異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

迷信

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 服を着る、福を切る。そうした日常的な言葉が別の地では縁起の悪い言葉として扱われていることに身を竦めつつも、強気な部分も演出して見せる。

「大丈夫、『老くを切る』って考えたらきっといつまでも若くいられる」

 言葉は気の持ちよう。心に幾分かは響いてくれるはずだと言って聞かせて刷り込んで。そんな様子を見つめてリリは微笑みながらそれを否定していた。

「残念なことに私たちが少し否定してみたところで周りが既に信じ込んでることだからね……信仰は、簡単には覆らないもの」

 これまで人々が積み上げて縋り続けた想いの塊、それを踏みつぶして異なる価値観を植え付けることなど先人たちの失礼に当たるものだろう。そうしたことを胸の内にてこすりつけながら甘味処きんとんへと足を踏み入れる。ここから先、どのような旅になるのだろうか、そもそも旅は出来るのだろうか、不安を少しばかり抱きながらも服を切って作った粗末な和服もどきを脱ぎ捨てて鶯色の着物を羽織る。広い袖を振りながら、落ち着いた緑の波を見つめた後、金色の錦糸の入った清潔の言葉をすぐに想わせる白い帯をしっかりと締めた。
――流石に旅立つ時には返すよなあ
 一目で分かる中々お高い一着は借り物にしかなり得なかった。例え持ち出しの許しが与えられたとしても置いて行くことは間違いなかった。どのような高級感も、旅を通せば無価値の傷物に早変わりすることなど分かり切っていた。
 リリの立派な着物姿に目を通す。きっとそれも旅の衣類としてはあまりにも高価なものだろう。薄紫色の目に優しいそれにはアサガオの刺繍が入っていた。薄緑の帯には何やら葉っぱと思しき模様が描かれていた。髪は纏められてそこに挿された簪の先からはハスの花が咲いていた。

「リリ!?」

 派手に飾られたリリの姿に思わず見惚れていた。時は止まり視線は留まり想いは静かに強く漂っているだけ。

「ふふっ、季節は正反対。悪い魔女でしょ?」
「似合うと思っただけで……すみません」

 女は謝っていて大きな罪悪感を出していたものの、幹人には分かっていた。
――リリは絶対気に入ってる
 反対の季節を飾るなど自身の存在が浮いているという現状がその身をしっかりと包んでいた。

「謝らなくていいの、私は気に入っているわ」

 それから始まる労働、厨房で幹人は奥で濡らした小麦を練って、もうひとり外に立つ男は酒に梅干しとかつお節を入れて煮詰めていた。

「存じているか、坊や。これは煎り酒というものだ」

 初耳だった。この店では団子にかける汁として使っているもので、本来は調味料とのこと。幹人の平凡以下の命の道筋ではしょうゆが貴重な時代に使われた調味料など知る由もなかった。

「どうした」
「俺の故郷にもあるのかなって気になって」

 きっと帰った後にはこのような些細なことなど忘れてしまっているだろう。忙しさに、事の大きさに、時の流れに、きっと記憶はほつれて溶けてなくなってしまうだろう。それでも幹人は頭の中に書き留めておいた。
 男に対して、質問を続けた。これこそがこの国に来てから最も気にしていたことだった。

「そういえばどこかで簪を挿したら夜に気を付けろ、みたいなこと言ってたんですけどあれ何ですか」

 男は笑いながら言の葉を投げて返す。

「あれかあ、全土に伝わる話じゃなかったのかな。簪を挿すのは髪だろう? 髪、つまり神を。挿すは刺すに通ずるのだよ、神をも刺すのなら誰も見えぬ夜道に祟りに襲われて人々がいなくなるということだ、そういうことも過去に起こってたわけだしな」

 神隠しの一種だろうか、姿すら見通せぬ現象は幹人の計画の遂行のための鍵となりえるだろうか。

「かと言って髪を隠すなら神に隠される、髪に神が宿ってるからな。死が近づく毎に髪も抜け落ちるし、藁人形や霊と話す時、そんなことにでも扱われるんだ」

 信仰が与えた力、権威、その偉大さに触れたような気がしていた。

「雨が降った時は傘を使うんだが、持っていないようだな」
「どこで買えるのですか?」

 曰く、この辺りでは『番傘の番』と呼ばれる店で買うことが可能なのだとか。最安値で二匁、幹人としては分からない単位だった。

「ここの団子で言えば五十本は買えるな」

 四文を五十本も戴ける額に驚愕した。幹人の中の江戸時代の想像がおぞましい程に打ち砕けて行った。
――あの優雅な姿って、全員セレブだったのか
 故に、接客用の和服が武士の服の何倍も上等に見えていた、実際そうだった。

「気分が優れないみたいだな、甘酒でも飲むか?」
「ええと、お代は」
「八文だが要らない。そこまで売れないし賄いってことでな。腐らすよりはマシであろう」

 値段を聞いた途端、更に青ざめた。
――団子の倍の値段なんだけど!?
 目を回して身体をふらつかせ、手は上手く動かない。頭が身体から離れてフワフワと浮いているような気分で、団子作りの手伝いどころではなくなっていた。
 そんな様子を見つめる男の目はさぞかし愉快そうで男の笑い声は太くて豪快で、身体の芯まで叩くように響いていて、正直にいうと非常にうるさかった。気分の悪い時に聞いては更に元気を失ってしまいそうだった。

「どうした? お前さんの身体、頼りないな」

 頼りないのは心の方。そう呟いて、大きく息を吸って思い切り吐いて、気分を切り替えつつ座り込む。そうしてちょっとした休憩を経て、再び団子を練って形にしていく。丸めて串に刺したそれを皿に乗せて後は炙るのみという状態にして乾いてしまわないように気を付けて保存するのだった。
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