉が届いたのだろう。鈴香は首を傾げる。
「御箸……苦手? じゃあ……今までは、どう過ごして……来たの?」
当然の疑問がとても痛々しい表情を創り上げた。困り果てて眉をひそめながら顔を向けて来たリリ。その目線の先に居座る幹人は慌てて心乱されながらもどうにか答えて見せた。
「ええと……匙、かな」
幹人の言葉に対して微かにうなずいて、鈴香は更に言葉を繋ぎ続ける。
「御匙で……御食事に、向き合うなんて。……まだ、いたんだね」
匙を用いて食事をするという文化は征夷大将軍が貴族に代わって世を収める頃には廃れていたのだそう。
――鎌倉時代かあ。無理ありそうだな
今では御匙と呼ばれるのは大名の医者くらいなものだそうだ。
幹人は内心驚いていた。言えないでいた。あの本音を。
――スプーン使った方が楽なこともあるじゃん、というか、スプーンまた使い始めたのっていつだよ、史実だったとして
匙は薬を盛るための道具と化していたようだった。
「申し訳ないね、私のような魔法の研究者も匙を扱うもので」
リリの咄嗟の誤魔化しに、鈴香は明るい笑顔を贈ったのだった。
「……変わった人」
争いも特になく昼ごはんを終え、幹人は斧を持って薪割りへと出かけた。ここでも力仕事、燃料の確保までもが自力でという事実に重みを感じていた。背中に薪は背負っていないはずだが無駄な重みを感じていた。きっと心の重みなのだろう。気分が優れないのだった。
辺りに大量に生えた木々を見渡して、ため息をついた。
――どれくらい持って帰れるかな
魔力の扱いで肉体を強化したところで一本をバラバラにして持ち帰るのが関の山だろう。
「こそっとキノコ生えてないかなあ」
ついつい零れ落ちてしまう独り言が森の木々に吸い込まれ、残されたものが地に落ちるような感覚が幹人に跳ね返る。反響し、木霊する度に弱り果てて行く言葉の残滓。それを拾い上げる者が声を上げた。
「キノコの生えた木は腐ってることが多いが、木の死を望むか?」
軽率だったと思った時にはすでに遅かった。地より見覚えのある男が生えて来た。
「地面から! 貴族が!」
空から降って来る女の子がいる一方で、地面から生えて来る男もいた者なのだろうか。地面から生えてきたと思しき晴義はにやりと笑ってみせた。
「地面、というより影から生えてきたのだが、まあいいさ」
それから幹人を見つめ、今回訪ねた目的を話し始めた。
「少年よ、頼みがある」
その頼みとはどのようなものなのだろう、幹人は貴族の話をしっかりと聞くための心と姿勢を整えた。
力仕事、重労働。膨大な体力と強靭な肉体こそが正しさを物語る世界観、それこそがこの国での料理のセカイの常識だった。
リリが山から採って来た山菜を煎り酒で煮込む。中にはゴボウや白菜など幹人が野菜と呼ぶものもあったものの、今のリリからすれば全て野草と呼ぶに相応しかった。雑草も野菜も山菜も、何もかもが野草と呼ばれる環境。農家や買い物と縁がなければこの状況。
ふと幹人はあの男の事を思い出していた。星を見て未来を視るあの男を。この国の陰陽師の阿部も下の方に置かれているだけの貴族なのだ。彼は食と職に関しては何不自由ない生活を送っていることだろう。阿部 晴義、陰陽師、星を眺めて国の行く末を占う一方で妖や呪いといった穢れに触れる仕事。呪符を切って妖の類いを「急々如律令」の言葉と共に呼び出したり「祓ヘ給ヘ 清メ給ヘ 護リ給ヘ 幸ヘ給ヘ」と唱えながら討ち祓うといった夢のような格好のついただけの戦いの仕事の裏では貴族はおろか庶民にすら忌み嫌われて恐れられているのだろう。
それでもやはり、幹人にとっては羨ましかった。食に困らない生活がはるか遠い空の向こうにあるような気がしていて、手を伸ばしても思い切り跳ねても風に乗っても届かない高みのセカイ。貴族と平民の隔たりの壁はそれほどまでに分厚くて固いものだった。
「幹人、米は炊けた?」
