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第八幕 日ノ出ズル東ノ国
秘密の飛行
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船にかけられたはしごから降りて、船をはしごするのだろうか、否、リリが箒で渡ると言っていた。
「船で? それは難しいわ、国を視えない鎖で縛ったような国だし」
視えない鎖、実態も何もなくただ言葉と契約のみで示された不干渉の鎖。人間関係でもある程度は必要となる線引きだが、ここまでの過剰なものは必要なことすら弾いてしまうかも知れない。
船では決して渡ることの出来ない国はこの大地からそう遠くもないところで堂々と佇んでいるものだろうか。向こうでの偉い身分の人柄や振る舞い、文化の進展度などはリリの口から頭に書き込まれることはなかった。きっと父を探すにあたって少ない交易船を確かめただけであとは観光に徹したのだろう。
「交易自体はあるんだね。オランダとか中国……にゃんにゃん」
「うふふ、幹人の『にゃんにゃん』いただき」
リリの瞳は蕩けていた。ほっぺが落ちるような甘味にでも出会ったのだろうか。甘々に緩み切った頬で幹人の頬を撫でる。
「撫でるのって頭じゃないんだ」
「私は撫でられたくなかったけど、幹人は求めてたのかな?」
身振り手振りで断って見せた。恋人というよりは兄弟や子どもにするようなことなどお断りだった。
「そっか、気が合うね」
リリとお揃いの意見の色彩、感情のペアルック。想うだけで止まらない衝動は幹人の頭を心地よく小突いた。響く感情の音は跳ね返り、残響をいくつも残してさざ波で埋め尽くして行った。
――リリとおんなじこと想ってた!
ちょっとしたこと。しかしそれが幹人にとってのかけがえのないものへと育て上げられて、艶やかな気のある色に染まった実をつけた。
――やっぱり俺、リリのことが好きで好きでたまらないんだ
「ありがとう、ランスさん」
この場にはもういない王へ、遠くで今日もまた何かしらの活躍をしているはずの心の恩人に感謝を告げ、リリの方へと目を向けた。
「どうしたの。急にあの人にお礼だなんて……そんなに説教が効いたのかな」
明らかに効果は出ていた。ふたりの関係を繋ぎ止めたのは彼だと語ったとして、大袈裟でも過言でも何でもないであろう。彼がいなければ未だに甘酸っぱい青春の味が、グレープフルーツのような爽やかな雰囲気が帰ってくることはなかったかもしれないのだから。
「そう言えばリリはグレープフルーツは好き?」
知らないことはないだろう。幹人の住む世界の天然ものなら何でも揃うこの世界だ。植物を扱う魔女が知らないはずはもちろんなかった。
「ええ、そうね。少し苦くて酸っぱいけどそこがいいのよね」
魅力まで語っていただけて説明する手間も省けた。幹人はかんきつ系を思わせる爽やか笑顔の上に機嫌を乗せて続ける。
「俺がリリに抱く恋心、そんな味なんだ」
少しの苦みを持っていながらもほんのりとした甘みがあって、爽やかな酸味が青春の味だった。噛み締めれば噛み締める程、強い刺激を味わうことができて、切なくも綺麗な後味をひいて残してくれる。
そんな黄色の果実を思わせるような恋心。
リリは笑って心なしかこれまでより強く赤く頬を染める。
「そうかい、それは……」
言葉が震えて、声にならなくて。船に乗り込んでからの互いの想いはこれまでと比べて明らかに深く強くなって心にくっきり差し込む日差しとなっていた。動かすことの出来る口を、吐き出すことの出来る言葉を探して、顔を微かに逸らし、少しだけ下を向いて、ひと言に収めて。
「にゃんにゃん」
もうまともじゃいられない、それは互いに同じこと。幹人もまた、太陽よりも明るい恥ずかしさに身を焦がして立ち尽くしていた。
――にゃんにゃん、ってそこで言う!? 会話として通じてないよ。でも……カワイイよ
これまでリリがあまり見せようとしていなかった恥ずかしい貌が露わになった瞬間だった。
リリは一度、大きな咳払いをして箒に跨る。いつもよりも後ろの位置、そこで開いた隙間に、つまりは前に幹人を乗せる。
「今から飛行の旅の始まり、『日ノ出ズル東ノ国』に密入国するのさ」
密入国、この行為が向こうの高い身分の者に気づかれた場合、どのような目を見る羽目になるのだろう。想像しただけでも全身に鳥肌が立って気分を損じてしまいそうだった。
そうした薄暗くて埃っぽい想いなど日差しの当たるこの海辺に身を干して全て過去に置いて、娘々の国では特に何をすることもなく箒は空へと舞い始めた。
それは、何も知らない無邪気な幹人がかつて児童向けの本を読んで勝手に想像していた魔女の話のセカイそのものだった。どうして誰も箒で旅をしないのだろう、この子は飛んでる、便利だね。読むたびにそれぞれの物語に対して思い続けていた疑問と納得の想い。
海の表面を削って掻き分けて進む。爽快な潮風は身も心も決して緩くはない力で撫でつけてきて、それでも海の向こうに待っているはずの孤島を目指して一直線に。
風も飛沫も何もかもがこれから進む道へと歓迎してくれているように思えた。
日ノ出ズル東ノ国は今のところその姿を見せてはくれないものの、リリが幹人の心を惑わす落ち着いた声で語る言葉によればもうすぐそこだった。
「船で? それは難しいわ、国を視えない鎖で縛ったような国だし」
視えない鎖、実態も何もなくただ言葉と契約のみで示された不干渉の鎖。人間関係でもある程度は必要となる線引きだが、ここまでの過剰なものは必要なことすら弾いてしまうかも知れない。
船では決して渡ることの出来ない国はこの大地からそう遠くもないところで堂々と佇んでいるものだろうか。向こうでの偉い身分の人柄や振る舞い、文化の進展度などはリリの口から頭に書き込まれることはなかった。きっと父を探すにあたって少ない交易船を確かめただけであとは観光に徹したのだろう。
「交易自体はあるんだね。オランダとか中国……にゃんにゃん」
「うふふ、幹人の『にゃんにゃん』いただき」
リリの瞳は蕩けていた。ほっぺが落ちるような甘味にでも出会ったのだろうか。甘々に緩み切った頬で幹人の頬を撫でる。
「撫でるのって頭じゃないんだ」
「私は撫でられたくなかったけど、幹人は求めてたのかな?」
身振り手振りで断って見せた。恋人というよりは兄弟や子どもにするようなことなどお断りだった。
「そっか、気が合うね」
リリとお揃いの意見の色彩、感情のペアルック。想うだけで止まらない衝動は幹人の頭を心地よく小突いた。響く感情の音は跳ね返り、残響をいくつも残してさざ波で埋め尽くして行った。
――リリとおんなじこと想ってた!
