異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

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 朝の日差しが穏やかで、幹人の想いはさざ波程度のもので、息を吸って吐くだけの行ないですら心地が良かった。自然に入ってきて、自然に出て行く感覚がたまらなく好きで、何度でも繰り返したくなっていた。リリもリリで太陽の恵みに触れて、海に目を奪われて離すことが出来ないでいた。

「リリ、やっぱり何事も無難が快適だね」
「全く。もう砂漠とかなんとかは懲り懲りね」

 被っていた布は畳んでカバンに仕舞われていた。砂漠から抜け出したとは言えども痛い日差しから逃れられたわけではなく、日差しが強くなった途端またしても布を被ることになるはずだった。

「さて、早くここから船に乗るとしよう」

 この辺りには恐ろしい程にうわさ話すらない、あっても砂漠に向かって行って倒れていた人物や入国寸前に事切れた人物のことといった重要性の欠片もないものと霧国の王ランスが訪れたといったものばかりで、ここに留まっている必要は微塵にも感じさせなかった。
 リリはふたり分の銅貨を支払って船に乗り込み出国を待つ。

「いいかい? これから娘々の国へ行く」
「にゃ……にゃんにゃん!?」

 幹人の脳内では大量のネコが現れて飛び跳ねて暴れ回って、にゃーにゃーと可愛らしく鳴いては心を揺らして誘惑していた。

「ふふっ、カワイイ反応ありがとさん。幹人のにゃんにゃんいただき」
「にゃんにゃん!」

 何をやっているのだろう。相変わらず想いの周囲を取り囲み続けるネコへの欲望に囚われ続けながらも虚しさを微かに運び込んでいた。

「まあ別に娘々の国は完全に無視するけどもね。あそこは散々行ったうえで魔女の中だけで不思議が殆ど解明されてるから」

 曰く、神秘の主張が激しすぎて大人げないオトナな魔女のみな様方が調査に乗り出して、人々を惹きつける謎を殆ど全て取り払ってしまったのだという。

「といっても魔女の間でだけ。一般人からすればワカラナイで埋め尽くされてるわ」

 あくまでも国自体には迷惑を掛けない方針だったそうだ。

「あそこには行きたいけど行きたくないわ。だってお金が見る見るうちに飛んで行くんだもの……食費に」

――食費かよ!
 辛味の強い料理や小麦を伸ばして作った生地で肉を包んで茹でる料理がとても食欲をそそるおぞましい国なのだという。

「あそこが一番料理が美味しかったわ。次に東ノ国、次に芸術の国かしら」
「もぐもぐリリちゃん俺も見たかったなぁ」

 幹人の中では中華料理と程よく大人なお姉さんの組み合わせは爆発を起こしてしまいそうなほどに魅力的だった。願望のひとつとしてチャイナドレスを着て欲しかったものの、寄ることもなくただ『日ノ出ズル東ノ国』へ飛ぶための発射地点として扱うつもりなのだそう。

「そこが一番近いからね。あと、忍び込むわけだから和服を持っていなきゃ」

 鎖国中の国とはいかに厄介なのだろう。孤島にして交易をも絶つという孤独を歩み続ける方針。孤高の国と呼びたくなっていた。
 船はいつの間にか進んでいた。気が付いた時には振動が変わっていた。それを確かめてリリは幹人に問う。

「なにか和服の形になるような物ないかな」

 それに対する答えはもう既に幹人の思考の末に出し尽くされていた。
――ありません!
 ないならば作るまで。これまでの荷物の中から使えそうなものを探り。鞄から出て来る物はどれも美しい思い出ばかりだった。旅の軌跡として現れた服の数々や辞書といった品々はどれもこれも幹人の心を揺さぶってくる。

「辞書、あの男からもらったのは良いけど全く使わなかったね」

 それから手に取ったのはイノシシの頭のついたようなもこもこの服だった。

「これかわいいから霧国辺りでまた着て欲しいなあ」
「うん、もちろん」

 余裕がなければきっと忘れているであろう緩い約束を交わして、更に荷物を漁り続ける。
 次に目に留まったのは初めの国で老婆の感謝によって手に入れたあの服。あの街で一般的に着られる安っぽい布地の服だった。

「これは確かくびれに帯を巻いてそこに鎌とか小さな鍬とか差し込み仕舞うものだね」

 細くてリボンを思わせる帯、服の余裕を鑑みても必要かどうか、そこまで考えて思い直した。しっかりと留めていた方が作業の邪魔にならない。作業者ならば服はしっかりと肌に密着させていた方がいいこともある。幹人は帯に目をつけて服に結びつけることを想定している中、リリの方は違った意味で帯に着目していた。

「くびれの位置だからねえ、私と幹人の違いが空しくなる」

 男女のくびれの位置の違いに悩んでいるほどに暇なのだろうか、単純に余裕があるのだろうか。

「ああでも幹人が私と違うからカワイイ男の子っていうのが成り立つの……ねえどうしよう、この気持ち、どうしてもなにか不満が出て来て何を解決しても嫉妬や同調の強要や羨ましさややっぱり私がそうなるのはイヤって気持ちが湧いて巡って止められないの。ねえ、この気持ちを私はどうしたらいいの」
「ねえ、この気持ち。ネコの気持ち」

 それはもはや回答にすらなっていなかった。
 それとは別に服の前側を裂いて幹人の身体に当ててみて、丈を確かめて一応完成といった形に落ち着いていた。
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