リリの声が届いて振り返り、現実に意識を引き戻される。見るべきは幻想などではなく現実。幻想ばかりを夢見ていてはいつの間にやら永遠に帰って来れなくなっているかも知れない。魂が向こうへと旅立ってしまうかも知れない。目の前の現実はそれほどまでに質素で命を繋ぐ気持ちで向き合わなければ生というもの、今という時間に置いて行かれて過去に遺されてしまうかも知れないほどのものだった。
釜の蓋をほんの少しだけ、釜の中の物どもに気付かれないようにこそりとずらして覗き込む。米はもう少しといったところだろうか、出来上がりと言っても差し支えはないだろう。艶や潤いは目に見えて足りないものの、環境の限界を思えば仕方のないこと。
出来上がった山菜の煮物と少し硬めの白米を三人揃っていただく。箸を使って食べること。リリは白米に手を着けてすぐに手首を振って疲れを示していた。
「ごめんなさい、箸って使いにくいもので」
リリの言葉はやはり外国住まい。旅の経験があって言語の扱いには長けていたとしてもひとつひとつの文化の扱いなど出来るはずもなかった。一度できたところで次に待つのは文化の管理、それも箸の扱いのような独特な物まで。
リリの言葉が届いたのだろう。鈴香は首を傾げる。
「御箸……苦手? じゃあ……今までは、どう過ごして……来たの?」
当然の疑問がとても痛々しい表情を創り上げた。困り果てて眉をひそめながら顔を向けて来たリリ。その目線の先に居座る幹人は慌てて心乱されながらもどうにか答えて見せた。
「ええと……匙、かな」
幹人の言葉に対して微かにうなずいて、鈴香は更に言葉を繋ぎ続ける。
「御匙で……御食事に、向き合うなんて。……まだ、いたんだね」
匙を用いて食事をするという文化は征夷大将軍が貴族に代わって世を収める頃には廃れていたのだそう。
――鎌倉時代かあ。無理ありそうだな
今では御匙と呼ばれるのは大名の医者くらいなものだそうだ。
幹人は内心驚いていた。言えないでいた。あの本音を。
――スプーン使った方が楽なこともあるじゃん、というか、スプーンまた使い始めたのっていつだよ、史実だったとして
匙は薬を盛るための道具と化していたようだった。
「申し訳ないね、私のような魔法の研究者も匙を扱うもので」
リリの咄嗟の誤魔化しに、鈴香は明るい笑顔を贈ったのだった。
「……変わった人」
争いも特になく昼ごはんを終え、幹人は斧を持って薪割りへと出かけた。ここでも力仕事、燃料の確保までもが自力でという事実に重みを感じていた。背中に薪は背負っていないはずだが無駄な重みを感じていた。きっと心の重みなのだろう。気分が優れないのだった。
辺りに大量に生えた木々を見渡して、ため息をついた。
――どれくらい持って帰れるかな
魔力の扱いで肉体を強化したところで一本をバラバラにして持ち帰るのが関の山だろう。
「こそっとキノコ生えてないかなあ」
ついつい零れ落ちてしまう独り言が森の木々に吸い込まれ、残されたものが地に落ちるような感覚が幹人に跳ね返る。反響し、木霊する度に弱り果てて行く言葉の残滓。それを拾い上げる者が声を上げた。
「キノコの生えた木は腐ってることが多いが、木の死を望むか?」
軽率だったと思った時にはすでに遅かった。地より見覚えのある男が生えて来た。
「地面から! 貴族が!」
空から降って来る女の子がいる一方で、地面から生えて来る男もいた者なのだろうか。地面から生えてきたと思しき晴義はにやりと笑ってみせた。
「地面、というより影から生えてきたのだが、まあいいさ」
それから幹人を見つめ、今回訪ねた目的を話し始めた。
「少年よ、頼みがある」
その頼みとはどのようなものなのだろう、幹人は貴族の話をしっかりと聞くための心と姿勢を整えた。
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