ちょっとしたこと。しかしそれが幹人にとってのかけがえのないものへと育て上げられて、艶やかな気のある色に染まった実をつけた。
――やっぱり俺、リリのことが好きで好きでたまらないんだ
「ありがとう、ランスさん」
この場にはもういない王へ、遠くで今日もまた何かしらの活躍をしているはずの心の恩人に感謝を告げ、リリの方へと目を向けた。
「どうしたの。急にあの人にお礼だなんて……そんなに説教が効いたのかな」
明らかに効果は出ていた。ふたりの関係を繋ぎ止めたのは彼だと語ったとして、大袈裟でも過言でも何でもないであろう。彼がいなければ未だに甘酸っぱい青春の味が、グレープフルーツのような爽やかな雰囲気が帰ってくることはなかったかもしれないのだから。
「そう言えばリリはグレープフルーツは好き?」
知らないことはないだろう。幹人の住む世界の天然ものなら何でも揃うこの世界だ。植物を扱う魔女が知らないはずはもちろんなかった。
「ええ、そうね。少し苦くて酸っぱいけどそこがいいのよね」
魅力まで語っていただけて説明する手間も省けた。幹人はかんきつ系を思わせる爽やか笑顔の上に機嫌を乗せて続ける。
「俺がリリに抱く恋心、そんな味なんだ」
少しの苦みを持っていながらもほんのりとした甘みがあって、爽やかな酸味が青春の味だった。噛み締めれば噛み締める程、強い刺激を味わうことができて、切なくも綺麗な後味をひいて残してくれる。
そんな黄色の果実を思わせるような恋心。
リリは笑って心なしかこれまでより強く赤く頬を染める。
「そうかい、それは……」
言葉が震えて、声にならなくて。船に乗り込んでからの互いの想いはこれまでと比べて明らかに深く強くなって心にくっきり差し込む日差しとなっていた。動かすことの出来る口を、吐き出すことの出来る言葉を探して、顔を微かに逸らし、少しだけ下を向いて、ひと言に収めて。
「にゃんにゃん」
もうまともじゃいられない、それは互いに同じこと。幹人もまた、太陽よりも明るい恥ずかしさに身を焦がして立ち尽くしていた。
――にゃんにゃん、ってそこで言う!? 会話として通じてないよ。でも……カワイイよ
これまでリリがあまり見せようとしていなかった恥ずかしい貌が露わになった瞬間だった。
リリは一度、大きな咳払いをして箒に跨る。いつもよりも後ろの位置、そこで開いた隙間に、つまりは前に幹人を乗せる。
「今から飛行の旅の始まり、『日ノ出ズル東ノ国』に密入国するのさ」
密入国、この行為が向こうの高い身分の者に気づかれた場合、どのような目を見る羽目になるのだろう。想像しただけでも全身に鳥肌が立って気分を損じてしまいそうだった。
そうした薄暗くて埃っぽい想いなど日差しの当たるこの海辺に身を干して全て過去に置いて、娘々の国では特に何をすることもなく箒は空へと舞い始めた。
それは、何も知らない無邪気な幹人がかつて児童向けの本を読んで勝手に想像していた魔女の話のセカイそのものだった。どうして誰も箒で旅をしないのだろう、この子は飛んでる、便利だね。読むたびにそれぞれの物語に対して思い続けていた疑問と納得の想い。
海の表面を削って掻き分けて進む。爽快な潮風は身も心も決して緩くはない力で撫でつけてきて、それでも海の向こうに待っているはずの孤島を目指して一直線に。
風も飛沫も何もかもがこれから進む道へと歓迎してくれているように思えた。
日ノ出ズル東ノ国は今のところその姿を見せてはくれないものの、リリが幹人の心を惑わす落ち着いた声で語る言葉によればもうすぐそこだった。
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